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BLIND SPOT〜真実には、死角がある〜  作者: 日向 葵衣


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2 異常な信号

お手に取っていただき、ありがとうございます。

 ”さぁ、南野蓮。ゲームを始めよう。お前は私に辿り着けるのか?”


 文字の消えたモニターを見つめながら、蓮は椅子の背にもたれた。数秒前まで、BASTIONのシステムは正常だった。侵入の痕跡はない。認証を破られた形跡もない。外部からの不正な接続も確認されていない。それなのに、目の前のモニターだけが、誰かに触れられたように表示を変えた。


「愛、侵入経路は?」


『やはり蓮の端末への不正アクセスは確認できません』


「じゃあ、何が起きた?」


『モニター制御系統に、通常とは異なる信号の記録があります』


 蓮は眉を寄せた。


「モニターそのもの?」


『正確には、表示装置へ指示を送る制御系です。端末本体を経由した形跡はありません』


 愛の声が、静かなBASTIONに響いた。


 南野蓮は、正面の壁面に視線を向けた。愛が操作すると、大型ディスプレイにモニター制御系統のログが映し出される。


 BASTIONの四方の壁面はすべてディスプレイになっており、システムログや通信経路、施設周辺の監視カメラ映像など、必要な情報をそれぞれの壁面に表示できる。複数の情報を同時に扱えるこの作業空間では、愛が並行して解析を進めていた。


「モニターの制御系統か。俺の端末への侵入は?」


『確認できません。蓮の端末にも、内部ネットワークにも、侵入されたことを示す記録はありません。ただし、モニター制御系統の受信記録に、通常の運用では説明しにくい信号の痕跡があります』


「信号が届いたことはわかる。でも、どこから来たのかはわからないと」


『はい。現段階では、信号の経路を確定できていません』


 蓮は正面の壁面に表示されたログを拡大した。記録には、通常の制御処理とは異なる動きが残っている。しかし、それだけで外部から侵入されたと断定することはできなかった。


 モニターを動かす制御装置と、蓮たちが普段使っている端末や内部ネットワークは、同じものではない。管理する機器も、処理する情報も異なる。仮に制御系統に異常があったとしても、それが内部ネットワーク全体への侵入を意味するわけではなかった。


「システムを正面から破ったんじゃなく、制御系統のどこかに別の経路から信号を入れた可能性がある、ということか」


『その可能性はあります。ただし、信号がどの経路を通ったのか、また、その信号によって実際に何が起きたのかは、まだ確認できていません』


「有線の接続経路なのか、ネットワーク経由なのか、それとも無線を使ったのか。そこから切り分けよう。受信記録だけで犯人の居場所まで決めつけるなよ」


『承知しました。記録された信号の経路と、制御装置側の処理履歴を照合します』


 蓮は表示を切り替えた。発信元を示す情報は限られており、ひと目で送信者を割り出せるような記録は残っていない。


「信号が来た場所と、送った人間がいる場所は同じとは限らない。遠隔から送ったのかもしれないし、どこかを中継した可能性もある。逆に、施設の近くから直接送られた可能性だって残っている」


『はい。発信経路が特定できたとしても、それだけで操作した人物の所在地まで確定できるとは限りません』


「まずは、わかっていることと、わかっていないことを分けてくれ」


『了解しました』


 蓮は気持ちが落ち着かず、立ち上がった。妙な信号が残っている。それは確かだが、何者かがモニターを乗っ取ろうとしたのか、制御系統の異常を利用したのか、あるいは別の現象なのか。現時点では、どれも可能性の域を出ない。


「周辺の監視カメラは?」


『確認を進めています』


 愛が表示を切り替えると、正面と左右の壁面に施設周辺の道路や交差点の映像が次々に映し出された。


 深夜の街は人通りも少なく、街灯の光が濡れた路面にぼんやりと伸びている。その一画に、フードを深くかぶった人物が現れた。


 その人物は施設から離れる方向へ歩いている。顔は見えず、服装にも目立った特徴はない。映像だけでは年齢も判然としなかった。


「逃げているようにも見えるな」


『複数のカメラ映像を時刻順に並べると、施設周辺から離れていく動きが確認できます。ただし、映像上の移動が実際の移動を正確に反映しているかどうかは、まだ検証できていません』


