お兄ちゃんという救世主
想定外ではない。
いて当然。それは分かっている。
ただタイミングが最悪だった。
地下に響く老人の声に誰もが動きを止めた。
今まで声を出さなかった子供達ですら小さな悲鳴を上げたくらいだ。その存在がどれほど最悪なものかが分かる。
竜滅会幹部Dr.シノル。
この地獄を作り上げた張本人がついに地下へ降りてきてしまった。
「兄ちゃん!」
カブトの焦る表情に痛みすら感じた。
震える子供達を安心させる言葉も思い浮かばない。
だがエースケは冷静だった。
焦りはある。しかしパニックにはなっていない。
後方は増え続ける水。前方にはシノル。子供達にとっては最悪の状況だが、エースケは違った。
シノルへの燃え盛るような怒りと状況に対する焦り。これは本来なら思考や行動を乱す厄介な感情だ。
それでもエースケが冷静だったのは"なんとしても助ける"、その強い覚悟があったから。ただそれに尽きる。
「そんな顔するな。言ったろ?絶対に全員助けるって」
今ここで恐怖や焦燥感に押し潰されている暇なんてない。
弱音を吐くつもりもない。
このまま階段付近にいれば水位上昇とともに地下一階へ上がれるだろうが、待っていようとも思わない。
「スズちゃんが聞いてるぜ。男ならこんな時こそ強気でどしっと構えてろ」
エウストレプトスポンディルスの発現。
恐竜化したエースケはかつてない強い眼差しでカブトを見た。
「みんな、怖いよな。でもみんな偉いぞ。ちゃんと手繋いで、力合わせてここまで来たんだ。お兄さん感心しちゃうなぁ!」
目の見えない子供達には声音を明るく、軽やかな口調で声をかけた。
「あ、そうだ。お兄さんまだみんなの名前知らないんだよなぁ。ちなみにお兄さんの名前はエースケです!」
満面の笑みで自己紹介するエースケにカブトは驚いていた。
この状況で、子供達も困惑していたが、一人の男の子が。
「…ぼ、ぼくは、エウディ」
震えながら小さく呟いた。
「エウディか!いい名前だな!こんな空気読まない自己紹介でトップバッターになるのは偉いぞ!いい根性してるな!」
雨水に浸かりながらの自己紹介。我ながらカオスな状況を作り上げたが、エースケはエウディの頭を撫でながら「じゃあ次!」と元気よく促した。
「…ア、アンニ」
「アンニ!なんか甘そうな名前で可愛いな!よろしくアンニ!」
熱血教師のような、どこかわざとらしく明るく振る舞うエースケだが、頭を撫でられたアンニは少しだけ微笑んだ。
「お二人さんは?」
「ヤノルニス」
「フォグナトゥス」
「な!?ヤノルニスちゃんとフォグナトゥスちゃん!?すんげーかっこいい名前だな!」
これには素で驚くエースケ。
エウディ、アンニ、ヤノルニス、フォグナトゥス。四人は髪色が青黒色で、地下一階の女性二人もそうだったが、この島の住人の共通点と言える。
しかしカブトとスズにその共通点は見られない。
カブトは銀髪に紫髪が混じっていて、スズの髪は純白だ。違いはその程度なのだが、島の住人でないなら何故ここにいるのか。
「兄ちゃん!Dr.が来ちゃうよ!」
明るく自己紹介するエースケだが、カブトは内心穏やかではない。
事実、Dr.は地下一階にいる。
「あー、ちょっと喋りすぎちまったか。んじゃこれで最後。…みんなには一つお願いしたいことがあるんだ」
行動を急がなくてはいけない状況で悠長にしているエースケに子供達は理解できない表情でいる。
何事かと、返事もせずにエースケの言葉を待つが、
「みんなの力を俺に分けてくれないか?」
突拍子もないお願いに、結局全員が理解できない表情のままでいた。
は?の一言に尽きる。
「た、戦えってこと…?」
意味不明なエースケの発言にアンニが怯えながら質問する。
まさかこいつ子供を盾に…。
「いやいやいや!そんな危ないことさせるわけないでしょうが! 気持ち的な話よ、気持ち的なね」
そんなことを言っても意味不明なことに変わりない。この不安な状況でエースケは能天気に笑顔を振りまいている。
「手出してみて」
目の見えない子供達は恐る恐る手を伸ばした。
