Dr.という狂人2
狂戦士の様相はもはや人の領域を外れていた。
不完全な恐竜化によって顔面のバランスが崩れ、血涙を流し、吐血し、強制的に命をすり潰された生物がエースケへ迫り来る。
苦痛を撒き散らすその絶叫が空気をかき乱す。あまりに惨い叫び声は無傷のはずのエースケに痛みすら覚えさせた。
恐怖。エースケは死の恐怖を全身で感じている。
「転移者」
肩にベルーサの手が置かれる。
「信頼が無いのなら、この身を持ってお答えしましょう」
その言葉にエースケは戦慄した。
「そんな言い方!いくら俺でもお前が何しようとしてるか分かるぞ!」
「アレはあなたにとって害ある存在ですよ」
「だからって斬るのか!?勝手に決めんじゃねぇ!まだ助かる方法だって」
「助ける方法はDr.しか知りませんよ」
「じゃあ……っ!」
Dr.に助けを求める。これほど醜い希望があったか。
人間が人間を失っていく光景を恍惚の笑みで快楽にしている下衆野郎に助けを求める。なにより助けを了承するとは到底思えない。
ベルーサの言葉を覆せる材料が全く存在しない現実にエースケの動きが止まる。狂戦士は血涎を撒き散らしながら眼前にまで迫っていた。
「--残念ながら」
エースケの前に一歩踏み出たベルーサの間合いに狂戦士は自ら踏み込む。
刹那、長剣が下から上へ一線豪快に振り上げられ、狂戦士が遥か後方へ斬り飛ばされた。
「!!」
容赦ない一撃に狂戦士が研究所の壁に叩きつけられる。石壁が簡単に砕けるほどの威力は狂戦士の意識を完全に消失させた。
ベルーサが慣れた手つきで刃に塗られた血を振り払う。
「これがDr.シノルという毒医者の趣味ですから。転移者、あなたの感覚は間違っていませんのでご安心を」
返り血で汚れた横顔。あまりに一瞬の仲間殺しにエースケは激しく動揺している。
そんなエースケを安心させるかのような口調でベルーサはエースケの心情を正しいと言ったが、その衝撃が落ち着くことはない。
「(ゲェッホッ!!)ァァ、さすがじゃのぉベルーサ君。それにしてもトランス缶の原液は濃度が濃すぎて自我が完全に消えてしまうの。やはりガス式にしなければ…」
「Dr.、あまり若い世代を実験材料に使うのは」
「ヒッヒッヒ!せっかく転移者が来たんでの、ワシからのちょっとした贈り物じゃよ。許しておくれ」
毒医者は詫びながらも笑みを浮かべたまま、その発言が本心でないことは嫌でも分かる。
胸糞悪い怒りと動揺で冷静さを欠いているが、エースケの頭に段々とDr.シノル・毒医者という単語が記憶と結びついていく。初めて聞く訳ではない、エースケはその名をロキから聞かされていた。
「竜滅会」
「お?なんじゃ知っておるのか」
「Dr.シノル…あんたがティルルに毒をばら撒いた張本人か」
「ヒッヒッヒ!転移者にしては物知りじゃのぉ。君の言う通り、ワシが毒をばら撒いた張本人じゃよ。そして竜滅会の幹部も務めている」
「じゃあ一緒にいるってことでピアスっ娘も竜滅会って考えていいよな。ロキの予想大当たりってわけだ」
ロキはモナが竜滅会に所属していると疑っていたが、まさかDr.シノルがいるとは。
人類繁栄のために恐竜などのあらゆる生物を絶滅させようと破壊活動を行う組織、竜滅会。あまりに現実味を帯びていない情報に半信半疑だったが、エースケの竜滅会に対するイメージがたった今ガラリと変わった。
やりかねない。この狂い方、決して理解できない異常者だらけの組織なら、常人の考えなど度外視して破壊活動を行うだろう。
事実、破壊活動が行われているとロキは言っていたし、Dr.の人間性で説得力は十分すぎている。
「てめぇらがメイのことを」
「(ゲホッ!)すまんのぉ、もう少しこの老骨の耳を労って…」
