アルーゼという女
心地の良い暖かさが全身を包んでいる。
真冬の朝の毛布、真冬の夜のコタツのような絶対に動きたくない、あの感覚だ。
「……起きてください」
女性の声が聞こえる。いや待て、なぜ女性の声が。
目を開けても真っ暗でなにも見えないし、少し動いただけで体が壁にぶつかった。
手を壁に這わせて自分のいる場所の狭さに気がつく。体育座りから姿勢を変えられないほどの狭さで、閉所恐怖症でもないのにパニックを起こしそうになる。
「さぁ早く出てくるのです」
また声が聞こえた。
無我夢中で体を動かしていると、ピキッピキッと音がして、暗闇に細い光の線が差し込んできた。動けば動くほど音は大きくなって、あちこちから聞こえてくる。
「もう少しですよ」
三度目の声、さらに壁が欠けていって、さらに光が差し込んできた。
永介は光を求めてとにかく激しく動いた。
「うぉぉぉおおお!!!」
壁が砕け、狭っ苦しい場所から飛び出した。
まぶしい光に思わず目を細める。段々と慣れていき、最初に目に映ったのは、自分がつい先ほどまで入っていたであろう"卵"の殻だった。
ここに入ってたの?
「はじめまして転移者よ。私は聖母マイア、あなたがた転移者を新たな世界へ送る者です」
優しい声に優しい笑顔。
薄い金色の髪がお尻まで届いている。
こんな綺麗な人に会うのは初めてだった。
「ははははじめまして!! あの俺、永介って言います! 歳は十七ですけど、歳上全然OKです! いやむしろ歳上の方が良かったりなんかして!」
つい緊張して早口で喋ってしまう。
大きな卵からいきなり現れて、初対面の女性にアプローチをかける男というのは中々に気持ちが悪い。
「……」
え、無視された?
ニコニコ笑っているけど答える気ない感じ?
あー、これは悲しいやつですね。
「てかここどこすか! 俺、アンモナイトの化石が股間に直撃して……あ! すみません女性の前で股間なんて……って! そうだよ!! あのサイコパスじじぃ! まじでここどこ! まさか俺死んだ!?」
「ふふっ、心配することはありませんよ。ここは死後の世界ではありません。ここは『恐竜界』への入り口『ダイナソーファング』、あなたは『アンモナイトゲート』を通り、ここへやってきたのです」
急に説明始まったが、なに一つとして理解ができない。
恐竜界? ダイナソーファング? アンモナイトゲート?
まさか……。
「異世界転移!?」
驚きは大きい。だがしかし高校生の永介にとって、異世界転移などお手の物。
漫画やアニメはこういう時の教科書になる。
永介はすぐに順応した。
「異世界といえば、やっぱりチートスキルだよな! やっぱそうだよな! はい勝った! 異世界人生勝ちました! みんなに驚かれるステータスとか! はたまた魔王の生まれ変わりとか! 最強軍人とか! 大賢者かな! 不死身だったり! おぉ! 夢広がるぅ!」
「では永介様。早速ですが、恐竜界に転移するにあたって永介様には能力が宿りました」
「はいはいはい!! 分かっておりますとも!! 始まりますよ! 異世界転移したら最強になった件てきなやつが!」
「永介様には
『エウストレプトスポンディルス・オクソニエンシス』
の能力が宿りました」
「……は、はい?」
「エウストレプトスポンディルス・オクソニエンシス。これが貴方の能力です」
聞き間違いにしてはいささか間違い過ぎているような。というか聞き間違いだとしても、なにをどう聞き間違えているんだ。
転移した後遺症で耳おかしくなっているのか。さては異世界独自の言葉か。
それとも、この聖母様がおかしいのか、いや、こんな笑顔なのだから間違っているはずがない。
だがしかし、正直、間違っていて欲しい。
「あ、あのぉ、最強の、能力は?」
「さ、最強……ですか?」
「聖母様キョトンとしてるぅ!! なにコイツみたいな顔してるぅ!! そのエウストレプなんちゃらは……」
「エウストレプトスポンディルス・オクソニエンシスです」
「いや長いよ!!! 長すぎるよ!! 覚えられねぇよ! 異世界勝ち確無双の能力は!? 誰もが羨む能力は!?」
「そう驚かれずともここは恐竜界、人間と恐竜の存在する世界です。能力が恐竜になるのも必然かと」
「え? エウストレプなんちゃらは恐竜なんですか?」
「エウストレプトスポンディルス・オクソニエンシスです」
「そのぉ、エウストー、レプト、ポンディ? ほんのちょっとだけ恐竜に詳しい俺でも初めて聞いたんですけど」
ハズレくじを引いた、そんな気がしてならない。
百歩譲って、恐竜の能力だとしてもティラノサウルスやトリケラトプスといった誰でも知っていて強いやつなら分かる。
エウポン? エウポン!?
