剣という重み
「いつまでこんな場所にいなくちゃいけねぇんだ…」
つい先程、青黒色の髪の男に話しかけていた戦士がため息混じりに呟いた。陰湿な地下の雰囲気にあてられたのか、脱力気味にぶつぶつと愚痴をこぼしている。
「何を今更。Dr.への助力はゼアル様の命令、竜滅会からも報酬を受け取ったんだ。我々戦士はその任務を全うするまでの話」
「監視に飽きてんだよ。イカレた爺さんの手伝いも毒だ薬だで何言ってるかサッパリだし、女だって許可無しに触るなって、いくらゼアル様の命令でも限界があるだろ」
「貴様、それでも戦士か」
地下牢獄の冷たい石床が足音を響かせ、鉄格子の向こう側では女性たちが身を寄せ合っている。そして通り過ぎると見せかけて、唐突に鉄格子に手を叩きつけて「ワァ!」と声を上げた。
声も出せずに怯える姿を笑うわけでもなく、興が醒めたようにため息をついて戦士はつまらなさそうに歩き出し、隣からの冷たい視線に対して
「これでも戦士だが?」
と二人は微妙な空気になるのだった。
「はぁ。このまま竜滅会の駒になるって考えると、ベルーサが羨ましいぜ。それなりに融通が効いて、しかも幹部の側近なんて。あいつのこともっと嫌いになれそうだ」
「駒だろうと、命令には従うのみだ」
「堅物だねぇ。戦士でも俺たち若い世代とおっさん世代どもは考えが違うっつーのに、お前は同世代とは思えない堅さだな。命令なんて結局金だよ、金。竜滅会の羽振りがいいから俺たちは従ってんだ」
「ゼアル様は…」
「ゼアル様ゼアル様って、確かにあの人はすげーけど、正直なところあれは尊敬できる凄さじゃないだろ。良い子ぶるのも大概にしろよ?正直に話してみ?お前は死ぬまで操り人形でいたいのか?」
ルゼアチノを治める、巨竜の民の長ゼアル。彼がエースケたちに倒され、確保された情報はこの島にはまだ伝わっていなかった。
「もういい。どうせDr.は暫く部屋から出てこねぇし、俺はサボらせてもらうぜ」
「おい」
遠のく足音は徐々に聞こえなくなり、地下には再び静寂が訪れる。暗く冷たい地下牢獄。男は鎖で繋がれ、女、子供はDr.の実験台にされる。時々、男もDr.の実験に使われているが、再び牢に戻ってくることはない。
地下に閉じ込められた人々は日に日に数を減らしていき、先日、Dr.が「そろそろ繁殖させるかのぉ」と呟いたのを堅物戦士は聞いていた。
「…Dr.シノル」
狂気の医者であり、かつてティルル食事場及び街へと広がる水道に毒を混入させ、大混乱を引き起こした張本人。ティルル襲撃後は姿をくらませていたが、その狂気は依然健在だった。戦士ですら距離を取るDr.の不人気さは凄まじく、特にモナは本気で嫌っている。
地下の一室。悲鳴と血が染み付いた部屋で一人の老人が木製の本棚から一冊、本を手に取った。まばらに残っている白髪、額の大きなシミ、ティルルにいた頃は身なりを整えていたが、今のDr.は名ばかりの汚い老人と化している。
「(ゲホッゲホッ)モナたんはそろそろ(ゴホッ)起きたかのぉ。やはり何事も(ゲェッホ!)幼い子どもで試すのが一番だからのぉ、一度でいいから実験に付き合ってほしぃのぉ」
Dr.シノルは皺だらけの笑みを浮かべながら汚い本に文字を書き足していく。
【合成毒No.02の被験体(死亡)から摂取した汚染血液の投与】
摂取後経過時間2時間 静脈注射による投与
痙攣及び呼吸不全開始、40秒後死亡確認
額の紫色のシミを掻きながら、次々と実験結果と情報を記していき、それを終えると本を閉じて埃まみれの本棚に置いた。
その後ろ、部屋の中央に置かれた石の台座の上には少女が横たわっている。鉄輪によって手足を封じられた少女は、地下に響いた絶叫を最期に、冷たい眠りについていた。
「投与量と(ンッンゥ)想定致死量に誤差有りじゃな。まぁ(ゲッホゲホッ)こんな手間のかかる毒など不必要。作る意味など全く無かったわけじゃな」
無意味な実験によって命を侵された者たちは数えきれない。実験体は全員この島の原住民で、Dr.や戦士たちは突如としてこの島を蹂躙した。
島中心部にあった集落は瞬く間に破壊され、残った家は戦士たちの寝床にされ、島の男たちと戦士によってDr.の実験場が建築された。