エウディ、アンニ、ヤノルニス、フォグナトゥスの手が重なり、エースケがそれを上下から包み込む。
その光景をカブトは懐疑的な目で見ている。
「きてますきてます!みんなのパワーが俺の中にきてますぞ!」
突如として謎パワーを吸収し始めるエースケ。
ふぉぉぉ!!とか奇声をあげて、全身で謎パワーを感じ取っている。
「よし!エネルギー満タン!」
パワーなのかエネルギーなのかよく分からない何かがエースケに溜まったらしく、手を離すと力強く鼻息を吹いた。
「…お兄ちゃん?」
アンニが心細そうにエースケに問いかける。
「よし!Dr.やっつけるパワー全開になったぞ!」
エースケの言葉に一同が驚いた。
「ほんとに!?」
すぐ信じたのはエウディで、「おうよ!」とエースケもまんざらではない。
「みんなのDr.が怖いって思いとか、ここを出たい!って思いが俺にビビビっと流れてきて、ぐぉぉ!ってチャージされたわけよ!」
あまりに感覚的な話にカブトは全く理解が追いついていない。
ただ、エースケだけがこの恐怖と不安が溢れかえる状況に屈していないことは分かる。
子供たちを支える方法。エースケは常にそれを考えていた。目が見えず、恐怖に囚われた子供達をどうやって救うのか。
アルーゼのような力強く惹きつける頼りがいも、ロキのような困難を斬り開く強さもないことはつくづく理解している。しかし今は誰かとの差に苦しんでいる暇はない。だからただ考え続ける。不安や恐怖、迷いを悟られないように笑顔の裏でただ必死に考えた。
その答えがこれだ。
頼りがいがなくても、力がなくても、誰かにとって僅かでもいいから希望の光になる。
説得力なんて笑っちまうくらいに無い。島に転移してからずっと負けっぱなしで、崖から落ちた瞬間のアルーゼの表情が頭に焼き付いている。
あの表情が子供達に重なっていた。もう負けられない。もう足を引っ張るわけにはいかない。
「俺が絶対にDr.をぶっ倒すから、だから、みんなは怖いのをぐっと堪えて前に進んでほしい」
前に進む。これが、こんなことが子供たちにとってどれだけ恐ろしいことか。
エースケは地下空間の状態を見て感じただけで、そこで行われてきた凄惨な実験は目の当たりにしていない。
トラウマは子供たちの記憶に深く刻まれた傷であって、彼らだけが苦しむ猛毒である。
子供たちは既に胸まで水に浸かっている。時間はない。子供達もそれを理解している。だが進めない。
「(ゲホゲホッ)なんでこんな時に誰もいないんじゃぁ!(エェッホ!)」
Dr.の不愉快な叫び声が響き、子供たちの震えは止まらない。
声は先ほどよりも近くなっている。間違いなく地下二階へ直行している。
たとえ地下一階へ行っても子供たちが立ちすくんでしまえばそこから最悪の事態に発展する可能性もある。
もう、説得できる時間は、尽きた。
「……やれる」
カブト、そしてエースケも焦りの限界に達したその瞬間にフォグナトゥスが口を開いた。
「わたしは、やれる」
恐怖に打ち勝つ覚悟の熱がエースケへと伝わる。追い詰められたこの状況で、進むという選択すら難しい窮地の中、一人の少女が遂に腹を括った。
「フォーちゃん…」
しかしフォグナトゥスの手を握っているヤノルニスはまだ不安を露わにしている。
「生きるよ、ヤノルニス」
手を握って思いを伝える。今はそれしかできない。しかし、それは無力とは言わない。
覚悟は伝播し呼応する。
恐怖が綻ぶこの瞬間をカブトは決して見逃さなかった。
「行くぞみんな!チャンスは今しかない!」
階段手前、水位が上がったことで流れてくる水流に逆らう距離は短くなっている。
「お兄ちゃん!押して!」
「任せろぉぉぉ!!!」
フォグナトゥスの一声にエースケは全身を恐竜化させ、血管が浮き出るほどの力で六人まとめて一気に地下一階へと押し上げた。
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時は少し前。
豪雨が始まった頃。
「いかん!いかんぞ!早く資料を回収しなければ!(ゲェェッホ!)ベルーサ君!今すぐ戦士たちを(ゲホッ!)集めてくれ!」
汚く咳き込みながらDr.シノルはベルーサに唾を飛ばしている。
