187. 帝都ドリスダール
『ユリ殿。都市らしきものが進行方向の先に見えて参りましたが』
「あら、もう?」
リンドヴルムに言われて、ユリは慌てて針路上の地面を俯瞰する。
けれども、少なくともユリの視力で確認できる範囲内に、都市らしきものを見て取ることは出来なかった。
とはいえ、ユリには見えなくとも。リンドヴルムがそう言うのならば、針路上に間違いなく都市が存在しているのだろう。
「流石はリンドヴルムね。あなたの翼でなら、距離を感じる暇も無いわ」
『ユリ殿との久々の飛行を少しでも長く楽しみたくて、実はそれなりに速度を落として飛んでいたのですが……。もっと悠長に飛べば良かったです』
「あら、嬉しい言葉ね。では復路でもリンドヴルムの背に乗せて貰うとしましょうか。転移魔法を使って一瞬でユリタニアまで帰ることも出来るけれど、それではあなたと一緒の時間を楽しむ機会が減ってしまうものね」
『是非そうして頂けますと、私としても嬉しいです』
「リンドヴルム、これから少し『放送』を行うから。シルフが並んで飛べる程度にまで、速度を落として貰えるかしら?」
『容易いことです』
リンドヴルムがその飛行速度を大きく落としてくれたのを確認して、ユリは【使役獣召喚】の魔法を行使する。
シルフを召喚した後、ユリは常に維持している自国や同盟国の人達との『絆』を介して、今日の『放送』を開始する。
いつも通り撮影役は、喚んだばかりのシルフに任せた。
「―――ごきげんよう、百合帝国臣民の皆様、並びに同盟国臣民の皆様。百合帝国の女帝を務めさせて頂いております、ユリと申します。昨晩の『放送』の際に通達しておりました通り、本日の『放送』は午前中の今から行わせて頂きます」
撮影役のシルフに向かって、ユリはそう語りかける。
普段は夜の20時から行っている『放送』だけれど、流石に他国を訪問して王へ面会を希望するのに、夜半の到着では不都合だろう。だから昨晩の時点で視聴者には予め断っておき、今日は午前中の今から『放送』を行うことにしていた。
ユリは念話でシルフに指示を出し、彼女の位置を少しだけ遠ざける。
リンドヴルムが纏う『風の膜』の内側ギリギリまでカメラを引いて貰い、画角の中にユリだけでなくリンドヴルムの身体も収めて貰うためだ。
竜は翼を羽ばたかせることによって揚力を得るわけではなく、竜独自の魔法を行使することで空を飛行するのだけれど。竜はこの魔法で飛行している間は、自身の周囲を『風の膜』で包み込むことができる。
この膜が防護してくれるお陰で、外側で流れる風が膜の内側に入ることはない。なのでこの膜の範囲内に撮影役のシルフが留まっている限りは、風が奏でる騒音が視聴者の耳に届けられることも無い筈だ。
「本日は私の可愛い使役獣と一緒なので、紹介させて頂きますね。
いま私が乗せて貰っているこの子は『氷竜リンドヴルム』と言う私の使役獣で、レベルが『1666』もあるとても強力な竜なの。だからもし彼女に喧嘩を売る場合には、相応の怪我は覚悟しておいて頂戴ね」
『ご主人様からご紹介に与りました、リンドヴルムで御座います。
視聴者の皆様には、もはや申し上げるまでも無いかとは存じますが―――レベルなど飾りに過ぎませんから、あまり過大評価はしないで下さいね。もちろん、私のレベルが1666というのは事実ではありますが、そんな私は『レベル200』のユリ殿おひとりだけが相手でも、まるで敵いませんので……』
「私の戦い方は、ちょっと特殊だもの。それは仕方がないと思うわ」
ユリは単身で戦闘する際に、自身が受けたダメージや状態異常を『絆』を介して敵に無理矢理押しつけるという、明らかに『普通ではない』戦い方を好む。
