愛に溢れるからこそ辛い
誰も愛さなければ、誰かのことで悩んだりしなくて済むのに。
それを許さないんだから、人間はどうもやりづらい。
秦要護の人生に青春はなかった。
父親のギャンブル依存症のせいで悲惨な家計だった、筆箱一つすら買ってもらえず、裸の鉛筆をそのまま小学校に持っていく生活だった幼少期の彼は、最終的に、借金取りからの夜逃げのせいで居住地を転々とする羽目になり、遂には学校にさえマトモに通えなくなった。
そして、中学卒業間際、彼の父親は遂に蒸発した。ここまで付いてきた家族も、莫大な借金も、全部置いて無責任に消えた。そのため彼は、以降、借金苦と生活苦の解消のために、それでも愛したパートナーに捨てられたショックで心神を喪失してしまった、無気力になり、自暴自棄になり、トイレにさえ自分の力で行けなくなってしまった母親を抱えながら働かなければならなくなった。
侍衛係所属のビロンギングになったキッカケは、16歳のある日、道路工事のバイト上がりにたまたま遭遇したキャスタウェイを、新手の暴漢だと勘違いして叩きのめしたことだった。
その頃の彼は異能を持っていなかった。
だが、天性の身体能力は彼にそんなものを必要とさせなかった。
彼は、瞬く間に大成した。
借金は25の頃に完済した。30手前にはしょぼいけれども母の生まれ故郷にマンションを一部屋買えた。その頃には、母は笑顔を取り戻せど、もう車椅子でなければ生活できない程に筋肉が落ち、やせ細り、病弱になっていたが、親子二人、幸せな日々を過ごしていた。
そして現在、この部屋に彼の母はいない。
ただ、あの頃の写真が一枚、写真立てに入って、リビングのタンスの上にポツリと置かれているだけ。
折り畳まれた車椅子は、一生玄関前に立てかけられたまま。
誰の故郷でもなくなった、空っぽになったこの家は、色も温もりも、消え逝く残り香のように失っていくしかない。
…はずだった。
夕暮れ時、
突っ立っていると、ポスッと、背中に小さな塊が抱きつく感覚があった。
「ふへっ、おいカナモリ」
…振り向かなくても分かる。
コア子だ。
昼前に吉祥寺らへんを彷徨いてくると言った彼女が帰ってきたのだ。
彼女はニコニコな笑顔で秦に話す。
「見て見て、じゃん!吸血姫と一緒にピアス開けたんだー」
耳たぶから小さく垂れるチェーンピアスを見せびらかすコア子に、秦はポロッと言う。
「あぁ」
「『あぁ』、じゃねぇだろ!?『かっこいい!』とか『おしゃれ!』とか言えよ!もっとオーバーリアクション気味に褒めろよ!」
「…じゃあ、おしゃれだな」
「回答例をそのまま口に出してんじゃねぇ!ちゃんと自分の言葉で褒めろよクソが!」
多分、何と答えていようがブチギレていたであろうコア子は、秦の顔面にド太い銀弾を撃ち込んだ後、プリプリ怒りながら洗面台へ向かった。
秦は銀弾を摘みながら、そんな彼女の、…元気で、健康で、まだまだ小さな背中をぼんやりと眺めていた。
彼は悩んでいた。
コア子が問題児過ぎるからではない。
母と入れ替わるようにして共に暮らし始めた彼女と…、そして吸血姫に、二人の保護者として自分に何が出来るのか、分からなかったからだ。
季節は梅雨入り前、桜は既に散り尽くしていた。




