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今年の航平の誕生日は木曜日だった。彼はいつもと変わりなくバーで働いている。一緒にランチをと思ったが、運悪くちょうどその日取引先とのランチミーティングがあった。夜休めないか航平に訊いたが、グループの予約が入っているのでだめだと言われた。
会社の帰り達也はソーホーに立ち寄った。まだ九時前だったが店の中はかなりの混み具合だった。テーブルはすべて埋まり、立ったまま飲んでいる客がたくさんいる。
マフラーとコートを脱いで腕に引っ掛け、カウンターに向かおうとすると、あら、達也くん! という声が反対側から聞こえてきたので、達也はそちらに顔を向けた。すると由紀が赤茶のソファ席から手を振っていた。彼女に向かって会釈すると、由紀は中腰になって手招きをしてくる。内心溜息をつきながら達也はそちらに向かった。
「こんばんは、由紀さん」
「あなた、相変わらずハンサムねえ。スーツ姿がまたいいじゃない」
由紀はにやにやしながら見上げてくる。どうやら今夜はメグミは一緒ではないようだ。彼女の隣には中年の女がふたりいるだけだ。由紀と同じくらいの年齢だろうか。
「ちょっとあなた、ここに座りなさいな」
そう言いながら由紀が腕を引っ張ってきたので、達也は彼女の横にどすんと腰を下ろすかたちになった。目を丸くしている達也に隣の女たちを紹介する。由紀の友達で、ふたりともファッション関係の仕事についているらしい。
仕方なく手に持っていたコートを簡単に畳み、マフラーと一緒に横に置いた。
「クリスマスんときはごめんなさいね」
別段悪いとは思っていないような口調で言い、それから由紀は手に持っていた透明のカクテルをひと口啜った。今夜の彼女は黒っぽい大胆な花柄のワンピースを着て、白いニットのショールを肩に掛けている。相変わらずブレスレットやら指輪やらをたくさん着けていた。
「メグミちゃん、つぶれちゃったんですってねえ」
由紀は眉尻を下げてみせる。彼女の友達はふたりで話を始めたようだ。
「ちらっと見たらあなたたちいい雰囲気だったから、声かけないで帰っちゃったのよ。あとでメイにこってり文句言われたわ」
はあ、と曖昧な返事をしながら助け舟を求めるようにカウンターのほうに目をやった。航平は達也に気づいた様子はまったくなく、ドリンクを作りながら周りの客たちと談笑している。
「ねえ、知ってる? 今日は航平の誕生日なのよ」
「え? あ、はい、知ってます」
「信じられないわあ、あのちっちゃかった子がもう二十七なんてねえ」
感慨深げな表情で由紀は言い、そしてカクテルグラスを口に運ぶ。
「由紀さんはあいつを八歳のときから知ってるんでしたっけ」
「あら、生まれたときから知ってるわよ」
「え?」
「あの子、ニューヨークで生まれたのよ、二十七年前の今日」
由紀はそう言ってからまたカクテルを飲んだ。
「・・そうなんですか」
「瑶子はねえ、ニューヨークにいたのよ、そのとき。・・ああ、瑶子って航平の母親ね。・・寒い日だったわあ、雪が降っててねえ。・・でも結構安産でね、三時間くらいで生まれたわ。その頃メイはもう三歳だったから、航平がほんとちっちゃく見えた。・・ちっちゃくて頼りなげで、壊れちゃいそうだった。・・メイったら、抱っこしたい抱っこしたいってうるさかったのよ。・・メイがずいぶん大きく見えたわ」
遠くを見るような目でそう言ってから由紀は視線を戻して付け足した。
「今じゃあ航平に見下ろされてるけどね、あの子」
達也は思わず笑った。
「航平が八ヶ月になる頃日本に帰ったのよ、瑶子。それから八歳まであの子は日本で暮らしたの、瑶子の実家でね」
「実家って?」