リンドヴルムもラドラグルフも、極めて強力な竜ではあるのだけれど。彼女達はどちらも自身の戦闘能力に絶大な自負を持っているだけに、相手に真っ向からぶつかる以外の戦い方を選ぶことがない。
膂力や魔法能力だけではねじ伏せることが出来ない、ユリのような『異端』を相手にするには、彼女達は経験や知識が不足し過ぎていた。
「さて―――昨晩の『放送』の際に、視聴者の皆様には既に説明しておりますが。私はリュディナから請われ、現在ヴォルミシア帝国へ向かっております。彼の国の領土内で急速に数を増やしている『泥土狼』なる魔物への対処と、彼の国の臣民が食料不足に喘いでいる現状の改善に、協力を申し出るためですね。
ヴォルミシア帝国は悪辣な振る舞いで知られる国家。とりわけシュレジア公国にお住まいの皆様の中には、もしかすると過去にヴォルミシア帝国から煮え湯を飲まされた経験が有る方もいらっしゃるかもしれません。個人的な本音を言えば、私も彼の帝国にはあまり協力したくは無いのですが―――それでも、ヴォルミシア帝国自体に非はあれど、その地に住まう民にまで罪があるわけではありません。飢餓に苦しむ民への救済を望むリュディナの想いを、汲んで頂けましたらと存じます」
『―――国家に罪はあれど民に罪は無し、ですか。なるほど、良い言葉ですね』
「ありがとう、リンドヴルム。とはいえ私も一国の女帝である以上、ヴォルミシア帝国に無償の支援を行うつもりはありません。そんなことをしても私の国には何の利益もありませんからね。
彼の国では食料こそ不足しているようですが、それ以外の物にまで問題が生じているわけでもないでしょう。鉱石でも工芸品でも何でも結構ですので、相応の対価は要求するつもりです」
ちなみに『ヴォルミシア帝国へ支援する対価として何を要求するか』について、『百合帝国』の子達にアンケートを取った所、圧倒的に多かった意見は『彼の国に帝国を標榜することを止めさせること』だった。
やはり彼女達にとって『この世界に帝国は2つ要らない』という思いは強いものであるらしい。要求内容としては多少どうかと思う部分もあるけれど、一応ユリも交渉のテーブル上には乗せてみるつもりでいる。
『ユリ殿。そろそろ人間の肉眼でも見える距離かと思われます』
「ありがとう、リンドヴルム。ああ―――確かに見えるわね」
ユリ達が飛ぶ針路上の先に見下ろすことができる、大きな都市。
その都市は、やや黄色みがかった色合いの堅牢な防壁で囲われており、都市の中をY字型に河川が流れている。
事前に『撫子』の子達から聞いていた通りの構造をしていることから察するに、この都市こそヴォルミシア帝国の首都『ドリスダール』に間違いないだろう。
「かなりの大きさがあるわね。この都市の全域を効果範囲内に収めるには、魔法を220倍ぐらいまで拡大しないといけないから―――詠唱に大体11分ほど掛かるかしら。リンドヴルム、その間はあなたが場を繋いでおいて頂戴ね?」
『……えっ。わ、私がですか?』
「ええ、お願いね。私は暫く黙るから、あなたが視聴者に語りかけて頂戴」
思念で詠唱を行えば、詠唱中も口頭での会話を行うこと自体は可能だけれど。魔法や魔術を詠唱する最中は結構な集中力が必要となるため、できれば他のことに意識を割きたくは無い。
だからユリは『放送』の主導権をリンドヴルムに託す。
彼女が視聴者に向けてのトークを上手く行えるかどうかは未知数だけれど。仮に失敗してもそれはそれで、視聴者からは温かい目が向けられることだろう。
『では、私の妹のことについて話しますね。妹は名をラドラグルフと申しまして、最も強き竜であることを示す『覇竜』の異名を持つ子なのですが―――』
ちなみにリンドヴルムはユリが詠唱に集中する11分間ずっと、ラドラグルフのことについて延々と話していた。
