221. 会頭との夜(後)
いかにも時間が掛かりそうな料理を注文したにも拘わらず、ユリが注文した料理は5分と待たない内に、熱々の状態で席へと届けられた。
おそらく、この店では〈侍女〉の職業を有する店員を雇用しており、メニューに記載している料理各種を一通り、出来たての状態のまま〈侍女の鞄〉スキルで保管しているのだろう。
話相手が居る時なら、料理が来るのを待つ時間もまた楽しいものだけれど。今はユリ1人だけなので、待ち時間なしで料理を提供して貰えるのは嬉しい限りだ。
口の中に入れた瞬間に溢れた濃厚なトマトソースの風味に、思わずユリの表情が綻んだ。温かいトマトの風味というのは、どうしてこんなに美味しいのだろう。
具材は鶏肉と茄子。鶏肉の量は少なめらしく、一方でナスは大きめのものがゴロゴロと入っている。充分に食べ応えがあって、単品でもお腹が膨れそうだ。
料理と一緒に出されたのは普通のグラスワインだったけれど、口に含んでみると思ったより辛口で、タンニン独特の渋味もやや強めに感じられるものだった。
けれど、それがまた料理によく合っている。なんというか―――食欲が強く増進する組み合わせで、今ならもう1~2品を余分に注文していても、ぺろりと簡単に平らげられそうに思えた。
「申し訳ありません、ユリ陛下。お待たせ致しました」
「いらっしゃい、ルベッタ。先に楽しませて貰っているわよ」
ユリが対面側に座るよう促すと、こくりと頷いてルベッタが腰を下ろす。
近寄ってきた女性店員に、ルベッタもユリと同じくワインを注文していた。
どうやら今日の仕事が終わったので、飲むつもりらしい。
「あなたはもう、夕食は摂ったの?」
「はい。1時間程前に、調理手が試作した料理を頂きましたので」
「そう」
ルベッタの夕食がまだなのであれば、実際にもう1~2品注文しようかと思ったのだけれど。済んでいるのなら、今食べているグラタンだけで充分だろう。
「ところで、お味の方はいかがでしたか?」
「かなり美味しいわ。ルベッタが調理手を自慢するのも頷けるわね」
「ありがとうございます」
ユリの賞賛を受けて、ルベッタが嬉しそうに微笑む。
このレベルの料理が出るなら、繁盛は間違いないだろう。
「思ったより客が入っていないようだけれど。大丈夫なの?」
「えっ? ああ―――昼間は結構お客様も来ておりましたし、待ちも出ていたのですが。夕方以降はこのぐらいにまで落ち着いたようです。
おそらく『飲食無料』の1日を謳歌されたい方々は、もっと気楽に騒げる店舗や露店のほうへ行かれたのではないでしょうか」
「なるほど。確かに、この店では騒げないものね」
堅苦しい雰囲気の店ではないが、それでも一定の秩序が求められる場ではある。
確かにルベッタの言う通り、『飲食無料』の年始をバカ騒ぎしながら楽しみたい人達が、来るような店ではないだろう。
「そういえば、このお店はレストランの割に一品料理が充実していたり、価格も抑えめだったりするみたいね。先程メニューを見て、少し驚いてしまったわ」
「この店は貴族や富豪といった方々ではなく、普通の庶民向けの店として営業するものですから、価格は勉強させて頂いております。とはいえ、良質な材料を使い、また優れた調理手も雇っておりますので、露店や大衆食堂で購う料理に較べれば、大体値段が2~3倍ぐらいにはなるでしょうか。
―――ユリ陛下の治世により、国内は大変豊かになりました。エルダード王国の施政下だった頃に較べると、税金も遙かに安くなっていますから、今は普通の庶民にも充分な金銭の余裕があります。なので庶民向けに『少し高めで良い料理を振る舞うレストラン』を作っても、需要は充分に見込めるかと思いまして」
「なるほど、面白いわね」
最近はユリシスの都市北部にある『観光区画』を、普通の農民の人達が利用しに来ることさえ、それほど珍しくは無くなっていると。そのように『撫子』からは報告を受けている。
嘗てエルダード王国は、統治下にある都市や村落に住む民から、およそ『6割』程度の税を徴収していたと聞いている。しかも農民の人達に対しては更に厳しく、概ね『7割』近い税を課していたらしい。
現在、百合帝国では国内にある都市の民には一律で『3割』の税を、村落の民には一律で『2割』の税を課している。
税が激減すれば、単純にそれだけ民が自由に使えるお金は増える。
気軽にレストランで食事が出来たり、少し長めの休みを取って湖で泳ぎを楽しんだり―――そういうことが自由に出来る程度に、市民達の生活に余裕があるのは、間違いなく好ましいことだと言えるだろう。
「良い国で商売が出来まして、私は大変に幸せ者です」
ルベッタが屈託のない笑顔を浮かべながら、そう告げる。
その一言だけで、ユリは大いに報われたような気がした。
「ところで―――ルベッタ。あなた、この2日の間にまた若返ったわね?」
「……う。やっぱり、判りますか?」
「そりゃ好きな女の子の変化ぐらい、当然判るわよ」
「あ……ぅ……。あ、ありがとうございます……」
かあっと、ルベッタが顔を判りやすく朱に染める。
ルベッタはここ1年ぐらいは、日本人の感覚からすると、大体『17歳』前後の容貌になっていることが多かった。
『30歳』の女性が翌日『29歳』に若返っていても、それほど簡単には判らないかもしれないけれど。『17歳』の女の子がたった2日で『16歳』へ若返っていれば、流石にその変化は判り易い。
少なくとも、女性をこよなく愛するユリが、見逃す筈もなかった。
「ふふ。私に抱かれるために、若返ってくれたのかしら?」
「あぅ……。そ、そうです……」
「そう。だったらもう、言葉は不要よね。―――覚悟なさい」
ユリはおもむろに席から立ち上がると、耳までも真っ赤に染めたルベッタを引き連れて、酒の代金の会計だけ手早く済ませてから店を出る。
その一瞬後にはもう、転移魔法で2人の姿は夜の街並みから消えていた。
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