264. 第五側室(2)
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ホテル『ユリシス・バタフライ』の最上階にある、ユベルが借りている一室へと入った2人は、水着に着替えてからホテルの裏手へと出る。
そこにはホテルの宿泊客だけが利用可能な、プライベートビーチがある。
付近一帯が『湖上に造られた木造の街』なのに、ここにだけ砂浜の湖岸が当然のように存在するというのは、酷い違和感を覚えるけれど。
とはいえ、まるで話に聞く『海』に来たみたいで、悪い気分では無かった。
(……こんなに大量の砂を、一体どこから持ってきたのだろう……)
色々と心の中に疑問も浮かぶけれど、深く考えても仕方がないだろうか。
折角の機会なのだから、今は泳ぎを目一杯楽しむことにしよう。
「ところで、メルファルーデさんは泳げますか?」
「ええ、大丈夫よ。森の湖で沐浴する際に、ちょくちょく泳いでいたからね」
「それなら良かったです。この湖はかなりの深さがありますから、泳げない方だと溺れることも珍しく無いんですよ」
「そ、そうなの……? 富裕層に向けて造った区画だって言っていたから、もっと安全な場所なのかと思っていたわ」
「あ、いえ、安全ではありますよ? ユリシスは『迷宮地』がある都合上、都市の全域が【救命結界】で保護されていますから。仮に溺れたとしても、『迷宮地』の中で魔物に殺された時と同じように、命は護られるようになっています」
そういえば探索者ギルドでソフィアから『迷宮地』に関することを聞いた際に、都市全体が【救命結界】という結界で保護されていると教わった覚えがある。
結界は『迷宮地』の中で命を落とした者にだけ、適用されると思っていたのだけれど。どうやら別に、そういうわけでは無いらしい。
「それなら確かに安全ね。……苦しい思いはする羽目になるのでしょうけれど」
「あはは……。【救命結界】は命を保護してくれますけれど、死亡の際の苦しみは一切軽減してくれませんからね……」
メルファルーデの言葉に、ユベルが苦笑しながらそう答えた。
人が命を落とす死因の中で『溺死』はトップクラスに苦痛が酷い部類に入るだろう。命が保護されると判っていても、そんな苦しい体験なんてしたくは無かった。
水の中に入る前に、軽く体操をして身体を解しておくほうが良いとユベルが勧めてきたので。彼女から教わりながら、息が乱れない程度に身体を動かす。
それからユベルと一緒に、湖へと繰り出した。
ホテル裏手の砂浜は、水深が3mぐらいになるまでは、ホテルから離れて行くに従って徐々に深くなっていくのだけれど。そこから先は地面が途絶えており、急に水深が一気に深くなっていて、かなり驚かされた。
水はとても澄んでいるのに、湖底がどれほど深い位置にあるのか、目視では全く確認できそうにない。
「良ければ、湖底まで潜って探検しませんか?」
「探検?」
「はい。この『観光区画』の湖には、色々と面白いものが沈めてあるんです。なので湖の底まで潜ると、そういうのを見て回ることができるんですよ」
「へえ、面白そう! やってみたいわ!」
好奇心を強く駆り立てられて、メルファルーデはそう即答する。
人族はレベルが上がるに従って『身体能力が向上する』ことがよく知られているけれど。この向上効果はとても多方面に及び、その中には『息を止めていられる時間が長くなる』ことも含まれている。
天職のレベルが『98』と高く、また職業のレベルも『26』まで成長しているメルファルーデは、やろうと思えばかなり長い時間息を止めていることが可能だ。
湖底探検を楽しむためのポテンシャルは充分だろう。
「ユベルのレベルはどれぐらいなの?」
「大体60ぐらいですね。これでも私、結構『迷宮地』に通っているんです」
「おお、凄いわね……」
天職と職業のレベルが共に60ぐらいだとすると、実力的にはメルファルーデと殆ど変わらないと考えて良いだろう。