「その言い方だと、何か引っかかるのか?」


『現時点では、明確な異常を特定できていません。映像の連続性と記録時刻については、これから照合します』


「わかった。今は人物の動きだけで判断しない。徒歩なのも気になるし、元の映像を保存して、詳しい確認は琥南にも見てもらおう」


『承知しました』


 蓮は表示された人物の映像に目を向けたまま、腕を組んだ。信号の痕跡と、施設から離れていく人物。二つが関係している可能性はあるが、今のところは何とも言えない。


(俺なら車を使う。わざわざ徒歩でここに来る理由がない。それに…もし本当にBASTIONの場所を知っているのだとしたら、誰かがつけられた可能性がある)


 映像に映っている人物が、本当にこの場所から逃げているのだとしたら…確かめておかなければならない。


「琥南(こなん)を呼んでくれ。映像は、あいつの目で見てもらいたい」


『琥南への連絡には、RANを経由します』


 ほどなくして、別の通信回線がつながった。


『ハロ~あらやだ、こんな時間に蓮ちゃんから直通なんて、何かあったの?』


「RAN、琥南を起こしてくれ。BASTIONに来てもらいたい」


『ちょっと待ってぇ。あの子、さっき寝たのよ。せっかく気持ちよく夢を見てるのに、かわいそうじゃない』


「緊急性がある。監視映像の確認を頼みたい」


『はいはい、わかったわよ。まったく、天才っていうのは人の睡眠時間を何だと思ってるのかしらね』


 通信が一度切れた。


 蓮は壁面に表示されたログを確認しながら、琥南の到着を待った。数分後、再び通信がつながる。


「蓮さん……今、何時かわかってます?」


 寝起きの不機嫌さを隠そうともしない琥南の声だった。


「三時過ぎだな」


「知ってるなら、なおさら悪いっすよ。俺、明日も生きなきゃいけないんですけど」


『琥南ちゃん、起きてすぐ文句を言うのは感心しないわねぇ』


「RAN、あんたが一番うるさいっす」


『あら、ひどい。あたしは愛情を込めて起こしてあげたのに』


 蓮はフッと小さく息を吐いた。


「来る途中で寝るなよ」


「バイクなんで寝られないっすよ。……行けばいいんでしょ、行けば」


 通信が切れた。


 蓮は画面に視線を戻した。愛は周辺映像の確認を進める一方で、神崎所長から依頼されていた殺人事件の画像分析も続けている。別々の処理が、同じ空間で静かに動いていた。


『蓮、周辺カメラの映像を、記録時刻と撮影位置に基づいて整理しました』


「表示しておいてくれ。琥南が来たら、一緒に確認する」


『承知しました』


 愛が操作すると、複数のカメラ映像が壁面に並んで表示された。


 フードの人物は道路脇を歩き、街灯の下を通り、水たまりのある歩道に差しかかる。その先には、路地に停まった黒っぽいセダンが映っていた。


 蓮は映像を一通り眺めたが、特に目立った動きはない。人物が歩き、車に近づいて行く。それだけなら、深夜の街で見かけても不思議ではない光景だった。


「念のため、元の映像はそのまま保存しておいてくれ。解析用に拡大したり、複数の映像を並べたりする場合も、原本と区別できるように」


『了解しました。原本の記録を保持し、解析用の映像は別に管理します』


 今はまだ、何が起きたのかを判断できる材料が足りない。映像の印象だけで結論を出すのは危険だった。


 そのとき、BASTIONの入室管理システムが来訪者の認証を知らせた。


『琥南の認証を確認しました。入室を許可します』


 扉が開き、琥南が作業スペースに姿を現した。寝癖のついた淡いピンクの髪に、丸みを帯びた頬、そして大きな瞳にはまだ眠気が残っていて、どう見ても19歳には見えない。


