敗北ばかりの最終決戦(終)
「…えっと、今から駅の方に向かおうと思ってたんだけど…。だって、駅の方だもんね?皆が戦ってたの…。ココからでも、音、聞こえたし…」
「…その、もしかして、迎えに来てくれたとか?」
…迎えに来た?
あぁ、そうか。吸血姫目線だと今の俺の行動はそう見えるのか。
日常が背景であるというのはとかく気が抜けるものだ。部屋で加湿器を焚いていたのだろう。乾燥が酷い外の空気とは違う、室内を充満していたモワッとした暖気が頬を撫でていて、何だか、ちょっと眠たくなる。モソッとうねる吸血姫の長い銀髪が何か気になる。
…そういうことを考えていると、何だか力が抜けて、何だかやるせなくなってくる。
「…とりあえず、行こうか」
言うと、吸血姫は、「うん…」と言ってナイキのスニーカーを履いた。「靴紐解けてるぞ」と指摘すると、彼は慌てて結び直した。
セイの奴のマンションから西院駅までは、そこまで遠くない。細道を抜けたら御前通を適当に上って、大通りに出たら左に曲がる。さほどでもない距離。ゆっくり歩いても10分。
『行こう』ってのはつまり、この道を歩くことなわけだが…。
…そもそも、駅前で戦わなきゃいけない決まりはないんだけどな。何故、俺達はわざわざそこに向かっている?戦いなら、今、スグ、この場でも出来ただろうに。
余計な過程を挟んでいる。
…カナモリと久々に横に並んだ気がする。相変わらずたっけぇ背。見上げなきゃ顔が見えないんだから、目を合わせて話がしたいって人間にはたまったもんじゃない。
…まぁ、目、合わせられないんだけどね。違う意味で。
っていうか、この状況で何の話したら良いのかなんて分かんねぇよ。
どうしよう。これじゃ会ったばかりの頃に逆戻りじゃん…。
…そんな空気を見かねたのか、カナモリが僕に話しかけた。
「…その、元気だったか?」
「ん、まぁ…」
「ちゃんとご飯食べてたか?なんか…、痩せた気がするが…」
「…ちゃんと食べてるよ」
「そうか…」
「…」
「…」
…あ、やべ、会話終わっちゃった。
どうしよう。また無言になっちゃったよ。怖い。どうしよう。何か話さなきゃ。けど、何を話さなきゃ?
しかし、この焦りは何?この恐怖は何?
かつて抱いた、コミュ障故のソレとは違う。
話したいことが多過ぎるが故のソレ。
多過ぎるのに、話せないが故のソレ。僕達の間にまたがるものが、あまりにも大きすぎる。
その矛盾。その葛藤。だから苦しい。だから寂しい。今にも内に膨らむ想いは破裂しそうで、でも、破裂させたら、何だか相手に申し訳ない気がしていて、だから焦っていて、恐怖しているんだ。
…そんな僕を、また見かねて、カナモリは話しかけてくれる。
「…コア子とは、まだ会えてないのか?」
「…うん」
「そうか…。どこに行ったのかな…、アイツ…」
「…どこ、行っちゃったんだろうね」
「まぁ…、アイツはしぶとい奴だから、きっと生きてはいるんだろうがな…」
「だと、良いけどね…」
「…」
「…」
分かってる。
「セイ…、いや、網走の奴とは、仲良くなれたか…?」
「うん…。凄く、良くしてもらってる…」
「そうか…。アゼヲとは、どうなんだ…?アレとも、友達になったのか…?」
「うん、まぁ…」
「そうか…。なら今度…、いや、何でもない…」
「うん…」
「…」
「…」
分かってるのに。
僕が辛いってことは、カナモリだって辛いに決まってるなんてことは。
なのに僕は、受け身なばっかりだ。まるで、踏み込めないからって、自分からは趣味の話をしにいかないみたいに。何も進まないばかりだ。
僕だって苦しまなきゃ。カナモリに話しかけて、僕を表明して、苦しまなきゃ。
