母親という真実
「コ、コレガ、クチビルノ、ヤワラカサ…」
「いつまでアホみたいな顔してんだよ!とっとと帰ろぉぜぇ」
ゼアル保管から三十分経ったというのに、アルーゼから思わぬご褒美を受け取ったエースケはまだ幸せに浸っていた。それはツァル子たちも例外ではなく、愛娘の大胆さに「可愛い!あぁ!可愛い」と感情を爆発させているノア、「アルーゼ!私にも!私にもチューして!」と駄々をこねるツァル子によって、一行は未だにルゼアチノから移動していなかった。
「見てくださいトラケラ君、この中にゼアルさんが入ってるんですよ。改めて思うと、エースケさんたち本当に凄いですよね。あ、もちろんトリケラ君も凄いですよ?」
ゼアルが封じ込まれた水晶をトリケラに見せているレオンは少し怯えながらもどこか誇らしげだった。アルーゼのまさかのチューに動揺していたのも一瞬のことで、今はトリケラと仲良くリラックスタイムを楽しんでいた。
「おいレオン!こぉいぃつぅらぁを!どうにかしてくれぇ!」
アルーゼの右半身にノアが張り付き、左半身にツァル子が張り付いているのを必死に引き剥がそうとしている光景に微笑みながら
「アルーゼさん。楽しそうでなによりです」
「楽しくねぇ!!離れろぉ!」
アルーゼの人生において負の感情に満ち溢れたルゼアチノ。ノアに出会うまではまさに地獄と呼べたこの場所は、戦いの果てに瓦礫の山と化した。楽しかったと笑える記憶は無く、思い返せば孤独感と激痛が今の自分までも侵食しようとする。
しかし、そんな苦しいだけの故郷はもう無くなった。されど故郷だと思っても、涙は一滴だって流れない。もうアルーゼを縛るものは一つもありはしない。
「あいたっ」
「いでっ」
張り付く二人の頭にお仕置きチョップを落とし、「ホヘェ」と脳みそが溶けているエースケにはアルーゼ版デコピンを炸裂させ、ようやく三人は正気を取り戻した。
「デ、デコが…」
「ったく、お前らが泣きすぎてるから私が泣けなくなっただろ。涙を返せ、涙を」
「いやぁ、ついつい感情に歯止めが効かなくなってな…」
不満げに頬を膨らましているアルーゼに対してノアが少し照れながら「反省、反省」と後頭部をかいていると、今度はアルーゼがノアに身を委ねるように優しく抱きしめた。
「だから…次は私の番だ…」
甘えるように小さく呟かれた一言に時は止まり、エースケとツァル子は同時に「カハッ」とその場に倒れた。一方、愛娘の抱擁という情報を処理しきれていないノアは立ったまま昇天した。
「みなさん帰る気ないんですか!!」
激しいツッコミに危うく水晶を落としかけるレオン。さすがのトリケラも「なにを見せられているんだ…」と暫くは移動しないことを察し、座り込もうとする。
しかしその時、トリケラは異様な気配をジャングルから感じ取った。何かが見えたわけでもないが本能から来る違和感がトリケラの神経をざわつかせる。
「…トリケラ君?」
しかし十秒と経たずして違和感は確信へと変わった。何十羽もの鳥が空へと羽ばたいていき、音、匂い、振動と情報が次第に明確になっていく。アルーゼを守るように抱き寄せたノアは昇天していた時のようなアホ面ではなくなり、エースケとツァル子も漂う不穏な空気に飛び起きた。
不安を煽る地響きはジャングルに反響し、まるで囲まれているかのように錯覚してしまう。分かることは正体不明の何かが迫ってきていることだけだった。
「来るぞ!」
ノアの合図とともに何体もの小型肉食恐竜が生い茂る樹々の間から次々と高速で飛び抜けてくる。空中へと躊躇いなく飛び上がっていく肉体には一切の余分がなく、細身で引き締まっていつつ筋肉を備えていた。しかし小型といえども、もちろん人間と比較すれば人間はちっぽけに見えてしまう。
数にして三十頭以上、エースケたちが恐竜化したとしても一人三体対応できるかどうかの体力だというのに、群れとしては異常なほど止めどなく数を増やしていく。
この群れに呑まれたら確実に死ぬ。
