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大人という強がり

「大丈夫?レオン君」


 帰宅後から小一時間ほど経った頃、ツァル子とレオンが二人仲良くお風呂から上がってきた。

 オレンジ色の髪を下ろしたツァル子はどこか満足げに、一方のレオンはげっそりしている。

 

「少しのぼせちゃった?」


 さっきのパニックはどこへやら、部屋着に着替えたツァル子がコテっと首を傾げる。

 そんな優しい声音にレオンは何かを思い出したようで、「ハッ」と恥ずかしそうに両手で顔を覆った。


「レオンにツァルコアは刺激が強すぎたんだろ。つーか、チューしたか聞いただけで爆発してたくせに風呂はノリノリなんてツァルコアはやっぱえっちだな」


「な!私のどこがえっちなんですか!」


 ツァル子と朝チューの経験があるノアは彼女のポテンシャルをよく知っている。エースケも何度そのポテンシャルに惑わされ血迷ったことか。

 

「それはレオンに聞いたら分かるぜぇ?な?レオン」


 風呂上がりからなのか、恥ずかしいからなのか、頭から湯気が立ち上っているレオンは顔を隠す両手をずらそうとしない。

 

「照れちゃって可愛いなぁおい。レオーン、次は私と入るか?」


「はいりません!」


「ありゃ、ふられちった。じゃあベロニカと」


「はいりません!」


 顔を隠したまま素早く回れ右、これ以上ノアからのからかい攻撃を受けたらいつボロが出るか分からない状況にレオンは「寝ます!」寝室へ避難してしまった。


「ノア様。からかいすぎですよ」


「えへへ、可愛くてつい。でもベロニカも可愛いって思ったろ?」


「…それは」


「だろぉ?ほれツァルコア、耳掃除してあげるから風呂でなにしたか話聞かせなさい」


「べ!べつに何もしてませんよ!」


 と言いながらもツァル子は嬉しそうにノアの膝に頭を乗せた。


「でも耳掃除はしてください!」


「しっかりじっくり教えろよ」


「絶対にノアさんの方がえっちだと思うんですけど…」


 風呂で何が起きていたのか次は絶対に覗いてやろうと誓い、ノアは耳かきでこしょこしょし始めた。

 耳掃除には定評がある。アルーゼは何回もトロトロにしたし、ここだけの話、ゼアルにも頼まれたことがある。

 しかし今はそんなことよりも

 

「じゃあまず。…ちんちん、見たか」


「ノアさん!!」

「ノア様!!」


 ベロニカは紅茶を吹き出しそうに、ツァル子は耳掃除されていることお構い無しで顔を上げた。

 ちゃんと耳かきを抜いたタイミングで言わなければ、ツァル子の左耳鼓膜はぶち破れていただろう。

 そこまでちゃんと計算済み。もちろんこのツッコミも。


「急に何言うんですか!」


「何言うって、一緒に風呂入ったんだから見てるだろ。どんな感じだったのかなぁって」


「だとしてもストレートすぎます!」


「ベロニカだって弟の」


「知りません!」


「私も知りません!」


「待て待て、ツァル子の知りませんは通じないぞ?ノリノリで入ったってことはそれが狙いだろ?えっちなおんなめ」


「ちちちちがいますよ!!」


「えぇぇ、普通気になるだろ。 ゼアルのなんて…」


「聞きたくないです!!」

「聞きたくありません!!」


 誰得のぶっこみを躊躇いもなく話すノアにベロニカまでもが声を張り上げた。

 両手を離して長さを……。


「手もやめてください!」


「あれは正直死ぬかと…」


「ノアさん!」

「ノア様!」


「……はーい」


 どうしても教えたいノアと絶対に知りたくないツァル子、ベロニカのやり取りは二階にまで響いていた。


「…ぅぅ」


 月明かりが差し込む薄暗い部屋でレオンは三人の、特にツァル子の声に怯えていた。掛け布団にくるまって強烈に焼きついたツァル子の全部にソワソワが抑えられないでいる。


「…エースケさん」


 人生で最も衝撃的な光景。絶対に忘れられない時間。レオンが体験したツァル子とのお風呂タイムはかつて見た朝チューの衝撃を遥かに超えてきた。

 ノアとツァル子の朝チューを見た時はエースケと共有できたのだが、異性しかいない状況にレオンの感情は行き場を失っている。

 