いけないのに。言えなくて。
それでも僕は、歩いていて。
段々と、駅前に繋がる大通りが見える。
左手に小学校が見える。そのすぐ先には小さな踏切があって、これを越えてしまえば、もう、僕達には戦う理由しか残っていない。
焦燥と逼迫で気がおかしくなる。ここを越えれば、越えてしまえば、もう…、
その時だった。
カナモリは、ふと立ち止まった。
「カナモリ…?」尋ねても、彼は動かなくて、ただ、くすんだ校舎の壁をじっと眺めていた。
少しの静寂。
そして、彼は震える声で僕に尋ねた。
「なぁ、吸血姫…」
「学校は…、楽しかったか…?」
その問いが、何を知り出そうとしているか。
分からない訳がなかった。
言わせてしまった。
その言葉に、僕は、呼応するように…、
…寝屋川の奴からタカドノくんの話を聞いた時、俺の心に最初に押し寄せたのは、やってしまったという焦りだった。
いや、分かっている。分かっているさ。それはてんで的外れな思考だ。交通事故で死亡した娘を想う母が、「あの時お使いになんて行かせなければ」と後悔する程度には非合理的だ。
でも、当事者になって分かった。そういう世迷言を、思わない訳にはいかないんだ。
コイツが自暴自棄になって吸血なんてしてしまうほど壊れてしまった原因は、誰でもない俺にあるんじゃないかと。
コイツが母に見捨てられた、あの瞬間を見ちまってから、
コイツの過去を掘り起こす勇気が持てなくて、楽だからと本町に倣って『吸血姫』と呼び続けて、
そのくせ中途半端に親ぶって、結果与えてしまったコイツの心の傷に、俺は明らかに関与していて、
だから、学校なんて行かせなければ、そんなエゴを押し付けなければ、こんなことにはならなかったと、
今も、コイツと、コア子と、三人で、何も知らないで、慎ましく暮らせていたんじゃないかと。
そういう心の拗れが、無責任が、コイツと会えない時間を経る程に増えていって、大きくなっていって、
…でもそれは、コイツという存在そのものを否定する考えだって、分かっていて、
なのに、俺は、尋ねてしまった。
自責の念に耐えきれなくなって、
親どころじゃない。
人間失格だ。
…だが、吸血姫は、拳をギュッと握って、今にも泣き出してしまいそうな顔で、俺に叫んだ。
「違う…!」
「違う…!違う…!違う…!」
「学校は何も悪くない!悪くなんてない!だって楽しかった!充実していた!友達だって出来て…、かけがえない思い出がいっぱい出来た!なのに、あんな…、クソみたいな終わり方になったのは僕のせいだ!全部!明らかに!僕のせいだ!どう考えても僕のせいだ!なのに、止めろよ!コア子も、お前も、まるで自分の罪みたいに思ってくれてさぁ…!」
「なんでみんな…!そんなに優しいんだよ…!何も出来ない、罪に向き合うことも、自分に向き合うことも、お前と戦う決断すらも出来ない僕なんかを愛してくれるんだよ…!」
耐え切れなくなったのか、吸血姫はボロボロと泣き始める。しゃくり上げて、涙で綺麗な顔をビトビトにする。
焦燥する俺の前で、必死に肩を震わせる。
そして、吸血姫は、まだ子供過ぎる、小さな口で
言う。
「もう、どうしたらいいのか分からないよ…。考えるほどに頭がぐちゃぐちゃで、無気力になって…。でも、どうしたらいいかは分かっていて、動く気はあって、だけど、それが気楽じゃないことは分かっていて、自分じゃ成し遂げられないような気がして、正解じゃないような邪推さえ働いて、だから、動くのが怖くて、間違えるのが怖くて…。でも、動かないほどに、人生に希望を持っちゃダメな気がして、喜んじゃダメで、笑っちゃダメな気がして、そんな苦痛が耐えられなくて、喜びたくて、笑いたくて、前を向きたいけど、でも、それは罪に対して軽薄な気がして、だから、やっぱり動けなくて、だけど、だから…」
