第七百四十五話・第四回武芸大会・その七
Side:安東郷氏
尾張は祭りの賑わいで沸いていて、ここ清洲城にもその賑わいが聞こえてくる。
上座に座る内匠頭様の様子は可もなく不可もなく。こうして会っていただいておるだけで感謝せねばなるまいな。
内匠頭様のぱちんと扇子を閉じる音がやけに響いた。
「その方も辛い立場よの」
どれほど無言であったろう。さほど時が過ぎておらぬが、体が汗で冷たくなっておるのを感じる。
わしは武芸大会に招かれた兄である日向守守就の代わりに清洲に参ったのだが、この機会にと謁見が許された。すでに義父である伊勢守家の山内殿を頼り、安易に動くなと内匠頭様から内々に命じられておったが、少しばかり現状が良くないのだ。
「はっ、申し訳ございませぬ」
「わしはな、日向守は嫌いではない。戦にも強く所領を守らんとする気概もある。されど、少しばかり頑固よの」
安藤家は危うい。本領はよいが、本領より離れた所領ではすでに兄を見限っておるところまである。
このままではわしの所領どころか、家の存続すら危ういのではと案じた者たちによって、山内殿を頼ったのだが。
内匠頭様は意外にも兄を嫌いではないと口にされた。わしへの気遣いか? それとも本心か? わからぬ。
「いかがする気なのか。聞いてみたいものよの。知っての通り守護様が美濃守護に任じられる。それでも従わぬのか?」
「……申し訳ありませぬ」
「太郎左衛門、わしはそなたを潰す気はない。無論、守護様もだ。山内に恥などかかせぬよ。謝罪はよいのだ。少し実になることが聞きたい。そなたの言うことが違っておっても責めはせぬ」
噂通りか。仏の弾正忠は無駄なことや愚か者を嫌うと聞く。知りたいということか。兄のことを。
「はっ、されば。兄は所領を手放すのが嫌なのでございます。更に求められてもおらぬ相手に臣従をするのも嫌なのでございます」
「ふむ、やはり所領か。気持ちはわかる。だがこうしてみると山城守はよう決断したな。やはり国を治める器がある男は違う」
兄のことを一言で言えば所領だ。所領を手放すのが嫌なのだ。ならば、氏家殿のようにさっさと臣従すればよかったものを、求められてもおらぬのに臣従を願い出るなど死んでもご免だと言うておったくらいだ。
気難しいとも言えるし、気位が高いとも言える。幼き頃から武勇に優れ用兵も上手い兄は己に絶対の自信もあるのだ。
それが仇となるとはな。
「八方塞がりか?」
「はっ、一言で申せばそうだと思いまする」
兄が臣従をすることはあり得なくもない。内匠頭様が氏家殿と同じように厚遇をされて所領の安堵があれば、恐らくは臣従をするであろう。あり得ぬことだがな。
「機を逸したな。まだ内々だがな。岩村の遠山が臣従を願い出たぞ」
なんだと。岩村城の遠山といえば東美濃の大物ではないか!