既に一ヶ月が経過し、Dr.も戦士も島の環境に慣れていたが、二週間前に到着したモナは未だに文句を吐き散らかしている。
「実験体の繁殖…。んぅ、面倒じゃのぉ」
島の住人はおろか、戦士たちもDr.の目的を知らない。ただ毎日、実験場に篭り、毒や薬を作っては試しての繰り返し。一方のモナはただ単純にオルセラという人物に騙されて島を訪れ、とある人物からの命令によって嫌々、島に居続けている。
「(ゲホッ!)さっさと転移者を連れて(エェッホ!)本部に戻るとするかの」
Dr.が実験室から出ると、目を覚ましたモナの怒号が地下に響いてきた。反響して聞き取りにくいが、間違いなくDr.への罵詈雑言が連呼されている。Dr.はモナの罵声に対して嬉しそうに不気味な笑みを浮かべ、隠れるように入り組む地下廊下を進んでいくのだった。
「…声、枯れますよ」
実験場地上二階、モナの部屋にてベルーサが呆れた声で怒号の主に忠告していたが、主であるモナは壁を蹴りつけながら止めどなくDr.への罵声を言い続けている。
「おいベル!命令だ!そこどけ!」
モナがDr.の元に行かずに周囲に当たり散らかしていたのはベルーサが部屋の出入り口に立っていたからだった。
「結局また眠らされますよ」
「あ!?モナのこと馬鹿にしたな?完っ全に馬鹿にしたな!誰があのクソジジィに負けるって!?いいから早くそこどけよ!」
関係性でいえば上司と部下な訳だが、年齢も体格もベルーサが上。部下といえど肉体的にベルーサには絶対に勝てないのはモナが一番理解している。
「正直、モナ様にはDr.にあまり関わってほしくないんですよ。色々面倒になりますし、一応Dr.は竜滅会にとって重要な人員ですし」
「うるせぇ!あんな老害のどこが重要なんだよ!汚ねぇし臭ぇしキメェし!生きてる価値ねぇだろ!」
「単に時間と体力の無駄です。そんな暇があるなら、逃した転移者を追った方が賢明ですよ?今度はわたしがお供しますから」
暴れていたモナの挙動が一瞬止まり、ベルーサの顔面に向けて赤黒い短剣が飛んできた。縦回転する短剣を容易く掴み取ると、床を向いている刃がギラっと光った。
「幹部の証を投げないでください。元より殺傷用じゃないんですよ?それに、投げるなら回転させずに刃を真っ直ぐと…」
「誰が逃しただって!?まるでモナがあのクソ野郎どもに負けたみてぇに言いやがって!」
「あー、それは失礼しました」
事実、モナが逃げてきたのだが、ベルーサもそれを察しつつ、モナを宥めた。Dr.へ向けられた矛先を容易く自分に向けさせるのはベルーサにとって朝飯前である。
「今回はわたしにも非がありますし、あの"お方"の命令である以上、転移者確保は絶対に遂行しなければなりませんからね」
モナは舌打ちして乱暴に床に座り込み、ベルーサは短剣を禍々しい鞘に収めた。血管のような赤い装飾が施された真っ黒の短剣、竜血の短剣をモナに渡すと
「しかしながら、ティルルから転移させたのは転移者だけなのでしょう?戦士十人以上が役に立たないとは、そんなに強かったんですか?」
モナは砂浜での光景を思い出し、もう一度舌打ちした。青白い閃光と体を駆け抜けるショック、暴走するタルボサウルスの咆哮や呆気なく敗北していく無能戦士。最終的にどうなったかは不明だが、モナは全く期待していなかった。
「ゼアルの娘と雷刃がいんだよ」
予想外の人物が連続で出てきたことで、ベルーサは一瞬理解ができなかった。
「雷刃?あの雷刃ロキが、ですか?」
「あぁ」
「でも、なぜゼアル様の娘が?というより、娘?本当に娘なのですか?」
「そう言ってんだろ。金髪で竜脚類の能力、ゼアルの一件含めて、一気に情報が出回ってる。……あ、そうか。お前、まだ知らねぇのか」
一応伝達の水晶があるが、島には外部の情報が入ってこない。故にベルーサはモナから発せられるであろう衝撃に備えた。
「ゼアルが捕まった。ルゼアチノは壊滅状態で、どうやらその娘と転移者がぶっ壊したらしいが」
「ちょっと待ってください」
思わずベルーサはモナを遮った。
「ゼアル様が…捕まった…?」
「いちいち聞き返してくんな。モナがそう言ってんだから事実に決まってんだろ」
誇り高き巨竜の民の王が倒された、それが戦士たちにとってどれほどの衝撃か。最強と恐れられていた力の支配者が失墜した事実にベルーサは