「ああ、鎌倉よ。・・お父さんが突然亡くなってね。お母さんのために瑤子、日本に帰ったのよ。でもそのお母さんもそれから七年後に亡くなったの。・・瑶子は身寄りが完全にいなくなってね、それでニューヨークに戻る決心をしたのよ、八歳の航平を連れてね」
「写真見せてもらったんですけど、航平ってお母さんによく似てますよね」
「あらそうかしら。あの子は父親にそっくりだと思うわ。あの声なんか特に」
さらりと由紀が言う。
「え?」
「久しぶりにあの子に会ったとき、あたし驚いたわ」
「あの、それじゃあ、由紀さんは航平の本当のお父さんのこと、知ってるんですか?」
達也が目をぱちくりさせていると、由紀はどこか驚いたような表情をした。瞬きをしてから彼女が再び口を開いたとき、由紀さん、という航平の声が聞こえてきた。
顔を上げるとテーブルの向こう側に航平が笑顔で立っていた。瓶のビールとコーラを手に持っている。
「達也にちょっかい出さないでくれって言っただろ?」
「あら航平! あんたちょっとそこ座んなさいよ」
テーブルの反対側を手で軽く叩きながら由紀は命令口調で言う。航平は向かい側のスツールに腰を下ろしながら達也にビールを渡した。
由紀が同じように横のふたりの女を紹介する。彼女が女たちの方を向いた瞬間、航平はすばやくウィンクをしてきた。達也も照れた笑みを返す。
「で、ふたりでなんの話してたの?」
「あんたの恥ずかしい話よ。・・ねえ、達也くん?」
由紀は同意を求めるように顔を向けてくる。達也は曖昧に笑ってからビールをごくごくと飲んだ。航平もコーラを口に運ぶ。
「あらあんた、誕生日くらい飲みなさいよ。・・もういいからほら、コーラで乾杯しましょ」
そしてハッピーバースデーと言いながらみんなで乾杯した。
「でもいやねえ、誕生日の夜に仕事しなきゃいけないなんて」
由紀が気の毒そうに言う。
「別に。ただの誕生日だよ。毎年同じだ」航平はそっけない。
「毎年同じ歳ってわけじゃないでしょ。若いときは一度しかないんだから。・・あんた、一緒に誕生日を過ごすようないい人はいないの?」
それには答えず、航平はふっと笑いながら意味もなくドアのほうにちらりと目をやった。
「去年まではジュリアがいたのにねえ。やっぱりあんな美人と別れたあとじゃあ、なかなか理想の女を見つけるのは難しいわよねえ」
思わずビールを口に運ぼうとしていた手を止め、さっと航平を見た。彼は平気な顔でコーラを飲んでいる。
「達也くん、もちろん知ってるでしょ? ジュリア」
「え? あ、いいえ」
「あらそうなの? あんなに熱々だったのに? 知らなかったの?」
由紀は信じられないという表情で達也を見ている。
「・・まったく」
由紀にそう答えながら航平に目をやると、彼は咳払いをしてから少し身を乗りだしてテーブルの上で腕を組み、達也の顔を覗き込みながら言った。
「俺が前に付き合ってた女。去年じゃなくておととし、おととし別れたんだ」
「ジュリアってねえ、アメリカ人とのハーフなんだけど、まあ美人だし、性格はいいし、頭はいいし、スタイルは抜群だしで文句のつけようがないような子なのよ。ほんとお似合いのカップルだったわ。ジュリアも背の高い子だしねえ。奥村さんも彼女のこと気に入ってたくらい。・・そうそう、彼女の弟がここでたまにバイトしてるのよ。ユージっていうんだけど」
「ユージ? ああ」あの髪の長いハーフの男だ。
「あんたたち、どれくらい付き合ってたんだっけ?」
航平に顔を戻しながら由紀は問いかけた。
「由紀さん、もういいよ、その話は」
苦笑しながら航平は身体を起こし、由紀から目を逸らしてコーラを飲む。
「あら、いいじゃないの。達也くんだって聞きたいわよねえ?」
「え? ええ」
「そうでしょう? ジュリアはあたしのアメリカ人の友達の娘でねえ、こっちの大学に行ってたんだけど、卒業して今はフィラデルフィアの大学に行ってるの」
そう達也に言ったあと、由紀は何か思い出したかのように航平に視線を戻した。