ちなみにレベル60ともなれば、他国だと『騎士団長』のような国家を代表する戦力として、厚遇されることも珍しく無い。
このクラスの実力者が普通に存在しているというだけでも、百合帝国の恐ろしさがよく判るところだ。
もし他国から戦争を吹っ掛けられたとしても……民間から探索者を募兵すれば、お手軽に屈強な精鋭軍が揃うことになるのだから。
「ちなみにユリ陛下や、ユリ陛下の『本妻』の皆様は、全員が天職と職業の両方共に『レベル200』なのだそうですよ」
「………………は?」
ユベルの言葉に、思わずメルファルーデの目が点になる。
ハイエルフの集落で対峙したことでユリ陛下の実力は、多少なりとも理解したつもりで居たのだけれど―――まさか『レベル200』だなんて、そんな遙かな高みに達している相手だとは思っていなかった。
いや、ユリ陛下は『八神』の1柱なのだ。神であるからには、それぐらいの実力は当然有しているものだと、そう理解しておくべきだったのかもしれない。
「―――って、え? ユリ陛下本人はともかくとして、その『本妻』の方も全員が揃ってレベル『200』なの?」
「あ、はい、間違いありません。ちなみに百合帝国が誇る軍隊は、その全員がユリ陛下の『本妻』の皆様だけで構成されていますね」
「……ユリ陛下の『本妻』って、全部で何人いるのかしら?」
「359名ですね」
「えっ、そんな大勢居るの!?」
ユベルの回答を聞いて、メルファルーデは大いに驚かされる。
最初は単純に『本妻』の人数が359名と異常なほど多いことに。
続けて―――『レベル200』という人族の領域から逸脱した実力の持ち主を、麾下に359名も擁しているという事実に。
レベル100の戦士でも一騎当千の戦力になると言われているこの世界で。
ユリ陛下自身を含めると、総勢で『360名』にも及ぶレベル200の軍隊が、一体どれほどの戦力になるのかは―――もはや想像も付かない。
というか……そんな相手に私は一度、喧嘩を吹っ掛けているのか。
よくハイエルフの集落ごと滅ぼされなかったものだと、今更ながらに思う。
「……なんだか寒気がしてきたから、ちょっと水から上がってもいい?」
「そうですか? ではホテルで温かい飲み物でも貰ってきましょう」
ホテル裏手のビーチに戻り、設置されたパラソルの下で身体を休ませていると。すぐにユベルが2人分の温かいお茶を持ってきてくれた。
熱いという程ではないので、すぐに飲めるのが嬉しい。飲み物で身体が内側から温められると、冷え切った心にも平常心が戻って来た気がした。
「そういえばこの湖って、ユリ陛下が造られたものだそうですよ」
「えっ、そうなの?」
「はい。ユリ陛下が唯一使える『攻撃魔法』を行使した跡地なのだそうです。攻撃の衝撃で地面が大きく陥没した所に、地下水脈の水が流入したことで、気付いたら湖になっていたとか」
「……ユリ陛下が唯一使える攻撃魔法の話は、一昨日リゼリアから聞いたけれど。もしかして『太陽を召喚して敵軍の頭上に落とす』っていうやつ?」
「あ、それで合ってますね。実際にこの地で、エルダード王国の兵が6万人ぐらい殲滅されていると聞いています」
「わぁお……」
透き通るほどに清浄な水で満たされた、綺麗な湖なのに。
この場所で6万人も死んでいるなんて―――とんだ心霊スポットじゃないか。
心肝を寒からしめる、というのは今の気分のようなことを言うのだろう。
今しがた温められたばかりの心が、再び急速に冷えていくのが判った。
「ちょっと……水中探検は、また後日にさせて貰っても?」
「体調が悪いですか? 判りました、無理はされないほうが良いと思います」
とてもではないが、もう湖底を探索しようなんて気分では無くなっていた。
だって―――もし6万人分の骸が沈んでいるのを目にしたら、立ち直れないし。
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