第三十四章 空白にこそ結末を左右する物語あり
六百年前、世界は鮮血と死に満ちていた。
国家のほとんどはその形を維持すらできず崩壊し、悲劇が大陸全土を埋め尽くしていたほどだった。
退屈だったから、『衝動』のままに暴れた。
そんな理由で魔族たちは殺しを撒き散らしたのだ。
──レイ=レッドスプラッシュは覚えている。ベルゼ=クイーンエッジだった頃に見たその光景を。
聖女と呼ばれる誰かが一人で『魔王』に立ち向かった。誰も巻き込まずに一人で挑み──視界に入るのが目障りだったのか、いくつもの街や村を巻き込むほどに広範囲に及ぶ破壊が炸裂した。
『魔王』にとって戦闘とは退屈なものであり、『衝動』に従うものであり、掃除にも似たものであった。敵が個人であれ集団であれ、外して戦闘が長引いたって結果は変わらないのだから、確実に殺すために広範囲への攻撃を仕掛けるのだ。
誰を巻き込むことになろうともどうでもいい。他者の命に一片の価値も見出していないのだから。
ゆえに、である。
レイ=レッドスプラッシュは言葉を叩きつける。
「それ以上進んでみろでごぜーます。ぶっ殺してやるでごぜーますよ!!」
ネフィレンスたちを一掃した(ゼリシア曰く)新『魔の極致』第一席ザクロは『魔王』によって殺された。その際、ここら一帯を消し飛ばすような破壊は撒き散らされなかった。六百年前の『魔王』であれば、ここら一帯ごと迅速に消し飛ばしていたはずだ。少なくとも『自壊』するのを待ったりはしない。
六百年という空白の時間に何かがあった、のかもしれない。あの『魔王』を変えるような何かが。
その何かを見極めるためにもレイ=レッドスプラッシュは体当たりで『魔王』に挑む。変化がプラスに傾いているのかマイナスに傾いているのかはどうでもいい。重要なのは一つ、その変化の方向性がピーチファルナの命運をどう左右するかのみ。
「そういうことですか」
だから。
だから。
だから。
「このアタシを敵に回してでも、その命を捨ててでも守りたい好きな人がいるということですね、レイ」
「……、は?」
思わず、であった。
最悪の場合はピーチファルナだけでも逃がすつもり──というか十中八九そうなるだろうと考えていた──だったものだから、『魔王』が何を言ったのか理解できなかった。
「ん? そうじゃないんですか?」
「い、いえ、私の命なんかで守れるなら安いものなくらいには好きでごぜーます」
「そうですか。守るためだというなら敵がいなくなればおとなしくなるですよね」
「いや、待って、なんで『魔王』がそんな──」
「全知全能、殺しておかなくともいいんですか?」
訳がわからなかった。
あの『魔王』が、特に理由がなくとも殺す災厄が、わざわざ殺すのかどうか聞いてきたのだ。
どんなことがあればそこまで変化してしまうのか不明だったが、それはそれとしてレイの返事は変わらない。
「もちろんでごぜーます。ピーチファルナちゃんにとってはあの結末こそが理想でごぜーますもの。今後のことを考えれば無力化しておくべきなのかもしれないけど、それはあくまで私のような奴の考えでごぜーます。ピーチファルナちゃんの甘い理想で埋め尽くせるなら、そっちのほうがいいに決まっているでごぜーますよ」
「全知全能が無意味に暴れた際はきちんと処理するんですよね?」
「それがピーチファルナちゃんにとって不利益となるなら、例え何を犠牲にしてでも処理してやるでごぜーますよ」
「そうですか。まあそちらでどうこうできるというのならばそれでいいでしょう」
平坦な声音で吐き捨て、『魔王』が踵を返す。
あの『魔王』が誰も殺さずに立ち去っていこうとしているのだ。
「待っ待つでごぜーますっ! どういうつもりでごぜーますか!?」