昨晩のメイが恐怖に怯える姿がエースケの怒りに油を注ぐ。幼い少女が絶叫するほどのトラウマを刻み込まれ、それがどれほど残酷なことか。
ましてやこの狂人がカルデラ村の人々になんの危害を加えないはずがない。
「メイのお父さんは!ここに暮らしていた人たちはどうなった!」
反射的にエースケは怒鳴っていた。正直、真実を知ることに覚悟はできていない。
Dr.という男の手に落ちた人たちの安否などとうに予想できている。もし想像通りの最悪な答えだったら、まず自分が耐えられるのか。
エースケは涙を流すメイを思い出して胸が張り裂けそうだった。
「それは君が直接見るといい。(ゲホ!ゲホ!)まだ迎えが来ないからのぉ、結局君には地下にいてもらうわけじゃ。丁度いいじゃろ」
地下、つまりは監禁される。今どうにかして脱出もしくは戦闘に入るか、地下に一応向かい真実を知った上で脱出するか。
アルーゼたちの応援を待つのも一つの手だが、迎えという言葉が引っかかった。
「本部に戻るのですか」
「ついさっき(エエッホ!)連絡をしたんじゃよ。本来なら(ゲホッ!)明日には島を出れたのじゃが、どうやら天候が悪いらしくてのぉ」
「天候なら仕方のないことですね。しかしそれならば」
「!?」
エースケは突然の肌がヒリつく感覚にベルーサの方を見た。
至って興奮した様子もないベルーサがそこにいたが
「雷刃と手合わせできそうですね」
静かに呟いたその声にDr.めいた、どこか常人らしからぬ気迫を感じ取った。
第一、今脱出を試みるとしてまずベルーサの間合いから出なくてはいけない。ベルーサは狂戦士を斬り飛ばしてから長剣を抜剣したままでいる。剣を挟む形でエースケのほぼ真横に立ち、エースケが仮に恐竜化したとしてもベルーサの斬速に敵うかどうか。
数メートル後ろには両耳を塞いで目を瞑ったモナ、前には毒医者シノルがいるこの状況をぶち破れる戦闘力が無いことをエースケは理解している。
「では転移者。素直に来てくださるとありがたいのですが」
「あいにく素直な男じゃなくてね」
「敵意に迷いがありますよ。それに、そろそろモナ様が限界なので助力していただきたいのです」
「俺をご機嫌取りに巻き込むな」
「安全は保証しますが、わたしとしてもモナ様を強引に抑えるのは気が引けます。彼女、暴れると本当に厄介ですよ」
「知ったことか。つーかその隙をついて逃げてやるから、ぜひ暴れさせてくれ」
なるほどその手があったかと、モナへの挑発を咄嗟に考える。
ガキ呼び、ブス呼び、Dr.モナ呼びはどうだろうか。いやブスは可哀想だな。ピアス似合ってない……いや似合ってるし。
女の子がいきなり言われて、ましてや彼女のような性格を不愉快の限界にぶち上げる言葉…。
そんなエースケの企みにベルーサは小さくため息をついた。
モナが暴れたとして、ベルーサが抑える。エウポンの速度ならDr.くらいは余裕で振り切れるだろう。
「(たっぷり時間を稼いでくれよ!)おいピアスっ娘!俺と****してく…グフッッ!!」
鳩尾に打ち込まれる柄頭によってエースケの体からありったけの空気が抜けていく。
貫かれるような痛みと全身に響く衝撃に目を見開いて、なんとか空気を求めるがそれも叶わない。
一縷の望みにかけても一縷は一縷。まして当人の技量を伴うのであれば、エースケがこの状況から脱する可能性はゼロに等しかった。
「…まったく」
崩れるエースケを受け止め、ベルーサは二度目のため息を吐いた。
「あなたの名誉まで保障するほど、わたしはお人好しではありませんよ」
「ヒッヒッ!転移者はみな面白いのぉ」
気絶したエースケを軽々と肩に乗せ、ベルーサがモナの元へ歩み出す。モナは目を瞑り、耳を塞いで男共に対するストレスカットに勤しんでいた。
