第七百四十七話・安藤守就という男
前話を少し修正しました。
安藤守就の文について、関所の税を取らないことから、以前の額に戻すこと。
文を嘆願する低姿勢な内容としました。
Side:安藤守就
秋、本来ならば各地からの税が納められて賑わうはずのわが城は、静かなものだった。近隣の者は誰も寄り付かなくなったのだ。当然だな。
「こんなことなら守護様に味方すればよかった」
ため息交じりに本音を言うても答える者はおらん。家臣は皆、所領のほうに行っておる。領内で税を納めることを拒むようになったのだからな。
守護様を見捨てた罰が当たったのかもしれん。あそこで武勇と信義を示しておれば、今頃は氏家などではなく、わしが西美濃の筆頭だったものを。
織田には文を送った。少しばかり困っておるので関所の税を減らしてほしいと。多くは望まん。元のままでよいのだ。それならばやっていける。織田も先の戦も勝ちはしたが、北近江三郡は六角に持っていかれたようだ。駿河には今川もおる。敵には事欠かぬはずだった。
わしの力がいる。そう思えばこそ、機を待っておったというのに。
それが……。何故、今川が斯波の招きに応じるのだ? 敵地に義元の側近中の側近であると言われておる太原雪斎、古参の中でももっとも信の厚いと言われる朝比奈泰能まで来たとは。信じられん。
今川には誇りがないのか?
そしてもうひとつ。恐れていたことが起きた。斯波家の美濃守護就任。上洛で得たのは官位だけではなかったということか。
わしは三河の戦では織田の一兵として働いたのだぞ。兵を出せと言えば従う。にも拘らず敵と変わらぬ扱いは納得がいかぬ。
「ここにおられましたか。兄上」
「太郎左衛門か」
父上から受け継いだ鎧兜を眺めておると、弟の太郎左衛門が単身で姿を見せた。なにやら思い詰めた顔をしておるな。考えておることを顔に出すなと何度も言うたのだが。
「昔は良かったとお思いでございますか?」
「ああ、思う」
隣に座り、共に鎧兜を眺める。幼き頃は、よくこうして鎧兜を眺めたものだ。ふとそれを思い出しておると、太郎左衛門は息をすっと飲んでわしに声をかけてきた。
近頃は昔のことばかり思い出す。父上が生きておられた頃のこと、土岐家の内紛で悩まされ、斎藤家と土岐家の間で悩まされたことなど、いろいろな。
「されど多くの者は今のほうがよいと思うております」
「らしいな」
わしもわかっておる。織田の治世は巧みだ。どこまでまことか怪しきことまで信じ込ませる。まるで一向宗の坊主のようではないか。
「わしを斬る気か?」
いつになく緊張した様子でこちらを探るように声を掛けておる弟に、わしは単刀直入に問うた。
「兄上……」
「そなたと何年兄弟をやっておると思うておるのだ。皆をそれでまとめたのか?」
顔を見てすぐにわかった。ただならぬ決意を秘めておることを。いくら兄弟とはいえ、ふたりだけになるなど滅多にない。互いに警戒するところがまったくないかと言われると、否とは言えんからな。
「兄上、隠居してくだされ。それならば安藤家は保てます」
甘い。なんと甘いのだ。この弟は。一歩下がると深々と頭を下げてわしに嘆願するように言葉を絞り出した。だが、それでは駄目なのだ。
「斬れ」
「兄上……?」
「わしを斬り、首を持って、すぐに内匠頭に忠義を誓え」
「兄上!!」
愚か者が。何故そのようなこともわからぬのだ。そなたにとっては千載一遇の好機。安東郷氏は実の兄を斬ってまで織田に忠義を誓った。そこまでしてこそ、ようやく信じてもらえるのだ。
西美濃の諸将も家臣どもも納得しよう。安藤家はそれでこそ織田の世でも生き残れるというもの。
「兄上はわかっておりませぬ。内匠頭様は首など望んでおりませぬ」
「獅子身中の虫が消えて喜ばぬ者はおらぬ。そこまでの誠意をみせてこそ、そなたに先があるのだ。さもなくば飼い殺しにされて終わりぞ」
「されど!」
ああ、この兄にそこまで忠義を尽くしてくれるのか。乱世には向かぬ男だ。されど織田の治世ならば生きられよう。
「そなたが臣従をと言うた時に、この結末が決まっておったのであろう」
思えば最初に臣従をと言い出したのは太郎左衛門だったな。妻が尾張の山内家だからであろう。あちらも元守護代家という家を背負いながら、戦もせずに従った。
かつてはわしも連中を愚か者と思い、臆病者とも謗ったが、伊勢守は上洛にも同行するなど尾張で忙しく働いておると聞く。
「家臣に討たれるのも一揆を起こされるのも御免だ。されどこの命、そなたにならくれてやれる」