「山城守や一馬ならば、このような失態は決してせぬ。氏家も不破も見事であったな。父や兄の仇を討ちたいと申した稲葉もな」
東美濃が揺れる。遠山七頭のうちどれだけ臣従をするか知らぬが、西美濃の様子をみると争える者は残っておらぬ。
背筋に冷たいものが流れた。もう少し遅ければ、わしも兄と同じく見限られたのかもしれん。
「わしはな。食い扶持を奪うつもりなどない。戦を無くして国を豊かにしたいのだ。それを理解せぬ者が多くて難儀しておるわ」
淡々と語る内匠頭様の目は驚くほど穏やかであった。まるで諭すように。
「治め方を変えねば、誰が治めても戦はなくならぬ。商いと銭ばかりではないぞ。尾張では米の取れ高も増えておる。一馬が試しておる新しき米とやり方が思うたよりいいのだ」
やっとわかった。内匠頭様は兄のことも安藤家のことも眼中にないのだ。兄を従えようとなど思うておられん。
兄は今頃、いかにして所領を守り、内匠頭様に己の力を示すかとばかり考えていよう。ところが内匠頭様は、兄がいくら力を示しても機を逸した男など興味がないのだ。
哀れに思えてくるな。昔は武勇と用兵に長けた兄が自慢だった。安藤家の行く末も明るいと皆が兄を求めておったものを。
今からでも遅くはない。すぐにでも清洲に参って、臣従を願い出れば……。
Side:久遠一馬
最終日も大成功だった。工芸部門では工業村からトロッコを一般公開していて多くの人の興味を引いていた。乗り物と勘違いしていた人もいたらしいけどね。
あと、工業村の職人たちの提案により馬車の試乗会をしたら、びっくりするほど人気になって、津島にはそれ目当ての人が朝から晩まで行列を作っていたらしい。
そうそう、ウチからは置時計……といっても家具くらいある大きさだが、それを工芸品として披露した。
時計塔で時計はおなじみとなりつつあるが、小型の時計はまだ織田家とウチにしかない。いずれこんなものが広まるのかと、多くの人が夢見ていたはずだ。
芸術部門は人気だったなぁ。主上の和歌のおかげだ。絵師に関しても尾張在住やわざわざこのために畿内から来た絵師が自慢の絵を展示して競っていた。
一番評価された絵師は、これから一年織田家お抱え絵師として仕事が貰える。昨年一年お抱え絵師となった人は、ここでお役御免だ。
ただしそれは織田家からの一定額の俸禄が終わるだけで、一年間の実績がある分、今後も仕事は途絶えそうにない。学校で絵の授業をしているし、人柄も良く評判もいいからね。
そういえば狩野派の一門の人が、武芸大会を見物に来たと誰かが言っていたな。願証寺の高僧だったかな? メルティの絵が見たくて来たらしい。
狩野派。元の世界では日本美術史においては欠かすことのできない人たちだろう。時の権力者に認められて、画壇に君臨していたと言っても言い過ぎではないはず。まあオレはそこまで詳しくないので、その程度しか知らないが。
ただ、尾張だと都からわざわざ狩野派を招くこともないからなぁ。清洲城の絵は洋風和風様々あるが、メルティが任されていて、絵師の選定から指揮して製作したものになっている。
都より著名な絵師をとの意見もあったんだけどね。信秀さんがメルティに任せると決めた結果だ。これはウチが頼んだわけでもない。
従って清洲城には珍しいものだと、メルティの水墨画なんかもある。本人はそこまで得意じゃないと言っていたが、評判は悪くない。メルティ自身もこの世界に来て和風の絵を見る機会が多いからか、そちらも練習を兼ねて描いていたからね。
技法とか違うのではと思うが、昔から美術関連は幅広く趣味としてやっていたので違和感はない。主に西洋絵画だっただけで。
狩野派の人たちとは切磋琢磨していければいいんだけどね。
武芸の方では長距離走で優勝した人が涙を流して喜んでいた。脚力を評価されて織田家に召し抱えられたからね。三河から流れてきた流民らしい。
褒美を与えた信秀さんも、人目も憚らず突然泣き出した人に驚いていたよ。苦労をしたんだろうね。
武芸大会のくじも結構な収益になったようで、河川の改修に役立てる。なんというか秋の収穫祭と勘違いしている人も多いらしいが、まあいいだろう。
義輝さんも楽しそうだったなぁ。武芸の試合を見物するのはもちろんながら、屋台を見て回ったり書画も見たし、トロッコも見に行ったそうだ。
ああ、馬車だけは行列が凄くて乗れなかったと残念そうだった。後日、乗せてあげよう。
どうも祭りのようなものを見たのは初めてだったらしい。ウチの孤児でも村祭りくらいは経験している子いるのに。
土岐頼芸の人形劇も見たと騒いでいたっけ? リリーが刀にもひるまず武士から子供を守ったと聞き驚いていた。普段のリリーはそんなタイプに見えないからだろう。
反省点もいろいろあるんだよな。またそこから来年の課題をみつけて、一年かけて準備だ。
これが終われば、そろそろ本格的な冬の支度になる。
安東郷氏。安藤守就の弟。
奥さんは山内盛豊の娘。