「あぁ…、こうして、無茶苦茶に考えているのがいけないんだよね…。だから、いつまでもみんなを痛めつけて、苦しめてるんだよね…。わかってる、わかってるけどさぁ…」
「考えが、収まらないんだよ。これがダメなことだって分かってるのに」
「なぁ、カナモリ」
「ごめんね、こんな人間で。いっぱい与えてもらってるのに、何も恩返しができない、ダメで、役に立たなくて、迷惑かけてばかりで」
「こんな僕に、付き合わせちゃってごめんね」
「生きてて、ごめんね」
…言わせてしまった。
その言葉を、子供に。
耳にした瞬間、俺の背から、たとえば責任のような"正しさ"が全部零れ落ちた気がした。
気づけば、俺は吸血姫をぎゅうと抱きしめていた。
彼の羽根を折って、腕を束ねて、
決して彼の魂を逃さないように。
俺は叫んだ。
「馬鹿なことを…、馬鹿なことを言ってんじゃねぇよ!」
そして、吸血姫の小さな頭を掴んで、抱き寄せた。
それでも満足いかないから、叱るように、訴えかけるように彼に言った。
「迷惑かけていいんだよ!そんなの子供が気にすることじゃねぇんだよ!いっぱい悩んで、悩んで、悩んだらいい!それで何かを掴んで、成長してくれるなら、俺はそんなこと迷惑とさえ思わない!」
「だから吸血姫…!一人で抱え込むな…!絶望なんてするな…!どんな辛いことがあっても支える…!支えるから…!だから、お願いだから…!」
「また、俺たちに笑顔を見せてくれ…!」
俺の吸血姫を抱き寄せる力は、どこまでも強くなる。厚手のコートごしにも、互いの温かさは伝わる。寒空の下。少し震えていた吸血姫の体は段々と熱を得て、安心して、緩んでいく。
濁っていた瞳から、悲しみとはまた違う色をした涙が溢れてくる。
「かな…、もり…!」
そして、吸血姫は、俺のコートを両手でギュッと掴んで、俺を抱き返した。
だからって何が変わったわけでもない。
吸血姫の力は残ったままで、季節外れの冬は終わる兆しがない。
問題は山積みで、希望なんてまだ見えない。
けど、今はとりあえずいい。互いの心が在るべき場所に戻ったのだから、とりあえずは、これで。
あぁ、そうか。俺はようやく、ぶっ倒されたセイの野郎がそれでも不敵な笑みを浮かべていた理由が分かった。
負けたと、心の底から思った。
…なんて、優しさだけで、全てが終われば良かったのにな。
それは、今に秦の背後から木の杭で彼の心臓ごと吸血姫の心臓を打ち抜いたフカでさえ思った。
ハタ・カナモリとは違い、吸血姫はこの程度では葬られまいと、一瞬、手足をジタバタさせた。
が、次の瞬間、まるで示し合わせたかのように、彼を崖へ蹴り落とすように、彼の力の象徴であった羽根が消えた。
それは、GBからフカへの作戦成功の合図であった。
時は少し遡る。
『いいか、フカ。我々の完全勝利において重要な点は4つだ』
(1)絶対にハタ・カナモリとは戦ってはならない。
(2)アバシリ・セイ、アゼヲとの交戦も避けなければならない。
(3)Black Outの封殺をしなければならない。
(4)吸血姫の不死性を突破しなければならない。
『そこは理解したな?』
『あぁ…。だから、(2)の解決のために、アバシリ・セイ、アゼヲにハタ・カナモリをぶつけるんだろ?で、(3)は、君が直接赴いて何とかしてくれると。…だが、(1)と(4)はどうするんだ?』
