島という場所
血祭りと化した森の中で、ふと嗅ぎ取った潮の香りに藁にも縋る思いで走り続けたエースケは、恐怖の追跡者を背にどうにか砂浜に戻ってきた。
「もう無理!まじ無理!腹痛い!息が!」
体力消費で恐竜化は既に脚部のみ、顔や腕に広がっていた鱗は人肌に戻っている。エウポンの速度はタルボサウルスを振り切るのに十分だったが、図体の差と途中で拾った物体を抱えているため結構ギリギリの距離までタルボサウルスが迫っていた。
アルーゼとロキはエースケの無事に一瞬安堵したが、それも一瞬のこと。このままタルボサウルスを迎撃するか、トランス缶の副作用に悶絶する戦士たちを置いて逃げるかの二択を迫られる。
「エースケのやつ何持ってんだ?」
手ぶらで森に入っていき、戻ると布の塊をお姫様抱っこしているエースケにアルーゼは目を凝らしている。そう迷っている時間はない。体力は全員ほぼ無いに等しく、答えは事実一択しかなかった。
そして二人はエースケの抱えるそれの正体を知る。
「エースケ!お前それ!」
抱えていたのはボロボロの汚れて灰色になった布に包まれた少女。ブルーブラックのうねった短い髪に、苦しむような表情で目を閉じている少女だった。
「なにがどうなりゃそうなるんだよ!」
「森の中で倒れてたから拾ったんだよ!それよりこの子すんげー熱い!そして何より俺の体力がもたない!」
カルノタウルス惨殺事件の後、タルボサウルスに追われていたエースケが森の中で発見した白い塊。違和感はあったが気にせず通り過ぎようとしたエースケの目に飛び込んだのは、今まさに抱えている少女だった。さすがに見捨てることもできず、弱々しく倒れている体を抱き上げて今に至る。
少女を抱き上げる行為に罪悪感があったが、見捨ててタルボサウルスに喰われでもしたら、それこそ罪悪感に押しつぶされたことだろう。
「ビリビリ!」
「走るぞ」
ロキの決断にアルーゼが頷くと、エースケが合流し、三人は血の匂い漂う砂浜を走り出した。度重なる戦闘で体のあちこちに痛みを感じながら、振り返ることなくモナが飛んでいった方向へと足を早めていく。
「その子…攫ってきたのか?」
「拾ったんだよ!いや拾ったってのも大分おかしいけど…。森の中で倒れてたから見捨てるわけにもいかずに」
「落とすなよ」
「あったりめぇだ」
アルーゼは興味津々で少女の顔を見ている。ロキの青髪よりも黒色の強いブルーブラックカラーの髪に幼い顔立ち。頬は熱っぽく、目の下のクマと細い呼吸が不調を訴えている。少し前を走るロキは倒れた筋肉男たちを横目に先陣切って森に飛び込んだ。
「また森かよ…」
「今度は私たちがいるだろ」
「一人くっそ怖かったからな!」
「なんか元気だなお前」
「ヤケクソだわ!」
無我夢中で逃げるエースケたちとそれを追うガンギマリタルボサウルス。双方満身創痍だったが、先にその肉体に限界が来たのは
グギギギッ…!
口から流れ落ちる血はカルノタウルスのものだけでなく、ロキから受けた傷も相まってタルボサウルスの出血量は生命機能に支障が出る量をとうに超えていた。それでも動けていたのはトランス缶による興奮作用と感覚麻痺によるもの。しかしその効果も筋肉男たち同様に限界がきた。
血の味と匂いを口いっぱいに広げ、視界は真っ赤に染まっていき、全身にゆっくりと痛みが昇ってくる。まるで炎が勢いを増していくかのように痛みと熱さが体内をぐちゃぐちゃにしていく。
ギィィィ
突然訪れる肉体の崩壊に耐えられず今までの力強さを微塵も感じない無力な姿となったタルボサウルスは激痛に力が入らず倒れこみ、筋肉男以上に砂浜を血で染めていく。エースケたちはタルボサウルスが倒れたことに気づかず走り続けていたが、もう誰一人としてエースケたちを追うものはいなくなった。
強烈な興奮作用によって疲労やダメージを一時的に無効化する緑煙、トランスポイズン、通称トランス缶。モナはこの副作用を知っていた上で筋肉男たちに使用した。しかしエースケたちは無事に事態を乗り切り、モナ本人も戦線から離脱し逃走に成功している。
「…クソッ、まだ体が痺れてやがる」