そう即理解できる光景にも関わらずエースケたちは立ち向かいも、逃げもせず、じっとラプトル騎士団団長ロキと目を合わせていた。
「貴様が永介だな」
野生であれば即座に食い殺されていたであろう肉食恐竜に跨り、エースケの本名を口にする青髪の青年。青といえど清々しい晴天の青色ではなく深い海を思わせるような青色で、その目は人を見定めるかのように鋭かった。
名指しされた以上黙り込みを決めるわけにもいかず、エースケがゆっくりと歩み出ると、青髪の男含め後方にいる同じく肉食恐竜に跨った者たちの視線が集まるのを感じ取った。
「い、いかにも、俺が永介だが」
いかにもなんて普段あまり使わない言葉が出てきたのは、男たちが腰に剣を携え、白を基調とした衣服を纏い、どこか高貴な雰囲気を出しているからかもしれない。どこぞの山賊まがいの盗賊団とは大違いの整った身なりは"騎士"という言葉が一番当てはまる。
「そうか。貴様には」
「君が永介君かぁ!!てっきりどっかで死んでると思ってたのに、まさかこんなところまで来るとはねぇ!いやぁ、感心しちゃうな!」
空気を全く読まずに団長ロキの話に割って入ったのは副団長であるユタだった。エースケたちが命懸けで逃げた巨大マンモスを討伐し、その処理を行っていたラプトル騎士団はその後、戦士の捕縛、ジャングルに阻まれるなどして全隊合流が遅れ、到着予定日が二日遅れていた。
「いやぁ、ごめんね。本当は君ともっと早く合流するつもりだったんだけどさ居住地の情報なんて無いし先遣隊意味なくて困ってたんだよ。そしたら大きな音がして来てみたら、やっと君たちに会えてぇ」
「ユタ」
グイグイと流暢に話してくるユタに圧倒されていたところをロキの制止によって助けられるエースケ。ユタはよっぽどエースケに興味があったのか名残惜しそうに一歩、二歩と下がっていく。
「集会場から応援を頼まれていた。詳しい話は後ほどする。まずは状況を説明してくれ」
ロキたちからすればここは廃墟同然であり、ルゼアチノ領地にはこのような人が住んでいた痕跡が幾つかあるため、この場所もその一つだと考えていた。
「状況か(なんかコイツ、すんげー上から目線だな)」
数で押されているせいかレオンとツァル子はビビっており、トリケラとノアとアルーゼは全力でガン飛ばしていた。
「(いや、あの親子とトリケラ印象悪ぅ!)」
「どうした。早く状況をだな」
「あーはいはい、状況ね。まず俺は確かに永介だがエースケって呼んでくれて構わない。そんでコイツらは俺の仲間。端からトリケラ、レオン、ツァル子、アルーゼ、ノア師匠。あ、ちなみにこのメンバーでここまで来たっつーかぁ」
「(エースケ、印象悪!!)」
上から目線に対抗するつもりか妙にうざったらしく、何故かチャラ男みたいな話し方になっているエースケにロキの眉が若干ピクついた。
「そのぉ、なに?俺に合流だっけ?ぶっちゃけね、もうちょい早く来てくれたらぁなんて?いや良いんだよ別に?そっちにもそっちのペースがあるじゃん?」
エースケたちは完全にノアの助力があったため大幅ショートカットで居住地に到着していたが、情報がほぼ無い騎士団からすればルゼアチノ領地からドンピシャで居住地を見つけ出すのは非常に難易度が高い。途中発見した数名の戦士の捕縛と埋葬も行っていたことをエースケは知る由もない。
「君たちが知りたいのはあれだろ?ゼアルのことだろ?わぁってるわぁってる」
クロトは呆れ、ユタは「やっぱ面白いじゃん」と言っていたが、部下たちは全員エースケに「叩き斬ってやろうか」とお怒りだった。
「レオンくん」
チチッと舌を鳴らし人差し指でクイッとレオンを呼んだエースケに対して明らかに「行きたくないです」と拒否の表情を浮かべた。これからエースケが何をしようとする気か分かっていたからである。
仕方なくそそくさとゼアルが保管された水晶を渡し、逃げるように下がるレオン。ツァル子は両肩をさすりながら