「そういえばあんた、奥村さんのお葬式のあとニューヨークに帰ってたときにジュリアに会ったのよねえ」
「え?」
航平がさっと顔を上げる。その目には明らかな狼狽の色が見えた。
「フランクが言ってたわよ」
由紀は気にかけた様子を見せずに続ける。
「ああ、フランクってジュリアの父親ね」
達也にそう説明してから、返事を促すように由紀は再び航平に目を向けた。
「あ、ああ。・・向こうで奥村さんの葬式やったとき、来てくれたんだ、・・フィラデルフィアからさあ」
ぎこちない笑顔で航平は早口に言い、それから視線を逸らしてすばやくコーラを飲んだ。
「あら、でもそのあとあんた、あの子と一緒に旅行行ったんでしょ? たしか、パリだったわよねえ」
《・・パリ?》
航平の右頬がピクリと動いた。目玉だけが一瞬だけ達也のほうに流れる。
《そうだ。確かあのとき航平は、野暮用でパリまで行く羽目になったって言ったんだ》
「行ったのよねえ? ジュリアとふたりで」
由紀はテーブルの上に身を乗りだし、航平の顔を覗き込みながら繰り返した。
《うそだろ、航平。・・否定しろよ》
無意識のうちに膝の上で手を握りしめていた。
「あ、ああ、行ったけど、・・でも別に何もないよ。友達として一緒に行っただけだ」
由紀と達也を交互に見ながら航平は引きつったような笑顔で言う。
達也は顔を伏せた。みぞおちの辺りがむかむかしてくる。
「あら、ただの友達が一緒にパリまで行くかしらねえ。・・そんなふうにむきになるところが怪しいわあ」由紀はなおも言い募る。
「別にむきになってるわけじゃ・・」
航平が口を挟んだが、由紀はかまわず続けた。
「フランクはあんたのことすごく気に入ってるから喜んでたのよ、あんたたちが縒りを戻したって」
思わず立ち上がった。由紀と航平が驚いたような顔で達也を見上げる。
「あ、俺、ちょっと用事思い出したんで、帰ります」
ものすごい努力でにこやかにそう言ってからコートとマフラーを一緒に鷲掴みにして足早にドアに向かった。
「達也!」
航平の声が聞こえてきたが、達也は立ち止まらなかった。
「ちょっと待てよ!」
ビルの外に出たときに後ろからがっしりと腕を掴まれ、持っていたコートを落としそうになった。
「・・離せよ!」
航平の手を振りほどこうともがく。だが航平は達也の腕をしっかりと掴んだままビルの脇へと引っ張っていく。そこには彼のバイクが停められていた。
「何すんだよ! 離せよ!」
「俺の話を聞けよ!」
「話すことがあったんなら、なんでもっと前に言わなかったんだよ!」
「話す必要がないと思ったからだよ」
「俺が日本で胃が痛くなるほどおまえのこと心配してるとき、おまえはその女とパリで楽しんでたってことがか?! 話す必要がないんじゃなくて話せなかったんだろ?! こんなふうに俺にばれるとは思ってなかったんだろうな!」
怒りにまかせて一気にまくし立てた。言い募るうちにますます腹が立ってくる。
「だから違うって言っただろ?!」
航平の口調も苛立ったように強くなってくるが、自分の怒りを抑えることができずに達也はかまわず荒らげた声で畳みかけた。
「何が違うんだよ! その女とニューヨークで会って一緒にパリに行ったんだろ?! そうなんだろ?!」
「そうだけど、おまえが考えてるようなことじゃない!」
うんざりしたように航平が言う。それが達也の憤りに火を注いだ。
「俺が何考えてるのかおまえにわかるのかよ!!」
再び航平の手から逃れようと掴まれた腕をもがき始める。
「とにかく落ち着けよ!」
「離せよ!」
怒鳴りながら航平の手を掴んで力任せに引っ張った。航平の手が剥がれた拍子にその腕を掴んでいた達也の手の甲が彼の頬に強く当たり、航平は呻き声を上げながら身を屈めて両手で頬を抑えた。
一瞬怯んだが、達也はそのまま踵を返して走りだした。




