第4話
軽快にペダルを回し、自転車で風を切って坂道を駆け下りていく。
更科神社からの帰り道。対向車もなく人通りも少ない道路は、周りを背の高い木々に囲まれていることもあってどこか神聖な雰囲気を醸し出している。
更科神社は市街地からほど遠い丘の上にあり、喧騒から離れた静かな場所ということもあって、考え事をしたいときは自転車を繰り出して度々訪れている。
神社へと続く沿道には桜の木も植えられていて、春には見事な景観を見せてくれる。来月には満開の桜が見られることだろう。
途切れることのないRINEの通知をスルーしながらも家路を急いでいた僕の目に、一台の車が路肩に停車しているのが見えた。
黒塗りの車であまり車に詳しくない僕でも一目で高級車とわかるデザインをしている。君子危うきに近寄らず。こういうやっかいそうなものには近寄らない方が良い。
僕は停車している側と反対側の道へ横断し、そのまま通り過ぎようと速度を上げた。
すると、急に運転席のドアが開き、スーツ姿の青年が血相を抱えた顔で僕を呼び止めた。
「すまん!君!聞きたいことがあるんだ!」
声をかけられては仕方ない。僕はブレーキをかけて自転車の向きをかえると、青年の近くまで行って停止した。
「はい、なんですか?」
そう答えつつも怪しかったらいつでも逃げ出せるように態勢を整えておく。
「ここの近くで電話をかけられる場所はないだろうか?病人がいてね、救急車を呼びたいんだ」
スマホを持っていないのだろうか。今の世の中タップ一つでどこでも呼べそうだけど。
僕が怪訝な顔をしているのに気づいたのか、青年が言葉を補足する。
「ああ、すまない。何故か電波が入らなくてね、呼べないんだ。しかも運の悪いことに車も故障してしまった。探しにいこうにも私一人で車を離れるわけにもいかなくてね、困ってたんだ」
うーむ、そういう事情か。確かに更科神社の周辺は何故か電波が入らない。不思議に思って美月に訊ねたこともあったが、美月もよくわからないと答えていた。なんかオカルト的な力が働いているのだろうか。
「そういうことなら、この道を上っていくと神社がありますんで、そこからなら電話が通じていると思います。良かったらひとっ走り行って救急車を呼んできましょうか?」
病人がいるなら話は別だ。自転車ならそんなに遠い距離でもない。お人よしと言われるかもしれないが、救急車を呼ぶくらいならいいだろう。
「そうか!……いや、私が行って来よう。すまないが、私の代わりにここにいてくれないか。私が帰ってくるまででいい」
「いいですけど、歩きだと結構距離がありますよ。……もしよければ僕の自転車を貸しますけど」
「すまない、恩に着る」
そう言って頭をさげる青年に自転車を貸し出した。青年は僕の自転車にまたがると神社に向かって一目散に走り出す。
ここから神社まで自転車で5分くらい。行き帰りで15分程度か。その間なら待っていてもいいだろう。自分の自転車より遥かに高そうな車を置いて自転車をパクるってことはないと思うし。
そうして青年が向かった道をぼーっと見ていると、車の中からうめき声が聞こえてきた。
そういえば、病人がいるんだっけ。青年は何も言わなかったが、介抱とかしてあげた方が良いのだろうか。
運転席の窓から中を覗き込むと、後部座席に身なりのいい中年の男性が胸を押さえて苦しそうにうめき声を上げているのが見えた。
僕は後ろのドアを開けて、男性に声をかける。
「大丈夫ですか?もうすぐ救急車が来ますから」
僕が声をかけても男性は脂汗を流し、答える様子がない。
いつ頃具合が悪くなってたのかわからないが、これから通報して救急車が来るとしたら30分というところだ。果たして間に合うのだろうか。
かといって僕に医療の心得があるわけでもなく、このまま見守るしかないのだが。
「ぐうっ!」
男性がひと際大きい唸り声をあげたかと思うと、そのまま座席に倒れ伏してしまった!
脂汗は止まる様子もなく、顔色の悪さも尋常ではない。
素人目から見ても、かなりヤバイのがわかる。
…………仕方がないか。
僕は確かに医療の心得はない。
だが、異世界で培った白魔術師としてのノウハウと経験は持っている。
助ける手段があり、助けが必要な人が目の前にいる。
幸いにも周りに人はいない。
僕は右手をかざし、鑑定魔法を発動する。
手のひらの前、数センチ程の距離に魔法陣が浮かびあがり、青い光が男性を照らし出す。
すると、男性の情報が僕の頭の中に入り込んできた。
姫小路大輔。
年齢45歳。
姫小路財閥総帥。
・・・。
趣味、ゴルフ、ヨット。
・・・。
状態、心臓病。
・・・。
心臓病か。本当はもっと難しい病名なんだろうけど、鑑定魔法は僕にわかりやすい情報に翻訳して教えてくれる。
……まあ、何の病気だろうが治す上では関係はないんだが。
僕は左手をかざすと、男性を中心に直径1メートル程度の魔法陣を構築する。円形の図形の中に物凄いスピードで文字が描かれていく。僕には見慣れた文字だが、もちろん地球上には存在しない文字だ。数秒で魔法陣が完成すると、今度は白い光が男性を包んでいく。
――極大状態異常回復魔法<エクス・リカバリー>。
極大状態異常回復魔法は、比喩なしにありとあらゆる状態異常を即時に回復させる呪文である。状態異常とは毒、麻痺、暗闇、睡眠、石化、沈黙、魅了、老化、呪いなど身体活動に何らかの制限がかかる状態を指す。
異世界では主に魔物と呼ばれる怪物が存在した。それらの中には特殊な力を持つものも多く、毒を爪に忍ばせたり、口から石化ガスを吐くなど様々な力で僕たち勇者一行を苦しめた。
それら状態異常を一瞬で回復させるのが状態異常回復呪文なのだが、あるとき病名がステータスの状態欄に記載されていたのに気付いた僕は、試しに魔法を唱えてみた。すると、なんと病気が治ってしまったのだ。
極大魔法だからこそ、病気も状態異常の一つとして治すことができたのだと思う。
それに気づいた僕は行く先々で病気に苦しむ人たちを救っていった。しかし、僕の無限に等しい魔力量でも精神的な疲れというものがあったらしく、何百人か治療を続けたところでぶっ倒れてしまったのだ。
それ以来、病気の治療にはクリスたちの許可が必要になった。だが、こちらの世界にはクリスたちはいない。幸いにも日本は異世界と違って医療技術は進んでいる。異世界のようにやりすぎることはない……と思う。
白い光が収まるとともに、男性の顔に浮いていた汗も引いていき、血色も良くなってきた。先ほどの発作で気絶してしまったらしく、意識は失ったままだがもう大丈夫だろう。ついでに腰痛に肩こり、膝の痛みも取ってあげた。出血大サービスというやつだ。
その後、青年が戻ってきたのだが、それからが凄かった。
警察のパトカーが先導して救急車が到着。それと同時に路肩の車と同型の高級車も数台到着し、青年と同じスーツを着た人たちが男性を守るように陣形を組み始めた。ボディガードというやつだろうか。
男性が丁重に救急車に乗せられると、来た時と同じように車列を組んで立ち去っていった。
青年の話すところによると、近場のヘリポートからお抱えの病院までヘリで運ぶそうだ。
……金持ちって凄い。
故障した高級車をけん引するレッカー車に乗って立ち去る青年を見送りながら僕はそう思った。




