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ルッキズム死ね。でも美少女にはなりたい。  作者: :)
第五章『終わるもの』

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たとえば誰かに報いるために(1)

そうだ。それは一度味わったことがあるまどろみ。僕達を包み込む最終到達点。

あぁ、遂に辿り着いたんだな。これでようやく足を伸ばして寝られるという期待が僕を包む。


…なのに、何故。

水の中に、生きろという声が響く。


なんでだよ。静かにしろよ。

もう出やしないよ。だって、外の世界はこんなにも怖いんだから…。



 …



開いた戸から宝物殿へ冷たい風が流れ込む。


凪野はうずくまるコア子に駆け寄る。


「なに…、なにしてんの伊勢居地!?何があったの!?紫野さんも…、誰にやられたの!?」


脱力するコア子の体を起こして、尋ねる。涙と鼻水でグチョグチョの顔。

しかしコア子は、拭いもしない。情けなさを省みることもなく、ただひたすらに脱力し続ける。


責を呟き続ける。


「私が…、やった…」


「…はぁ!?」


「私がやった…。私がやったんだ…。私が本町を殺して、カナモリも…、吸血姫も殺した…」


「なん…、それ…」


あまりの報告に、凪野の腕から力が抜ける。凪野に支えられていたコア子の体は再び地べたにくたばる。そして彼女は、また、這い回る蛆虫のようにウジウジと蠢き、自責の念に支配される。


GBのせいだとわめけない。Black Outの使い方を誤ったわけでもない。そんな責任転嫁なんて出来やしない。


私だ。全部、私が招いた結果だ。


全部、全部、私の、私の…、



 …



深く、深く、

それは心の傷のように、

僕の生きづらさのように。


…『世界は善意で出来ている』と、いつかの吸血姫が言ったことを覚えている。

それには同意できる。それは、この体に成ってから出会った、優し過ぎるみんなを見渡してもそうだけど、根本的に、人は、自分や、自分の大切な人のために頑張っているのだから、何かを良くしようとしているのだから、世界は確かに善意で出来ている。


だけど、その弊害というものを、僕は知っている。

弊害、あるよ。だって人は自分の善意が成し遂げられなかった時、その原因となった人に敵意を抱く。こんなにも正しい、何かを良くしようとしている良い存在であるはずの私が不当に侵害されたって、理想や想いを裏切った罰金でも徴収するかのように、正しさを片手に他者を攻撃する。


僕は、そのシステムが怖かった。それが当たり前のこの世界が怖くて、日常に、僕のとなりにあることが怖かった。


思えば、そうだ。

僕はピリピリしてる時の母さんが嫌いだった。機嫌悪そうに、どうでもいい動作をいちいち音を立ててやることで存在感を出している母さんが嫌いだった。

そして、そういう時、母さんは必ず夕飯時に仕事の愚痴を言った。

ナントカ先生の態度がありえないとか、新人のナントカさんが本当に使えないとか。


僕は、それを聞いていて、怖かった。聞きたくなかった。こんなにも悪気なく腹黒くて、呆気なく攻撃的な母さんを自分の母親だと思いたくなかった。話している最中の正義面も嫌だった。


なんでそんな簡単に他者をとぼしめることができるんだって思った。いや、心の中で何を思うかは知ったことではない。なんで僕に言うんだと思った。

一度、聞き続けることに耐え切れなくなって、「母さんの方にも問題があるんじゃない?」って言ってみたことがあった。案の定というか、まぁ、冷たい声で怒られた。「何も分かってないくせに、分かった口利かないでもらえる?」って言われた。確かにその通りなんだけど、でも、じゃあ、どうすれば良かったんだよ。


きっと、ナントカ先生や、新人のナントカさんが、母さんの期待に応えられる人間だったら良かったんだろうな。


思えば、世界は欠陥だ。人はそもそも、暴力的だ。

だって、人は、こうも簡単に世界を切り分ける。世界の方も、人間の勝手な二元論で簡単に切り分けられてしまう。

あの芸人は良い、あの政治家は悪い、あの作家は良い、あのYoutuberは悪い。

そんなことを、みんな平然と口にする。『アイツのこういうところが良い』と同じくらい、『アイツのこういうところがダメだ』をさも当然のように主張する。まるでそれが一つの権利で、自由であるかのように。人なんだから、好き嫌いなんてあって当たり前だと、だから、それを口に出して誰かを傷つけることも容認しろと、それも一つの文化だと、尊重の要求さえする。


評価は正義だとのたまう。

その実、その言葉で誰も彼もを傷つけてしまっているにも関わらず。


そういう、世界における当たり前に、

きっと、僕という存在は、耐えられなかった。


心が弱いから?