「エースケのやつ!見てるこっちが恥ずかしいのよ!」
「なんかキスしたこと、すんげー恥ずかしくなってきたわ」
「今!?」
全員が注目する最中、水晶を高々に掲げると
「あ、なんと!?なななんと!ゼアルは俺たちが倒しちゃったんだよねぇぇ!!あはははは!!!」
渾身のドヤ顔と腹の立つ笑い声で「(これでも俺を見下せるか!)」と誇らしげにしているエースケに
「アイツ、もはや清々しいくらいウザいな」
「エースケさんて時々、人格変わりますよね」
「これが共感性羞恥心てやつか」
「だっさい男よ、ほんと」
「だっぁぁはっっはー!!」
「誰かに自慢したかったんですね…」
「きっと心の中で色々言ってんだろうな」
「口に出さないところ、エースケらしいな」
「だっさい男よ、ほんと」
しかしゼアルを倒したという事実にエースケの態度関係なく騎士団全員が度肝を抜かれた。法的執行力も備える騎士団にとってゼアルの捕縛は最大の目標の一つでもあった。ゼアル及び戦士によって壊滅した騎士団は数多く、ロキは真相を確かめるべく恐竜から素早く飛び降りた。
「渡せ」
「え、あ、はい」
力強く歩み寄るロキの威圧感に直ぐに手渡してしまった。
「うわ、エースケのやつ、呆気なく渡したぞ」
「アイツのことだから、どぉしよっかなぁ?とか言うと思った」
「やっぱりいつも通りのエースケさんですね」
「だっさい男よ、ほんと」
渡された保管の水晶の中に薄らと人影を確認すると
「これは間違いなくゼアルなんだな」
「え、うん。まじでゼアルが入ってる」
視線をツァル子たちへと向け、全員が激しく首を縦に振ると
「まさか手柄の横取りか!」
「馬鹿言うな。預かるだけだ」
「それを横取りって言うんだよ!」
「貴様がこれをどうしようと言うんだ。質屋にでも売るつもりか。それに、貴様らがなにを言おうとゼアル本人だという確証はない。ここからは我々の仕事だ」
持ち物としては非常に持て余す代物であることは確かで、実際持ってかれたところでエースケには特に支障はない。
「それと、一つ言っておくが」
「なんだよ」
「保管の水晶及び吸収の水晶で人間を閉じ込めるのは罰則対象だ」
『え?』
見事にハモったエースケたちの声。即座にノアへと視線が向けられ、全員がノアに詰め寄る。
「どーゆーことだよ!師匠!罰則対象なんて俺知らねぇぞ!」
「法律なんて私が知るわけねぇだろ!」
「知るわけねぇわけねぇだろ!つーかなんでツァル子とレオンまで知らねぇって顔してんだよ!俺が知らないならまだしも、元より恐竜界所属のお前らは知ってるはずだろ!」
ギャーギャーとモメまくってる一行はロキの咳き込みで一時休戦した。
「しかしだ。貴様、いや、貴殿らは確かな功績を収めた。どの騎士団でも成せなかったことを成したんだ。もはや偉業と言えるだろう」
実質副団長と呼ばれているクロトが恐竜から降りると、後方の騎士たちも次々と地に足を着けていく。
「貴殿らに助力できなかったことを心から謝罪すると共に、この地で命を落とした騎士、及び全騎士を代表して感謝する」
見事に整列した人と恐竜。その眼差しからは一人一人がルゼアチノ、そしてゼアルに対して強い感情を抱いていることが伝わってくる。
プライドの高そうな上から目線の苦手なやつだと思っていた男はエースケたちに頭を下げ、それに続けてラプトル騎士団全員が頭を下げた。これほど多くの人に感謝されたことのなかったエースケたちはその光景に思わず息を呑んだ。
「(あんな調子こいた俺をぶっ殺したい)」
「今の我々ではこれくらいのことしかできない。あとは精々、帰りの護衛をつけるくらいだ」
「いやいや十分だって!」
「護衛に遠慮などするな。それに、援軍が今現在ルゼアチノへ続々と来ている最中だ。帰路の途中、各騎士団とすれ違う度に事情を聞かれるのは厄介だろう」
「(アフターケア、パーフェクトじゃん)」
「それと、これは偶然発見したのだが、破壊された竜車の中にあったものだ。貴殿らのだろう」