同時刻、バランスボールサイズの大きな水晶に乗ったモナは怒りと不快さを露わにしながら空中を移動していた。砂浜はもう見えず、下方には森林が広がり、先には巨大な山が一つ聳えている。
砂浜から続く森は傾斜があり、ゆっくりと上に登る地形になっていて、内側の斜面は切り落とされたような垂直に近い断崖絶壁。そして島の内から外へを阻む深い盆地の北部に聳え立った巨大な山。麓は深い緑で覆われているが、上部は岩肌が剥き出しで荒々しく、まさにこの地の象徴といえる。
「いつまでこんなクソみてぇな島にいなくちゃいけねぇんだよクソが!あーイラつく!イラつくイラつくイラつくイラつく!!」
聳える山の向こう側はすぐ海が広がっており、島の外周は自然の岩壁が波とぶつかり上陸は難しい。エースケたちが転移した砂浜は島唯一の上陸可能地点だった。岩壁が上陸を阻み、中心地を囲む絶壁が脱出を阻む地にエースケたちは踏み込んでいった。
**********************
「お帰りなさいませモナ様」
モナが降下した場所は島中心部の開けた平地で、一人の筋肉男がモナを見上げていた。
「ジジィいるよな?」
「Dr.なら中に。お持ちします」
男は水晶を受け取り、モナは平原に建てられた建造物へ歩いていく。
「磨いとけ。トランス缶の補充もな。あー歩くのほんっとダルい。まじ地面死ねよ」
気怠そうに舌打ちをして、モナは石造の階段を登っていく。たった八段の階段を面倒そうに上がると発光の水晶で照らされた廊下が真っ直ぐ続いていた。
壁、床、天井、外見全てが石材で作られた建造物の内部は薄暗く、涼しい。神殿…のように見えなくもないが装飾も彫刻も見当たらない何の神秘性も感じられない二階建ての建物はそれなりに大きく、入り口から続く廊下は左右四つの部屋へと続いていた。
「なんでモナがこんな薄暗くてジメッてるクソな場所に何日も何日も何日もいなくちゃいけねぇんだよ」
ぶつくさ文句を吐き捨てながらモナは廊下を歩いていく。各部屋への扉は無く、中には薄汚れた木製の机と本棚、中身不明の瓶や壺が置かれていて近づき難い雰囲気を放っている。
廊下を進むと地下への階段があり、モナは右一番奥の部屋にある二階への階段をまた気怠そうに一歩一歩舌打ちしながら上っていった。
「蜘蛛の巣に虫、むさ苦しい男だらけのクソ生活。まじ死ね。なにが毎日バカンス気分だ。オルセラのやつ、絶対殺してやる」
そしてまた廊下が続いているが、二階の部屋は四つだけ。一つは階段部屋、残り三つは全てモナの部屋だ。大小、能力様々な水晶がいくつも置かれた水晶部屋、モナの好むド派手なカラフルビビットパーカーなどの衣服がある衣装部屋、そして自室。
一階とは違い、モナの部屋の入口には布がかけられ、部屋の様子は下から覗きこまない限り見えない。自室には窓が二枚、しかも硝子が貼られている。床には絨毯がひかれベッドもフカフカで清潔感があり、牢獄か部屋かと言われたらギリギリ部屋と言えるだろう。
「ベル!」
モナが叫んだ五秒後
「どうされましたか」
自室を遮る布の前に先程モナと会話していた筋肉男が現れた。
「入れ」
布を分けて入ってきた男は筋肉男、と言ってもゴツいわけではなく、引き締まった細身の青年で、端正な顔で背が高い、言うなればハイスペック系。穏やかな声音と表情の大人びた黒髪青年は地面に触れそうな長剣を腰に、黒い薄着は鍛えられた腹筋を強調している。
「まさか扉の件ですか?」
「あ?」
「違いましたか」
「いや、扉は付けとけ。モナのプライバシーが侵害されてる」
「窓硝子で我慢してくださいと言ったでしょう。一から硝子を作って、中々大変だったんですから」
「窓と扉は別問題だろ」
「扉を付けたら絶対に鍵も欲しがるでしょう?それで面倒事から逃げるために引き篭もられでもしたら、我々に皺寄せが来るんです」
「黙れ、いいから扉を」
強引に説得を捻じ伏せてくるモナに対してベルーサはため息をついて呆れている。
「呼んだ理由は別件なんでしょう?あ、お身体を洗いたいなら、そろそろ一人で行ってくださいね、連れてくの面倒なので」
「じゃあいい、出てけ、寝る」
言おうとした事を先に断られたモナは袖から腕を引き抜いて、そのまま派手色ダボダボパーカーを脱ぎ捨てた。そしてフカフカベッドに飛び込んだ。