そうなんだろうな。


理想主義すぎる?

そうなんだろうな。


弱い心は、許されないんだろうな。

ピュアな心は、許されないんだろうな。


でも、何より、僕にとって辛かったのは、

誰かを嫌いだと言って、その人の陰口を叩いて、相手の心を傷つけることでしか自分の不機嫌を癒せない人にも、友達はいるってことだ。


僕ばっかりなんだ。社会善や正義を理由に誰かが誰かを傷つけることに葛藤して涙を流しているのは。


だから、これは僕の問題と言わざるを得なかった。

そういうことを嫌うのは、僕の気にしすぎで、僕の気疲れで、僕のせいだと思わざるを得なかった。

他人を傷つけてるくせに、それに気づかないでのうのうと生きてる人がいることを、それが社会だと同意しなくてはいけなかった。


傷つけられている側からすれば苦痛ったらありゃしない。


僕たちは、善意や正義には勝てない。

だから、それによってもたらされた痛みには、耐えなきゃいけない。


それは、職場における指摘や批難や、学校における指導や教育や、集団における喧嘩、家における親に怒られることを指してもそうだけど、

観念にあまねく良し悪しの尺度を見ても、これは同じだ。


頭が悪ければ、僕たちはより賢くならなきゃいけないし、

デブであれば、痩せなきゃいけないし、

モテなければ、モテる努力をしなければいけない。


何故なら、頭が悪いことや、デブや、モテないことは悪いことだから。そういうものを持つ人たちは、「そういうことを放置するのは良くないよ」とご指導くださる社会様のありがたいお言葉に従って、是正しなければならない。


たとえ、それら特徴を、自分自身が欠点だと思っていなかったとしても。それを指さして、人々が僕たちを説教して、正そうとしてくるから、傷つけようとしてくるから。

僕たちは、逆らえない。


でも、さ。

じゃあ、さ、たとえば頭の悪さとか、容姿の悪さが生まれつきのものだったら、

これこそが、生まれついての自分なんだとしたら、

一体、どうすりゃいいんだよ。

つまり、僕は、生まれついての僕を愛しちゃダメだというのか?


だから、それがもう嫌で、辛くて、だから、僕は、叫んで、のたうち回った。

それで、結果、成った。この小さな体を手にしたんだ。

これで僕は、もう誰からも傷つけられないと思った。


…だけど、

知らない間に、いつの間にか犯してしまっていた、友達の祖母殺しという、言い訳の余地のない致命的すぎる僕の過ちは、この綺麗な皮では覆い隠せないほどに、僕を、罪人というあまりにも悪人にしてしまって、

だから、僕はもう、社会から疎外されること、罰せられること、非難され、罵られ、後ろ指を指されることを容認するしかなくなってしまって、

僕はもう、どれだけ傷ついても、痛いよと言うことすら許されない存在になっちゃって、


だから、だけど、だから、僕は、もう、


この世界に居続けることが怖くて…



 …



訳が分からないという顔をする凪野に、全部説明してやった。一人で成し遂げようとした計画のこと、軽率に手を出してしまった最悪の力のこと。


床に泣き伏してるから見えないけど、凪野はきっと、今に幻滅してるんだろうな。


私に。


でも、それでも私は、愛が欲しかった。

何を犠牲にしても、独りになることが怖かった。


思えば、ずっと、渦巻いていた。

渇望が。本当はママに抱きしめてほしいって、「大好きだよ」って言ってキスして欲しいって感情が。


あの日決別したはずなのにな。強く生きるってカナモリに誓ったはずなのにな。

けど、それは強がりだった。


カナモリに、吸血姫に愛してもらえる程に、

私は、乾いているのだと気付かされた。


だから、耐えられなかった。私の目の前から、二人がいなくなってしまう未来が。


何とかしなきゃって思った。思って、思い悩んで、頭がぐるぐるになって、ごちゃごちゃになって、一人で勝手に突っ走って、


そして、間違えて、重過ぎる罪を背負って、ようやく気づいた。


私は、こんな気分の奴に生きろって言ってたのか。


なんだよ。じゃあ全部私のエゴじゃんか。それで本町を無駄死にさせたってのか?はは、笑える。


だから、なぁ、


「凪野」

「もう、私なんか殺してくれ」













僕は


私は


自分の重さに耐えられない。













「分かる。生きるってクソ辛いよねー」


…え?