それは出発する直前にベロニカさんから貰った、アルーゼ様の救助という内容のレポートだった。盗賊団との戦いで大破してしまった竜車にはレポート含めて積荷が乗ったままだったことを今思い出す。
「ティルルに帰るのか…」
誰一人欠けることなくむしろ二人も増えて、予想だにしないことの連続だったアルーゼ救出の旅は遂に折り返しとなった。
「帰りはゆっくり帰りましょ」
無責任かもしれないが後のことはラプトル騎士団に任せて、今はゆっくりと体を休めることにした。騎士たちは一斉に散らばり、残った戦士を捜索し始めていた。
「永介君!あ、エースケ君だっけ?君とはもっと話してみたいからね、ティルルで待っててよ。ちなみに僕はユタね、んでロキでしょ、それにあれがクロト」
「お、おう」
「ユタ、さっさと行くぞ」
「んじゃ!また会えることを楽しみにしてるよ!」
まるで嵐のような過ぎ去った銀髪の美少年を全員が「よく喋るヤツ」と認知したところで、ノアが緊急脱出ように持ってきた転移の水晶を取り出した。
「さぁ諸君。ここに未練はないかな?」
「無い!」
「あってたまるか!」
「ありません!」
「僕もありません!」
ウゴォ!
「いざ!転移!」
居住地から竜車の元へ呆気なく転移完了。トリケラを竜車に繋ぎ、車輪が動き始める。行きよりも重たくなった竜車にトリケラは気持ちを弾ませた。
まだ転移に慣れない男二人をツァル子が寝かし、ノアが御者台に座り込む。アルーゼは竜車の屋根から足を放り出して座っていた。その手には転移の水晶が握られている。
「私があんたの思い通りの娘だったらどうなってたんだろうな」
ここで味わった感覚も感情も記憶に刻まれている。もう二度と来ないと誓っても、絶対に忘れることはない記憶。父親と決別してもこの記憶とはずっと一緒に生きていくのだ。だが、もう怯えないと決めた。暗い過去に弱音を吐かないと決めた。もちろん向き合いもしない。たまに思い出して舌打ちするくらいが丁度いい。
「あばよ…クソ親父」
父親から受け継いだ能力は容易く転移の水晶を握り潰し、砕かれた水晶はキラキラと光を反射させながらルゼアチノの大地へと散っていった。
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「団長。残党を数名発見、及び全員拘束完了しました。引き続き周辺の捜索を続けます」
エースケたちがルゼアチノを離れていく最中、荒れ果てた居住地でロキ率いるラプトル騎士団は事後処理を行っていた。エースケたちによって倒された戦士はほとんどが戦闘不能状態のため大した苦労もなく拘束されていったが、既に脱出している者が二名いることを騎士たちが気付くことはなく、しかし団長ロキや副団長ユタは直感的な違和感に目を合わせていた。
「僕、もっと居住地は小さいと思ってたよ」
「あぁ、俺も予想していた規模はこの半分ほどだ。潰れているとはいえ、この家屋の数。今までに拘束した戦士が…」
「少ないね」
「それに、なぜ居住地のはずが戦士しかいないんだ。巨竜の民は赤ん坊や老人を別の場所に移したのか」
「エースケ君たちが来るからって?冗談。あのゼアルがそんなことするわけないでしょ」
拘束された戦士は約二十名だが、違法でも一つの領地として長年保たれてきたルゼアチノの予想人口と比較すると明らかに少ない。正確な人口は不明だが、百名以上の巨竜の民を拘束できると踏んでいたのにも関わらず実際は間抜けの殻と言っても等しい状況。民の長ゼアルの確保は非常に大きな収獲だが、正直なところロキは事が全て片付いた気になっていなかった。
「ま、言えることは巨竜の民は全滅してないってことだね。そんでエースケ君たちは運良く、なんらかの理由で巨竜の民が少なくなっている時にあの女の子を助けに来たわけだ。強運だねぇ」
「問題はどこに行ったか…」