「そうですか。じゃ、転移者探しに行きましょうか」
あっさりと流してしまった。これにはさすがのモナも驚きを隠せていない。いつも冷静なベルーサが取り乱す姿を見たかったのに、あまりにも淡白な反応。
「てめぇんとこのゼアルだぞ?」
「はぁ」
「はぁ、ってお前、なんかこう焦りとか驚きとかしねぇのかよ」
「ははっ、驚きですか。特に無いですよ?それで騒ぐのはわたしたちよりも上の世代くらいでしょうし、わたし含め若い戦士たちは地位とか支配とか興味ありませんから」
爽やかに微笑むベルーサの言葉は紛れもなく本心だった。
「あ、でも、ゼアル様の娘には驚きましたよ?わたしが幼い頃に一度だけ目にしたくらいで、まさかまだ生きてるなんて」
と言いつつもベルーサの表情に驚きは見られない。ゼアルについてはまるで無関心のまま、ベルーサは転移者を見つけに行こうとモナを急かすしまつだった。
「雷刃は当然ですけど、ゼアル様の娘となると油断はできませんね。転移者はどうでした?」
「………」
「モナ様?」
転移者、エースケのことだが、モナはロキに追い詰められ続け、挙句しばらく気絶していたためにエースケについては何も知らない。エースケもそこまで活躍していないため当然と言えるが、モナとしてはベルーサに余裕がなかった事を知られるのが癪でしかない。
「お前が雷刃とゼアルの娘を殺せ。転移者はモナが殺す」
「転移者は殺してはダメですよ」
「つか、今から行くのかよ」
「彼らが地形に慣れる前に奇襲した方が良いでしょう?面倒とか言わないでくださいよ、さすがにわたし一人では骨が折れそうなんで」
モナはだるそうに立ち上がると当たり前のようにベルーサが抱き抱え、部屋を出た。
「少しは歩いたらどうですか。いつも浮遊の水晶に乗ってるといざいという時に動けなくなりますよ」
「うっせぇ」
モナの移動手段である浮遊の水晶はバランスボールサイズの巨大なものだが、特徴は大きさだけではない。戦士やモナはトランス缶をこの水晶から取り出したわけだが、浮遊の水晶に物を出し入れできる能力はない。それは保管の水晶の能力である。
モナの乗る水晶は半分が浮遊能力、もう半分が保管能力の言わば浮遊・保管の水晶。これは人為的に作られた代物で、その技術は竜滅会だけが持っている。
「楽するために作らせんだから楽するに決まってんだろ」
モナが水晶球に座ると水晶は軽やかに浮き上がり、モナの目線はベルーサと同じ高さになった。ベルーサは島中心部部を取り囲む断崖絶壁を眺めている。
「とりあえず砂浜方面を適当に漁りましょうか。くれぐれも油断しないでくださいよ」
「しねぇよ。モナを馬鹿にすんのも大概にしろよ?」
「馬鹿になんてしてませんよ。ちょっとなめてるだけです」
「それを馬鹿にしてるって言うんだよ!」
*********************
断崖絶壁の向こう側、島唯一の上陸地点である砂浜までは広大な森林が広がっている。やや傾斜となっている森林はルゼアチノのジャングルのような行動を阻まれるほど生い茂ってはいないが、恐竜の巣窟となっている。
「………」
タルボサウルスに追われていた時に拾った少女を背負いながらエースケは息を殺していた。ロキの一声でアルーゼが樹上にエースケを引き上げ、気づけば眼下には小型の肉食恐竜の群れが地面を覆い尽くした。
人間の膝の高さにも届かない小さな二足歩行の小型恐竜は高い鳴き声を上げながら周囲に首を回している。エースケたちの匂いを嗅ぎ取ったのか、それとも別の何かに引き寄せられたのか、二十匹以上の群れはその場を動こうとしない。
「あれはあれで怖ぇな」
「小さい個体でも群れとなれば容易に人を殺せる。やり過ごせればいいが」
「おいエースケ。その子預かるからよ、お前囮として適当に走ってこいよ」
「アホか!!」
エースケの声に反応して何匹かが見上げると同時に、アルーゼが急いでエースケの口を押さえた。ロキはそのやり取りに小さくため息をついて、右手首に着けていた腕輪を外し、群れに向けて落とした。
鈍い音とともに銀色の腕輪に嵌め込まれた水晶が微弱な電気を放ち、突然の刺激に小型恐竜は甲高い鳴き声と共に散り散りになっていった。