「どういう、とは?」
言って、後悔した。
あの『魔王』が、逃げるくらいしかできないほどの脅威が自分から立ち去るというのに、わざわざ止めてしまったのだ。
ふとした瞬間に気が変わるかもしれない。
それでも確かめずにはいられなかった。
「どうして私たちを見逃すのでごぜーますか? 『魔王』にとって私たちはどうでもいい存在のはずでごぜーます。こうして足を運んだのならばとりあえず殺しておくはずでごぜーますっ!!」
「殺しはやめにしたんです」
サラリと。
そう言われたものだから、反応が遅れた。
「まあザクロとやらはアタシの能力以上の力で吹き飛んだので再生は不可能ですが、ネフィレンスたちならどうにかなりそうですし、死人を最低限に収められたと評価していいでしょう」
「なっ、なにをっ」
「これ以上騒ぎを起こさないよう殺しては生き返してを繰り返して心を折る必要はなくなったならばそれでいいです。まあ何かあったらその時にでも対処するだけですしね」
「そうじゃなくてっ、なんで『魔王』がそんな回りくどいことをやるのでごぜーますか!? 邪魔なら殺せばいいでごぜーますっ」
「まあそうなんですけどね。アタシ、『好き』を手に入れたんです。失いたくないんです。だから、まあ、どうでもいい存在を殺して嫌われる、なんて展開にはしたくないんですよ」
「好、き……?」
「ええ。おそらくはレイと同じですよ」
そこまでだった。
用事は終わったとでも言うように『魔王』が消失、同時にわざわざ大陸の各地に分散させるように力の波動が観測された。
『魔王』の言葉通り、死人を最低限で済ませるためにザクロを除く新旧『魔の極致』を生き返らせたのだろう。
……命さえも好きに操れるほどに『魔王』は規格外の怪物であるのだ。
「まさか『魔王』もだなんて予想できるわけないでごぜーますよ」
世界は広く、物語は生命の数だけ存在する。
今回は観測されていなかっただけで、あの『魔王』を変えるだけの物語もまたどこかで紡がれていたのだ。
ーーー☆ーーー
『魔王』という名の災厄を退けることはできた。
ここからが本番である。
「レイさん、わたしは怒ってるからね!」
「……、ピーチファルナちゃん。うまくいったってことで流してくれても──」
「何か言った?」
「なんでもないでごぜーます、はい!!」
それはもう綺麗な正座であった。
旧『魔の極致』第七席にしてレッドスプラッシュ公爵家が長女、加えて第一王子との婚約により未来の王妃となることが確約されているご令嬢が仁王立ちの平民を前にして正座しているのだ。
戻ってきたレイを出迎えたピーチファルナからどこに行っていたのか聞かれた時は咄嗟に誤魔化そうとしたのだが、『魔王』が撤退した時点で同じ旧『魔の極致』であるレイが何らかの交渉を行ったというのは予想されていたらしい。もちろんピーチファルナがではなく、ローランやゼリシア=キラーゾーンが。
「ねえレイさん。わたしは『魔王』? ってのがどれだけ強いのやらとか何もわからないよ。ただみんなが騒ぐくらいには危険な相手なんだろうってくらいだよ。だから、まあ、わたしたちよりもレイさんのほうが色々知っていたのかもしれないし、一人で対応したほうが都合がいいって感じなのかもしれないよね。それでも──」
「はっ!? これはナンダカンダで許される流れでごぜーますか!?」
「そんな流れあるわけないじゃん、ばーかっ!!」
「あふう!?」
びっくん! とレイの肩が跳ねる。
レイ=レッドスプラッシュが生まれて以来、いいやベルゼ=クイーンエッジから派生してきた人生の全てを振り返った上で、これこそが最大の危機と呼べるものだろう。
ピーチファルナが怒っています、さあどうする?