「はぁぁ。またそれ一枚で出歩いていたんですか?せめて下くらいは履きなさいと、わたし言いましたよね」
ベルーサは呆れた視線を全裸のモナに向けている。着ていた服はサイズが大きく、モナの膝上まで余裕で隠し、エースケたちもまさかモナが服一枚だったとは気づいていない。
「おいベル、もう黙れ、喋んな。説教してんのか?殺すぞ」
「竜滅会幹部がそんな格好でウロウロされては、さすがに説教もしたくなります。子どもといえども、その格好はダメです」
「誰が子どもだ!」
「全く…。わたしが悪かったですからさっさと着てください。水浴び、行くんでしょう?」
結局ベルーサが折れるのはいつも通りの光景だった。
「結局脱ぐんだし、着なくてよくね。ベルーサ、抱っこ」
「よくありませんし、抱っこもしません。わたしに向けられる目を考えてください。モナ様の年齢、一発アウトですから」
「知るか」
と言いながらも脱ぎ捨てた服を拾ってスポッと着直したモナは両手を上げて
「抱っこ」
ベルーサは今日一番のため息をついて、モナを軽々と抱き抱えた。あまりにも軽すぎる体に不安を覚えながら、一階に降りると、他の戦士の目を気にしてか全速力で水場へと向かっていった。しかし
「速い」
この一言でベルーサは速度を落とし
「歩け」
この一言で歩くことが確定した。ベルーサは神殿(仮)の周囲を見張っている筋肉男たちの視線にぶつかりながら、モナは気にせずにベルーサの左耳のピアスを触っている。
「おいベル、次どこ開けんだよ」
「開けませんよ。左耳だけで十分です」
「つまんな」
「モナ様が開けすぎなんです。耳、目元、鼻、唇、口元…」
「あひょ、ひひゃも」
モナは少し寄り目で舌を出し、銀色の舌ピアスを見せつけたが、ベルーサは見慣れているためか無反応。つまらない反応のせいか、
「遅い、走れ」
とモナに振り回されるベルーサであった。程なくしてモナ専用の水浴び場に到着したベルーサは、そっとモナを立たせて周囲を見渡す。
陽の光を反射させ、底がはっきり見えるほど澄んだ水場はベルーサが見つけ出したモナ以外使用禁止の聖域。筋肉男たちが近づこうものなら即死刑、毎度送迎兼見張り役として付き合わされるベルーサが仲間から冷遇されている一番の理由である。
「転移者はどうなさったのですか」
脱ぎ捨てられた服を拾い、綺麗に畳むベルーサの質問にモナはフル無視で水場の真ん中へと歩いていく。
「モナ様?」
「………」
水深の浅い水場でもモナの身長ではへそ辺りまで沈み、何もない空間を見つめながらベルーサの声は見事に耳から耳へと抜けていった。
「転移までは良かったものの、逃げられた。…もしくはモナ様が」
逃げてきた。まるで挑発するように言葉を並べていくベルーサだったが、モナは依然無視。
「彼ら、意気揚々と来た割に使えなかったでしょう?」
全て見ていたかのように話すベルーサにモナは舌打ちした。
「最初からてめぇが来てりゃ」
「行こうか迷ったんですが、彼らにお前は来るなと言われまして。十名以上いましたし、モナ様もいるのでわたしは必要ないかと」
「それでも来んだよ!」
ベルーサはモナの反応で自身の言ったことが当たったと確信した。モナは悔しそうに水面をバシャバシャさせ、怒りを爆発させる。
「第一、話と違ぇんだよ!転移する場所はクソジジィの実験室って言ってたのがなんであんな場所に転移してんだよ!無能なゴミクズばっか寄越しやがって!何もかもが役立たずのクソカスどもがよ!」
「ちなみに砂浜への転移はDr.の命令ですよ。実験室で暴れられてはたまらないと」
「だろうな!だから殺してクソ男どもに食わせてそいつらも殺すんだよ!連帯責任で全員殺してやる!」
美しい水場にこだまする美しくない言葉の数々。激怒するモナに対してベルーサはもちろん落ち着いているわけだが、その態度が鼻についたモナは
「もういい。ジジィ殺しに行くぞ」
折角連れてきたというのにさっさと水浴びを終わらせるモナにベルーサはため息をついた。ベルーサはモナの世話役だが、振り回されることに慣れているわけではない。自分が行ったことを一瞬で無駄にされることを嫌うベルーサからすると、モナのわがままは実にうんざりするのだった。