ルゼアチノについての情報は各騎士団が常に更新していたが、これまでに巨竜の民が領地から移動した報告はなかった。ノアを含めた交易反対派が追放されたこともアルーゼについても知らなかったことから、詳しい情報を把握できていたわけではない。
「ロキ!」
騎士たちと共に周囲を捜索していたクロトの呼び声にロキは顔を上げた。クロトはアルーゼの家だった場所から早足にロキの元へと戻ってくる。
握られていたのは黒い短剣。鞘の先端から血が流れているかのような紅い装飾は無機質な短剣から禍々しい生命力を感じさせる。騎士たちが所持している剣と比べれば大きさは半分以下ほどしかないが、纏っている殺気は騎士の剣を遥かに勝っていた。
「…まさか…ね」
短剣を見て明らかに言葉を詰まらせたユタを横目に、複雑な表情を浮かべているクロトから短剣を受け取ったロキ。
「竜血の短剣…だと」
ラプトル騎士団トップスリーの動揺は波紋のように騎士たちへと伝わっていく。ロキたち同様に騎士たちもまた、その短剣に込められた意味を理解していたからであった。
「…"アイツら"巨竜の民も勢力に加えようってのかよ」
怒りを露わにしているユタの拳が震え、ロキはゆっくりと剣身を引き抜いていく。顔が反射するほど砥がれた銀色の刃からはグロテスクな鞘や柄とは違う鋭い殺気が放たれていた。
「…模造品の可能性は」
「これを模造する人間は一人だっていない。間違いなく本物の…竜血の短剣だろう。…まさかゼアルすら繋がっているとはな」
ゼアルが封じられた保管の水晶と竜血の短剣を順番に見たロキは小さく舌打ちをした。クロトが竜血の短剣を見つけた場所はゼアルの数少ない私物が保管されていた一室の跡で、アルーゼすらその存在を全く知らなかった。
「エースケ君たちのおかげで僕らも万々歳かと思ったけど、まさか解決どころか抱える問題が増えるとはね。クロト、とんでもない物見つけたね…」
決してクロトの責任ではないが、それでも騎士たちにとって、この禍々しい短剣の発見はゼアル確保の喜びを呆気なく消化してしまうほどに重たい現実だった。
これより、後追いで到着する騎士団やその他の騎士団にはゼアル確保と竜血の短剣発見の情報が巡ることとなるが、ほとんどがロキたち同様に喜びきれずに言葉を詰まらすのだった。
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そんなことは露知らずにエースケ一行はゆっくりと帰り道を進んでいた。竜車の進む速度に行きのような焦りはなく、何からも追われない安心感と開放感にアルーゼはリラックスしている。
「いててっ!おいツァル子、レオンを見習えよ。この小さな手には優しさしかないぞ。お前は絶対に看護師になれない!」
「うっさいわねぇ。男なんだからちょっとは我慢しなさい!」
パァン!と良い音とともにエースケの背中に白く大きな絆創膏が貼られる。護衛として着いてきている騎士二人から受け取った医療品で応急処置中のはずが、なぜか痛みを伴う訳の分からない治療によりエースケがツァル子の両頬をつねった。
「いひゃい!いひゃい!いひゃい!」
「いひゃいのは俺だわ馬鹿たれ!!」
なんだかんだで一番ボロボロだったエースケはアドレナリンが切れたことにより至る所から痛みを感じていた。
「あんたよりレオン君の方が大怪我なのよ!なのになんであんたが世話されてるのよ!普通反対でしょ!」
パウロの攻撃により腕から出血していたレオンは「大丈夫ですよ。血はとっくに止まってますし」と言っていたが、ツァル子としてはエースケが骨折、レオンが擦り傷の場合でもレオンを優先するため心配で仕方なかった。
「あのなぁ。レオン本人が大丈夫って言ってんだから大丈夫なんだよ。包帯巻いたんだろ?」
「巻きましたよ」
「ほらな。ったく心配性なんだよツァル子は。なぁアルーゼ」
「相当レオンのこと可愛がってんだなぁ、ツァル子ちゃぁん」
エースケに包帯を巻くレオンの頭を撫でるアルーゼ。長男と長女が妹を揶揄うかのように意地悪な笑顔を浮かべると、なんだか仲間外れにされた気分に涙目でノアに縋りついた。