しかしDr.を無視して、ベルーサはカルデラに点在する森を眺めていた。
「…おかしいですね。…戦士の気配が全く感じられない」
二十人以上いる戦士が一人も視界に映らない、どころか気配すら感じない。
「そして、かつてない豪雨。…凶兆でないといいですが」
「おいベルーサ!てめぇ何黄昏てんだよ!ダッセーな!」
「戦士が消えました。それもほぼ全員が」
「…あ?何言ってんだてめぇ」
「…方法は分かりませんが、彼らがカルデラに踏み入れたということでしょう」
「は? どうせあんなクソ男どもはどっかでサボってんだろ? 雷刃のクソ野郎共は今頃崖の上で泣いてるだろうよ」
カルデラへ降りてくる。そんな可能性が考えられないほど、カルデラを囲む崖はとんでもなく高い。
モナは楽観的だがベルーサに油断はない。ましてアルーゼとロキなら、絶対にエースケを助けに来ると確信している。
楽観的で口が悪くて思考も幼いモナでも、竜滅会幹部の座につける実力は持っている。誰も制御できない彼女だが、ベルーサの言うことはたまに聞く。この理由はベルーサも分かっていなが、つまり楽観的な彼女でもベルーサの説得次第では今すぐアルーゼたちへ攻撃を仕掛けることができる。
しかし
「ベルーサ君!なにしとる!早く!早く資料を回収するぞ!」
それをDr.シノルが止めた。
Dr.の研究所は元々この島の住人にとっての祈祷場の役割を持っていた。カルデラの中央に位置し、それを囲むように人々は暮らしていた。
カルデラに恐竜が侵入することはなく、しかし竜滅会は無慈悲に侵入し全てを蹂躙した。
戦士と島民の男たちによって祈祷場は研究所に改築され、島民たちはDr.の実験台となった。毒医者と呼ばれるだけあって、その実験はあらゆる毒の効果を検証するものだった。
自然毒、人工毒。致死性、破壊性。治すではなく壊すために繰り返された非人道的な実験は膨大なデータを生み出した。
それが今、水没の危機に瀕している。
「ワシの(ゲッホ!)研究資料の価値は(ェエッホ!)世界を進歩させるんじゃ!(ゲッホゲホ!)」
事実、皮肉なことにDr.の研究は非人道的とはいえデータは正確で、転用すれば医療を格段に飛躍させるものだった。
パニックなるDr.のせいでモナの気はそれ、超不機嫌モードに突入した。
「ベル、行くなよ」
「なぜじゃモナたん!」
「ふざけんなよ老害。ベルーサはモナのもんだ。それを勝手にパシってんじゃねぇぞ。てめぇでどうにかしてこい」
「酷い!」
研究所は通気性を確保するために窓や扉はなく、その構造上、雨水が外に排出されることなく内部へ絶えず流入していた。
「モナたん見たまえ!地下への入り口は(ゲホッ)一つだけなんじゃぞ!(エッホ!)水がじゃんじゃん流れてるではないか!(ゲッホォ!)」
「だからなんだよ!」
「なっ! ベルーサ君はワシの研究の価値が分かるじゃろ!?」
「モナ様の命令が優先されますから、価値の理解は行動理由になりません」
「転移者だっておるんじゃぞ!」
「彼は自力で脱出してくるでしょう。まぁ、色々と奔走してからになるでしょうが、最後はわたしが助けますよ」
助力要員はまさかのゼロ。
モナは「ぎゃははは!」と下品に嘲笑い、Dr.は「ワシの可愛い子供たちぃ!」と一人で地下へ飛び込んでいった。
地下一階への階段は一つ。降りると廊下が左右に分かれ、右に行けばエースケとロンがいた牢屋へ、左に行けば三つの大きな牢屋へ行ける。
Dr.は左へ曲がり、自身の研究部屋へ直行した。
全ての部屋が繋がった奇妙な空間、そこには研究資料のほぼ全てが揃っている。Dr.は持てる限界まで資料を腕に抱え、大急ぎで地上へと走った。
エースケとは幸か不幸かタイミングがずれ、鉢合わせすることはなかったがもう限界である。
「ひぃぃぃ!ワシの可愛い研究成果がぁ!!」
数回往復しても運び出せた資料は半分程度で、容赦なく雨水は資料を飲み込んでいく。
モナとベルーサに手伝おうという意識は全くなく、基本何でも言うことの聞く戦士たちも原因不明の行方不明。
「下が騒がしいがかまってられんわ!」