「なんだその目は。てめぇがモナのこと馬鹿にしたから、これは罰だ、罰!」
「別に馬鹿にしては」
「子どもだとか!逃げたとか!忘れてねぇからな!」
**********************
「お騒がせして申し訳ありません、Dr.」
薄暗い石造りの部屋に倒れたモナを抱き上げたベルーサはため息とともに目の前の老人に謝罪した。少し腰が曲がり、長い白髪がところどころ残ってほとんど頭皮が見え、額に紫色のシミがある老人は微笑んでいる。
「な〜に、可愛らしい(ゲホッゲホッ)じゃないか。(ゲホッ)モナたんに怒鳴られるなんて(ゲェッホ)ご褒美じゃよ。可愛いモナたんには…」
息苦しそうに咳き込む老人は口角を限界まで上げ、不気味な笑みを浮かべた。
「お尻からこの毒液を入れてあげたいのぉぉ」
小瓶を揺らしながら毒液をピチャピチャと音立てる老人は、眠るモナを舐めるように汚い舌を上下に動かしている。
「本当にモナ様に殺されてしまいますよ」
「また眠らせ(ゲホ)るだけじゃよ」
「麻酔粉と間違えて毒使わないでくださいよ?」
「(ゲホッ)最近視力が落ちてきたからのぉ。それに(ゲェッホ!ゲエッホ!)君がいない時は(ゲホッ!)モナたんの体を隅々まで触ってしまうかものぉ」
水浴びから戻ってきた直後にDr.のいる神殿(仮)の地下へ向かったモナは、竜血の短剣でDr.を刺し殺そうとした瞬間に、顔面に麻酔粉をかけられ即倒していた。ベルーサは爽やかに微笑むと、モナを抱えて地下室を後にした。
神殿(仮)の外観は二階建ての石造建築物だが、その実、地下には数多くの空間が存在している。無論、太陽光の届かない発光の水晶のみの薄暗い地下はDr.の実験場と呼ばれていた。
「さてさて(コホッ)モナたんを可愛がれなかったのは残念じゃったが」
廊下から続く部屋は十以上。部屋から部屋へ続く通路や曲がり角の多い地下はまるで迷宮のように入り組んでいる。Dr.が慣れた足取りで向かった先では二人の戦士が椅子に座ってくつろいでいた。
扉がない実験場に珍しく金属製の扉がある部屋は鉄格子が取り付けられ、中には四人の少女が身を寄せ合って怯えていた。
「君たちはたっぷりと可愛がってあげよう」
同じような牢屋が地下には二十以上ある。不気味な笑みを浮かべるDr.に対して少女たちは絶望を目に浮かべ、戦士が一人の少女を牢屋から首を掴んで無理矢理に引きずり出した。
「…ぃゃ」
零れ落ちる恐怖に満ちた声にDr.はニタァっと笑顔を見せる。抵抗もできず、牢屋から連れ出された少女は必死に残った三人に視線で助けを求めたが、あまりに無力。Dr.は少女を連れて、薄暗い闇に消えた。
「…たす…けて」
数分後、少女の絶叫とDr.の興奮した甲高い笑い声が地下に響いた。
耳を塞ぎたくなる悲鳴に各牢屋で恐怖が溢れ、ある牢屋では一人の男が目を覚ました。石壁から伸びる鎖に腕を縛られた中年の男の体はあざだらけで痛々しく、栄養不足で痩せてしまっている。
「……メイ」
「(お父さん!!)」
鎖は音を立てるだけで壊れることはなく、少量の水しか飲んでいない体ではどうすることもできない。地下は戦士が数人巡回していて、一人の戦士が鎖の音に気づいて牢屋に入ってきた。
見せつけるように牢屋の鍵を指で回しながら、足で男の顎を持ち上げると
「あ、見えてねぇんだったな」
「…う」
白く混濁した瞳を覗き込んで、戦士が鼻で笑った。
「…くれ」
「あ?」
「…水を…くれ」
「へっ、それではいどうぞって言うやつがどこにいるんだよ」
「……おい、なにしてる。実験体への」
「チッ。…分かってるよ。実験体は大切に、だろ?壊していいのはDr.だけ、俺たち戦士はDr.のために」
「喋りすぎだ。さっさと出てこい」
戦士は縛られた男の白い目を覗き込んだまま
「みんな仲良く、狂ったお医者様のおもちゃなんて羨ましい限りだな」
鍵が閉められる音、戦士の足音が聞こえなくなり、地下には静寂が訪れる。誰も声を上げず、暴れず、抵抗せず、地下迷宮に閉じ込められている中、盲目だったが、男の目はまだ死んでいなかった。
「…メイ。どうか…生きててくれ」
青黒色の髪の男はそう呟いた。




