11.新馬戦直前
さぁ、とうとうやってきました!私の初レース。デビュー戦です!
夏の暑さにちょっとだけやられて一時期食欲が落ちてしまっていたので、デビューは伸びに伸びて10月になっちゃったけど、無事に体調も戻りこの日を迎えられました。
金森さんが、私は仕上がりの早い馬じゃないから丁度いいみたいなことを言ってたので、大した問題でもないのかもしれないけど、お待たせしちゃった分今日は頑張りたいな。
実は、今日無事にレースが行われて私はちょっと安心してるんだよね。というのも、なんか仕上がりの早い馬は6月ごろにはデビューするらしいって聞いていたから、私と同じように10月にデビューする馬がいなかったらどうしようって思ったりしてさ。出場する馬が私をいれて2~3頭しかいなかったらどうしようってずっと不安で夢にまでみちゃったよ……。でも、さっき金森さんたちが私と一緒に走る馬の数が11頭って言ってたから、杞憂にすぎなかったみたい。
ってか、同い年の競走馬っていっぱいいるんだね~。取り越し苦労でほんとに良かったよー。
まぁ、というわけで、私は美浦のトレーニングセンターから東京の競馬場へ馬運車に揺られてやってきたってわけなんです!私の最初のレースは、みんなの会話からどうやら雌の馬(ヒンバって言うの知らなかった)だけがでるレースらしい。っていうか競馬って男女混合種目だったんだって感じ。それよりも、人間より男女差があまりない世界というべき?レースの世界って思ってたよりも厳しいのかも。なので、初めてのレースが牝馬ばかりというのはちょっとだけ嬉しい。
移動した先の馬房で一緒に来てくれた遠藤さんのお世話になっていたときに、なんと小早川夫妻がやってきた。朝も早いのにしっかりと余所行きの恰好で、今日はいつにもましてお上品な雰囲気が漂っている二人だった。私の初レースの応援にきてくれたようで、ますます頑張らないと!と気持ちが引き締まる。
「あらあら、しばらく見ないうちにこんなに立派になっちゃって。調子はどうなのかしら?」
私を見つけた奥さんがびっくりした声を出す。
「はい、夏バテも治って食事も運動も通常に戻りましたので、なんとか今日に間に合わせられたと思います。状態は完璧と言えると思いますよ。レースで1位が獲れるかどうかまでお約束はできませんが、いい勝負はしてくれると思っています」
「そう、良かったわ。1位になるかどうかはさほど問題ではないの。もちろん勝つに越したことはないのでしょうけど。それよりも、何事もなく無事に走ってくれさえしたら……」
何をおっしゃいます奥さん。私は今日1位を捕りに行きます!
それくらいの気持ちをもって走らないでどうする!って昔叱られたことがあるからね。気合よ気合!
「今日は天気がよくて芝の状態も良いので、比較的安全にレースができると思いますよ。もちろんレースなので何がおこるかはわからないものですけど」
「触っても?」
「あ、はい。どうぞ。レース前は気が立ってしまう馬も多いんですけど、イバラヒメはそんなこともないみたいなので、大丈夫だと思います。一応気を付けてください」
「ええ。もちろんよ」
そういいながらそっと伸ばされた手が、私の鼻先を撫でる。何かを確かめるような指の動きがくすぐったい。
「いい子ね」
「ちょっと緊張はしてるみたいですけどね。なかなかどうして、結構神経が太いようです」
「そう。良かったわ」
優しくなでられていると、離れたところから走る足音が聞こえてきた。
「じいちゃん!ばあちゃん!来てたんだ!言ってくれれば出迎えに行ったのに!」
「あらあら、勇彦。ごめんなさいね、レース前だから忙しいと思って。それにレース前に馬の様子も見ておきたくて」
小早川の奥さんが、私の顔から手を離して、小早川孫の方に向き直った。本当に孫なんだ!いや、信じてなかったわけじゃないけど、違ってたらいいのにな~って思ってて。残念ながら私の淡い期待はもろくも崩れ去ったけど。
「それくらいの余裕はあるよ」
そういって小早川孫が顔をくしゃくしゃにした。
びっくり。めっちゃ笑顔!普段の様子とはぜんっぜん違うー。
