真なる敵の名は
鮮血と死が広がっていた。
過去の一幕、六百年前の『戦争』時。
敵は数百人程度の魔族以外の全部、という無茶な状況であったが、それでも互角以上にやり合えるほどには突き抜けた怪物が揃っていた。
『魔の極致』。
その中でも第一席の力は異常であり、いつしか『魔王』と呼ばれているほどだった。
だから。
一国の軍勢をたった一人で殲滅するのも容易いものだった。
『きひひ☆ 世界は広いわねえ』
見渡す限りの草原を塗り潰す血と肉と臓物の海を眺めて、『魔の極致』第二席キアラは期待を滲ませてそんなことを言っていた。
軍勢の亡骸。
彼女『たち』が一割ほど殺したくらいにふらりとやってきた『魔王』が腕を軽く振っただけで、ここまで圧倒的な結果に終わったのだ。
『ここまで暴力を極めたら、見える景色も違うんだろうねえ。きひひ☆ 目標があるのはいいものね、現状に絶望せず希望を持てるんだから』
『……、そうでごぜーますかね。暴力を極めたとして、この退屈が消えてなくなるとは思えないでごぜーますが』
そう返したのはベルゼだった。
『魔の極致』第七席にして、今はレイ=レッドスプラッシュとして活動している女である。
『退屈退屈、退屈しかないでごぜーます。いくら奪っても、いくら潰しても、いくら殺しても、この退屈は微塵もなくならないでごぜーますよ。だったら、違うはずでごぜーます。暴力以外が、干からびそうなほどに空虚な退屈を潤してくれるはずでごぜーます』
『で、それは?』
『それは……わからないでごぜーますが』
『なら「とりあえず」暴力極めるべきよね。それ以外の道なんて、あるわけないんだし』
どこか投げやりな声音だったことに、果たしてキアラは気づいていたか。
結局、『魔の極致』含む魔族どもはこんな奴ばっかりだった。金に女に権力、そんなものを奪いたいがために『戦争』を仕掛けたのではない。
退屈だったから。
干からびそうなほどの渇きを潤して欲しかったから。
それこそ内側から迸る殺しの『衝動』以上に、何かするとなれば殺ししか思い浮かばないくらい空虚な現状を覆したいというのが本音だったのだ。
……大抵の魔族は己の真なる欲望に気づくことなく、殺しがしたい『衝動』のままに、殺ししかできることがないから、殺しこそが魔族らしさだと錯覚して──その結果として、大陸を鮮血と死で埋め尽くしたのだ。
迷惑極まりない種族だろう。
そんな理由で殺された人たちは報われないだろう。
魔族は悪である。その事実は変わらない。六百年前がそうだったように、今だって一人の少女を守るために様々な人間を殺し奪うなんて方法しか選べなかったくらいだ。
根っこが腐っているのだ。
いくら好きから始まろうが、最終的には殺しに行き着いてしまうバケモノでしかないのだ。
だからこそ、奪えばいいはずだ。
ピーチファルナからレイ=レッドスプラッシュという悪を取り除けば、今度こそ運命のいたずらとしか思えない殺しの魔の手がピーチファルナを死の底に呑み込むことはない。
だから。
だけど。
一人で抱え込むなと言われた。
色んな人を頼れと、そうすれば何とかなると……そして、幸せになれと言われたのだ。
いいのだろうか?
六百年前、ベルゼは『戦争』で多くの命を奪った。その後は気まぐれに人間の国の女王となり、力を捨てるために己が力を肉体に封入して、魂魄だけを切り離した。その肉体は『蠅の女王』という完全管理社会を形作る一助となった。そして、今だって、レイ=レッドスプラッシュという人間の肉の器がやっていることは殺しだ。紛うことなき悪だ。
それでも、そんな怪物でも、幸せになるために行動していいのだろうか?
