貴重な経験
私は何者なのだろうか。何のために生きていて、何をして生きていけばいいのか、全く分からない。今ここにいる私という存在は、私にすら分からない。
おそらく私は人間で、クロメという名前の少女なのだろう。だが、その他一切のことは分からない。
女の子と狐さんが、私たちの近くまでやってくる。もしかしたら私の知り合いなのかもしれない。
その少女は、夜中でも目立つ、つややかな真っ赤のツインテールに、後ろ髪を腰まで伸ばしている。普段着のような、けれどドレスのようでもあるかわいらしい黒い服と、生き生きとした目つきが彼女の陽気さを印象付ける。
その輝きは、まるでアイドルのようだ。きっと華やかな世界に住んでいるのだろう。そんな彼女と私は、果たして知り合いなのだろうか? もしそうだとしたなら、どのように出会ったのだろうか? 聞いてみることにしよう。
「あの、すみません。あなたは私の知り合いでしょうか?」
私が訊ねると、少女は、ほんのりと笑いながら答えてくれる。
「ちょっと違うかな♪ 私とクロメは、旅の仲間だよ!」
旅の、仲間?
「私とクロメは、この国を一緒に冒険してきたんだよ♪」
一緒の旅……全然思い出せない。
「それじゃあ私たちはどのように出会ったの?」
私の質問に再び彼女が答える。
「出会いは……運命的だったよ♪ あ、準備できた! クロメ、行こう」
私は知らない運命の出会いを、彼女は知っている。それは、悲しいようで面白い。今の私が知らない、以前の私を彼女は知っていることになる。
以前の私は、一体どんな感じだったのだろうか? 色々考えていると、なんらかの準備が終わったようだ。彼女は私に出発の合図をする。
彼女の右手に、何かエネルギーを感じる箒が握られている。穏やかな、風のような力がその箒には宿っている。その力は、彼女の持つ雰囲気に似ていることから、彼女はこの箒に何かしらの力を注ぎ込んだのだろう。
「さあ! 乗って♪」
真っ暗な夜の空を私達は進む。肌に当たる風はヒヤリと冷たいが、不思議と寒くない。私は今、箒に乗っている。振り落とされないように、必死に少女の背中にしがみつく。
圧倒的な浮遊感。心臓の動きが激しくなり、呼吸が少し早くなるのを感じる。私には記憶がないが、おそらく空を飛ぶのはこれが初めてなのだろう。体が飛行に慣れていない。思わずドキドキしてしまう。
進んで行くうちに、少しだけ空の上に慣れてきたのであたりを見渡すことにした。静かな夜の夜景が視界にあふれる。箒の上でこの景色を見ていると、ほんの少しの寂しさを感じつつも非日常への好奇心が湧いてくる。
輝きを放つ見知らぬ少女と共に、空飛ぶ箒に乗り船を追いかけているこの状況が私の心を大きく動かす。こんな体験はめったにできないだろう。不思議な箒や船、空から見る夜景、そして魅力的な少女。それらすべてが最高の思い出となる。
私と少女はどのように出会ったのか、どのような関係だったのか、彼女の説明では補えなかった部分を色々と空想してみると、とても楽しい。空飛ぶ箒や、私の記憶を持ち去った半透明な船の謎も興味をそそられる。
「コ~ン♪」
あっ! 狐さんの声だ。
「コン、コ~ン♪」
声がしたところを見てみると、少女の襟の後ろからひょっこりと顔を出している狐さんと目が合う。右耳についた黒いリボンがとってもオシャレ。
どうやらこの子は少女の服に入り込んでいたようだ。服にしがみついていたのに、全然気づかなかったよ。
「コン、コン、コ~ン♬」
愛くるしい笑顔で見つめてくる狐さんが可愛い。頭を撫でてあげると、気持ちよさそうな表情に。
触っていると、なんだか懐かしい気持ちになる。もしかしたら私は、この子とも友達なのかもしれない。
空飛ぶ箒で船を追いかける、この不思議体験はまだまだ続く。少しづつ船との距離を詰めながら夜の空を進んで行く。
緑髪の少女が、悪そうな笑みを浮かべながら独り言をつぶやいている。
「わーっはっはっは~♪ 街は大混乱! 少女の記憶は宇宙へと向かって飛んでいる! 余は大満足じゃ!」
「多くの人たちに私の悪事がばれたが、そいつらの記憶はほとんど改変してやったし、大成功だな! 今回は満足したし、しばらく大人しくしているか。そして暇になってきたらまた、ひと暴れでもするか」
「でも、もうちょっとだけ遊びたいな…… そうだ! あの少女たちの邪魔をしてやろう。きっと面白いことになるぞ」
彼女は、緑色の細長い野菜を手に持ちながら呪文詠唱する。
「湿潤なる翠緑の依り代よ、旧神馬から精霊馬へと姿を変えろ!」
「「スピリット・リターン!!」」
彼女が呪文を唱えるとキュウリが巨大化して乗り物になった。
「わーっはっはっは! これであの少女もおしまいだ。は~っはっは~」




