第十章 歪みを拒絶するか、利用するか
シンシヴィニア=セレリーンが心を許している人間は少ない。実の両親との距離感さえも分からないほどなのだから、血が繋がってすらいない他人との距離を縮められるわけがなかった。
それでもピーチファルナはお構いなしだった。シンシヴィニアの戸惑いなど気づいているのかいないのか、ほとんど体当たり同然で距離を詰めるものだから、気がつけば友達と呼べるくらいには近づいていた。
だからこそ。
ピーチファルナという輝きを知ったからこそ。
シンシヴィニア=セレリーンは世間一般に広がる『貴族らしさ』というものに拒否感を示していた。あるいは『貴族らしさ』とは相性が悪いからこそ、ピーチファルナと仲良くなることができたのか。
『くだらないですわね』
過去の一幕。
ピーチファルナと仲良くなったとしてもシンシヴィニア=セレリーンを取り囲む環境が劇的に変わるわけもない。『貴族らしく』無駄にお金を費やした夜会に参加して、作り笑顔で貴族共と接して、派閥だなんだ下心しかない集まりに固執する……そんなものに何の価値があるのか。
ノブリスオブリージュ。
貴族としての『義務』は果たしてこんなことをやるために掲げるものなのか。夜会一つに費やしているお金を別のことに使えば──『持っていない』場所に割り振れば──もっと有意義な未来が作れるはずなのに。
『本当、くだらないですわね』
夜会の会場の近く。
中庭にあるベンチに腰掛けて、今回の夜会の主催者であるキラーゾーン公爵家の権威を示すがごとく立派な花壇を眺めるシンシヴィニア=セレリーン。
両親は今頃『貴族らしく』夜会を奔走しているのだろう。作り笑顔で固めて、権謀術数を張り巡らせて、面倒な腹の探り合いに精を出しているはずだ。
みんながみんな当たり前を貫けばいいのに。
ノブリスオブリージュ、余分に『持っている』ものを出し合って、不足しているところに分配するだけでいいのに。
『貴族らしく』他人からどう見られているかを気にして、そのために不要なお金や労力を使って、無意味に『持っている』ものを浪費して……手に入るのは権力などという目に見えないもののみ。国家という枠組みがあるからこそ機能するそれにどれほどの価値があるというのか。貴族としての地位なんて、ほんの一歩国外に出てしまえばロクに機能しないハリボテに過ぎないではないか。
くだらない。
くだらない。
くだらない。
シンシヴィニア=セレリーンが目指している『貴族』と現実に存在する『貴族』との乖離が激しい。受け入れられない。貴族制度などというルールも、そんなルールがあるお陰で様々なものを『持つ』ことができているシンシヴィニア=セレリーン自身も、何か間違っている気がする。
『どいつもこいつも、なんでこんなくだらないことに熱中できるんですわよ……』
『なになにちゃん、うちの庭ちゃんで随分としょーもない悩みちゃん吐露してるねー☆』
声が、響いた。
すとん、といつの間に近づいていたのか、一人の少女がシンシヴィニアの隣に腰掛ける。
銀の三つ編みを八本ほど後ろに流し、紫を基調としたドレスや装飾品を纏う同年代の彼女こそ今回の夜会を主催しているキラーゾーン公爵家当主が娘、つまりはゼリシア=キラーゾーンであった。
紫を基調とした格好だからか、口元が軽薄に歪んでいるからか、どこか毒々しい印象を受ける令嬢であった。セレリーン伯爵家が所属する派閥とは別の派閥の長であるキラーゾーン公爵家の一員。今回の夜会の目的は完全に敵対関係にあるレッドスプラッシュ公爵家との関係性を緩和することにあるはずだが──
『悩み相談ちゃんなら付き合うちゃんよ。せっかくうちの無知な家族ちゃんから歩み寄りちゃんしてるってのに、突っ走るしか能ちゃんなしなレッドスプラッシュ公爵家ってばガン無視ちゃんだし。いやまあ知っていたちゃんけど。少なくとも貴女の悩みちゃんを聞くほうが少しは有意義ちゃんよね』