「モナ様」
視界も音も遮って、浮遊の水晶に乗っているため近づく振動も伝わらない。
クソ男たちのゴミ声を聞くだけで吐き気がする。とくにクソ老害野郎は笑い声が嫌いすぎて殺したい。
ぶつくさと罵詈雑言を早口で唱えているモナの無反応さにベルーサは体を反転させ、Dr.と共に実験場地下へと消えた。
しばらくして
「モナ様」
「…んだよ」
再びベルーサがモナに声をかけたのはエースケが気絶してから十分程経った頃だった。
「もう転移者もDr.もいませんから、目開けていいですよ」
「声かけんのが遅ぇ」
「わたしが来るか来ないか確かめるために耳をかぽかぽしてるの可愛かったです」
「なっ、見てんじゃねぇよ!!」
「油断大敵ですよ。目を瞑っている間に、彼らは着実に迫ってきますからね」
ベルーサのお説教を無視しつつ、モナの視線は一本の剣へ向けられた。
「…お前、それ」
「"水利剣"。研ぎ終わったので持ってきました。モナ様も相応の準備は整えておいた方がいいですよ」
「モナに指図すんな」
「水晶の力を使えずとも相手は雷刃。アルーゼ様も決して油断できませんよ」
「なにビビってんだてめぇ。相手が誰であろうと、奇襲されても、モナが負けることはねぇよ」
「奇襲…ですか。わたしが思うに彼女たちは…」
******************
「正面突破するに決まってんだろ!」
「早まるな」
数分前、ロキはディモンとともに決死の着陸を成功させていた。
そんな息を呑む落下劇を終え一安心、とはならず、ロキは早速アルーゼと揉めているのだった。
「敵数も不明、地形も配置も何も分かっていない中での正面突破は何も救えない」
「今すぐ行かなきゃ結局何も救えねぇよ。あいつらにエースケがなにされるか」
「黒髪の男の言葉を鵜呑みにしたわけではないが彼の安全に関しては、いきなり殺されることはないはずだ」
「んなこと分かんねぇだろ」
「点と点が繋がった部分がいくつかある。まず、モナという少女は竜滅会幹部確定だ」
「確定って…」
「竜血の短剣を持っていた。ゼアルの持っていたものと同じ、あれは竜滅会幹部だけが持つ短剣だ」
「レオンよりちっこい子供が幹部?むしろ背の高い男の方が幹部ってなら信じるけどよ、竜滅会って大丈夫か?」
「少なからず短剣を持っていたことは事実なんだ。明確にエースケを狙っていたのも、竜滅会は転移者を欲しているのかもしれない」
「エースケを欲しがるって…。竜滅会正気じゃねぇな。…って、待てよ。 エースケ回収したってことはあいつら逃げるんじゃねぇのか!?」
「逃げる可能性はもちろんある。だが何かをされるという点に関しては、回収した以上、利用価値があるはずと考えていい。取り敢えず殺される可能性は低いだろう」
「殺される可能性低くても逃げられりゃ一緒だろ!さっさと正面突破で…」
「その気持ちも分かるが、今は先に俺が行く。君の出番はそれからだ」
静かにアルーゼを説得する一方で相手が竜滅会と分かったロキの目には鋭い感情が宿っていた。
雷の水晶は尽きているが、グラントールは刃こぼれ一つない。下腹部の傷は痛むが死ぬほどではない。
アルーゼの正面突破を止めた割にはロキも闘気が溢れていた。つまるところ道を開くから待て。
しかし
「だめだ」
「話をだな…」
「違ぇ。正面突破は我慢してやるよ。でも、先に行くのは私だ」
「君はメイを」
「こーゆー地形は得意なんだよ。それに戦士のシメ方は私の方が得意だしな。ようはバレねぇように様子見てくりゃいいんだろ?」
「それはそうだが、全く期待ができない」
「なめんな!つか、お前こそその傷でどこまで闘えんだっつー話だよ。メイと一緒に隠れてな。正面突破しねぇのは約束するからよ」
