話、聞くよ
強者じゃないからできっこない。弱者だからこうするしかない。
けど、そういう、弱者による、弱者にしかできないことこそが、
存外、温かかったりする。
力の消滅と共に、凪野さんは瓦礫諸共自由落下を始めた。
僕と、凪野さんの落下地点との距離は、500mくらい。以前の僕には、これを走り抜くなんて大西洋横断くらいの距離。
けど、今のこの体なら、まるで、大股一歩で大きな水たまりを飛び越えるみたいに、一瞬。
…
「細…、田…?」
息を切らした細田が、私を腕で抱えていた。
周囲には、瓦礫の雨が降っていた。
街だったものの雨。全て崩れ去り、今、静かになった。
私が声を発したのを見て、細田は涙ぐんだ。
瞳を潤ます細田は、いつも以上に綺麗だった。
そっか、私を助けに来てくれたんだ。
ゆっくりと地面に降ろされる。
虚ろな目に映る。街はまっ平らな荒野になっていた。15年間生きた、この街。あのカラオケボックス。あの男に、あの女。嫌なことと、嫌なことと、嫌なこと。
全部吹き飛ばしたんだな。吹き飛ばしてしまったんだな。癇癪起こした子供みたいに。
ボロボロの姿の細田を見て、一層思う。
なんで私なんかを助けたんだよ。
…凪野さんは、また頭を抱えて、うずくまった。
僕は…、今に虚ろな目をした凪野さんを目の当たりにして、自分の思い上がりにようやく気がついた。
僕は、心のどこかで慢心していた。精一杯凪野さんに近づいて、近づいて、近づけば、何か好転するんじゃないかと思っていた。彼女を遠くで見ていたあの時には何も思い浮かばなかったけど、傍によれば、何か、何でもいいから何か思いつくと思っていた。
けど、実際には、どうだ。
声をかけるどころじゃない。
遠くで、まるでテレビでも見るように眺めていた可哀想な人を、いざ目の前にしたら、何も出来ない。脳がピタッと固まって、焦燥で震える。
なんだよ。ふざけんなよ。
物語の主人公になれるかどうかどころか、
その挑戦権すら、僕にはないのかよ。
…細田が戸惑っている。きっと私のことで戸惑っている。
こんな奴のことなんてほっときゃいいのに。
…本当、どうしてこうなったんだろう。
いや、どうすればこうならなかったなんて、考えたくもない。答えなんて分かりきってるから、だから、もう嫌。
無理だったんだよ。綺麗に生きるなんて。生きたかったよ。私だって。まっさらな心と体で、普通に友達と遊んで、普通に恋愛できるような、単純な日々を送りたかった。何か間違っているような気は常々してたんだ。金マル吸ってむせる度に、煙が目に染みて涙ぐむ度に、これじゃないって思ってたんだ。
けど、言い出せなかったんだ。何か違うなって思っても、峰らにそんなことを言ってもしょうがないし、立派な大人たちは話を遮って自分が気持ちよくなるためだけの説教を始めるだけだし。裏アカ作っても、結局周りにバレないように偽名使ってんだよ。
みんな言うんだ。
私のことを。
不良とか、
ヤリマンとか、
ナギちゃんとか、
違うんだよ。違う。そんなの全部私の表面だ。私だよ。私は私を見てほしいんだよ。私はこんなにも生きてるんだよ。生きて、苦しんで、分かんないんだよ。それを単なる思春期で一括りにしてほしくないんだよ。勝手に作り上げた人物像で一括りにしてほしくないんだよ。
お願いだよ。
誰か、教えてよ。私でも知らない、私の胸の内側から出たがってるこのグチャグチャの解放の仕方を、
誰か…
「…!」
その行動は、多分、かつての僕が望んでいたものだ。
僕はカッコいいセリフなんて知らなかった。僕は弱者だ。何も積み上げてこなかった愚者だ。僕にはたまたま吸血姫に成れた以外に何もない。
けど、だからこそ、僕は、これだけは知っていた。まるで捻くれてるけど…。
こういう時にかけられる慰めや励ましの言葉が、どれだけ薄っぺらく聞こえるか。
そうだ。こういう時に僕みたいな斜に構えた人間は、何を言われようとも分かった口を聞くなって思うんだ。僕は複雑で、だから、テメェ如きが僕の傷を理解できるわけねぇだろって思うんだ。
薬剤師気分で核心を突いたみたいな言葉を投げつけて、「ほら、その処方箋、お前にも効くだろ?俺の言葉を鵜呑みにして立ち直れよ」って見下してくる奴が嫌いなんだ。
痛みは、消えないんだ。だって過去は変わらないし、その経験から苦しみを得た事実も変わらないんだから。
受け入れるのには時間がかかるんだ。
だから、こういう時は、そうだ。
僕は思ったんだ。どうしようもなく惨めになって、死んで生まれ変わりたいとさえ思った時、
僕はただ、誰かに寄り添ってほしかった。
背中なんか撫でてくれたりして、
ただ寄り添ってくれるだけで、
傍にいるよって教えてくれるだけで、
それだけで良かった。
「細…、田…!」
いつの間にか、僕は凪野さんを抱きしめていた。どうしようもない時に布団がそうしてくれるように、腕いっぱいに、凪野さんに僕を溶かし込むように、ぎゅっと。
2分経過まで、あと何秒だろう。多分もうそんなに残されていない。
だけど
「話、聞くよ。凪野さんの話。ゆっくり、ゆっくりで良いからさ」
「ずっと傍に寄り添うよ。だから話してよ。僕だって、凪野さんに聞いてほしいことがいっぱいあるんだから。辛かったこと、一緒に共有しようよ」
それだけ伝えられたら、僕は満足だった。
凪野さんは目に涙をいっぱい溜めて、そして、泣きじゃくった。僕のことを抱き寄せて、苦しかった気持ちを全部外に吐き出すみたいに嗚咽を漏らした。
周囲の瓦礫が再び念動力に駆られ始めた。事態は、結局解決しなかった。するはずがなかった。だって僕達はこれから向き合うんだから。
あと数秒で凪野さんは力を取り戻し、局長は動き出し、凪野さんは、凪野さんを守ろうとした僕共々、殺されるだろう。
けど、僕は伝えられて良かったと思った。
解決よりも、大切な糸口を掴めたんだと、人生で初めて誰かを救えた気になれて、自分を誇らしく思えた。
だから、このまま消えることができるのなら、これで…
「細ダッ…、さんッ…!ナぎ野さんッ…!!」
びっくりした。その、ゼーハーしながら捻り出された声は、やはりタカドノだった。
僕は慌ててタカドノの方に振り向いた。もうすぐ爆発が再開する。危ないと、そう叫ぼうとした。
が、先に驚き叫んだのは、凪野さんの方だった。
僕には、突飛なものに見えた。
しかし、凪野さんにはそうじゃなかったのだろう。
タカドノに両脇を持ち上げられた、ソレは、
飼い主を見つけて嬉しそうにハッハと舌を出す、マヌケなダンゴの姿は。
タカドノがそうした理由は、単に、好きなものを目にすれば癒やされるんじゃね?という大した事ない理由だった。そのためだけにタカドノはわざわざ凪野さんの家に行き、あまつさえガラス窓を蹴破って、ダンゴをパクって来たのだという。
けど、それは決定打だったみたいで、凪野さんは間もなく、ダンゴに駆け寄り、しっかりと、それはもうしっかりと抱きしめた。
カランと、小さな瓦礫が落ちる音がした。
僕とタカドノは、本当に嬉しそうな顔をする凪野さんを横目に、ちょこちょこと肘で小突き合った。




