103. 鉱山都市の改善案(後)
「具体的にはどういう所が駄目なのかしら?」
「そうですね……ダカートに入って真っ先に嫌だと感じたことは、やっぱり悪臭の酷さについてでしょうか」
「ダカート?」
「今回公国から割譲された鉱山都市の名前です。……ご存じなかったですか?」
「言われてみれば―――知らなかったわね」
今更ながらその事実に気付かされ、思わずユリは苦笑してしまう。
人口が100人にも満たないような小さな村落であれば、名前自体が付いていないこともあるけれど。流石に『都市』ともなれば、そんなことは有り得ない。
だというのに―――言われてみれば、名前など気にしてもいなかった。
公国の新しい君主となったテオドール公と割譲について協議した時でさえ、その都市のことは互いに『鉱山都市』としか呼んでいなかった気がする。
「まあ、名前はいいわ。どうせ『桔梗』の手で造り直した場合には、何か別の名前を付けた方が良いのでしょう?」
「そうですね。その際には、やはりユリ様の名を冠したものに変えて欲しいです」
「悪臭が酷いという話だけれど、それは以前のニルデアと同じぐらいかしら?」
ユリタニアとユリシスの都市には、下水道が完備しているけれど。この世界では基本的に排泄物や生活汚水は甕の中へ保存しておき、一杯になったら回収業者に処分して貰うという方式なので、人が多く住む都市であればあるほど街中には甕が溢れ、耐え難い悪臭を都市中に蔓延させる。
嘗てのニルデアで感じたあの耐え難い匂いは、今でもユリの記憶の中に焼き付いている。忘れたくても、なかなか忘れられそうにはない。
「いえ、ダカートの悪臭はニルデアよりも更に上をいくと思われます。
えっと……お話の続きは、食べ終わってからでも良いでしょうか? 姐様が折角手ずからに作られたマドレーヌなのに、美味しくなくなりそうで……」
「ああ、ごめんなさい。もちろん食べ終わってからで構わないわ」
確かに、焼き菓子を食べている時にする話ではなかったかもしれない。
シノンが2個目のマドレーヌを、数分ほど掛けてゆっくり味わって食べ終わった後に。ユリはシノンに、先程の話の続きを訊ねた。
鉱山都市であるダカートには、全部で1万1千ほどの人達が住んでいるらしいのだけれど。他の都市であれば人口の9割以上が『人間』であることが普通なのに、ダカートでは人口の2割弱、大体2千人ぐらいが『ドワーフ』であるらしい。
そしてシノンが言うには、このドワーフが出す排泄物が、人間のものとは比較にならないレベルの大悪臭を放つ原因であるそうだ。
「とりあえず、姐様からお借りした麒麟の使役獣には、敢えてダカートの都市から少し離れた地点を『転移ポイント』に記録して貰っています。
ですので姐様が今後転移魔法を使ってダカートを訪ねる際には、必ず『睡蓮』の誰かを同伴して、先に【浄化】を使わせてから都市に入って下さいね」
「ありがとう、しっかり覚えておくことにするわ」
人口が1万1千人ということは、都市の規模自体は嘗てのニルデアの半分程度ということになる。
その程度の都市サイズであれば、『睡蓮』に【浄化】の魔法を範囲拡大して1度行使して貰えば、全域から汚物も悪臭も全て丸ごと除去できるだろう。
「まあ、悪臭は別にいいんです。耐え難くはありましたけれど……10分か20分ぐらい我慢していれば、鼻が利かなくなって無視できるようになりますから。
ダカートに入ってから次に気になったのは、都市内に『妙に壁が多い』ことと、あとは『幅が広い街路がない』ということでした」
「ふむ……。後者の『広い街路がない』というのは、どの程度なのかしら?」
「おそらくダカートには、馬車同士が擦れ違える街路が1本も無いと思います」
「―――えっ。そこまで酷いの?」
「はい。そこまで酷いんです」
サイズに関する規格が存在しないこともあり、この世界で一般的に使われている馬車や荷馬車は、物によって大きさがまちまちだけれど。車幅は概ね『1.5m』から『2m』程度であることが多いように思う。
なのでシノンの言う通りなら、ダカートの都市内に張り巡らされている街路は、いずれも幅が『4m』にさえ満たないということになる。
1万1千人もの人口を抱えるとなれば相当な規模の都市だ。それが幅の狭い街路ばかりで構成されているというのは、正直まるで理解し難い。
「目抜き通りをどのように配置するかなんて、都市を設計するなら真っ先に決めることでしょう。一体どうやったら、そんな酷い都市が出来るのかしら……?」
「これは憶測ですが。たぶんダカートの都市は、設計自体してないと思います」
「……は?」
「最初に都市をぐるりと取り囲む防壁を作り、その真ん中に領主館を建てる。