強さは本物、そう理解していても、アルーゼの大雑把な性格に対する不安が拭えない。しかし現状アルーゼの方が動けることは確かで、一応の説得力はあった。
「私を信じろ、ロキ」
「…信じろ、か」
「あぁ。メイは任せた」
アルーゼを信じていないわけではない。
ただ、その言葉に潜む魔性な力を知っているだけだ。
「一時間。一時間以内に戻ってくるんだ」
「一時間か、なんなら全部終わらして」
「おい」
「じょーだんじょーだん!!あ、でも万が一ってのがあるからな、万が一ってのが」
「なぜ最後に信頼を揺るがしてくるんだ!」
本当に信じていいものか。このヘラヘラ感がなければ一任できるというのに、アルーゼは「すまんすまん」と全く集中力が感じられない。
「でも約束は約束だからな、破りゃしねぇよ。なんかあったらどうにかして合図するから、そん時は頼んだ」
どこまでも自分ペースで堂々としているアルーゼにさすがのロキも手に負えていない。
これぞ戦士の王の血を引く者というべきか、強者たる天然なのか、アルーゼは何が起きているのかキョロキョロするメイの頭を優しく撫でると、
「んじゃ、行ってくる」
軽やかに樹上へ飛び移り、一瞬でロキの視界から消えた。
*******************
カビ臭い石部屋の中でエースケが目を覚ました。積み重なった疲労に数時間眠っていたわけだが、暗い地下に時間を把握できる術はない。
「くっそ」
ご丁寧に手錠をかけられ、腹に巻かれた鎖は石壁に繋がっている。あぐらをかいている両足は自由なまま、それがまるで「この程度でいいだろう」と見下されているようだった。
「…だれか」
「ふぁっ!!」
突然の低い声に鎖が激しく音を立てる。男らしくない声を上げて、エースケは初めて人がいることに気づいた。
「だれか…いるのか」
項垂れた青黒髪の男。エースケとは違い、両腕を真横に上げられた男はまるで生気が無かった。
死体。そう言われても信じてしまうほど痩せ細った黒い影が喋ったのだから、エースケは恐る恐る観察している。
「い、いますけど…」
「…そうか。…よかった。…まだ、生き残りが」
「生き残りって…まさか!」
ここに暮らしていた住民がどうなったか、メイの様子とDr.シノルの人格から想像に難くない。それでも、生存者がいることはエースケにとって希望の光だった。
「他には!捕まった人はここにいるんすか!」
どうかメイが悲しむ結末が待っていないようにと、エースケの声に力が入る。
男は顔を上げない。それどころか言葉を発する力もないのか、
「……」
僅かな呼吸音が聞こえるだけだった。
肉体だけでなく精神すら衰弱しきった男にエースケが絶句する中、薄暗い通路から足音が近づいてきた。
「おい」
見知らぬ顔の若い戦士。エースケと目が合い、手には鍵が握られている。
「黙ってろ」
「あ?」
「おい転移者。普通ならお前は今頃死んでんだよ。状況と立場ってのを」
「ってことは俺が必要なんだろ。見張りこそ黙ってろ見張ってやがれ。こんなザル牢獄、脱獄チェリーの俺でも余裕で出ちまうからな」
いくら鎖でも恐竜化してしまえば千切れる自信があった。なんなら鉄格子も蹴破る気でいる。
問題は鎖をちぎって鉄格子を蹴破った後のこと。全くのノープランでどう脱出するか。男を置いてくわけにもいかないし、ベルーサのような強キャラも避けなくてはいけない。
「ペラペラと、よくもそこまで自分の首を絞めれるもんだ」
錆びついた鉄の音とともに戦士が入ってくる。好都合と言うべきか、ピンチと言うべきか、戦士はベルーサのような強キャラには見えないが、エースケはまだ鎖に繋がれたままだ。
「やめてくれ!」
エースケと戦士の睨み合いの最中、予想外の叫び声が牢屋へ響いた。絞り出された悲痛な声の主の顔を初めて見たエースケは
