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W 022話 吼える年寄り

1941年8月○○日 『日本 皇居 侍従武官長室』 


「10倍差か……」


 そう呟いた侍従武官長の蓮沼蕃大将は腕組みをして考え込むような姿勢を見せた。

 その蓮沼蕃大将の姿に今回の話を持って来た岩畔豪雄大佐は畳み掛ける。


「閣下、米国と戦えば日本の敗北は必至であります!! どうか開戦とならぬようお力添えを願います!!」


 岩畔豪雄大佐は先日アメリカから帰朝したばかりだ。

 それまではアメリカにある日本大使館の駐在武官で、今もなおホワイトハウスと折衝を続け日米間の摩擦を解消しようとしている野村吉三郎大使を補佐していた。

 

 岩畔豪雄大佐は帰朝する際、同僚の新庄健吉大佐から重要な資料を持ち帰るよう依頼されていた。

 アメリカの国力を調査したものである。


 緊張するアメリカとの関係から戦争も視野に入れなければならなくなったと判断した陸軍参謀本部は、この4月に新庄健吉大佐をアメリカに派遣しアメリカの国力調査を行わせた。

 新庄健吉大佐は在アメリカの日本企業の助力も得て国力調査に邁進する。

 その調査結果を帰朝する事になった岩畔豪雄大佐に託したのである。


 岩畔豪雄大佐はこの調査資料を読んで驚愕した。

 あまりにも日本との国力差が開いているのである。

 鋼鉄は1対20、電力は1対6、アルミ1対6、工業労働力1対5、飛行機生産力1対5、自動車生産力1対450等、どの分野でもアメリカは日本を凌いでおり、総合的な国力差は1対10と計算されていた。


 このままアメリカと戦えば日本は必ず負ける。

 そう確信した岩畔豪雄大佐は陸軍参謀本部は元より陸軍省に海軍省、海軍軍令部、果ては宮内省にまで、この資料を持ち込んで非戦を説いた。

 だが、捗々しい成果はあがらない。


 今日も何とか侍従武官長との面会にこぎつけ、必死の思いで非戦を主張していたのである。

 岩畔豪雄大佐が更に説得しようと口を開きかけた時、突如、隣室に繋がる扉が開き、二人の人物が入って来る。

 二人とも眼光鋭く色黒で着流し姿だ。まるでどこかの任侠のようだ。

 そのうちの一人が伝法な口調で蓮沼蕃大将と岩畔豪雄大佐に話しかけて来た。


「やれやれ、わけぇもんが情けねぇ話をしてるじゃねぇか。

戦う前から負け犬根性が染みついちまってるとは、俺の方針が悪かったのかねぇ」


「こ、これは閣下」

 元々蓮沼大将への来客予定だったのだろう。蓮沼大将は苦笑を浮かべるだけだったが、岩畔豪雄大佐は緊張を余儀なくさ口籠った。


 二人の人物は皇族だった。しかも軍人だ。話しかけて来たのは閑院宮陸軍参謀総長である。

 煙管片手にこちらも苦笑しているのは、伏見宮海軍軍令部総長である。

 ちなみに伏見宮総長は煙草はやらない筈だから煙管はただの格好つけだと思われる。

 思わぬ重鎮の出現に岩畔豪雄大佐は動揺する。

 着流し姿という事は今日は休みか何かなのだろう。

 

「話は聞かせてもらったぜ。

なぁわけぇの。

戦いを避けてどうする?

米国に膝を屈し奴らに媚びて生きて行くのかい?

陛下に奴らに頭を下げろとでも言うつもりかい?」


 来客用の椅子に座りながら閑院宮総長が岩畔豪雄大佐に答えにくい質問をする。


「いえ、そうは申しませんが、しかし……」


「いや、そういう事だろう。

戦いを避けるって事は負けを認め、やつらに尻尾を振るって事だ。

それ以外の解釈なんざ屁理屈つけてるだけの誤魔化しよぉ。

なぁ米国に膝を屈した皇国に明日はあるのかぃ?」


「……しかし、このままでは、戦えばそれこそ皇国は……

閣下! 米国の国力は日本の10倍であります!