誰…?


吸血姫…?


僕は、思わず振り返った。

しかし、吸血姫は首を横に振った。


「…いや、私ではない。私ではなくて、彼女は…」


その正体は分からない。


だのに、その、誰かの声は、僕にこれ以上ない安心感を与えていた。

彼女が僕の手を優しく握って、「立って」と言って引っ張っても、僕は、毛ほども悪い気がしなかった。


彼女は「少し歩こう?」と言った。

そして、僕達は一緒にまどろみの中を歩き始めた。


…不思議な体験だった。

最初は、何も無い場所でただひたすらに歩いているだけだった。

しかし、いつの間にか、それは正にアハ体験のように、段々と僕の耳に雑踏の音が聞こえてきて、信号機はぴよぴよ鳴っていて、空は晴れで、春の温かさがあって、

そこは傍にドンキがある駅前の交差点だった。


「私さ、思うんだ」


彼女は一つずつ話し始めた。


「人って、誰かに何かを与えられなきゃ、生きる価値ないって思い込んじゃう生き物なんじゃないかって。だってさ、世の中助け合いじゃん?」


「だから、その助け合いの輪に入れなかったら、自分なんて、存在する価値ないんじゃないかって、思っちゃうの。…そして、その恐怖はそのまま孤独への恐怖になる」


「…けどさ、無いんだよね。ぶっちゃけ、私ら凡人じゃあ、誰かに与えられる素敵なものなんて。才能とか、それこそ容姿とかに恵まれて生まれてくれば良かったのにね。それなら、ストレートに誰かに与えられるものがあって幸せだったのにね。でも、そうじゃないから、私達は患うように悩む」


「…自分を変えようと必死になる。何かを与えられる人にならなきゃって、懸命にね。…けど、そうするほどに、生まれ持った欠点に目がいく。こんなのじゃ駄目だと自分を責める。ありのままの自分を、認められなくなっていく。それで、何とか欠点を直そうとして、本来の自分が着実に壊れていく。クソみたい。自分が穢らわしくて仕方ない」


「…でも、そうやって自分を変えたくてしょうがないのは、偏に皆が私を求めてくれるから。私を必要としてくれて、期待してくれるから」


「世の中クソ人間ばかりだったら良かったのにね。私になんか何も与えてくれなくて、悪口ばっか言う奴ばっかりだったら、テメェ等全員殺してやる!ってガンギマれるのに」


「…なのに、クソみたいな奴と同じくらい、世の中には良い奴がいる。欠けた私にも優しくしてくれるトンチキがいて、愛してくれる人がいる。…それどころか、嫌だった奴すら、たまに良いことをしてくれる」


「そのせいで、世界を、憎むに憎み切れないんだよね。だから生きようとする。けど、生きればまた自分の無価値さを再認識する。自分をいじめる幻聴が聞こえて、自分からどんどんと生きる意味が失われていく。行き場のない暴力が自分に向いて、死にたいって気持ちになる。けど、自殺なんて、貰った優しさに後ろ足で砂をかけてるようなこと、みんなに感謝してるからこそ出来ない。だから生きて、生きようとする。そしてまた自分の無価値さに苛まれる。幻聴が聞こえる。音楽でも聞いて振り払おうとする。けど、気づけばそれが出来なくなっている。辛さと戦うための力が奪われている。それでも生きることが正しいという宗教にすがって生きようとする。そうして私達は、堂々巡りの中で苦しみを皮下に蓄え続ける。存在の重さは、増し続ける」