『くだらない根回しですわね。確かにわらわたちはレッドスプラッシュ公爵家が長たる派閥に所属してはいるけど、絶対王政も真っ青な独裁者であるレッドスプラッシュ公爵家にとやかく言える立場じゃないですわよ。はっきり言って、わらわたちがどう動こうともレッドスプラッシュ公爵家の態度は変わらないですわよ』
『ああ、これは別に「貴族らしく」云々は抜きちゃんでの声かけちゃん。単純ちゃんに目についたから、ちょっと声ちゃんかけただけだし。あれよ、暇潰しちゃんってこと』
軽薄に、適当に、ゼリシアはそう言ってぷにっとシンシヴィニアの頬を人差し指でつつく。
『だから、ほら、そんな暗い顔ちゃんするくらいの悩みちゃん話してよ。あたしの暇ちゃんを潰すために』
『……、「貴族らしく」生きている奴には分からないものですわよ』
どうしてだか、口が動いていた。
暇潰しだと軽く言うような奴に話したって意味はないはずなのに、いいやそもそも相手は派閥単位で敵対している公爵家の人間だと言うのに、それでも気がつけば胸の中に蠢く悩みを吐き出していたのだ。
『貴族らしく』生きたって無駄ではないのか。
『持っている』ならもっと有意義な使い道があるのではないか、と。
聞き終わり、そして──ゼリシア=キラーゾーンは失笑をこぼした。
『くだらないちゃん』
『なん……っ!?』
『かつて国ちゃんなんてものが存在しなかった時代ちゃんのことよ。人は家族単位ちゃんで生活ちゃんしていた。その頃は権力だなんだなんてものはなかったちゃん。だからそれ以外の力が上下関係ちゃんを決めていたはずよ。狩り能力ちゃんとかその辺かね? 時代ちゃんは進んで、効率だなんだを優先ちゃんするようになって、村単位ちゃんで人が集まって生活ちゃんするようになって、村長ちゃんだなんだ責任者ちゃんが生まれたちゃん。群れを効率よく動かすための仕組みちゃんだし、群れの大勢が認めた奴ちゃんが村長ちゃんになっただろうね。必要条件ちゃんはカリスマ性ちゃんとか? だから、まあ、そういうことちゃん』
くすくす、くつくつ、と。
それはもう軽薄に、嘲るように、紫の少女は言う。
『腕っぷしなり、カリスマ性なり、時代ちゃんが進めば血筋ちゃんやらも出てくるちゃん。群れる以上、何かしらの基準ちゃんが出てくるものよ。「上に立つ者を決める基準」ちゃん、それが今は貴族という枠組みちゃんってだけ』
『だから、そんなものに意味は──』
『ないかもね、だから? こんな制度は無駄ちゃんと思うのはいい、ぶっ壊すために「持っている」ものを浪費したって構わないちゃん。で、その後何かしらの変革ちゃんでもって世界を変えて……待っているのはまた違った「上に立つ者を決める基準」ちゃんよ。そこに平等性ちゃんなんて絶対に生まれないちゃん。どこかに歪みちゃんができて、それを最も利用ちゃんできた奴が上に立つだけちゃん。その歪みちゃんは今の貴族制度ちゃんとは違ったものになるんだろうけど、歪みちゃんの規模がそう変わるとは思えないちゃん』
『だから、見逃せと? 無意味な浪費に目を瞑り、仕方がないで済ませよとでも!? そんなの怠惰ですわよ! わらわたち貴族は様々なものを「持っている」のに!! 余分に「持っている」ものを不足している場所に割り振れば、変えるために浪費すれば! 世界を笑顔で満たすことができるんですわよ!! なのに!!』
『世界を「完全に」満たすことは不可能ちゃんだと思うけど……まあいいちゃん。結局は二択ちゃんだし』
毒々しく。
見下し、踏みにじるように。
あくまで悪の側に立っているのだと喧伝するように、ゼリシア=キラーゾーンは世界に示す。