冷たい秋風が吹き込んで参った。そろそろ北の山では雪が積もるな。美濃はこの先、いかがなるのであろうな? 見てみたい気もするが、見とうない気もする。
「生き恥を晒すなど御免だ」
気に入らぬ。結局その一言がすべてなのであろう。斯波も織田も気に入らぬのだ。
「うう……、兄上……」
「愚か者。泣く奴があるか。たとえ実の子とて疑い必要とあらば斬るのがこの世の定め。そなたは生きよ」
いかんともしようがない男だ。まさか泣くとは思わなんだ。
「やれやれ、困った人たちですね」
その時だった。どこからか呆れたような女の声がしたのは。
「誰だ!」
すぐに刀を取り、辺りを警戒する。現れたのは黒い布で顔を隠した旅の坊主どもだ。目に入るだけで十人、もっとおるかもしれん。
わしと弟を殺しに参った織田の刺客か? ここまで入られた以上は城の者らも生きてはおるまい。
「私ですよ。安藤殿」
「そなたは……夜の方」
だが、意外なことに中央の者が顔を隠しておった布をとり素顔を見せた。
通称、夜の方。確か名はウルザというたか。久遠殿の奥方で三河本證寺との戦でもっとも功を上げたのは、この者であることはわしも疑う余地はない。
先日、斯波と織田が上洛した際には、城を任されておったと聞くほど。かの者がおれば三河も美濃も誰も動けまいとすら思うた女だ。
太郎左衛門に視線を向けるも、知らぬようで驚いておる。仕込みではないということか。
「無礼はお許しを。正直、声を掛ける気はなかったのですけどね。太郎左衛門殿が随分と思い詰めているのが気になって、様子を見にきたのです」
戦う気はない。その目を見てわかった。連れておるのは噂の久遠家の素破か。手練れなのは見ただけでもわかる。わしは刀を鞘に納めると自ら夜の方のほうに放り投げた。
「随分とお節介なのだな。久遠家の者は」
「ええ、よく叱られております」
「ちょうどよい。今から太郎左衛門がわしを斬る。そなたが見届け人となってくれ」
戦っても勝てん。真偽はわからぬが、久遠家がここでわしと弟を暗殺する理由はない。ならばこの状況を使うしかあるまい。
「それには及びません。守護様も大殿も安藤殿の死など、まことに望んでおりません」
驚きのあまり言葉が出なかった。こやつ、まさかわしを止めに姿を現したのか!? なにを考えておる? それとも謀をするために参ったのか?
「織田に臣従をしなさい。安藤殿の思惑とは違いますが、この先もまだまだ戦はある。汚名をそそぎたくはありませんか?」
「……それは誰の意思だ? 武衛様か? 内匠頭様か? 久遠殿か?」
「私の意思ですよ。お二方の様子をみていて惜しいと思いました。新しい世がこれから生まれるというのに、未だに古き世に囚われていることが。ですが、心配無用。守護様と大殿には私から願い出ます」
なんだと?
「笑止。新たな世だと? そのようなものあり得ぬ」
「恐いのですか? 新たな世を見るのが?」
「その言葉は聞き捨てならん!」
「ならば生きて己の目で確かめなさい。まあ、無理にとは言いません。恐いのならば死になさい。だがこれだけは覚えておくことです。死した者の名など誰も覚えていませんよ」
夜の方は言いたいことを言うと、そのままわしの返答も聞かずに去っていった。なんたる言い草だ。だがわかりきった挑発に乗ってしまうとは、わしも愚か者ということか。
「太郎左衛門。わしは隠居する。家督はそなたが継げ」
「兄上……?」
「乗ってやろうではないか、挑発に。わしは単身にて織田に臣従をする。見せてもらおうか。久遠家の目指す新たな世とやらを」
死ねば名も残らぬ。そのようなことわかっておるわ。されど臆病者と言われることだけは我慢ならん。
見ておれ、隙あらば久遠も織田も奪ってくれようぞ。
◆◆
天文二十年、秋。西美濃最後の大物、安藤守就が織田家に臣従をした。
変わりゆく織田についていけなかったようで、領内は反乱が起きる一歩手前だったと言われている。
戦か、家臣に殺されるか。時間の問題だと言われていた男が、突如臣従をすると方針転換をして家督を弟の安東郷氏に継がせている。
そのうえで自身は一介の武士として臣従をしたいと願い出たといい、織田家中を驚かせたようだ。
事の詳細は滝川資清の『資清日記』にある。安藤守就は決して人望のある男ではなかったが、兄弟仲はよく、実の弟に己を斬って織田に仕えるように命じたところを、夜の方こと久遠ウルザにより止められたのだとある。
何故、久遠ウルザがその場に行っていたのかは不明。一説には信秀が命じたとも一馬が命じたともあるが、詳細は残っておらず謎のままである。