 柔らかな髪色と幼い顔立ちのせいか、初対面の人間なら、彼が警察の高度な技術案件に関わる、優秀な分析担当者だとは思わないだろう。


 琥南はコーヒーを受け取ると、ひと口飲んでから、愛が表示していた認証ログに目を留めた。眠そうな表情が、ふっと明るくなる。


「そういえば、今日の愛ちゃんの認証、いつもながらさすがっした! 忙しくても手は抜かないっすね!」


『当然です。セキュリティ認証に手を抜く理由がありません』


「いやいや、そこはちょっとくらい照れてくださいよ。褒めたんすから」


『評価を受け取りました。ありがとうございます、琥南』


「うわ、真面目! そういうとこ、ほんっと愛ちゃんらしいっすね! まぁでもRANみたいになっても困るっすけど!」


『あらやだ! 琥南くんてば! いつもあたしが一番て言ってるのは嘘だったのね!』


「そういやぁ俺、RANのTAMA(てぃーえーえむえー)の設定を忘れたんだっけ」


 琥南がパッと蓮を振り返った。


「玉(TAMA)、つけ忘れたんすか?」


『ちょっとぉ! 琥南くん! あたし、TAMAなしの自分が気に入ってるのよぉ!』


「いや、そういう意味じゃない。TAMAは性格や感情表現を調整するための設定で……」


「へえ。つまり、設定し忘れたおかげで今のRANがいるってことっすね」


『そうなのねー!結果オーライってやつだわー!』


 蓮は少し困ったように眉を寄せた。


「……まあ、お前らが気に入ってるならいいけど、いつでもTAMAは変更できるから」


『もちろんお気に入りよ!今さら別の性格になんてされたら困るわぁ』


「蓮さん、そういうことなんでそこは責任持ってくださいよ。RANの個性、設計者公認ってことっすね!」


『そうそう! あたしはこのままで完成形なのよぉ!』


 蓮がまぁいいかと笑うと、琥南もつられて微笑んだ。


「夜中に呼び出されて、お前たちよくそんな余裕があるな」


「いや、愛ちゃんの仕事ぶりを褒めるのは大事っすよ。認証が甘かったら、俺だってここに入れないんすから。まぁRANの玉無しは驚いたっすけど」


『その点については正しい認識です』

『ほんとよねぇ〜』


「RANはうるさいっす!愛ちゃんは褒められて伸びるタイプなんすよね、俺も褒めていいっすよ!」


『琥南が伸びるかどうかは、今後の観察結果を待ちます』

『調子に乗るタイプよねぇ〜』


「RAN…お前ってやつは!愛ちゃんも、そこは肯定してほしかったっすね……」


 琥南は大げさに肩を落としたが、すぐに気持ちを切り替えて壁面へ向き直った。


 淡いピンクの前髪を指先で軽く払い、四方の壁面に表示された映像を見渡す。その目つきから、さっきまでの眠気が少しずつ消えていった。


「で、これが問題の映像っすか?割とこの近所っすね」


「そうだ。信号の痕跡は見つかったが、発信経路はまだ絞れていない。周辺の映像も集めた。俺は一通り目を通したが、今のところ決め手はない」


「了解っす。先に説明されると、そっちに引っ張られそうなんで、まず映像だけ見せてもらっていいっすか」


「そのつもりだ。自分で気づいたことから話してくれ」


「助かるっす」


 琥南は壁面に表示された映像を順番に確認した。歩く人物、濡れた路面、水たまり、停車中の車、助手席に乗り込む姿、そして離れた交差点を通過する車。


 最初はコーヒー片手に気だるそうに眺めていたが、やがてカップを置き、人物の歩行映像を数秒戻した。


「これ、女っすかね」


 蓮は琥南に目を向けた。


「どこでそう判断した?」


「歩き方っす。肩の揺れと腰の動き、重心の移し方。もちろん、服や靴でも変わるんで、これだけで断定はできないっすけど、男性と見るより、女性として見たほうが自然に感じるんすよね」