戦っても勝ち目はありません!」


 まるで軍人らしくない、まるでどこかの親分みたいな閑院宮総長の口調に戸惑いつつも、岩畔豪雄大佐は懸命に訴える。

 だが閑院宮総長は全く聞く耳をもたない。


「国力が10倍だ?

もう30年前になるか。

俺達がロシアと戦った時は10倍差なんてもんじゃなかったぜ。

あんときゃ世界中が日本が負けると言ってたもんさ。

だがな若いの。

無理だ。不可能だと言われながらも、それでも俺達ゃぁお国のために戦った。

大国ロシア相手に歯ぁ食いしばり、地べたに這いつくばって泥をすすり、血を流して大勢の仲間を犠牲にしながら勝ちを掴み日本の未来を切り開いたんだぜ」


「仰る通りであります。しかし……」


「しかしもへちまもあるかよ。

どんなに険しい道だとしても戦う前から諦めてどうする!

お前の頭は何のためにある!

敵が強けりゃ勝つための策を練れ。知恵を絞れ。脳みそを回転させろ。

それが真の帝国陸軍士官と言うものだ!

なぁ岩畔よ改めてお前に問おう。

お前は帝国陸軍一の優秀な頭脳の持ち主なのか?

いや、海軍も含め皇軍一優秀な頭脳の持ち主なのか?」


「いえ、違います」


「なら、今のお前の頭で勝つ策が見つけられないというだけの話だろう」


「しかし、閣下、参謀本部の者達も、勝敗は問題ではないというばかりで、勝つ方策は示せないのです! このままでは日本が……」


 そう言って悔しさを滲ませ項垂れる岩畔豪雄大佐の姿は悲壮感にあふれていた。


「やれやれ、参謀本部の連中にはな、話せない事もあるんだよ」


 その閑院宮総長の言葉に項垂れていた岩畔豪雄大佐が驚いた表情をして顔をあげた。

 無理もない。閑院宮総長の言いようでは、何かあるとしか思えない言葉の内容だ。


 そこで今まで黙って話を聞いていた伏見宮博恭王が煙管の灰を灰皿にポンと落としたかと思うと、おもむろに口を開いた。


「なぁ岩畔大佐。

貴官の懸念も尤もだ。

だがな帝国の国防方針で米国を仮想敵と決定したのは日露戦争の2年後だ。 

爾来30有余年、儂らが長い間、総長の地位にありながら何もせずに過ごして来たと思っているのかい?」


「ではお二人には何か策が……」


 伏見宮総長は軽く頷くとはっきりと認めた。


「お前には特別に教えておこう。ここにいる蓮沼蕃大将も既に知っている事だがな。

儂と閑院宮は20年以上も前から対米戦は不可避と見て準備を始めておったのだよ」


 蓮沼蕃大将は頷き、閑院宮総長もその話が真実であると認め問い掛ける。


「そうだ。お前も閑見商会の名前ぐらいは知っているだろう?」


「はい。存じ上げております。陸軍と海軍に有形無形の援助をしている商会だと聞いております」


「それは閑見商会の表の顔だ。裏の顔は対米戦のために儂とこいつが作った影の軍隊さ」


「何と……」


 閑院宮載仁親王の暴露話に驚いた岩畔豪雄大佐は言葉の続きが出てこない。


「いずれその真価がわかる時が来る。

だからもう国力が10倍だと騒ぐのはやめろ。

もはや戦争への流れは誰にも止められん。

そしてお前にもその戦争でやってもらわなきゃならん特別な役割がある」


「役割でありますか?」


「そうだ。役割だ。ちょうどいい機会だ。それを今から説明してやる」


 閑院宮総長の話に、もはや岩畔豪雄大佐には言葉もなかった。


【続く】

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