Dr.はエースケたちに気づいていた。
それでも研究資料を優先したのは価値もそうだが、Dr.にはこの状況でもエースケを攻撃できる手段を持っているからで、エースケはDr.の射程圏内にいることを気づいていない。
「(ェッホ!ゲホッゲッホ!)ひぃ!肺が!肺が破けるぅ!」
子供ほどの身長で、かつ老体。
Dr.にとって水に阻まれる感覚は凄まじい負担になっていた。
「任せろぉぉぉ!!!」
そして遂にエースケたちが地下一階へ上がってきた。
「子供たちを、連れてきたかのぉ?」
息を切らしながらDr.は地下二階への階段方向を見た。
しかしDr.がいる部屋から階段まではいくつか部屋を経由しなければならない。
Dr.に焦りはなかった。
射程圏内。 Dr.は紫色の唾液が糸を引いた不的な笑みを浮かべ、
「ちと痺れるぞ。ワシの宝物たち」
この後に聞こえてくるであろう苦痛の悲鳴を心待ちにする。
だが、それは、突然現れた。
速攻。 強力な脚力を持つ獣脚類だからこそ可能な水の抵抗を破る跳躍によってエースケはDr.を視界にとらえた。
「兄ちゃん!毒がくる!」
押し上げた直後にカブトが叫んだ"毒"という単語は、最悪の事態しか想像できないDr.シノルに相応しい攻撃だった。
部屋から部屋へ嗅覚を頼りに高速でDr.の元へ移動。人の嗅覚ですら息の詰まる血の臭いは、恐竜化した瞬間により鮮明かつ衝撃的な情報となり、エースケの怒りに直結した。
許さない。
目の当たりにしたことで溜まっていったあらゆる感情を乗せて、エースケはDr.のいる部屋へ飛び込む。
強靭な跳躍力によって足は水ではなく壁に"着地"した。そして即座に壁を踏み込み、体勢を変えつつ、正確に撃ち込むため狙いを定める。
「子供たちはッ!!」
脚に万力を込め、壁から超高速の跳躍。
踏み込む力は撃ち込む力へ。
体を捻る遠心力を加えて、エースケの右足が完璧にDr.シノルの左こめかみをとらえる。
「てめぇの物なんかじゃねぇよッ!!」
全身全霊。全力の空中回し蹴りがDr.の頭蓋を真横から撃ち抜いた。
木棚を木っ端微塵にしてさらに石壁をぶち抜いたDr.は隣の部屋の石壁に叩きつけられ、薄汚れた研究資料が木の葉のように舞い落ちる。
「カブト!来い!」
Dr.シノルをここで倒しても、水位上昇は止まらない。
地下一階ですら腰の高さまで浸水していた。
そしてここでエースケに選択が迫る。
子供たちの脱出と牢屋に残った人々の救出。
引き連れたまま牢屋に向かい、全員を回収して地上へ出るとなると子供は体力も水深ももたない。かと言って子供たちだけで地上へ向かわせるのもリスクが高い。
「兄ちゃん!」
「ここも浸水が酷い!急いで出るぞ!」
「Dr.は!」
「安心しな。死なない程度にぶちのめしたからよ!」
砕けた石壁の向こう側に背中を丸めて浮かぶDr.の姿に、カブトは驚愕した。
「まじかよ!」
カブトの反応が現実味を帯びたのかアンニたちも
「…Dr.をやっつけたの」
「すごい!」
と歓喜の声を上げた。
「大まじだぜこんにゃろう!やっと白星だぜ!」
しかし喜んでいる暇もない。まだ地下二階が完全に水没していないからいいものの、雨水の行き場は確実に無くなってきている。
「つーか急がねぇと。 カブト、地上へ出る方法知ってるか? 俺知らないんだよ」
「廊下に出て左に行けば階段がある。廊下は四面の一本道だから右に行っても絶対に辿り着けるよ」
「一本道!?…じゃあ俺がいた牢屋が一番出口に近かったってことか!ならやれる!」
「何する気?」
「助けたい人たちがいるんだ。俺はその人たちを回収するからカブトは先に階段まで行っててくれ。マッハで助けてくるから、なんなら先に階段で待ってる勢いで」
グッと親指を立てるエースケにカブトは即座に頷く。
行かないで!なんて言わない。手伝う!とも言わない。カブトは自身がやるべきことを理解していたし、Dr.を倒した彼なら何があっても助けてくれるという深い信頼があった。
「遅いと先に行っちゃうからね」
「強気だなおい!無茶だけは絶対すんなよ!?」
「兄ちゃんこそな!」