「…偽物だった『死にたい』が本物になっていく」


…そうだよ。

だから、僕は重さから逃げたいんだ。

もう、楽になりたいんだ。

だから…。


そう呟くと、彼女は、


…そうだ、彼女は、


いつか見た、悲しそうな笑みを僕に見せた。



 …



責任から逃げた奴にかけられるセリフなんて分かり切っている。

あぁ嫌だ。次の瞬間に凪野が口にする言葉なんて予測できていた。

そんな痛みなんて始めっから知っていた。


「何を…、馬鹿なこと言ってんじゃねぇよ!」


私の胸ぐらを掴んでそう叫ぶ、彼女による生の肯定は、端的に言って暴力だった。


「バカ伊勢居地!バカ!弱音なんて吐くな!今はそれどころじゃねぇんだよ!外が大ピンチなんだよ!一人でも多くの人手がいるんだよ!」

「おら立てよ!行くぞ!テメェ曲がりなりにも先輩だろうが!後輩に世話焼かせんなよ!」


強い鼓舞に、しかし私はそっぽ向く。

離してよともがいて、凪野を突き飛ばそうと平手で彼女の胸やら顔面を押す。

だが、私の弱々しい抵抗は彼女に簡単に抑え込まれる。

私は逆に押し倒され、馬乗りにされ、両手首を拘束された。鋭い、彼女の眼光に晒された。


私は、そんな彼女の視線から逃げるように目をぎゅっとつむり、そして言った。


「私は、もう駄目だよ…。たくさんの人を傷つけた…。こんな奴に、生きる資格なんてもうないよ…」


それは、私が死ぬべき理由として、完璧だった。

だが、それを聞いた凪野が見せたのは、先程以上の怒りだった。


彼女は唇を震わせながら叫んだ。


「それっ…を言うならなぁ…!私なんか、もっと生きる資格ねぇよ!」


「…!」


言葉に、驚く。

驚く私に、凪野は、ポロポロと涙をこぼしながら訴える。


「私なんか…!私なんか…タカドノとか目黒を無茶苦茶にイジメてさぁ…!力を暴走させていっぱい人を殺してさぁ…!大好きだったお父さんを悲しませてさぁ…!」

「お前なんかの何百倍も罪深いクソ野郎なんだよ!そのくせして私、今は侍衛係として人類を守る正義の味方してんだぜ!?おかしいだろ!?なんだコイツ、死ねって思うよ!」

「でも、それでも生きてんだよ!前向いてんだよ!『それでもお前には出来ることがある』って、誰かが言ってくれたから!しゃーなし生きてんだよ!多分、一生来ることはない、罪を精算し終える日を目指して、出来ることからやってんだよ!ずっと、一人で孤独に戦ってんだよ!」

「なぁ伊勢居地、テメェ逃げんなよ!お前よりもずっとバカな私ですらこうやって頑張ってるんだぞ!?一緒に地獄に来いよ!背負った荷物の重さに潰れながら生きろよ!」


そして、凪野は確かに主張する。


つか、お前の力なら、変えられるじゃんかと。



 …



「ねぇ、どうしたら自分を軽くしてあげられるんだろうね」


電車を待つ。行き交う人々の冷たさの中、彼女は僕に問いかける。


「私も取り返しのつかないことをしちゃったからさ、よく考えんのよ。時間を巻き戻せたらなーとか。隣に支えてくれる人がいたら、なんか変わってたのかなーとか」


「…いっぱい、自分以外のせいにしてみたよ。それが、被害者への謝罪になるわけなんて絶対ないのに」


「…罪を償うって、なんだろうね。赦されるための行い?社会がもう一度自分を受け入れてくれるように自分を変えること?」


「…私もアンタと同じで、その答えには、あんまりピンとこなかった。考えてみれば不思議だよね?普段、私達はあんなにも自分の存在を認めてほしくて、自分の価値を表明したくて必死なのに。いや、その想いは罪を前にしたってある。だから、更生とか、社会復帰とかって言葉に夢を見る」


「けど、それとは別に、そればっかりじゃダメだって感情が膨らむ。苦しまなきゃ、罪を前に泣き崩れて、自己否定する程に己を憎まなきゃいけないと責任感を抱く。変われ変われと呪ってくる圧力に元気よくハイと返事する。きっと、それが罪に向き合うということだから。嫌われて、憎まれて、残酷なまでに社会から否定されて、自分がバラバラになりそうになっても、それでも苦役を有難がることこそが、罪を償うということだから」