「…その目」
その白く濁った目に言葉を失った。
痩せ細った首で必死に頭を上げる男は視力を失っていた。
「これ以上…!仲間を傷つけないでくれ!」
幾度も痛みに苦しむ絶叫と悲鳴に晒され続けた男の願いが僅かな体力を使って振り絞られる。
衰弱するまで放置され、視力を失い、無力感に押し潰されても男は抵抗心を失っていなかった。
「もう、だれも」
「うだうだとうるせぇんだよ!」
「やめろ!!」
衰弱した男に対して拳を振り上げた戦士に、エースケの雄叫びが響く。
なんの躊躇いもなく力を奮おうとする戦士は動きを止めたが、それは決してエースケの声に怯えたからではない。
「なにイラついてんだ!俺に腹立ってんなら転移者とか忘れて俺をぶん殴ればいいだろ!その人は関係ない!」
もちろんぶん殴りは勘弁だが、目の前で、ましてや弱った人間を殴られるくらいなら自分が受ける。それくらいの痛みなら何発でも耐えてやろう。
瞬間、エースケは普通にぶん殴られた。
「がっ!」
頬が一瞬で熱を持ち、痺れ、床に叩きつけられる。強打によって脳が揺れて、強烈な耳鳴りが鼓膜を貫く。
激痛すぎて逆に意識を失えず、エースケは歯を食いしばりながら、震える手で体を起こした。
「……ぁぁ、ぃってぇ…」
恐竜化せずもろに食らったことで二発目を耐えられそうにないが、エースケは戦士を睨みつけている。
守るだなんて我ながら力不足が過ぎるが、ここで参ったはありえない。
うんざりする血の味と痛みだったが、エースケの心は折れていなかった。
「身代わりのつもりか?」
「…あぁ、そうだよ。サンドバッグになるつもりはねぇけどな、この人は殴らせねぇ」
「……こいつの正体を知れば身代わりなんて馬鹿馬鹿しくなるだろうよ」
正体。その言葉に疑問を抱いたが、今のエースケは戦士から目を逸らさないことで精一杯だった。
しかし相手が誰であれ無意味な暴力は許さないし、少なからずアルーゼだったら止めるに決まっている。
「まぁいい。お前のせいで興醒めだ。せいぜい無意味な身代わりで死なないようにな」
勝手にキレて、勝手に殴って、勝手に去る。心底腹が立っているが、エースケは血の味を噛みしめながら耐えきった。
戦士の身勝手さには十分耐性があるが、この理不尽さは流石に酷過ぎる。
一発顔面に叩き込みたかったが、無理に騒ぎを起こして、男に何かあったらそれこそ酷な結果というものだ。
「…なぜ、そこまで」
「そこまでって、こんくらい大丈夫すよ」
震える声で男はエースケの声元になんとか視線を向けようとする。
「無理しないでください。今、助けますから」
「…すまない、目が見えないんだ。…君は島の者じゃないのか」
「俺はしがない転移者ですよ」
白く混濁した目にエースケは見覚えがあった。だから助けた、という訳ではないが、この男には聞かなくてはいけないことが山ほどある。
しかし今はまず行動を制限する鎖やらをぶっ壊したい。
エースケは手錠と鎖を破壊するために恐竜化し、両腕に力を込める。
手錠は木の板に蝶番を取り付けたもので、腕力強化がそこまでではない獣脚類のエウポンを能力に持つエースケでも、腕に力を込めただけで木板はミシミシと音を立てた。
「いけるか、これ」
力を込めれば込めるほど頬が痛むが、エースケはさらに歯を食いしばって右手を上へ左手を下へ、手錠をこじ開けようとする。
「くっっ!!!」
このいけそうでいけない感じ。徐々に開く感覚がある分、エースケは手首の鬱血など気にせず、全力を込めていく。
大きな音も避けたいため全力かつ慎重に破壊しなくてはならない。
蝶番の逆側、手錠の鍵部分がゆっくりと変形しているため、それを希望にエースケは反り返るほど力を込めまくり、そして
バギンッ!