「ノアさぁぁんぅぅ」
「どしたどした?」
手綱を持って、上がった腕の下に潜り込んで完全に脱力したツァル子にアルーゼが「あ!」と羨ましそうな声を出した。
「いじけちゃいましたね」
「いじける要素あったか?」
よく分からない女心に二人で首を傾げ、レオンは医療品を片付け始める。右肩を何回か回し動作確認をしていると
「え、可愛い」
ノアの膝上にだらんと寝ているツァル子にヤキモチを焼いているのか少し頬を膨らましていたアルーゼにエースケの本心がつい出てしまった。唐突に可愛いと言ったためか、レオンが「!?」と驚いている。
「おーいエースケ、目の前で娘がナンパされると変な気持ちになんだけど…」
照れながら振り向いたノアとさっきの倍「!?」となっているレオンの目が合う。膝上で寝ているツァル子も「!?」と驚きを隠せていない。
驚きのあまり鳥肌が立ち、五人の時間が止まった。エースケとノアは一瞬理解が追いつかなかったが、すぐさま気が付いた。
「(アルーゼって師匠が母親って知らないよな)」
「(私ってアルーゼに母親だって言ってねぇよな)」
「……ん?…娘?」
眉間に皺を寄せながら首を傾げたアルーゼは明らかにノアの言葉の意味を理解していない。ノアのポロッと発言に驚きつつも、まさかのアルーゼが何も気づいていない鈍感さにも驚くエースケたち。同じ金髪、顔ももちろん似ているのに、アルーゼ本人はノアのことを母親ではなく師匠として認識している。
「んだよお前ら、急に黙っちまってさ」
「え、いや、そのぉ、ほら?んー、なんつーか、そのぉ」
「あ?ほんとになんだよ。師匠まで固まっちまってさ。」
突如として全員に迫った選択肢。本当のことを言うか、誤魔化すか。しかし既に完璧に誤魔化せるかどうかの不自然な間が空いてしまっている。エースケたちとしてもノアには真実を伝えてほしかったし、なによりも流れる空気的に真実を話す雰囲気になっていた。
「(師匠!言うのか!?)」
「(ついに親子の真実が!)」
「(もう誤魔化せないですよ!)」
「…どしたんだよ師匠」
言葉に迷っているノアを後押しするようにツァル子が御者を代わり、ノアが荷台に座り込む。救いの視線をエースケとレオンに向けたが、二人とも親呼びをピンと立てるだけで全く助ける気はなかった。
「(なんで今まで黙ってたんだって怒るだろうなぁ…)」
私が母親だと言うタイミングは何度だってあった。それでも伝えられなかったのは責任を感じていたから。あと一歩を踏み出せずに時間が過ぎていき、結局有耶無耶になっていた。
しかし、エースケたちの前で母親だと明言している通り、ノアとしてもアルーゼの母親でいたいという意識があり、師匠ではなく"お母さん"と呼ばれたい思いがあった。
「…なんで今更って思うだろうけどな」
「…お、おう」
「怒ったっていいし、その、嫌われ……ても、できれば嫌いにはならないで欲しいってのは、烏滸がましいんだけどよ…」
少し俯いているが、目線は交わっている。声に自信はないが、誤魔化す気はない。もういい加減、自分自身の責任にケリをつけると決めた。
「…実はアルーゼを産んだのは、その、私…なんだ」
返事はなく、大きな反応もない。分かるのはアルーゼがゆっくりと息を吸ったこと。
「師匠だなんて嘘をついて、アルーゼを独りにしちまった罪悪感から逃げてた…。自分勝手に隠して、嘘ついて、また自分勝手に話してる私を許さなくていい。…今まで黙ってて、本当にごめんなさい」
アルーゼの表情から心境は窺えない。言葉を失っているのも無理はなく、考えを整理するのにも時間がかかるだろう。故にエースケたちは待った。どんな結果になろうとアルーゼの言動を否定しない。そう心に誓い、ノアが顔を上げたと同時に
「ちょっと…考えさせてくれ」
アルーゼはまるでノアと目を合わせることを拒むかのように竜車の屋根へ移動したのだった。