「ぼくはどうしたら…」


 護る。覚悟を思い切りぶつけたというのにツァル子を考えるたびにツァル子の裸を思い出して、たった今その覚悟が揺らいでいる。

 護る自信が無くなったというより思考が裸に占領されて全く集中できない。

 

「レオン君、髪とっても綺麗だね」


 あの声が、髪を洗う指が、背中に当たる胸が、ことあるごとにフラッシュバックするのだろう。ツァル子に何かあったとき、それがフラッシュバックして一瞬行動が遅れるかもしれない。

 

「おっぱいのせいで護れないなんて…絶対に許されない…!」


 掛け布団をはねのけて、レオンは頭を抱えた。


「僕は、ツァル子さんを…。おっぱいを…。違う!おっぱいじゃなくて…ツァル子さんを護る…ツァル子さんのおっぱいを…。違う!」


 思考に溢れかえる無数のおっぱい。

 年頃のレオンにとってツァル子の豊かなおっぱいは劇薬でしかなかった。

 

「ぅぅ…。頭がっ、おっぱいで埋め尽くされて…」


 こうなってしまってはもう止まらない。

 おっぱいが万華鏡のように形を変えながら脳内を埋め尽くしていく。違うことを考えても全ておっぱいへ変化し、おっぱいに始まり、おっぱいに終わる。

 思考が、記憶が、概念が、感覚が、人格が。レオンを構成する全てが悉くおっぱいへと再構成されていく。


「ぼくはっ、いったいなにを…!」


 薄れゆく意識の中でレオンは必死におっぱいに抵抗していた。だがそれも時間の問題で、気を張っても着実にレオンはおっぱいに飲み込まれていく。


「レオンっ!」


「……エェ、スケ…さん?」 


 今まさに全てがおっぱいになる瞬間、いるはずのない声にレオンの意識が揺らいだ。

 窮地の幻聴、レオンが無意識的に助けを求めた人物の声、兄のように思っているエースケの声が確かに聞こえた。


「なに諦めてんだレオン!護りたいってのは嘘だったのか!かっこつけただけか!? 違うだろ!!」


 力強い声はおっぱいの荒波を突き破ってレオンの魂に届いた。

 だが、エースケに気づいたおっぱいは瞬く間にエースケに襲いかかっていった。


「ぼくが…」


 一人の女性が見えた。

 彼女は…。そう、彼女は心の底から護りたいと思った大切な人だ。

 そして抗う者がもう一人。襲われたはずのエースケが片腕を、そしてもう片腕を突き出し、おっぱいの荒波から這い上がってきた。


「心から護りたいと思った存在を置いて、お前が先に逝ってどうする!まだ逝くなレオン!耐えろ!逝くには早すぎる!!」


「ツァル子さんを…」


「そうだレオン!立て!折れるな!まだお前ならやれる!!」


「護るんだ…!」


「レオン! 言え! お前は一体なんだ!」


 男は問うた。この無限おっぱい暴走に打ち勝つ少年の覚悟を。全てを埋め尽くし、変化させてしまう恐ろしいおっぱいに負けない在り方を。



「僕が…! 僕がおっぱいだ!!」



 少年は…おっぱいになった。

 覚悟を吠え、興奮が最高潮に達した瞬間、レオンは事切れたかのように倒れた。


 無垢なる純白の騎士オッパイの伝説はここから始まる。

 

 翌日、レオンのおっぱいがちょっと大きくなっていた。

 


 ********************



「おい、レオンが今とんでもない事言ってなかったか?」


「え?なんにも聞こえなかったですよ?」


「私もです」


 不思議そうに天井を見上げるノアとは反対にツァル子とベロニカにはなにも聞こえていない。

 聞こえていないが華。空耳か、とノアもすぐに視線を戻した。


「にしてもツァルコアがえっちなせいで、私の勉強タイムが止まっちまっただろ」


「な!だから、えっちじゃありません!」


 耳掃除を終えても膝枕が気持ちよくて、さらに頭を撫でてくれるノアに、ツァル子は怒りつつも離れないでいる。

 