留金が吹き飛んで、エースケの両腕が勢いよく解放された。
「いってぇぇぇ…」
手首に頬に痛いところだらけだが取り敢えず手錠は破壊完了。次は腹に巻かれた鎖だ。
アルーゼなら容易く千切るのだろうが、エウポンにそこまでの腕力も握力もない。
「壊せそうなとこは…」
手錠が壊れた音はそこまでだったが鎖はいちいち音が出る。ましてや壊せば金属音がそれはそれは人を集めるだろう。
「うーむ」
しかし物は試し。
エースケは壁に伸びる鎖を手繰り寄せてピンと張ると、鎖を引っ張りながら壁に両足をつけた。
そして
「ふんっ!!」
壁を思い切り踏みしめて、全力で鎖を引っ張る。
自重と引力で鎖を壁から引き抜く何の工夫もない脳筋技だが、エウポンの強力な脚力を活かした最善策……だと思いたい。
「…くっっ!!」
出っ張り部分を回し蹴りで破壊。なーんてできたらどれだけかっこいいか。
しかし憧れは憧れのまま、我ながらかなりみっともない姿になっている。恐竜化していなければ一体どれほど長時間みっともない姿を晒すことになるやら。
だが今は違う。エウポンの確かな肉体強化によってどうにか鎖を引き抜けそうな感じがしている。
「…な、なにを…しているんだね」
男にはエースケの状態が見えていない。ただ食いしばる声が聞こえる不可解な情報に、僅かな体力を振り絞って質問したが
「ちょっっと…!待っって…!くださいね…!」
冷静に答えられる状況ではないエースケの必死の声に謎は深まるばかりだった。
「…まさか、君」
「…なんっ、すか…!」
「うんこ…」
「してるかぁ!!」
こちとら必死だというのに、おっさん案外余裕なんじゃねぇの。そう思わざるおえない盲人の発言に、つい声に力が入った。
「そう…っ言われると!それにしか…聞こえねぇだろっ!…よくも! くそっ! さっさと抜けやがれ…!」
格好も格好でなんか恥ずかしくなってきたエースケの全身により力が込められる。
もはや牢屋からの脱出のためというより、この辱めからの脱出目的になった鎖引き抜き作戦はまだ成功する予兆が見えていない。
「…君、ほんとうに」
「うっせぇ!なにリアル脱糞雰囲気出してんだおっさん!誰がするかこんな場所で!」
まさか助けようとしている相手からあらぬ誤解をされるとは、目が見えないとはいえ、さすがにそこら辺の倫理観は備わっている。
ツァル子のトイレを覗こうとしたり、レオンにあんなことしたり、アルーゼの胸を触ったり、あくまで相手で満たすだけで自分の秘部を曝け出すなんてことはしない。
「俺にもポリシーはあるっっ!!」
限界まで張られた鎖が徐々に開いていく。一つ目、二つ目とエースケの力が着実に鎖へと伝わり、その変形が自信に変わり、エースケの踏ん張りは声だけなら完全に脱糞していた。
「ンンンンッッ‼︎」
そして遂に
「アダっ!!」
壁から引き抜けなかったものの、鎖の一つが引き伸ばされてエースケは勢いよく石床に叩きつけられた。
鎖破壊完了。しかし
ジャラララッッ!!!