『ハタ・カナモリと吸血姫との戦闘時を狙う。…いや、伊勢居地コア子からの情報からすると、もしかしたら彼らは戦わないかもな。ならば、彼らが和解した瞬間だ。彼から吸血姫というどうしようもない大敵が消え、彼の内に油断が生じた瞬間を狙うんだ』
『…(1)の成功は、ハタ・カナモリの持つ"彼"への愛情の量で決まりそうだね。それで?最後の(4)は?』
『そこだ。今までの私達では吸血姫の不死の突破のためには非常に大掛かりで遠回りな手段が要されていたが、Black Outの存在で状況が一変した』
『ほう?』
『ところでだ、フカ。君は何故、吸血姫が不死だと思うね?』
『…?考えたこともなかったな、そんなこと。うーん、そりゃ、再生能力がずば抜けてるからじゃないのか?』
『ふふ、残念、不正解。いじわる問題さ。正解は、彼女は"そもそも不死じゃない"』
『…なんだと?』
『いたんだよ。彼女が誕生した当時には、彼女の命を脅かす存在が。彼女はあくまで、それら脅威を全て滅ぼしてしまったから不死身なだけなんだ』
『初耳だな…。そりゃあ…』
『あぁ。…で、その中の一つに、卵生ボーパス人ってのがいてね。神話生物学では"エスタファノの血腫"とか言ったかな?彼らは、見た目こそホモ・サピエンスそっくりだが、自身の血中に"吸血姫に効く毒"を生成出来てね。その当時のビロンギングは彼らの血を剣や弓に塗って戦っていたんだ』
『ヤドクガエルみたいだね。そんなに殺傷性の高い毒だったんだ?』
『いいや。実のところ、その毒に致死性はない。毒は彼女を殺すんじゃなくて、彼女の再生能力を司る組織に負荷をかけ、再生のプロセスを甚大なまでに非効率にするんだ。再生の自己完結性を裏返し、エネルギーに対する依存性と有限性を蘇らせる。それは乾きと排泄の復活であり、人間への依存と不完全性の復活であり、つまり…』
『…毒は、彼女を"人間の血が無いと再生出来ない体"に作り変える?』
『そういうこと。もちろん、毒が分解されるまでの間だけだけどね。でも、分解には流石の吸血姫でも時間がかかって、少なくても1ヶ月は見積もっていい』
『でも、1ヶ月は間違いなく殺害可能になるってことだよな?それで、肝心の毒は?どこにあるんだ?もしかして、僕の力で生成するのか?』
『残念ながら、卵生ボーパス人の血は十二次元を完全に逸脱しているから、君の力じゃ作るのは不可能だよ。ついこの前まで、北海道の余市郡研究所に奇跡的に再現に成功したサンプルがあったそうだが、それはシュガーによる回収の前に"彼女"に奪われて、一度目の自殺に使われてしまってしまった。だから、現在この世には、赤城研究所に全く以て不完全なサンプルがいくらか転がっているだけだ』
『なんだよ?じゃあ、無い希望についてずっと語っていたのか?』
『いいや。Black Outなら全て叶えられる。しかも、血抜きも同時にな』
『…!』
つまり、彼らが真に完全勝利し得るタイミングとは、
ハタ・カナモリが全ての戦闘を終えた後、彼が、しかし、温情により吸血姫の殺害を諦め、無防備になった瞬間と、
太陽神の干渉の力を用いて伊勢居地コア子にBlackOutの力を強制させ、『伊勢居地コア子の父は余市郡研究所の元被検体であり、実験により卵生ボーパス人に変えられた過去がある』という風に歴史を改変させた、
その瞬間の、交点である。
…
風が止んだ。
大柄の男に抱かれたまま、大敵は目の光を失った。
「いくよ、吸血姫。答え合わせの時間だ」
フカは、合図を送った。
次の瞬間、どこからか現れたエニスタは能力を発動させ、
この地に約400万のキャスタウェイを解放した。
対抗し得る存在が完全に居なくなったこの世界で、
京という街を、広がりゆく地獄の、その中心へと変えた。




