後悔するタイミングはいつも手遅れ
何というか。…何というか。
細田のことが段々分かってきた気がした。
「脚」
「へっ?」
朝の教室。タカドノと細田の会話に割り込む。
凪野は、大股開きで足を組む細田を目で指して言う。
「周りの男子に見られてるよ」
「えっ、あっ」
細田が慌てて足を閉じる。
眼福を失った男子共が凪野にブーイングを浴びせる。
が、凪野は一切相手にしない。
「…自分が可愛いってこと、もっと自覚しな?普通に危ないし、単純に見ててウザいよ?」
そう言ったら、次の日から細田はちゃんと股ぐらを気にしながら生きるようになった。
…分かるか?そうだ。そうなのだ。
細田は、そうだ。コイツは無防備なフリをして男の気を引くことを生存戦略としているわけではない。『女』という武器を利用して世の中を悠々自適に生きようとしている、カマトトぶったクソアマというわけではない。
コイツには、そもそも備わっていないのだ。『女』というものが。元は男だったんじゃないか?というくらい女性目線がインストールされていないのだ。
だからこんなにもバカだし、間抜けだし、ウザいのだ。
「…えっ、細田、それ着るの?」
ある日の昼。凪野は、伊勢居地と一緒にタカドノのスマホを睨む細田に問いかけた。
画面には、レディースの、丈がヒザ下まである海女みたいなマリンスーツが映っている。
「い、いやだって、これなら普通の服を着てるのと変わんない感じするから…」
「は?せっかくの海ならもっとハジけた方が良いに決まってんじゃん。舐めてんのお前?消極的な理由でファッションやるくらいなら一生ジャージ着てろよバカ」
「おっ!分かってんじゃねぇか凪野!そうだよな!やっぱり吸血姫にはこの金ピカビキニが…」
「いや…、まぁ、細田ならそんなイカれた格好でも着こなしちゃうと思うけどさぁ…、コイツ、どうせブルベでしょ?なら、もっとハッキリした色…、黒とかの方が似合うんじゃないの?」
「…!!くっ、黒が似合うって、凪野さんもそう思う?!」
「えっ、何急に興奮してんの?…まぁ、うん、フツーにそう思うけど…」
「そっかぁ…、そっかぁ…!」
「…???」
少しずつ、少しずつ。
細田と絡むことが、凪野の日課になっていった。ある日はグミを分けてあげたり、ある日はボサボサの髪を解いてあげたり、…"しくった時"に助けてあげたりもしたかな。
そうしたら、なんだかな、凪野にも、タカドノが言ってたことの意味が分かってきた気がした。
「確かに、細田はそういう奴じゃないよなぁ…」
帰り道にそう思った、次の日だった。
「あ、あの…、よかったら凪野さんも、一緒に海に行かない…?」
もじもじとそう誘う細田に次いで、伊勢居地が「別にいいぞ」と言って、タカドノも、「まぁ…、今の凪野さんなら良いよ」と言った。
あれ、学校ってこんなに楽しかったっけ…。
それは、最近、凪野が感じつつあることだった。
「ナギちゃん…」
もちろん、それを快く思わない者もいた。
…
数学の授業中(自習だよ)、伊勢居地が急にキョロキョロし出した。
「どした?コア子?」
「いや…、何か、誰かが私達を見てた気が…」
「えっ?あー…、…アレじゃね?」
細田が教室の隅の方を指さした。
そこにいたのは、峰と、中森と、…目黒たちだった。
「…」
彼女等は、明らかにガンを飛ばしていた。
細田の隣にいる凪野にガンを飛ばしていた。
…まぁ、そりゃそうよな。
「…ちょっと行ってくるわ」
「えっ…?」
細田の机に座っていた凪野はガタッと立ち上がり、不安そうな顔をする細田をわざと無視して、峰らの元に寄った。
その後、凪野は彼女等に連れられ、近くの女子トイレで囲まれた。
「ナギちゃん、最近細田と仲良いよね…」
中森が言った、その言葉の含意は理解できる。
張り付いた笑顔の裏に、あからさまに疑りがある。
幸せじゃない連中。惨めで、みずぼらしくて、居場所のない連中。少し前まで凪野が居た国。凪野の国。21世紀に身分制が残った後進国。目黒や水樹は奴隷だった。凪野はバラモンだった。
…くだらねー。
「…言いたいことはそれだけ?」
だって、凪野には、もう、それが対岸の火事にしか見えなかった。教科書のトピックで眺めて、へーと思う異文化でしかなかった。
だから、彼女は踵を返した。そういう態度を取るのが今の自分だと思ったから。
…背中からバケツの水をかけられた。
目黒がバケツを握っていた。
全身を高揚させていた。
あぁ、そうなんだ。
凪野は母国に想いを馳せるように思った。
今、この瞬間、こいつ等も居場所を見つけたんだな、と。
絞った雑巾の味を、生まれて初めて知った。
…
不思議だよな。人間は単純で、幸せになるためだけに動き回っているってのに。目指す方向は皆同じで、オールを漕ぐ方向は同じで、普通に考えれば、船の推進力は物凄くなるはずなのに。
なーんで皆、足を引っ張り合っちゃうんだろう?そして皆で不幸になっちゃうんだろう?
