222. 竜の軍勢(前)
[1]
百合帝国の首都『ユリタニア』から見ると、東には『ユリシス』や元エルダード王国領の都市が、南には『蓬莱』や元ヴォルミシア帝国領の都市が、そして西には長らく同盟を締結しているニムン聖国の都市が存在している。
ではユリタニアから見て『北』の方角には何の都市があるのか―――というと、実は『何も無い』が答えになる。ひたすら鬱蒼とした森だけが広がっているのだ。
極めて広大なこの森に、特にこれといった固有名は無いらしい。
但し、メキア大陸に住む者に『大森林』か、もしくは『魔の森』や『瘴気の森』と口にすれば、この森を指していることはすぐに伝わる。
それぐらいどの国の民にも、当たり前のように存在が知られた森だと言えた。
『大森林』は、外縁部こそ普通の森と特に違いがないのだけれど。森の深い場所へ踏み入って行くに従い、非常に濃い『瘴気』が辺り一面に溢れるようになる。
この『瘴気』は人族の身体を病に冒す特性があるらしく、そのせいで『大森林』は森を愛するエルフでさえ外縁部にしか住まず、深い場所は避けて生きるそうだ。
また一方で『瘴気』には、魔物に活力を与える効果もあるらしく。『大森林』の中に棲息している魔物の数や質は高く、性格も極めて獰猛らしい。
但し、瘴気環境に適応した魔物は、瘴気の中でしか生きられなくなる。
つまり森の中に棲息している魔物達は森の外はおろか、瘴気が無い外縁部へ姿を見せることさえ全く無いのだ。
だから『大森林』にどれだけ凶悪な魔物が溢れていようとも、それが森の周囲にある国家にとって、脅威となることは無い。
事実、百合帝国を建国してからもうじき2年になるけれど、『大森林』から魔物が出て来たという報告は、一度として受けたことが無かった。
ユリタニアから程近い場所にある『シリン』という村落では、住民が『大森林』の外縁部に入って樹木を伐採したり、茸や山菜、薬草などを採取したりしているけれど。こちらの村落でも、特に魔物の被害が出たという報告は聞かなかった。
脅威となる場所だと認識していなかったから―――『大森林』に対し監視の目を一切配置していなかったのが、気付くことが遅れる原因になってしまった。
まだ正月気分が抜けきらない『春月3日』の午前中。例によってユリタニア王宮の1階で執務仕事を片付けていたユリは、ギルドチャットを介して飛び込んできた報告に、大きく驚かされる羽目になった。
『―――ユリ様。首都のユリタニアがある方向へ、竜の大軍勢が飛行している姿が目視で確認できておりますが、これは既に把握しておられることでしょうか?』
声を聴いただけで、その報告が『黄薔薇』副隊長のアンゼリカによるものであることが、すぐにユリには判った。
生憎、そのような『竜の大軍勢』に心当たりは無いが。真っ直ぐユリタニアを目指しているのであれば、ひとまず敵性行動だと判断しておく方が良さそうだ。
(戦闘部隊が『駆逐』で出払っているタイミングを狙って来た?)
報告を受けたユリは、即座にそんなことも思う。
もしそうであるなら、百合帝国の『駆逐』活動について知悉している敵が居るということだ。しっかり情報を集めてから仕掛けて来る敵ほど、厄介なものはない。
(薔薇の3部隊がすぐ近くに居るのは、幸運だったわね)
但し今回の『駆逐』には薔薇の名を持つ3部隊―――『紅薔薇』と『黄薔薇』、『青薔薇』の子達は参加しておらず、ユリタニアと周辺村落を結ぶ交易路の建造作業を行っている筈だ。
すぐに呼び戻すことも可能だろうから、迎撃戦力として不足はないだろう。
(……相手は、そこまでの情報は持っていないということかしら)
戦闘部隊を派遣しての『駆逐』活動は、月が変わる度にいつもやっていることだけれど。一方で薔薇の3部隊が実行している『交易路敷設』は、つい最近になってユリが指示したものだ。
前者の情報だけしか把握していなかったから、ユリタニアに戦闘部隊が残されていないと見積もって、敵が攻撃を仕掛けてきた可能性がある。
もしそうなら、戦闘部隊3つ分の戦力が丸々残っているのは、相手にとって予想外の事態である筈だ。
存外、状況は攻め込まれた側であるこちらに、優位があるのかもしれない。
「教えてくれてありがとう、アンゼリカ。私はその状況を把握していないわ。
申し訳無いけれど一時的に斥候役を務めて、竜が来た方向と個体数、〈鑑定〉で視える竜達のレベルについても、可能な限り報告して貰えるかしら?」
僅かな時間で思索を纏めたユリは、ギルドチャットに応答する。
とにかく、今は情報の収集が必要だ。アンゼリカが属する『黄薔薇』の子達は、『麒麟』と呼ばれる非常に高速で空を駆けることができる魔物を騎獣にしており、もし竜に狙われた場合でも余裕で逃げ切ることができる。
だからアンゼリカに斥候役を任せても、特に問題は無いだろう。
「それと、現在街道を試験敷設中の『紅薔薇』と『黄薔薇』、『青薔薇』の3部隊は作業を中止して、斥候役を担うアンゼリカを除いた全員が騎獣を召喚してユリタニアの都市上空へと帰還なさい。
もし竜の軍勢と戦闘になった場合には、【障壁結界】が破壊される前に悉くを殲滅するわよ」
『承知致しました、姫』
『はっ、承知しました!』
『ご指示の通りに致しますわ』
ギルドチャットで部隊長のプリムラとヘンルーダ、ミザールに指示を出しつつ、ユリもまた〈インベントリ〉から取り出した『黒羽根の靴』を履いて準備をする。
この靴を履いている間は【自在飛行】の魔法を行使でき、自由に空を飛ぶことが可能となる。竜を相手に空中戦を行うなら、必須とも言える装備だ。
『竜の軍勢が来た方向は、ユリタニアから見て北北東の方角になります。なので、おそらくは『大森林』の上空を越えてやって来たのでしょう』
「上空を、か……」
『大森林』の環境に取り込まれた魔物は、二度と外に出ることが無いわけだけれど。瘴気が無い空から来るような魔物に対しては、『大森林』が防波堤として機能しないというのは、理解出来る話だった。
空を越えて来る可能性を一切考えていなかった、こちらの落ち度だ。
『個体数はおよそ300程度。ワイバーンでは無くちゃんとした『竜』の姿をしているようですが……かといって、それほど強力な個体にも見えませんので、おそらく『下位竜』では無いでしょうか。
〈鑑定〉によると、竜達のレベルには結構バラつきがあるようです。弱い個体で大体レベル100程度、強力な個体だとレベル130を超えていますね』
「ふむ……。対処できない相手ではないわね」
レベル130にも満たない竜なら、それほど脅威となる相手ではない。
いずれか1部隊の戦力だけで対処しても、300体の竜全てを屠るのに10分は掛からないだろう。また『紅梅』が展開している【障壁結界】も、レベル130の竜の攻撃なら、半日ぐらいは余裕で耐えられるはずだ。
少なくとも首都の住民に危険が及ぶことは、無いと見て良さそうだ。
-
お読み下さりありがとうございました。