「勇彦。よく顔を見せておくれ。うん。元気そうでなによりだ」
「じいちゃんとばあちゃんも元気そうでよかったよ!」
「ほんと。相変わらず元気そうね。よく日に焼けて顔色がよくわからないけど」
「そういう仕事だからね。今日は俺頑張るから、応援してよ」
「はいはい。楽しみにしてるわ。事故にだけは気を付けてね」
「わかってるよ。それじゃあ、馬主専用の観覧席に案内するよ」
「ありがとう」
「うん。そうそう、母さんはもう先に来てるよ。二人が来るなんて知らなかったからびっくりすると思う」
「そうか」
そういって男二人で連れ立って歩き出す。
おお。こうしてみると家族仲はめちゃ良いんだな~。いいなぁ。
楽しそうに小早川の旦那さんと小早川孫が歩いていく。
奥さんは一緒に行かないのかなと思って振り返ると、小早川の奥さんがこちらを振り向くのと同時だった。
何かいいたげな視線とぶつかるけれど、何を思っているのかは伺いしれない。どうしたのかなと思ってそのままじっとしていたら、もう一度私に華奢な手を伸ばして一撫で。
「あの子をお願いね」
えぇ……。
すごい真剣に言われちゃった。
おばあちゃんに心配される成人男性。それでいいのか。
結局あの初めての訓練のあと、小早川孫はしばらくの間姿を見せなかった。だからすっかりその存在を忘れていたのに、レース一週間前になって突然姿を現した。それからは、毎日小早川孫と訓練をすることになってしまった。
みんなの顔をみるとどうやらこうなることはすでに決まっていたみたいで、あぁやっぱり私の騎手をするって話は本当だったんだ……ってなった。しょぼーん。
まぁそれはそうだよね。騎手がレース前に乗る予定の馬と訓練しないなんてこと、あるわけないもんね。
仕方ない。仕方ないよ?それが私と小早川孫の仕事だからさ。でもね……。気持ちがね。
どうせ私に乗りたくて乗るわけじゃないんでしょ?って思っちゃうのよね。
しかも、訓練の最中何回もああだこうだとダメだしばっかりしてきて、ほんと嫌なヤツ!ってなっちゃった。
さらには、困ったことに、なんとなーく小早川孫とは息が合わないというか、微妙なズレがある気がするんだよね。遠藤さんや小松さんとの訓練ではそんな風に感じたことがない。これについては私が未熟ってのも理由の一つなんだろうから、おいおい直していけたらって感じ。
そんなことを思いながら、歩き出した奥さんの背中を見る。
お願いって結局なんのことかわかんないけど、とりあえず1位を目指して集中するぞ!と自分に言い聞かせた。
そして、だいぶ待たされた後、やっと私たちのレースになったみたいで、遠藤さんに引かれながら競技場?に出ました!
めっちゃ人がいるるるるるるるるるうううううううう!!!すっごい……!
観客席から視線がすごい飛んできて、まるで視線に射抜かれてるみたい。
これは、違う意味で緊張しちゃうよ。
周りをみると、私と同じように人の数と視線に気圧された馬たちが、ちょっと落ち着きを欠いた動きをしているのが見える。頑張ってなだめようとする厩務員さん。
これはそうなっちゃうのも仕方ないよね……。
あ~めちゃめちゃ緊張する……。吐きそう。実際は朝ごはんを食べてないから、吐くものなんて胃の中にはないけど。単に気分の問題。
「イバラヒメは落ち着いていてえらいな。これからレースだってわかってるみたいだ。頑張るんだぞ。みんな応援してるからな」
そういって私の顔をなでながら遠藤さんが声をかけてきた。
そうだ。私は走りに来たんだ。危なく雰囲気にのまれるところだった。いけないいけない。
うん、そうそう。そうだ。この感じ、私覚えてる。思い出してきた。懐かしい。
気合を入れ直す。
昔もこうだった。部活でなんどもこの感じを経験してきたんだ。ダイジョブ!
私は大丈夫!
勝ちを取りに行くんだ!笹森さん一家や小早川さんにいいところ見せないと!
みんなレースは初めて。条件は一緒。それどころか、前世で競技経験のある分私の方が精神面で有利と言えるかもしれない。うん、頑張るぞ!
そう思うと気持ちが落ち着いてきて、私はレースのシミュレーションを頭の中で展開する。
というわけで、ゲートインです。