鎖が床に落ちた拍子に信じられないほどデカい金属音を響かせた。
手錠を静かに破壊した、静かに鎖を引きちぎった努力が全て水の泡になる金属音の直後、「やっちまったぁ…」と落胆するエースケは近づいてくる足音を聞いた。
「(やべぇ!)」
手錠を壊し、鎖も壊し、言い逃れ不可能の脱獄する気が見た目から満ち溢れたエースケは露骨に焦っている。
「…おい。なにしてる」
「あ…」
今まさに鎖を壁につけようと瞬間を見られた。
腹に鎖が巻かれているままなのが不幸中の幸い……いや全く幸いではない。破壊した手錠が足元に転がり、鎖が壁から外れている。
戦士からすれば今まさにエースケが壁から鎖を外したと見えるだろう。
「俺の目がおかしくなけりゃ、お前、逃げようとしてるか?」
「まままままっさかぁ!ちょっとカチャカチャしたら壊れちゃったんすよ!古かったのかな?脱獄なんて冗談に決まってんじゃないっすかぁ!」
制裁覚悟のヘラヘラムーブ。かなり状況は苦しいが、ここで騒ぎを起こされたらヤケクソで脱獄するしかない。
「へへへ〜」
「おぉ〜そうかそうか。ま、手作りの手錠だしなぁ、鎖も錆びて…」
「そうそう」
「って!んなこと言うわけねぇだろボケ!!」
「やっぱり!?」
鍵が取り出され、勢いよく鉄格子の扉が開けられる。
ヘラヘラムーブ作戦失敗。どうにか誤魔化せないかと願ったが、戦士もそこまで馬鹿ではなかった。
「転移者だからってあまく扱ったらこれだ!」
ついさっきぶん殴ってきた戦士は案の定まだ不機嫌なまま。余程エースケが気に食わないのか、その目は完全にもう一度殴る気でいる。
「しばらく起きれねぇように、ぐぁっ…!」
戦士は突然の痛みに表情を歪めた。
足の裏に走る鋭い痛みに戦士は思わず片足を上げて、痛みから逃げようとする。
「これからは靴履いた方がいいぜ?あんさんよ」
手錠を破壊してできた鋭い木の破片と留金を撒菱代わりに咄嗟にばら撒いたがこうも上手くいくとは。
「俺天才?」と自分の機転に惚れ惚れするが、エースケはこの僅かなチャンスを見逃さない。
「でもって」
恐竜化しておいた両脚に力を込め、戦士の元へ跳躍。
砂浜戦にて腹への飛び蹴りがイマイチだった経験を活かし、エースケは戦士の後頭部を両手で掴むと
「一発返すぜ」
勢いそのまま、強烈な膝蹴りを顔面に撃ち込んだ。
竜脚類のタフさがあれば耐えられただろうが、戦士は恐竜化していない。戦士としての耐久力があっても、エウポンの脚力ならば意識に衝撃を与えられる。
「…ぅ、ガッ」
エースケ渾身の一撃に戦士は両膝をついて崩れ落ちる。
鎖が落ちた時と比べて音はそこまで響いていない。事実、他の戦士が来る様子がない。
「我ながら…完璧だと思うんだけど…」
アサシンにでも転職しようか。
倒れた戦士、手錠も鎖も壊れて、扉は開かれたまま。おまけに戦士の持っていた鍵も手に入れた。
「…な、なにが」
「おじさん!それ取れますよ!」
このチャンスを逃してはいけない。エースケはすぐさま鍵を拾い、男の元に駆け寄った。
エースケのような木製手錠ではなく、男には鉄製の手錠が手首に取り付けられているため、鍵をしらみつぶしに試していく。
カチャ
気持ちのいい音とともに手錠が開く。
落とさないようにゆっくりと男の手首から手錠を外し、もう片方も外し、素早く腕を肩に回し、体を支えた。
「…ゥ」
そのまま壁にもたれさせ、自分に巻かれていた鎖で戦士を縛り上げ、鉄格子の扉を閉める。
この勢いで脱出!なんて無謀なことはしない。きっとアルーゼたちが行動を起こすはずだ、そう信じて今は冷静に息を潜める。
そんなエースケの信頼通り、今まさにアルーゼがカルデラの草原を駆け抜けていたが、エースケ含め未だその動向を察知している者はいなかった。