『そうやって歪みちゃんに気づき、憤ることができる精神ちゃんに従って「持っている」ものを「持っていない」人々ちゃんのために使うか、それともあくまで歪みちゃんは許せないとして、歪みちゃんを正すために「持っている」ものを浪費して貴族制度ちゃんをぶっ壊すために行動ちゃんするか』
おそらくここが分岐点だったのだろう。
余分を不足へと割り振る。ノブリスオブリージュを『完全に』果たして、世界をより良くする。なるほど言葉にすれば綺麗ではあるが、現実に綺麗なまま反映できるか。
シンシヴィニア=セレリーンは理想を現実と変えるだけの力を『持っている』のか。
考えて、考えて、考えて……いいや、あるいはとっくに気づいていたのかもしれない。
だからこそ、シンシヴィニアはくだらないと吐き捨てる『だけ』で終わっていたのだろう。
『今の貴族制度を壊すとして、わらわには「その先」が見えないですわよ。能力や多数決のように「上に立つ基準」が思いつきはするけど、わらわの思いつく程度のルールで歪みをなくせるとは思えないですわよ』
『なら答えちゃんはもう片方にあるちゃん』
あくまで毒々しく。
それでいてどこか優しく目を細めて、ゼリシア=キラーゾーンはぽんぽんとシンシヴィニア=セレリーンの頭を撫でる。
『歪みちゃんを許せないというその心意気ちゃんは眩しいものよ。絶対になくしてはいけないものちゃん。そう思えるちゃんなら、その心のままに行動ちゃんすればいい。貴女ができる範囲ちゃんで、歪みちゃんに翻弄され何かが不足ちゃんしている誰かに「持っている」ものを分け与えればいい。その先にこそ、誰かが救われる未来ちゃんが待っているわよ』
『だと、いいですわね』
その言葉と共にほのかに浮かんだ笑みを見て、ゼリシア=キラーゾーンは軽やかに立ち上がる。あくまで嘲笑と共に。
『それじゃあね。あたしと同じでクソッタレな歪みちゃんに憤ることができる女の子ちゃんに出会えて良かったちゃんよ』
『……、うん。わらわも貴女に出会えて良かったですわよ』
ーーー☆ーーー
夜空の下をシンシヴィニア=セレリーンは歩いていた。短パンにシャツ一枚、ラフな格好なのはピーチファルナで癒された帰り道だからだ。
「ゼリシア……」
ノブリスオブリージュ。
ゼリシアと出会えたお陰でその真意を見つけることができた。だからこそ、シンシヴィニアはあくまでゼリシアとは『貴族らしく』接している。
『持っている』もので誰かを救うためには、今の貴族制度を有効活用して力を蓄える必要があるからだ。変革によって世界をより良くできないのならば、せめて今ある制度を有効活用することで力を蓄えて、不足している場所に割り振るべきだろう。
そのための貴族制度。
であれば、あくまで派閥単位で敵対しているキラーゾーン公爵家と仲良くしているという情報が流れて、レッドスプラッシュ公爵家の不評を買うような真似ができるわけがない。
……ゼリシア=キラーゾーンに気に入られたのか頻繁に声をかけられるので、その度に冷たく接するのが苦痛でもあるのだが。
「いい加減派閥同士のいがみ合い、なくなってほしいものですわよ。いがみ合いさえなければゼリシアと仲良く……っと、違うですわよ! 今のは違うんですわよ!?」
思わず漏れた本音を誤魔化すように首をブンブン横に振るシンシヴィニアだが、周囲には誰もいないのだから意味のない行動であった。あるいはそうやって言い聞かせないと我慢できなくなるという予感があったからか。
(あの日決めたんですわよ。歪みを正せないなら、せめて利用してやると。だから、まだですわよ。ノブリスオブリージュ、きちんと『義務』を果たして、その上でゼリシアと仲良くできるようになるまで待っていてほしいですわよ)




