W 020話 傍観
1940年 『日本』
歴史は弛まなく歩み続けている。
それは日本にとり苦難の道程でもあった。
長引く日華事変は、アメリカとイギリスとの関係を悪化させている。
中華民国政府を叩くために行われた日本の戦略爆撃は、アメリカやイギリスの中国内にあった資産と権益にも被害を与え、その損害の補償をしない方針を日本が打ち出した事から両国との関係は悪化の一途を辿った。
遂には両国による中華民国政府への支援に乗り出させ、日本への経済制裁が行われる事となったのである。
また、近衛内閣の中華民国政府への対応にも問題があった。
盧溝橋事件から始まった日華事変が約7か月経過した1938年1月、近衛首相は「爾後、国民政府(中華民国政府)を相手とせず」という声明を出す。
中華民国政府とは話し合いを行わない。講和はしないという意味だ。
だが、実際には日本から中華民国政府の蒋介石主席に講和の話し合いを求めている。
建て前と本音は違う。それが政治であり外交だ。
そこまではいい。
しかし、あまりにも講和を求める日本の動きは頻繁過ぎた。
近衛首相が「相手とせず」と言った1938年から1940年までの3年間で、日本が密かに蒋介石主席に講和の働きかけを行ったのは12回にも及ぶ。
年平均4回である。春夏秋冬、四季の移ろいと共に講和を求めたわけでもないだろうが、これはあまりにも多い。
それだけ頻繁に講和を求めれば日本は苦しい事情の中にあると自ら中華民国に暴露しているようなものだ。
当然、相手は足元を見て来る。
しかも、自爆的に日本はアメリカとイギリスを怒らせて中華民国政府側に付かせてしまったのだ。
そうなると中華民国政府が早期に講和の求めに応じるわけもない。
その辺は史実も今回の歴史も同様である。
それ故、今回の歴史でも日本は苦しい状況に追いやられようとしている。
だが、それを伏見宮海軍軍令部総長と閑院宮陸軍参謀総長は、ただ黙って見ているだけであった……
【続く】




