第七百四十六話・晩秋の情勢
Side:久遠一馬
武芸大会後の評定は和やかな雰囲気だった。
良かったところ、悪かったところ。ここはどうなっていたんだという疑問や、ここを急遽変えて対応したなどという報告などが皆さんからされた。
自分のアピールでもあるし、情報や課題の共有でもある。こういう活発な議論が当たり前に進むことがなにより変わったなと思う。
封権的な時代ということもあるし、もともと独立領主の連合体が集まったのが武士という集団であることを考えると、この変化がなにより凄いなと思う。
理解が進んだということもあるし、腹を括ったということもあるんだろう。自分たちはここで生きていくんだということを。
「武芸大会はよいのだが、今川が恐いほど卑屈じゃな」
一通り話が進む。次回の大きなイベントは年始の凧揚げ大会だ。この時代では烏賊のぼり大会と言うが。
その話をちらりとした後、ひとりの年配の重臣が感慨深げに今川について口にした。
斯波家としては朝倉も味方ではないが、尾張としては今川のほうが敵としての認識が強い。そんな今川の中心人物が武芸大会の招待に応じた。まあ普通に驚くよね。
「狙いは停戦の延長であろう? 甲斐を攻めたはいいが、いかがなるかはこれから。西三河などすっかり今川を忘れたかのようだからな」
無論、評定の場にいる皆さんには、今川と武田の戦のこともその報告もしてある。太原雪斎の思惑もおおよそ掴んでいる。
西三河に言及したのは緒川城の水野さんだ。三河にも領地があり独自の情報源もあるんだろう。
織田と今川で押し付け合った吉良家。昨年の武芸大会で恥をさらしていたが、結局織田に臣従して検地と人口調査も終わっている。今年は招待客としてではなく、一家臣として武芸大会に来ていたほどで、足利家ゆかりの扱いなど一切なかった。
騒ぐかなと思ったが、とりあえず不満をぶちまけるとか、おかしな行動をすることもなく目立ったことをしていない。
他の三河の独立領主たちも今年は多数来ていた。こちらは松平宗家が独立したままなのでそこまで臣従が進んでいないが、吉良家の影響が僅かにあるくらいだ。
水野さんも言っているが、今川がいなくなって喜んでいるのが現状であり、その先は様子見という人がほとんど。
松平宗家がはっきりしない。一言で言えば人質まで取って見捨てた今川への怒りが未だに消えていない。どうも松平広忠は臣従に傾いているらしいが、家臣が頑固らしい。どうせ苦しくなると見捨てる。領地を取り上げられるのは絶対嫌だ。そんな人が一定数いる。
まあ、普通の反応だろうね。とりあえず飢えないだけの状況にはしている。あそこ完全に尾張の経済的な植民地と化しているし。
三河の織田方の国人衆は変わりつつある。元本證寺の跡地を中心にした再開発。その光景が衝撃だったらしい。米の取れない場所は麦や蕎麦、綿花なんかを植えて確実に変わりつつあるからね。
松平宗家の様子と比較しても、どちらが優位で優れているか明らかだ。現金なもんで、すでに松平に戻ることなんか考えていない様子で、織田家中での立身出世を狙って働いている。
安祥城の信広さんの話では、領地整理も覚悟している人がそれなりにいるらしい。尾張や本證寺の跡地の安定した様子と自領を比較して、貧富の格差が広がると危ういとの危機感もあるようだ。
「そういえば、岩村の遠山殿が臣従したいとあちこちに頼んでおりますな。いかがなさるのでございますか?」
三河の話が一段落した頃、津島の大橋さんが上座に座る義統さんと次席の信秀さんにと遠山家のことを訊ねていた。
遠山さん、どうやら本気らしい。あちこちに臣従したいとお願いして歩いていて、ウチにも来た。
「従いたいというならば、受け入れるべきであろう。東美濃はそこまで豊かとも言えん」
義統さんは無言なのを確認した信秀さんが答えた。まあ同じ美濃で、じきに美濃守護になる義統さんがいるんだ。駄目だとは言えないよね。