真っ白な入道雲がいい感じに日差しを遮る気持ちいい土曜の空の下、ボケのダンゴが後ろ足を上げきれず、ションベンを電柱から外し、あちこちに撒き散らす。そんなダンゴを、リードを引っ張って更に邪魔してみる。ダンゴの足元にションベン溜まりが出来て、ダンゴの足がビチョビチョになる。
それでもダンゴは無垢なクリクリした目を送ってくるから、凪野はウエストポーチから犬用ビスケットを取り出して、あげた。二個あげた。
「なんでイジメなんかしてたのかな、私…」
しゃがみ、ダンゴに問いかけるように呟く。
ダンゴが首を捻る。それは、女子としての良識を教えてやった時の細田みたいな表情。ボケ。社会なんて何も知らないって顔。みっともなくションベンで足をビチョビチョにしてるのに。分からないって顔してる。
「いいなぁ…」
生まれ変わったら細田の犬になりたいなぁ。
なんて思って歩いてたら、細田に出会った。
「あっ!ソイツが例のダンゴ…、ほぉー!」
凪野から待ち受けを何度も見せられ知っていた細田は、早速ダンゴを撫で始めた。お手をさせ、コケるダンゴを見て、「確かに出来てねぇー!」と笑った。
「アンハッピーか?クソッタレのいじめっ子野郎」
当然のごとく細田と一緒にいた伊勢居地が煽るように言った。こいつは、そうだ。何故かは知らないが他人の事情に異常に詳しい。情報源何だよ?盗聴でもしてんのか?
「ご希望なら、オメーをイジメる輩をまとめて潰してやろうか?本来なら吸血姫を守るための武器だが…、お前になら、奴らの"後ろめたい事情"を提供してやってもいいぜ?」
「いや…、いいよ」
三人でダンゴを撫で回した後、凪野は細田らと別れた。
別れる直前、細田から「あのっ…!今から皆で水着を買いに行こうと思ってて…、ちょうど凪野さんも誘おうと思ってたんだけど…!」と伝えられたけど、「用事あるからパス」と断った。
平静を装った顔で断った。
けど、内心、飛び上がりたいくらい嬉しかった。
そっか、誘おうとしてくれたんだ。胸があったかくなった。そよ風に頬を撫でられながら歩き続けて、ダンゴが散歩に疲れたタイミングで家に帰った。
その後、凪野は峰の家に行った。呼び出しを食らっていたから行った。峰の部屋に入り、峰に会い、「持ってきたよ、バーキン」と言って、紙袋に雑にぶち込んだバーキンを投げ渡した。少しして、大学から帰ってきた峰の兄貴が「ハメ撮りしたい」って言うから、峰の兄貴の部屋で、峰と、中森と、あと途中からやって来た目黒と目黒の弟の前でカメラを回されながらヤられた。目黒の弟の筆下ろしもさせられた。
「…クソが」
行為中にブチブチ抜かれた髪の毛がベッド中に散らばっていた。目黒の弟のキスマークが首中にくっついていて気持ち悪かった。勝手に剃られてパイパンにさせられたアソコがスースーした。無理にニードルを刺された上に根性焼きで止血された乳首がジクジクした。無責任に中に出されたのに、ピルは自腹で買わされた。
夕暮れる自室で、首にグルグルに包帯を巻いた。ハンカチで巻いた保冷剤をスポブラの間に挟んだら乳首の痛みが少しマシになった気がした。
タカドノからラインが来た。尤も、タカドノのラインは、今ドキJKなのにスマホを持っていない原始人の細田らとの共用なので、実質、細田らからのライン。
