189. 帝国の歓迎
豪華な馬車が、帝都ドリスダールの目抜き通りをゆっくりと走る。
乗り心地はなかなかに快適だ。馬車自体の質も悪くないのだろうけれど、それ以上に街路が充分に整備されていることが大きいのだろう。ガタガタと車体が揺れることもなく、頑張れば移動中でも眠れそうなぐらいだ。
ユリは馬車の小窓を開けて、流れゆくドリスダール市街の景色を眺める。
この世界の一般的な建物―――元エルダード王国領であったり、シュレジア公国の都市にある建物は、概ね2階から3階建てが多いのだけれど。ここドリスダールにある建築物には、5階建てのぐらいまでのものが普通に存在しているようだ。
単純にヴォルミシア帝国が、それだけ高い水準にある建築技術を有しているという証左だと見て良いだろう。日本のように地震が多い地域ではないとはいえ、なかなか大したものだと思う。
まあ、百合帝国が建造した各都市、特にユリシスの都市には10階を大きく超える階層を持つ、高層建築物も沢山あるわけだけれど。これは百合帝国の建築技術がどうこうというより、単に『桔梗』の子達が異常なだけなので参考にもならない。
「活気の無い街ですね」
「そうねえ……」
都市自体は整然としており、立派な威容もあるのだけれど。それとは対照的に、都市の中で見かける市民の姿からは、およそ活気というものが感じられない。
それどころか都市の街路には、明らかに気力無く地面にへたり込んでいる市民の姿さえ散見された。
どうやら【空間把握】の魔法で得ていた情報―――この都市に住む人達のおよそ7割近くが『飢餓』または『空腹』の状態に陥っているというのは、間違いの無い事実であるらしい。
腹が減っては軍は出来ぬとも、倉廩満ちて礼節を知るとも、よく言うけれど。人は先ず食が充分に満たされていないことには、あらゆる活動のためのエネルギーを得ることが出来ない生き物なのだ。
(……何とかしなければならないわね)
都市に住む人達の姿を観察しながら、ユリは酷く胸が痛む思いがした。
別に自身にとって関わりの深くない場所で、どれだけ沢山の人が苦しみに喘いでいようと、ユリが心を痛めることはない。そんな慈悲深い性格では無いのだ。
とはいえ―――当たり前だけれど、空腹に喘ぐ市民達の半数は女性なのだ。
小窓から眺め見る景色の中に、明らかに空腹にやつれた女性の姿が見えてしまう度に、ユリは強く心を苛まれるような心地になる。
差別的であることは自覚しているけれど―――どうしてもユリは、自身が愛する対象の人達が、つまりは女性が無用な苦しみに晒されていることを、看過できないところがあった。
ここが自分の国であれば何とでもしてみせるのだけれど。他国であるからには、直接自分が彼女達に何か働き掛けられるわけでもない。
(……ヴォルミシア帝国は何をやっているの)
代わりにユリは街路に佇む女性達の姿を見て、この国家に対する敵意を、内心で明確に膨らませていく。
民が苦しみに喘ぐのは国家の瑕疵だ。救済すべき責は当然、まず第一に国が負うべきものとユリは考える。それを果たさずして―――何が『国家』だ。
「いっそ奪ってやろうかしら……」
「それもよろしいかと」
ぽつりとユリが零した言葉に。リンドヴルムは嬉しそうに首肯してみせる。
無意識に零れ出た独り言だっただけに、ユリはその返答にただ困惑した。
そうしたいと思っても―――そうするわけにはいかない。
ユリは『百合帝国』の子達へ、自身がこれ以上の国土の拡張を当面『望まない』という姿勢を、過去に明確に宣言している。
自らが示したその姿勢を、自身が率先して破ってしまうようでは。ユリに対して全霊の忠誠を捧げてくれているあの子達に、申し訳が立たない。
「ユリ殿がお望みでしたら。私が全てを手に入れて、そのまま差し出しますが」
「やめて頂戴、リンドヴルム。……気持ちは嬉しいけれどね」
「はい。余計なことを申しました、お許し下さい」
リンドヴルムにしても『百合帝国』の子達にしても―――ユリが一言でも望みを告げるだけで、大抵のことは果たせてしまう子達が大勢いる。ヴォルミシア帝国を征服して差し出すことさえ、彼女達からすれば容易なことでしかないのだ。