…それじゃあ、僕達は永遠に押し潰されるってことじゃないか。

そんなの、耐えられないよ


「だよねぇ。私もムリ。そんなに強い人間じゃないから、贖罪なんて、想像しただけでストレスで吐いちゃう」


…でも、償わなきゃ、軽くならないんだよね。


「どうだろう。一生過ちを悔やんだまま死ぬ人だっているんじゃない?」


それじゃあ…、そんなんじゃあ…、ますます僕は罪から逃げて…。


「…ますます自分を傷つけちゃう?」


…。


じゃあ、さ、と彼女は僕を諭す。

責めるわけでもなく、言い負かすわけでもなく。それはどちらかというと、そっとハグするように。


「もっと手前から始めよ?罪を償うことが怖かったら、罪に向き合うことから。それも怖かったら、罪を認識するところから」


…でも、そんなので良いのかな。

そんな悠長だと、他の人が見たら何もしてないと思われるんじゃないかな


「そう思う人もいるだろうね。でも、私は思わないよ?だって、アンタがいっぱい頑張ってるの知ってるもん。だから、応援する」


応援…、してくれる…?


「うん。お互い頑張ろーって、励まし合おーよ」




「私だって、産んであげられなかった我が子達のために、頑張らなきゃだからね」








「…えっ?」


…彼女がさりげなく言った、その言葉は、電流のように僕の脳内を駆け巡った。


「いっ…、あ、えっ…?」


瞬間、僕は、ようやく気づいた。


隣にいる人が、今に一緒に電車を待ってる人が、待ってた人が、


ずっと、謝りたくて仕方なかった人だと。


「いと、ちゃん…?」


糸ちゃんは、にへっと笑って言った。


「久しぶり。元気だった?」



 …



…今にポールボールに、ヴァヴァに、腕を引っ張られる寝屋川は、それでも懸命に腕を伸ばす。

離れゆく吸血姫の肉体に、最期の希望に。

決して手放してはならないと。


だが、多数は間もなく彼女を完全に押さえ込む…。

そう思われた、その瞬間だった。


「あっ、ひぇェェェェェッ!」


寝屋川達めがけて、ルェイが投げ飛ばされた。


何か起これと、本町一乗が投げたのだ。


その想いは間もなく叶い、ルェイは、第一にポールボールに衝突し、続けて倒れゆく彼はヴァヴァを巻き込み、更にヴァヴァは八雲幽玄を巻き込みと…、

寝屋川以外を綺麗に横転させた。


即座、彼女は走った。吸血姫の下に駆け寄った。

同時に、一乗も彼女に同調するように吸血姫の下に駆け寄った。


「なっ、何故君もっ!?」


寝屋川の疑問に対し、一乗の回答はシンプルだった。


「だって、もうめっちゃ聞かされとんねん!吸血姫ちゃんのこと、妹から!」


そう、今に一乗の脳内に溢れていたのは、妹の、紫野からの『吸血姫ちゃん悪くない!』の訴えだった。特別情報局提出用にしては過剰に吸血姫について良く書き過ぎな資料を手に、「おにい!ホンマやねん!吸血姫ちゃん、めっちゃ良い子やねん!」と必死に言い続ける彼女の真っ直ぐな目だった。

今までは立場上、いくら妹の友達とはいえ救うなんてもっての他だったが、誰でもない、元局長が勝手に掌を返したんだから、俺だって、妹の気持ちを尊重したってもええやろという兄としての想いだった。


「はよ!血ぃ飲ませろ!」


一乗は吸血姫の傷口に手をかざして叫ぶ。

同時に、彼は能力を発動させる。Breakin' outで、吸血姫の復活に関わる要素、生命力やら、再生能力やら、何やらかんやらを、思いつく限り全部、限界まで倍々にする。