「ごめんなさいでごぜーます、ピーチファルナちゃんっ。だから、ほら、笑ってよ。ピーチファルナちゃんの願い通りみんな無事だし、何も気にする必要なんてないでごぜーますって、ねっ、ねっ!?」
「……、今ならオリミアの気持ちがよおーくわかるよ。みんな無事だから気にする必要ない? 一人で抱えて無茶した馬鹿が何言ってるわけ!? それ全部結果論だからねっ。そーゆーのやめて、みんなで抱えて、負担を少しでも減らそうって流れだったよね!? 最後の最後に全部ぶっ壊したくせに、本当何言ってるわけ!?」
「ちが、違うのでごぜーますよっ」
「何が!?」
「だから、そのお、『魔王』の動きが前までと違っていたから、こう、その辺の変化を見極めれば逃避が楽になる可能性があって、だけど相手はあの『魔王』だからどんな展開になるか読めなくて、ピーチファルナちゃんの『願い』をできるだけ叶えるためにも私だけが行けば最悪でも一人の損失で済──」
「何にも違わないじゃん、ばあーっかあ!!」
「うひい!?」
「最悪でも誰も失ったりしないのっ。そんなの考えただけでも胸が張り裂けそうじゃん! 本当、レイさん、本当さあ!! なんでそんなことするの、ばかっ!!」
「だ、だってえ……っ」
「だって、何よ!?」
旧『魔の極致』第七席『らしさ』なんてどこにもなく、レッドスプラッシュ公爵家が長女『らしさ』なんて微塵もなく、ただのレイ『らしく』……かどうかもわからなくなるくらい泣き出しそうな少女が言う。
「またピーチファルナちゃんが死んじゃうかと思ったのでごぜーますもの!!」
「死なないよ!!」
「死ぬじゃん、ばかあ!!」
決壊する。
美女と呼ぶにふさわしい女性がピーチファルナへと抱きつく。ボロボロと涙を流して。それこそ見た目相当の──いいや、見た目よりも遥かに幼い女の子のように。
「あ、あれっ。わたしそんなにキツく言っちゃったかな!? でもほら今回のは一人で無茶したレイさんが悪くて、ええとっ、オリミアーっ!! 助けてお説教のスペシャリストーっ!!」
「なんでこっちに振るのさ!? 大体レッドスプラッシュ公爵家の関係者というだけでも厄介なのに、他にもなんかありそうなゲテモノの対応なんてピーチファルナ以外の誰にできるってのさ!?」
「お説教のスペシャリスト? いやいやピーチファルナ、オリミアは単に拳で済ませればいいと考える脳筋ですよ。まったく、すぐ手が出るんですから」
「のっ脳筋って言ったのさ!? よりにもよってケファミアが!? ケファミアが自分の身を鑑みるようになれば全部済む話だってのにさあ!!」
「ん???」
「この脳筋、なんで何もわからないって風に首を傾げやがるのさあ!!」
「あ、あう……うえええーっん!! よかったよおピーチファルナちゃあんっ!!」
「待って待って待ってっ。なんでそんなに泣いてるの? 良かったってそんなにわたし死にそうだって思われていたわけ!?」
混沌が極まっていた。
そんな光景を一歩離れた位置でゼリシア=キラーゾーンとシンシヴィニア=セレリーンが眺めていた。
「レイ=レッドスプラッシュは六百年前大勢を殺した旧『魔の極致』第七席よ。それ分かっているわけ?」
「ある程度は、ですわね。まあ詳しいことはともかく、ピーチファルナならば懐柔できることさえわかっていれば、今すぐ何かやらかすとも思えないですわよ」
「能天気な……。まあその辺はさっきまで色々やってたあたしが言えたもんでもないかもだけど」
バツが悪そうに視線を逸らしながらも、ゼリシア=キラーゾーンは言う。
「ねえシンシヴィニアちゃん。あの女は肉体を捨てていて、魂だけで肉の器を渡り歩いているのよ。正直、あの女を、レッドスプラッシュ公爵令嬢を旧『魔の極致』第七席と同一であると世間に認めさせて公的な罰を与えることは不可能よね。技術的にはともかく、権力図を考えればレッドスプラッシュ公爵家を陥れる策略『ということにされて』、最悪戦争になりかねないしね」
「心配せずとも『罰』はピーチファルナが与えることになるですわよ」
「……、なんだって?」
「辛く過酷で償った気になるだけの刑罰なんかよりも、よっぽど効果的に働くはずですわよ」
何せ、と。
シンシヴィニア=セレリーンはこう続けた。
「レイ=レッドスプラッシュはピーチファルナのことが好きみたいですわよ。あんなにも真っ直ぐなピーチファルナを好きになって、隣に並ぼうとすれば、自ずと『罰』として機能するはずですわよ」