なればこそ、その統率者であるユリには慎重な姿勢が求められる。
少なくとも、先方から喧嘩を吹っ掛けてきているわけでもないのに。武力による安易な解決を考えるのは、好ましいことではない。
馬車は10分ほどゆっくりとドリスダールの市街を走った後に、その中心にある大きな建物の正面で停車した。
立派な建物が揃うドリスダールの街並みの中にあっても、別格の威容を誇るその建物こそ。ヴォルミシア帝国が皇帝の居城に他ならない。
「降りるわよ」
「はい、ユリ殿」
リンドヴルムと共に馬車から降りたユリは、その位置で『転移ポイント』を登録する。全ての交渉が今日一日で終わるとも思えないから、今後は帝城の入口正面にあたるこの位置に、何度か転移する機会もあるだろう。
「案内するゆえ、着いて参れ」
「……ええ、判ったわ」
いつの間にか下馬していた、リーダー格の騎士が告げるその言葉に。ユリは少しだけ眉を顰めながらも、頷くことで応える。
『参る』というのは謙譲語なので、会話の受け手を『謙らせる』その言い方は、相手を自分より格下に扱う言葉になる。
とはいえ―――こうした言い方のひとつなどを、論っても仕方がない。
そもそもユリは、リュディナが与えてくれた『翻訳』の恩恵が、どこまで正確にこの世界の言語を日本語に訳してくれているか、把握しているわけでもないのだ。
客人へ配慮する素振りも見せず、やや足早に闊歩する騎士に遅れないよう気をつけながら、ユリはリンドヴルムと並んで帝城内を歩く。
外から見て立派な威容を持っていた帝城は、その内装もまた見事だった。
無駄に華美が過ぎる辺りは、あまりユリの趣味とは合わない部分もあるけれど。贅を求める姿勢を来訪者に示すことは、一概に間違いでも無いだろう。
城内で遭遇する兵士や騎士、そして貴族といった手合の人達は、客人の立場にあるユリ達に対し道を譲りながらも、誰も彼もが不信の目を向けていた。
特に貴族の人達からの睨め付けは厳しく、そして露骨だ。他国の君主であるユリが、どういう形でヴォルミシア帝国を脅かそうとしているのか、警戒心を剥き出しにしていることを隠しもしない。
「謁見の準備が整うまで、こちらの部屋で暫く待たれよ!」
「判ったわ。案内ありがとう」
「フン!」
ユリが感謝を口にすると。リーダー格の騎士は不機嫌さを隠しもせずに、ユリの前から大股で立ち去っていった。
何をあんなにイライラしているのだろう、とユリはその背中を見送りながら訝しく思う。カルシウムが足りていないのだろうか。
「………………あの男、殺しても構いませんよね?」
額に青筋を立てながら、リンドブルムが笑顔のまま怒気を露わにする。
特にユリは気にしていなかったのだけれど、彼女にとってみれば度し難い態度であったらしい。ユリはリンドヴルムの肩に手で触れながら、彼女を宥める。
「落ち着きなさい。あなたが手をかけるほどの価値など無いわ」
「はっ、失礼致しました」
「ま、取り敢えず部屋に入りましょう」
案内された先の部屋に入ると、そこは応接室だった。
豪華な調度品の数々が並べられた部屋の中央には、大きな対面式のソファが鎮座していて。2脚のソファの間に置かれた背の低いテーブルの上には、湯気を湛えるお茶と菓子が並べられていた。
応接室の隅にはメイド服を身につけた6名の侍女が控えている。
お茶と菓子は彼女達が準備してくれたものなのだろうけれど―――。
「―――ユリ殿」
「ええ、大丈夫よ。ちゃんと判っているわ」
はあ、と重い溜息をひとつ吐いてから。ユリはソファに腰掛ける。
そして、先程から右手の中指に付けている〈危険感知〉の指輪がずっと反応している、お茶と菓子のそれぞれに〈鑑定〉のスキルを行使した。
『随分と熱烈で、判りやすい歓迎をされたものね』
『私も、まさかこれ程までとは……』
対面側に腰掛けたリンドヴルムと、思わずユリは顔を見合わせる。
―――テーブルの上に並べられたお茶と菓子。
その両方に、レベル26の『毒物』が混入されていることが判ったからだ。
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