リンドヴルムは強さと賢さを兼ね備えた氷竜なのだけれど、少々妹バカみたいなところがある。その事実が―――おそらく視聴者にも、よく伝わったことだろう。
「―――全てを我が前に曝け出せ、【空間把握】!」
かなりゆっくり飛行して貰っていても、11分も掛けていれば目標の都市はリンドヴルムの巨躯のすぐ下にまで迫ってくる。
竜の背から身を乗り出しながらユリは都市の全域を視界内に収め、効果範囲内に入るように【空間把握】の魔法を行使した。
【空間把握】が正しく発動した結果、ヴォルミシア帝国の首都ドリスダールのあらゆる情報が、ユリの頭の中に入ってくるようになった。
その情報によると、ドリスダールの人口はおよそ2万8000人であるらしい。かなり規模の大きな都市であることが、数値からも明瞭に判断できる。
―――但しその内の7割近くに相当する、約2万人もの人達が『飢餓』、または『空腹』の状態に陥っているようだ。
どうやら食糧不足の深刻さは、現時点でかなりの所にまで達しているらしい。
『都市内にいる兵士や住民達が、こちらを見て騒いでおりますね』
「すぐ上空に大きな竜が飛んでいれば騒ぎたくもなるでしょうね。リンドヴルム、相手の矢がまだ届かない距離ぐらいにまで高度を落として貰えるかしら」
『承知しました』
リンドヴルムの巨躯が徐々に高度を落とし、都市の上空300メートルぐらいの高さにまで降りてくると。都市の混乱は殊更に大きなものとなった。
ユリは【空間把握】の魔法を利用して『絆』を確立し、ドリスダールに居る全ての人達に向けて、映像を伴わない声だけの念話を発信する。
「―――ごきげんよう、ヴォルミシア帝国の首都ドリスダールにお住まいの皆様。私はこの国の北方にあります、百合帝国という国の女帝、ユリと申します。
現在ドリスダールの上空に飛んでいます竜は、私をこの地まで乗せてきてくれたリンドヴルムという子になります。リンドヴルムは使役獣ですので、私の許可なく勝手に攻撃を行うことはありません。ヴォルミシア帝国の側から攻撃を仕掛けて来ない限りは、リンドヴルムや私が都市にお住まいの皆様に対して攻撃を行うことは絶対にありませんので、ご安心下さいね」
王城の露台に出て、こちらを見上げている人達の姿がある。
【空間把握】の魔法で得られた情報によると、あの人達の中心に立つ人物こそ、ヴォルミシア帝国の君主、ルドウィン皇帝であるようだ。
「また私が百合帝国の女帝であると同時に、この世界の主神の1柱であることは、既にご存じの方も多いかと存じます。私は今回、このヴォルミシア帝国にお住まいの皆様が、増殖した『泥土狼』なる魔物への対処と食糧不足に苦しんでおられることを憐れんだ癒神リュディナから頼まれ、その支援のために訪問しました。
私はこのヴォルミシア帝国の君主、ルドウィン皇帝との面会を求めます。今からドリスダールの―――そうですね、南門の外あたりにリンドヴルムを着陸させますので、良ければそちらから案内をお願い出来ますと嬉しいです」
ドリスダールに住む人達に向けてそう語りかけた後に、ユリはリンドヴルムと共に、宣言通り都市の南門を出た先の場所にゆっくりと降下する。
地上からの矢が届く高さまで降りても、防壁に備えている兵士の人達がこちらへ弓を向けることは無かった。
悪辣な国と聞いていたから―――念話で語りかけた上で接触を試みた場合でも、矢を射掛けられる展開も有り得るかと懸念していたのだけれど。
どうやら先方との話し合い自体は問題無く行うことができそうで、ユリは静かに安堵の息を吐いた。
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