覚悟に満ちた表情で互いを鼓舞する。エースケとカブトはまるで兄弟のようだった。
「エウディ、アンニ、ヤノルニス、フォグナトゥス、スズ。あともう少しだ、頑張るぞ!」
『うん!』
子供たちの心は折れていない。
資料部屋を出て、カブトたちは左へ、エースケは右へ向かう。子供たちは胸まで浸かりその足取りはゆっくりだが、牢屋に残った人たちを助けてから合流するとなるとエースケには無駄のない俊敏さが求められる。
「もう泳いだほうが速いか!」
水泳経験は小中高の授業のみ。鉄格子を掴んで勢いをつけ、薄らと覚えているドルフィンキックを駆使する。
廊下を曲がれば老人と女性二人がいる牢へ到着。
老人は既に事切れていたが、無力に水に浮かぶ姿をエースケは忘れることはないだろう。
「…すみません」
エースケは断腸の思いで女性二人のいる牢へ向かう。
名も知らない女性二人は鉄格子を掴んでなんとか衰弱した体を支えていた。
「遅くなりました!今開けます!」
「…エースケ、さん?」
声は弱々しいが、反応があることにエースケは安堵した。
水圧で重たくなった鉄格子の扉を開ける。
「背負います。動けますか」
以前にエースケを突き飛ばした女性を背負うと、もう一人を抱き抱えた。
両腕は使えないため、背負った女性には尻尾に跨ってもらう。状況が状況とはいえ我ながら酷い支え方だが、やってみて分かった。
尻尾一本で人を支えるのはバカきつい。
「あの…」
「大丈夫ですよ!二人運ぶなんてちょちょいのちょいですから!」
背負われた女性が言いたいことはそういうことではなかったが、エースケは全速前進。抱えている女性が体をぶつけないよう、水がかからないように慎重かつ力強く進んでいく。
右に曲がればエースケとロンのいた牢屋に続く廊下へ出る。
置いてきたロンがどうなっているか。正直、カブトたちに必死で忘れていたが、最も危険な状態にあるのは彼だ。
まさかここまで水位が上がるとは想定外で、座ったままなら確実に溺れている。
…やばくね?
「ロンさん!」
ロンは沈んで、いなかった。
気絶した戦士にしがみついてどうにか浮いている。足がついているのかいないのか、その様子は難破した船員のようだった。
戦士の顔はがっつり水の中だが、まぁ、いいだろ。
「あともーちょい踏ん張ってくださいね!すぐ戻りますから!」
とりあえず今は二人をカブトたちと合流させる。
右に曲がれば地上へ出る階段がある。
一直線の石廊下。その中央左壁から階段を伝った雨水が流れ込んでいた。
「…は?」
そこに子供たちの姿はなかった。
カブト、スズ、エウディ、アンニ、ヤノルニス、フォグナトゥス、誰一人としてそこにいない。
カブトたちと別れたのは数分前。構造上、エースケが先に着くことはありえない。水深はまだ全身が沈む深さではない。
「…降ろします」
二人に対する声は震えていた。
パニックになるな。不安を伝染させるわけにはいかない。
二人は壁を支えに立っているが明らかな衰弱が見える。早急に地上へ脱出させるべきだが、ここにきて想定外が発生した。
エースケは当然確認しにいく。
そして階段前を突っ切ろうとしたその時、何かが目に留まった。階段すぐ横の壁に上向き矢印が貼られている。
「矢印?」
緑色の矢印。触れてみると知っている感触だった。
「植物か?」
つまんでみると少し抵抗があり、力を加えるとぷちぷちと音を立てる。
植物の生命力ならば壁に根を張ることは可能だろう。しかしそれは奇妙にも矢印型をしていて、偶然にしては場所が場所だ。明らかに上を示している。上とはつまり地上のことだ。
奇妙。確かに奇妙だが、そこに込められているメッセージは実に単純。故にエースケは気づいた。
「…あいつら、まさか」
一度思い浮かべばそれ以外の答えが見つからない。
カブトたちはエースケを待たずに階段を登っていた。
しかし事態はさらなる緊張をもたらす。エースケが驚いているまさにその瞬間、ついに地下二階が完全に水没した。流入する雨水はさらに行き場を失い、地下一階の浸水速度は加速していく。
地下一階水没まで残り約一分。
地下に残った要救助生存者は残り三人。




