268. 第六側室(4)
それから2時間ほどの間、イロリナは弓を横に寝かせながらの射撃を、色々と試行錯誤しながら繰り返し練習していた。
弓射の基礎が出来上がっているので、応用の技術を会得するのも早い。
時折メルファルーデからアドバイスなどを受けるだけで、イロリナは威力と命中精度の両面を、面白い程にめきめきと向上させていく。
「うん、いいわね。付け焼き刃の技術とは、とても思えないわ」
「ありがとうございます!」
メルファルーデからの賞賛の言葉に、イロリナが嬉しそうに顔を綻ばせる。
現在イロリナが放つ矢は、近距離の目標に対してはほぼ100%命中しており、中距離の目標に対しても80%ぐらいの命中率を誇っている。
動かない的への射撃とはいえ、充分な精度だと言えるだろう。
「次は、移動撃ちの練習をしましょう?」
「移動撃ち? ……移動しながら撃つ、ということですか?」
「ええ。やってみせるから、見ていてね」
短弓を再び借りてから、イロリナを少し後ろに下がらせる。
鏃を向けるのは近距離の目標だ。移動撃ちは『敵の攻撃を凌ぎながら撃つ』技術なので、距離のある目標を狙う際に用いる技術ではない。
まずはそのままの位置で1射目を放ち、撃ち終わると同時に右側へ走りながら、矢筒から次の矢を引き抜く。
矢筈を弦に番えた後に、慣性を活かした跳躍をしながら弓を引き絞る。着地点で足を止めて、身体を安定させた状態で目標へ狙いを定め、2本目の矢を放つ。
放った直後から左側へ走りながら、矢筒から次の矢を引き抜いて―――といった具合に、左右への移動を繰り返しながら合計10本の矢を放っていく。
足を止めた後、狙いを定めるのに要する時間は0.5秒ぐらいだろうか。
その瞬間以外は常に足を動かしているので、なかなか忙しいけれど。これができるだけで、間違いなく射手の価値は大きく向上する。
常に足を止めていなければ撃てない弓兵は、魔物の攻撃を自力で凌ぐ能力が欠如しているに等しい。当然その分の負担は、他の仲間に掛けることになってしまう。
けれども、移動しながら矢を射る技術を身に付ければ、それだけで射手は魔物を1体受け持ちながら、戦うことができるのだ。
百合帝国の『迷宮地』では、戦闘ごとに『探索者と同じ個体数』の魔物と戦う仕様になっている。……何故そうなるのかは、未だにいまいち理解出来ていないのだけれど、とにかくこれは間違いの無い事実だった。
探索者側が2人なら魔物側も必ず2体出るわけなので、原則1人が1体の魔物を受け持ちながら戦うことになる。とりわけ少人数のパーティではその傾向が強い。
だから射手が魔物を1体受け持てるか否かは、『迷宮地』での戦闘を行う上で、非常に重要なものとなる。
今後も『迷宮地』を自己成長の場として積極的に利用していくのであれば、イロリナもこの技術を学んでおいて損は無い筈だ。
実演してみせた後に、その重要性をメルファルーデが説明すると。イロリナにも充分に理解出来たらしく、彼女は即座に移動撃ちの練習に取り掛かった。
ちなみに移動撃ちの場合、弓は縦に構えるより横に構える方が撃ちやすくなる。
これには幾つかの理由があるのだけれど、一番の理由は弓を横に構えていると、矢の先端を目視で確認しながら撃ちやすくなるので、目標へ照準を定めるのが楽になるということだろうか。
また弓を横に構えると、肩から弓の柄を握る手の先端までのラインを感覚で意識できるせいなのか、矢の軌道を予測しやすくなるというメリットもある。
ちなみに弓を横にして撃つ場合には、身を屈ませながら撃つのが非常にやり易くなる、というのも意外に大きなポイントだ。
弓という武器は、射撃時に必要に応じて仰角は取りやすいのだけれど、俯角を取りながら撃つのは少し難しいところがある。
だから背が低い魔物―――例えばオオカミや大蜘蛛のように、体高が人の腰より低い位置にある対象を弓で狙う場合には、起立の姿勢から俯瞰気味に狙いを定めるよりも、身を屈ませて俯角を抑えて撃つ方が命中精度を高めやすいのだ。
「左右に走りながら撃つことになれたら、次は前後に走りながら撃つ練習もしてみると良いわ。それも済んだなら、実際に『迷宮地』の中で魔物と相対しながら練習を積んでみるのが、一番要諦が掴めるんじゃないかと思う。
イロリナが納得できるまで練習できたら、試しに私と2人で『迷宮地』へ行ってみましょう? ゴブリンやオークみたいに、武器を持ってすぐに接近してくる魔物でも問題無く凌げるようになれば、大抵の魔物には戦えるわ」
「わ、是非是非お願いします!」
それからメルファルーデは、射撃場でのイロリナの自主練習に更に2時間程付き合った後、一緒にユリシスの『迷宮地』へと向かう。
結論から言えば、初日の今日はイロリナは失敗だらけで、まともな戦力にはならなかったけれど。今まで魔物と近接距離で対峙する経験を積んでこなかった以上、これは仕方の無いことだろう。
後はもう、実戦の中で成功と失敗を繰り返しながら経験を積み、感覚を掴んでいくしかないが。まあ、イロリナは戦闘のセンスがあるので、きっと大丈夫だろう
イロリナは小柄な割に腕力があり、素速く動ける敏捷性も持ち合わせている。
器用に舞いながら戦うことが出来るようになれば、彼女のポテンシャルは今以上に遺憾なく発揮され、敵に対して自身の強みを押しつける優位な戦いを展開できるようになることだろう。
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