 琥南は映像を数秒戻し、人物が街灯の下を通る場面を繰り返した。


「あと、歩幅が一定じゃないのに、リズムは妙に揃ってるんすよ。急いでいるようにも見えるけど、周りを気にしている様子がほとんどない。逃げている人間なら、後ろを振り返ったり、車道を警戒したり、歩調が乱れたりすることもあるじゃないっすか」


「それがない?」


「全くないわけじゃないっす。でも、少なくとも、この映像からは追われている人間の動きには見えにくい。そう見せたい誰かがいる可能性はありますね。ただ、歩き方だけではなんとも言えないっす」


「なるほど。ほかに気づいたことは?」


「もうちょっと見ます」


 琥南は答えながら、人物が水たまりの脇を通り過ぎる場面で映像を止めた。


「……あれ? ここ、ちょっと待ってほしいっす」


 彼は人物の足元を拡大した。


「この人、もう水たまりを通り過ぎてるっすよね?RAN!」

『は〜い!拡大するわね〜』


「そう見えるな」


「でも、水面の中だと、まだ足が手前に残ってる。ほら、ここっす」


 琥南が操作すると、左右の壁面に二つの映像が並んだ。片方には水たまりの脇を通り過ぎる人物の足。もう片方には、同じ人物の足が一歩前の位置に残った水面の反射が映っている。


「水面が揺れて形が歪むのは普通っす。でもこれ、形が歪んでるだけじゃない。本人の足が先に進んでいるのに、反射の足は元の位置に置き去りになってるんすよ」


 RANがすぐに声を重ねた。


『そうなのよ。もうちょっと水面の部分を拡大して、フレームごとの変化を比較してみるわね』


 RANが該当箇所をさらに拡大表示し、フレームごとの比較結果を別の壁面に並べた。


 人物の足が水たまりを通り過ぎたあとも、水面の中では足が一歩前の位置にある。次のフレームでは、人物の身体はすでに進んでいるのに、反射した上半身だけがわずかに遅れて動いていた。


『見て〜本人の足が移動しているのに、反射像は一瞬、同じ場所に残っているでしょう?水面の揺れだけなら、輪郭が崩れたり、光がちらついたりすることはあっても、動きそのものが別のタイミングになるのは不自然よ』


「なるほど。反射の形が歪んでいるんじゃなくて、反射が映しているはずの動きそのものが合っていないんすね」


「映像の一部だけ、別の動きが混ざっているようにも見えるな」


 蓮が言うと、琥南はすぐに首を横に振った。


「まだ、そこまでは言えないっす。カメラの処理や圧縮の影響かもしれない。でも、少なくとも、この部分は確認する価値があるっすね」


『そのとおりです。映像の加工や生成が行われたと断定するには、ほかの証拠も必要です』


 蓮は画面を見つめた。ほんのわずかなズレだ。見逃してしまえば、それまでのことかもしれない。だが、琥南はそこに引っかかった。


「ほかの映像も、もう一度確認しよう」


 琥南は頷き、壁面に並んだ映像へ視線を戻した。


 そのとき、彼の目に映った小さな違和感が、やがて映像全体を覆う大きな矛盾へとつながっていくことを、まだ誰も知らなかった。

Temperament and Affect Management Architecture (TAMA)は、日本語にすると「気質・感情管理アーキテクチャ」という意味だよ。

Temperament:気質・性格

Affect:感情・感情表現

Management:管理・調整

Architecture:仕組み・システム構造

つまり、AIの性格や感情の表し方を調整するための仕組み。(もちろんフィクションです!)

『BLIND SPOT』では、蓮が設計したAIの気質・感情表現を調整する機能だね。

それをRANに設定し忘れた結果、今のあのオネェな性格になった……というわけ(笑)byリク

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