イオンモールの試着室で、水着姿の細田と伊勢居地に挟まれて硬直しているタカドノの、三人の自撮りだった。
「ビキニ…、頑張って着たんだ…」
指が、無意識に、『細田、やっぱ黒似合うね』と打った。
直後、ピルの副作用にやられた。便器に顔を突っ込んで、胃液ばっかり吐いた。
吐きながら、鼻水を垂らしながら、どうしてこうなったんだろうって思って、無茶苦茶に泣いた。
ボケのダンゴが、心配そうな顔してドアの隙間から覗き込んでいた。
…
どうしてこうなったんだろう、じゃねーんだよな。テメーが悪いんだろハゲ。どうしようもない奴だから、どうしようもなくなったんだろ?お似合いだよ。自業自得だよ。黙ってろ。
…けど、言い訳くらいはさせてほしい。
知らなかったんだよ。多分、世のいじめっ子は誰もが知らないことだったんだよ。
幸せって、実は結構くだらねーんだよ。
突っ張って、意地はって、他人と競争して、そうして手に入れる、奪い合いの宝石だと思ってたのに。
違ったんだよ。
幸せは、一歩引けば、あったんだよ。歩み寄ればあったんだよ。
敵だと思ってた相手をもっと知りたいと思えば、手に入ったんだよ。
そんなもんだったんだよ。でも知らなかったんだよ。教えられなかったんだよ。教えられなかったどころか、大人はむしろ、頭の良い悪いとか、容姿の良い悪いとかで私達に差をつけて、優れている方を恵まれてると言って、劣っている方を残念だと言ったんだ。ああはならないようにもっと頑張れと言ったんだ。頑張らなきゃと思わせられたんだ。
いじめっ子は、きっと、皆そうだ。
他人より優れることが幸せだと刷り込まれているんだ。
けど、それを知った時には、もう遅かったんだ。私は罪を作り過ぎた。タカドノは心が広いのか何なのか、私の罪に対して特に何も言ってこなかったけど、それはあくまでタカドノが甘いだけだ。
金曜日のこと、いつの間にか、置き勉してた私の教科書の全部がビリビリに破かれていて、口紅で『死ね』とか『ブス』とか書かれていた。
この前までの、授業なんてマトモに受ける気がなかった私なら、別に良いかで済ませられたかもしれない。でも今の、「細田、頭良いから卒業したら大学行くのかな…」なんて思い始めた私では、そんな簡単に済ませられない。
…教科書、持って帰りたかったんだけどなぁ。
そう思って帰って、土日を経て、月曜日。空っぽの胸ポケットと、本来なら重くなるはずだった鞄を携えて、フラフラと通学路を歩いた。
一歩進む度に憂鬱が増す。
タカドノって、すげぇ奴だったんだなとふと思った。
その時だった。ふと、得体の知れない男が目に入った。
フランス人っぽい顔の、天パで、青い瞳で、革ジャンがよく似合っている。
そんな男がこちらを見ていた。
「…なるほど。強いオーラを感じる。GBが勧めるわけだ…」
それだけ言って、男は影に消えた。よく分からない比喩とかじゃなくて、本当に影に消えた。とぷんと、自分の影の中に沈んでいった。
「…?????」
統合失調症にでもなったか?と思った。
教室に着くやいなや、細田が、「凪野さん!海行くの、今週の日曜はど…、どうしたのその首!?大丈夫!?」と言った。
その直後、峰が細田と私の間に割り込むように「ナギちゃーん?」と呼んだ。
ニヤニヤ笑う顔が気持ち悪かった。