たぶん―――ダカートの都市では、それだけしかやっていないのだと思います。後から居住を始めた人達が、思い思いに好き勝手な場所へ家屋や商店を建てていくことで完成したのでしょうね。だから都市内に張り巡らされている街路はどれも、狭くて無駄に湾曲が多いものばかりになっているし、袋小路なども多くなっているのだと思われます」
「信じられない……」
シノンの言葉を受けて、ユリは思わず頭を抱えてしまう。
流石に都市設計はしたことがないけれど、ユリもまた建設関係の仕事に携わっていた者のひとりなのだ。
設計もこなしていた身としては、都市の建造という一大事業が、そこまで杜撰な計画の元に実行されている事実に目眩さえ覚える。
「それにしても『壁が妙に多い』というのは、どうしてなのかしらね」
「そちらも、私の憶測で良ければお答えできますが」
「聞かせて頂戴」
建築のプロである『桔梗』の意見であれば、憶測であっても大いに参考になる。
というか、シノンが実際に現地を調査した上で得た憶測なのだから。おそらく、かなりの確率で真実を突いているのではないだろうか。
「ダカートは多分、当初は1000人ぐらいの小規模な都市を目指していたのだと思います。それが思いのほか人が増えてきてしまって、後から何度も都市の規模を繰り返し拡大していったのではないでしょうか」
「ああ、なるほど―――。だから『壁』が残されていると?」
「はい。私はそのように考えます」
防壁を築けば、その時点でその都市の人口限界は概ね決定されてしまう。
だから後から人口が増えてきた場合に都市の許容量を増やすには、防壁の外側に新たに『防壁で囲った区域』を作ってしまうしかないわけだ。
魔物の攻撃にも耐えられる防壁を築けば、それを撤去するのも容易では無い。
だから都市を拡張する度に、古い防壁が居住区画の中へ取り残されて。そうして出来上がったのが『壁が妙に多い』都市というわけだ。
「無計画ここに極まれりね……」
「こんな酷い都市で良いと思っている領主の顔が、一度見てみたいですね!」
「それほど愉快な顔でも無かったわよ?」
今回、公国から百合帝国へと割譲された山岳地帯の全域は、ドラポンド公爵家が古くから領有している土地になる。
そして、いつかの夜会で見たドラポンド公の顔は、なんと言うか―――いかにも『武人』らしい顔立ちをした、普通の壮年男性という印象のものだった。
割と有り触れた顔なので、残念ながらあまり面白みのあるものではない。
―――まあ、思い出しても仕方の無いことだ。
テオドール公が弑した以上、もうドラポンド公と会う機会は皆無なのだから。
「上下水道を配備したり、都市を町割りから設計し直すことを考えると。やっぱりこの都市は廃棄を前提にして、新しく造るほうが手っ取り早いわね」
「同感です。それから―――都市だけでなく鉱山のほうも視察してみたのですが。そちらも同様に酷かったですから、覚悟しておかれたほうが良いかもしれません」
「酷いって、どれぐらい?」
「軽めの地震が起きるだけでも、高確率で落盤が生じると思います」
「論外じゃないの……」
こちらの世界に来てから一度も経験していないことから察するに、日本とは違い滅多に地震が起こらない土地ではあるのだろうけれど。
とはいえ、幾ら何でも『軽めの地震』にさえ耐えられない構造というのは酷い。
「しかも坑内通気が一切考慮されていません。逆にちょっと凄いですよね」
「……とりあえずダカートの坑夫が全員、自殺志願者なのだと理解できたわ」
シノンの言葉に、再びユリは頭を抱える。
坑道というのは、新鮮な空気をいかにして末端まで循環させるかを緻密に考える必要がある、意外に高度な施設なのだ。坑内通気が充分でないと、坑夫が酸欠に陥るだけでなく、有毒ガスなどが湧出した際に大変な事態を招くことになる。
それを一切考慮せずに掘るとなると―――おそらく『鉱山都市』を名乗ってはいても、ダカートの鉱山内には短い坑道しか造られてはいない筈だ。
近年は銀の産出量が落ちているという話だが。入口から近い場所ばかりを掘っていれば、産出量が露骨に落ちていくのは当然のことだろう。
(技術が無いのなら、いっそ坑道を造るより露天掘りにすればいいのに……)
思わず、ユリはそんなことさえ思ってしまう。
……この様子だと、発生した坑内水の処理についても、どの程度まで適正に行われているか怪しいものだ。
もし鉱毒被害などが発生すれば、目も当てられない。自国の都市に加える以上、早急に『桔梗』の手で建造した都市に置き換える方が賢明だろう。
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