「降りるぞ」
腕輪を着けると、周囲確認して安全を確かめる。少女を背負っているエースケはアルーゼの力を借りつつ慎重に降りた。
「剣もそうだけどよ、ビリビリの持ってるやつ便利だな」
ロキがいなければエースケとアルーゼは砂浜で死んでいただろう。強力無比な電撃によって活路が開かれ、エースケたちは今に至るわけだが、二人ともロキに興味津々だった。
「その魔法はどうやって手に入れたんだよ」
エースケの一言にアルーゼは「?」と首を傾げた。
「どう見たって水晶の能力だろ」
エースケが幾度となく夢見た異世界生活。チート能力と美女と共に胸熱展開を繰り広げて世界を救う、誰もが羨む生活に憧れていた。あるわけないという考えを殺して、現実から目を背けるためにアニメや漫画、ラノベを漁りまくった日々は間違いなく自分を成長させたと信じている。
しかし恐竜界において、そんな憧れは憧れのまま終わった。魔法は無い。これだけで異世界生活の九割は死んだと言っていい。
「え、水晶?」
「そりゃそうだろが。電気を発する生き物がいるか?」
「いや、デンキナマズとか」
「なんだそれ」
不思議な力=水晶というのは恐竜界では常識。もちろん恐竜化にも不思議な力はあるが、ロキは島に来てから一度も恐竜化していない。
つまりエースケの「魔法があるかもしれない」という希望は砕け散ったわけだが、逆に新たな希望が生まれた。
「つまり、俺も使えるのか?」
「コツはあるがな。使えないことはない」
「まじか!」
おもちゃコーナーに来た子供のように目を輝かせて剣に手を伸ばすエースケ。
「先ほどの戦闘で電撃は使い切った。今はただの剣だぞ」
「持ってみたいんだよ」
エースケはダメ元で言ってみたのだが、ロキは予想外にも剣を差し出してきた。アルーゼも予想外だったのか「いいのかよ」とつい口からこぼれ出る。
派手な装飾がある観賞用とは違い、純白の鞘に納まった重たい騎士剣にエースケは「抜いてみてもいいか?」と聞いた。
「あぁ」
鍔の中心には菱形の水晶が嵌め込まれている。しっかりと握り、ゆっくりと鞘から引き抜くと銀色の刃に自分の顔が映った。
「騎士の誇り的な理由で断られると思った」
「なにも、剣を誰かに渡さないことが誇りではないさ。誇りとこだわりは紙一重、騎士としての誇りは無論あるが、そこまでのこだわりが無いだけだ」
鋒のやや下にもう一つ水晶が嵌め込まれていて、剣は鞘から抜いたはずが全く軽くなった気がしなかった。
「…重いな」
「雷晶の剣、名はグラントール。そしてこの腕輪、雷輪の計四つの雷の水晶の放電が、お前の言った魔法の正体だ」
エースケは初めて触れる本物の剣に圧倒されていた。少しでも力を抜けば持っていられなくなる、そんな気がしてつい両腕に力が入る。
「それで人間を斬るんだ」
ロキの放った言葉にエースケだけでなくアルーゼもゾッと背筋に冷たい感覚を感じた。胸に突き刺せば簡単に心臓を貫き、斬れば簡単に肉を裂く刃が放つ恐怖感は素人にも十二分に伝わってくる。
「剣の重さは物体的なものだけではない。自信が抱く恐怖や覚悟、その剣が吸った血や命によって、時に鞘からすら抜けなくなる。その重さを知ることは一つの経験として重要だと俺は考えている」
「…だから、持たせてくれたのか」
ロキは人間を斬ることに関しては特に何も言わず、剣はアルーゼに手渡された。アルーゼも「おもっ」と言っていたが、エースケよりも様になっていた。
「そろそろ行くとしよう。とりあえず今夜過ごす場所を見つけなくては」
自分達の安全もそうだが、まずは少女をゆっくり休ませなくてはいけない。目を覚ます気配はないが、呼吸や表情はさっきよりも落ち着いてきている。
「集落があるはずだよな」
と言ったエースケ本人が直後にとある可能性に言葉を詰まらした。
「襲ってきたあいつら、あれは間違いなくルゼアチノの戦士だぜ。でもここは絶対にルゼアチノじゃねぇ。ってことはよ」
もし集落があったとしても戦士たちが放っておく訳がない。戦士の持つ破壊的、支配的な考え方をエースケはゼアルで嫌というほど知っている。
「クソ親父から解放されたはずが、また戦士なんつーもんに会うなんて、もはや呪いだな。あの野郎、水晶の中から私のこと呪ってんだよ」