それに呼応して、寝屋川は自分の左手首の傷口を更に広げて血を吹き出させ、そして、吸血姫の口に押し込む。


現実改変の終了まであと15秒。15秒過ぎれば、もう、吸血姫の死体に構う余裕なんて無くなる。


だから、これが最期のチャンス。


二人は叫ぶ。


「来い!」


「来い!」


「来い!」


「来い!」


起きろ、吸血姫。



 …



血の糸が垂れる。

ホームの外、決して来ることはない電車の代わりに、糸が垂れる。


糸は、線路内に降りなくても、ホームから少し手を伸ばせば届く距離にある。

伸ばせば、届く。その位置にあるからこそ、僕の手は、震える。


「…やっぱり怖い?」


糸ちゃんの問いかけに、僕は頷く。


「だって、分かんないんだもん。どう生きればいいのか。糸ちゃんが話してくれたことだって、僕はまだ、飲み込めてないし…」


「…だよね。私だって、アンタに正しいことを話せたのかどうか分かんない」

「…怖いよね、世界って。なんで私達に答えを隠すんだろうってマジで思う。人一人の脳に対し、世界も、社会も、あまりにも複雑過ぎる。だから、私たちは直線的な価値基準は安心できる。頭の良し悪しとか。顔の良し悪しとか。体力の良し悪しとか。それらは分かりやすい善悪で、安心できる」

「けど、それは答えじゃない。そんなのは答えと言えない。だけども人は、善悪に頼っている。数千年の時を経ても、他の手段で世界を理解できなかった。世界を切り分けるという行為そのものには問題があるけども、だけど、だからって私たちにはどうすることもできない。これは変えられない。変えることは出来ない。だから、罪を背負ってしまった私達は、直線的に、永遠に悪ならざるを得ない」

「けど、それでも生きていかなくちゃいけない。誰かに報いたいと思うのであれば。言葉で傷を誤魔化したり、時には誰かと体を重ねて、傷を舐め合ったりしながら。それが贖罪で、向き合うってことは、どうしたって、そういうことだから」


容赦のない、残酷で、重い言葉に、僕の体は更に震える。

恐怖にまみれて、もう、手を伸ばす勇気なんて欠片も残っちゃいない。


だからこそ、なんだろうな。糸ちゃんは、僕の手を優しく握った。

そして、僕に伝えてくれた。


「大丈夫。怖いなら、私も連れて行けばいいよ。私が、アンタに生きる勇気をあげる」


愛を、向けてくれていた。


しかし、僕は、いつかの時と同じように口ごもって、彼女から目を逸らした。


だって、僕はまだ、口にしていなかった。あのことを、彼女にまだ、まだ…。

なのに、糸ちゃんはクスッと笑った。


そして、いつか見た、優しい瞳で僕を見つめて言った。


「ねぇ、◯◯くん」

「頑張ってるアンタ、すっごくカッコいいよ」


「…!」


その瞬間、僕の前に、光が見えた気がした。


あぁ、思えば、僕はその言葉が欲しくて、ずっと彷徨っていたのかもしれない。


安心して、手を伸ばせたのかもしれない。



 …



10月3日、午前11時39分。

京都、梅小路公園園内にて、イワトの開門が確認された。


吸血姫を載せた医療用ベッドを包み込むように現出した光の十字架は、間もなく、胎動する彼の体を持ち上げた。

寝屋川冬香と本町一乗を押しのけ飛翔する、


彼の背には羽根。

そして、手には一つの魂。


ゴクリと飲み込み、力に変える。


『Take Me Higher(愛を抱きしめて、今)』


ただし、それは、特殊能力でもなんでもない。

新たな武器でも、盾でもない、何が便利になる訳でもなければ、そもそも特別ですらない。

何の才能にも恵まれなかった彼にはお似合いの、誰よりも弱く、弱い力。

だけど、そんな彼には一番重要で、必要な力。

彼という生がずっと求めていた、大切な力。


【効果:彼に勇気を与える】


直後、北東の方角に、もう一つ、彼と同じく飛び上がるものがあった。


「やるぞ伊勢居地!こんな現実なんて、テメーのチート能力で引っくり返してやるんだ!」


「言われなくても分かってんだよ!テメーこそ、嫌われ者のくせに世界救って罪滅ぼしできるんだから感謝しろよ!?」


それは、テレキネシスで飛ぶ凪野と、彼女に抱えられる、本町家の宝具を携えたコア子だった。


三人は、別に示し合わせた訳ではない。


だが、向かう先は全く同じで、彼らは間もなく、黄金郷の中央へ突入した。

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