──おそらく否、なのだろう。世界は拒絶する。悪は裁かれるべきで、レイ=レッドスプラッシュは救われないほうがいいと思われるくらいの大罪人で、ここで消えてなくなったほうが『大多数の正義』はハッピーエンドだと笑って済ませてしまうのだろう。
だけど、だけど、だ。
それはピーチファルナの幸せではない。
レイ=レッドスプラッシュを裁いたとして、それでピーチファルナが救われる可能性が百パーセントではないのならば──せめて最後まで力を尽くせ。
百パーセント、誰が見たって最高だと思えるくらい完全無欠のハッピーエンドを紡いでやれ。その後だ、クソみたいな罪悪感に従ってくだらない行動に出るのはその後でいい。
「ネェ、レイ。そろそろいいかネェ?」
今、現在の時間軸。
奪うことでピーチファルナを救おうとして、見事に失敗したクソ野郎へと声をかけるは『魔の極致』第三席ネフィレンス。額からねじくれたツノを生やし、白と黒のマーブル模様の瞳でこちらを見やる女の言葉に対する返事は一つしかない。
「くふふ☆ もちろんでごぜーます」
視線の先には胴体を失い、床に倒れているピーチファルナがいた。その目はすでに閉じられている。命は、消えていた。
この場には治癒能力を持つネフィレンスがいたが、別に彼女は万能というわけでもない。できることといったら痛覚を封じ、死ぬまでの時間を引き延ばすくらいだった。それがあったからピーチファルナはあそこまで長々と話すことができたのだ。
ギヂリ、と。
拳を握りしめたレイ=レッドスプラッシュの口から、正真正銘真なる願望が溢れ出る。
「このクソッタレなバッドエンドを覆すために、意味深に口走っていたもん全部全部全部! 吐き出すでごぜーます!! そう、そうでごぜーます、私はこんなふざけた結末をぶっ壊すために何度も何度も挑戦してきたのでごぜーます!! だから言って、言えよ、何をするべきかさっさと示すでごぜーます!!!!」
と。
その時だった。
ゴッバァン!! と轟音と共に壁をぶち抜き、飛び込んでくる影が一つ。騎士の剣持つケファミア……ではない。縦ロールを豪快に揺らす女の名はシンシヴィニア=セレリーンである。
「本当にいたですわよ! ゼリシア=キラーゾーンの言った通りで──」
「空気読んでよネェ、小娘」
「んぇ? ふひゃあ!?」
再度の轟音。
ネフィレンスの腕の一振りでシンシヴィニア=セレリーンが木っ端のように薙ぎ払われたのだ。
「ああデモ、さっきのもまた真相に繋がる一端だったのかもネェ」
「なに、を?」
「ネェ、レイ。シンシヴィニア=セレリーンだっケ? あの女が口走っていた台詞は聞いていたかネェ?」
「本当にいただの、ゼリシア=キラーゾーンの言った通りだのだったでごぜーますか」
「結論から言えバ、そういうことよネ。ゼリシア=キラーゾーン、それが黒幕ヨ」
「黒、幕? だって、それはおかしいでごぜーます! これまでの失敗に共通した原因はなかったでごぜーます!! 最初はシンシヴィニア=セレリーンを守るために、次はピーチファルナちゃんの父親を逆恨みした奴に、三回目も四回目もずっとずっと違う理由が顔を出してきたでごぜーます!! だから、そんなんだから、しらみつぶしに挑戦するしかなくて、でも駄目で、だから奪うしかなくて……」
「あるいはそうやってある可能性を無視する思考回路もまタ、ゼリシア=キラーゾーンの暗躍の一つかもネェ」
「無視、でごぜーますか?」
「単純な話ヨ」
ビシッとレイ=レッドスプラッシュを指差したネフィレンスは簡単な調子でこう続けた。
「レイは無自覚、無意識、とにかくその辺のアレソレを利用して好き勝手してきたよネェ? 確か『ハニートラップ』とかいう魔法道具だったっケ? 同じようにゼリシア=キラーゾーンも無意識下に介入していたとすれバ? 様々な因果を繋げテ、最終的にはピーチファルナ殺害という形に収束するようどいつもこいつも無意識的に誘導されていたとすれバ? ホラ、こんなにも単純ヨ。自分にできることは誰かでもできるってだけなんだカラ」