「俺もまさか戦士に再び会うとは」
「派手に吹っ飛ばされてたな」
「……誰にも言うなよ」
砂浜戦で特に活躍していないエースケ。アルーゼはここぞとばかりにニヤニヤしている。
「ツァル子からエースケが強くなったぁって聞いてたんだけどなぁ?なんかー期待はずれっつーか、情けねぇっつーか?ツァル子に言っちゃおぅかなぁぁ」
「き、貴様ッ…」
「レオンもきっとがっかりするだろぉぉなぁ」
エースケは知っている。アルーゼは確実にこの後、何かを要求してくると。帰ったら飯奢れだとか、このネタを永遠とチラつかせて脅してくるのだ。
「…じゃあ俺もティルルのやつらに言いふらすぞ」
「な、何をだよ…」
「アルーゼが俺にチューしたこと」
「き、貴様ッ…!」
ゼアルを水晶にぶち込んだ後、空気感というかノリというか、エースケはアルーゼにファーストキスを奪われている。エースケの人生の宝物ランキング第一位をエースケは誰にでもいいから自慢したかった。しかしそれもできぬまま転移させられてこの始末。
アルーゼの耳が真っ赤になっていることを見るやいなや、今度はエースケがニヤニヤし始めた。
「超可愛いかったなぁぁ、みんなに言いたいなぁぁ」
「…てんめぇ」
「いつもツンツンしてて乱暴なのに、あんなに女の子らしく可愛くなっちゃうなんとうぇぇ」
「忘れろパンチッ!」
「っぶねぇ!」
強烈なパンチが左耳を掠めるとエースケは左腕を前に突き出した。
「待て待て待て待て待て!ストップストップ!この子に当たるって!」
「だいじょーぶだいじょーぶ、当たんねぇようにすっからよぉ」
「ごめんて!調子乗ったって!謝る!すんごい謝るから!這いつくばって靴舐めるから!靴にチューしちゃう!くちゅーしちゃう!…なんつって」
「はい。殺しますね」
「笑顔が怖いです!」
エースケへの顔面ストレート三秒前、先行して散策していたロキの声が聞こえたことでアルーゼの動きが止まった。
「ほ、ほらアルーゼさん?ロキが呼んでるから行きましょ?」
少女を背負っている、これはエースケにとって女神の盾に等しい防御力を持っていた。エースケがどうなろうと少女に危害が及んではならない。さすがにアルーゼもそこは理解している。
エースケはゆっくりと歩みを進めていく。打撃は少女に衝撃が伝わる可能性があるから絶対にしてこないと、エースケは恐怖を抱きながらも「(ラッキー、ラッキー)」とロキの元へ行こうとした。
「おい」
その低い声にエースケはつい立ち止まってしまう。
「な、なんでしょ」
両手は少女を支えているため使えない。つまりエースケには防御手段がない。アルーゼ魔境脱出かと思いきや、アルーゼ魔王様の右手がエースケの右乳首に添えられた。
「ア、アルーゼ様…?」
「その子、落とすなよ」
「!!」
直後、右乳首に尋常ではない力が込められる。意識を埋め尽くす激痛。千切られる恐怖と感じたことのない痛みはエースケに絶叫以外の選択肢を与えなかった。
「ギビィピッヤァアァッッヤアアィイアッァァァア!!!!!」
ただつねるという行為がここまで人間を追い込むとは。まさに肉体と精神、その両方をえぐる拷問。少女を背負っていることが激痛から逃れられない理由になってしまう、まさに地獄のジレンマ。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!」
たった五秒、されど五秒。理不尽すぎるアルーゼの蛮行にエースケは膝から崩れ落ちそうになった。そして手をパンパンと払い、アルーゼはロキの元へ歩いていった。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
呼吸をなんとか整えて、少女の様子を確認する。絶叫してしまったが、特に苦しそうな様子はない。
「よ、よかった」
そして右乳首にそっと手を当ててみる。優しく押して、撫でて確認する。
「よ、よかった」
そしてエースケの心に熱い感情が沸々と、沸々と心を染めていく。
「…アルーゼ」
離れていく背中を睨みつけ、エースケは復讐の炎を激らせる。右乳首を押さえながら、歯を食いしばり、熱い涙を流した。
「お前の乳首を、俺が貰うからな…!」
乳首戦争、開戦である。