「西美濃の安藤家から、飛び地の年貢を搬入する際に関所にて税を以前と同じ額に戻してほしいとの嘆願がきておりまする。また従わぬ者を征伐するので、領内を兵が通ることを認めてほしいとも」
和やかな場の空気が少し変わったのは、美濃守護の話だ。東美濃はそこまで大きな利益もないことを知っているので、敵対しないならと放置していた。ただ、岩村遠山家が臣従すると情勢が動く可能性がある。それに関して意見や懸念が出ていた。
そして政秀さんから、安藤さんの嘆願が来たことが報告されると少し場が静まり返る。
「随分と舐められておるな。願い出れば許すと思うたのか? 己は関所で税を取るのを止めぬのであろう? 何故こちらだけ配慮がいる」
義統さんも信秀さんもなにも口にしないことでぽつぽつと意見が出るが、信康さんは少し不快そうに安藤さんを批判した。
そうなんだよね。関所を減らした関係で一か所の税が高いように見える。実際近場の飛び地では関所の税が高くなったはず。ただし遠方の飛び地の場合はそう変わらないはずだ。
「誰か、あの愚か者に教えてやれ。織田の銭は久遠家の者が命を懸けて海を渡り得ているものだ。共に生きる覚悟のない愚か者に恵んでやる銭ではないとな」
続けて信光さんまでもが不快そうに意見を口にすると、再び静まり返る。
船では楽しそうにしていた信光さんだが、その危険性はよく理解してくれていたんだね。素直に嬉しい。
「文面は低姿勢ですな。困っておるので配慮してほしいというもの。されど、確かに己はなにかを譲歩するということは書かれておりませんな」
陳情、嘆願。まあどっちでもいい。この手の話はいくらでもある。とはいえ浅井との戦の時には美濃の今後を考えたいと招待したのに来ない。武芸大会にも代理が来て終わり。
政秀さんからはこちらに求めることしか書かれてないと、ため息交じりに報告があった。
「奉公せぬ者に恩を与える必要はなかろうな。飢えて死んでしまうというなら慈悲を与えてもよいのかもしれんが」
信康さん。割と温和な人なのに、この件は少し厳しい。というか安藤さんの味方いないね。舐められている。そう感じたんだろう。
「安藤殿は自尊心が高く気難しい男ですからな。心情はわかり申す。ただ隙あらば、という野心を隠そうともせぬ故に誰も仲介を出来ませぬ」
信康さんと信光さんの言葉に再び沈黙が支配するが、ここで西美濃の国人の筆頭格である氏家さんが不破さんと稲葉さんと顔を見合わせて口を開いた。
仲介してもいい。だけど自分たちも信用出来ないから、あとで責任問題になるのは困るということか。
「野心は構わん。だが、時勢の読めぬ愚か者は要らぬ。それに先に臣従した者が損をしたと思うことはせぬ」
視線が信秀さんに集まった。信秀さん次第では氏家さんたちが動くのだろう。ただ、信秀さんの答えも厳しかった。
ある意味、当然なんだよね。氏家さんと稲葉さんは領地の安堵はあったが、斎藤家は領地整理で半分が俸禄になった。不破家も関ケ原城と関所を織田が管理していることで俸禄が加わっている。
斎藤家の面目を考えると、最低限、半分以上は俸禄への切り替えがいる。常識で考えると今まで非協力的で友好関係もあまりない。本領以外召し上げて終っても多分文句は他からは出ないだろう。
「これ以上、甘い顔は出来ませんよね。悪い先例になります」
視線が最後に集まったのはオレだった。ここで助け舟を出せるとすれば、オレしかいない。
でも無理だ。安藤さんと交渉しても決裂するのが目に見えている。完全降伏か、現状維持で自滅するか。選択肢が狭まった。
運も悪かった。今川家でさえ太原雪斎と朝比奈泰能が来て誼を深めて対立を避けている。それと比較すると随分舐められているとみんな感じた。
発言こそしないが、エルでさえもう安藤家は許せないと考えているくらいだからね。