「というか勉強タイムってなんのことですか」


「地理の勉強。ベロニカぁ?まだあと一つ大陸っぽいのあったよな」


「えぇ、あと一つだけ」


 地図に描かれた陸地の中で、真っ黒に塗りつぶされたダイナ大陸は特に目を引いたが、同様に目を引く真っ白に塗りつぶされた場所があった。

 地図の一番下中央、世界の最南に位置するそれは、あまりに綺麗な長方形をしている。自然地形では絶対にありえない直線と直角、すなわち存在は把握しているが外周地形すら記録されていないのだ。

 

「遙か南の地。氷極と呼ばれています。


 かつて探検家エオがダイナ大陸一周の途中で発見した白銀の大陸。未知を意味する暗黒ではなく、その白は氷雪を意味していた。


「氷極……なんか寒そうだな」


「事実、氷極は極寒の地です。その環境ゆえにエオ様ですら調査できたのはごく一部で、ダイナ大陸以上に人類が踏み入ることが難しいとされています」


「寒いのは私無理だわ。朝起きた時に寒いと体ぜっんぜん動かねぇもん」


「極寒の地では爬虫類系の恐竜化は逆効果ですからね。氷極に挑める人類はかなり限られます」


 ただ存在だけが確認された白銀の大陸は数多くの冒険者や調査隊にとってまさに未知の象徴と言える。

 ダイナ大陸は伝承や御伽噺が残されているため、遠い存在ではあるが現実的な要素を多く含んでいた。しかし氷極は探検家エオですら調査を行えなかった秘境の中の秘境。

 もはや非現実に等しく、エオが幻覚を見たんだと言う人すらいた。


「……まさか、な」


 一瞬よぎった最悪の転移場所。襲撃した張本人も転移したため考えにくいが、万が一エースケたちの転移場所が氷極、もしくは氷極のような危険地帯なら尚更状況が絶望的といえる。

 ガイア大陸にいないのであればいよいよ万事休す、絶体絶命、エースケ確死案件だ。


「なんで俺だけ確死!?」


 そんなツッコミも今は聞こえない。

 世界一大切な愛娘もいない。

 何もかもが分からない不安は、エースケとアルーゼを信じていても表情に出てしまう。


「あーだめだ、どーしても不安になっちまう」


 地図にアルーゼの居場所が出てくればいいのにと、子供のような発想に頭を掻く。

 娘を、弟を、親友を、この場にいる全員がそれぞれの苦しみに耐えている。

 

「私、明日は大陸中を飛び回ってみようと思います」


「おーいおいそれはノアさん許可できないぞ?ツァルコアまでいなくなったら今度こそ泣き崩れるからな」


「なんでいなくなる前提なんですか!」


「ツァルコアが方向音痴なの知ってるからな」


「そ、それは…!ちょっと道に迷いやすいってだけで…」


「ほんとかぁ?」


「う…うぅ…ベロニカさぁん…」


 弱点を突かれ、ツァル子はベロニカに抱き付いた。


「よしよし」


「あ!ずりぃ!」


「いくら可愛いといっても、あまりツァルコア様をいじめてはいけませんよ」


「そうだそうだ」


「なーにがそうだそうだだ。甘え上手め、さては最初からそれが狙いだな?」


「ふん」


「なっ、こいつめぇ」


 それはそれは幸せそうにベロニカの胸元でツァル子は微笑んでいる。

 ほんのひと時の幸せ、今はそれが心の傷を癒す最善の薬なのかもしれない。ノアは紅茶を一口で飲みほすと、両腕を広げてツァル子を迎え入れる姿勢になった。

 

「しゃーねぇなぁ、ほれ、ツァルコア、おいで」


「いいです」


「は!?」 


 絶対に飛び込んでくると思ったはずが、まさかのノーセンキューツァル子に、ノアはあからさまに目を開いた。

 

「今日はベロニカさんの日です」


「ふふっ…だそうですよ」


「ばかな…。朝チューまで奪ったこの私が、負けた、だと」


 頭を撫でられているツァル子は見向きもしない。完全な敗北。母性が負けた、そんな受け止められない現実に、ノアはソファーへ飛び込んだ。


「くそぉ!」


「ツァルコア様?よろしいのですか?」


「いいんですいいんです。今はベロニカさん大好きモードなので。それに、ベロニカさんがいい匂いなので離れたくありません」


「にお…!」


「すぅぅぅぅ」


「なにして…! 嗅がないでください!恥ずかっ…それにまだお風呂に…!」


「安心してください、ものすごーくいい匂いですから。すぅぅぅぅぅ」


「コラッ!このえっちおんなめ!やぁっぱ下心全開だったな!さっさとベロニカからはぁなぁれぇろぉ!」


 妙に抱きつくまでがスムーズだとは思っていたが、ベロニカの予想通りツァル子はえっちだった。

 すぅはぁ言ってるツァル子を


「ぁぁぁん」


「変な声だすな!」


 なんとか引き剥がした。

 ツァル子はとんでもなく満足した表情で


「じゃあ、もう寝ますね」


「切り替え早!」


 あくびをしながら部屋から出て行こうとした。

 

「ではベロニカさん、ご馳走様でした。いい夢が見れそうです」


 ご満悦嗅ぎ逃げ犯は行儀良くお辞儀すると鼻歌を奏でながら寝室へと向かっていった。


「……」


 残されたベロニカは恥ずかしそうに肩辺りを嗅いでいる。

 そんなに気になるものか、とノアは正直その感覚が分かっていない。


「気になっちゃうの可愛いな」


「可愛くありません!ほんとに恥ずかしかったんですから!」


「んー、すんすん」


「ふぁっ!」


「え、むっちゃいい匂い」


「ちょっと!」


 隙をついて耳の後ろを嗅いだノアは逆に自分の匂いが不安になるくらいのいい匂いに驚いた。


「なんで嗅ぐんですか!」


「おま、ベロニカ、お前の体って果物かなんかでできてんのか?」


「頭からつま先まで人間そのものです!」


 これはツァル子が夢中になってしまうわけだ。

 実に納得のスメィル。


「こーれは風呂三日入らなくても臭くならないだろ。やってみるか?それはそれで興味深いけど」


「やりませんよ!それに三日も入らなければ私だって…」


「私だってぇ?」


「っ…!知りません!」


 相変わらずのからかい好きはベロニカの反応を見てニヤニヤしている。

 うん、とってもかわいい。

 

「あ、どこ行くんだよ」


「お風呂です!」


 すっかりいつもの冷静さを忘れているベロニカにノアは「ふーん」と怪しげな笑みを浮かべた。


「そーいや私も風呂まだだったなぁ」


「……」


「ちらっ、ちらちらっ」


 意味ありげに瞬きを繰り返すノアの目的はあまりにもわかりやすい。

 狙いは単純。この青髪美女と色々楽しみたい!

 不安だなんだと言っときながら、そんなところはちゃっかりしている。ツァル子が部屋に戻っていなければ「もう一回私も入る!」とか言うだろうが、邪魔者は一人もいない。


「なにする気ですか」


「そんな怪しげな目で見るなって。 一緒に風呂入りたいなって思っただけだよ。耳掃除もそうだけど、実は体洗うのも得意なんだぜ?味わってみるか?」


 下心をうまーく隠してノアがベロニカの肩を掴んだ。

 

「だめ?」


「…もう。やらしいことは禁止ですからね」


「おぉ!そうこなくっちゃ!」


 断られると思っていた誘いが受け入れられたノアは、嬉しそうにベロニカへ体を寄せた。

 下心全開、のようにも見えるノアだが、お互い娘と弟を失った深い傷を負っている。

 独りになることを避けているのをやんわりと理解している二人は、大人ながらも必死に支え合っていた。

 

 不安と絶望に満ちた一日が今日も終わる。

 いつまで強がりの日々が続くのか。発見の兆しが全く見えない時間をノアたちは祈ることしかできない。

 しかしアルーゼたちは懸命に生きている。それを知るすべはないが、まだ誰もなにも失っていないことは確かだった。

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