「試しに恐竜の能力をお見せましょう」
と言うと、聖母様の皮膚が人肌から爬虫類のような肌へと変わっていく。
人体の基本的な形は保ったまま、恐竜の姿へと変わってしまった聖母様はリザードマン的な姿になった。
「これが私の能力、マイアサウラの姿です」
○マイアサウラ
体長約9メートル 白亜紀後期北アメリカ生息
意味「良い母親トカゲ」
とてもリアクションに困る。なんたってさっきまで美人だった聖母様が急にトカゲ頭になっているんだから。
きっと恐竜にしては美人……美竜なのだろう……美竜ってなんだ。
「さて永介様、そろそろお時間です。詳しい説明は集会場ティルルでされることでしょう」
「え! まじで俺の能力エウポンなんですか!?」
「エウストレプトスポンディルス・オクソニエンシスです。なお永介様の所持していた物は衣服も含めて、すべて換金されております。永介様の恐竜界でのご活躍を期待しております」
「へっ!? ほんとだ! いつの間にかヒ〇シくん人形みたいな格好になってる! てかなに勝手に換金してんすか! スマホも!?」
「はい」
「ソシャゲのデータがぁ!!」
「……そうでした、ひとつ補足情報があります」
「なんですか!」
「恐竜界とは言いましたが、恐竜以外の生き物もいますのでご安心を」
「……いやどうでもっ」
バカンッ!
言い終わる前に床がパッカリ開いて、永介は空中へ放り出された。
「いやぁぁぁぁあああああ!!!!! 落ちてる! 落ちてる! 内臓がフワフワしてる!!」
ダイナソーファングは空に浮いていて、そこから落とされて、真下には街が広がっていた。
絶叫、絶叫、絶叫。
勝手に叫び声と涙が溢れてきて、ダイナソーファングが空に浮いていることも、真下に街が広がっていることも、すべてどうでもよくなる恐怖感でいっぱいいっぱいだった。
「まじで死ぬ!」
意識が遠のいて視界が縮小していくが、反比例して耳鳴りが大きくなっていく。
真下から突き上げてくる風圧が叫んでいた喉を一瞬で乾燥させ、もはや声は出なくなっていた。
当然、帽子など手の届かない距離まで飛ばされ、思考も飛んで、どうしてこんな目にあっているのか、そんな疑問が永介の意識を辛うじて保たせていた。
「ねぇあんた! 転移者でしょ!」
空中でいきなり話しかけられるのは人生で初の体験だった。
そんな初体験のお相手はオレンジ色の髪の女の子だった。
「いや誰! なんで空中にいんの!?」
「あんたを回収するのが私の仕事だからよ!」
大きな翼が生えている女の子は永介の両脇を抱え、突然の急速落下シーンは終了した。
「……すげぇ」
眼下に広がる街の感想は一言が限界だった。
目も喉も痛い、浮遊感は体から抜けていない。
けれど、壮大な光景の衝撃が大きすぎて、ある意味で麻酔になっていた。
「ありがとう……ほんとに、ありがとう。死ぬかと思った……ほんとに、死ぬかと思った」
「……」
女の子から反応がない。だがその理由は分かっている。
乗っているのだ。頭に柔らかなおっぱいが乗っかってしまっているのだ。
仕方がないっちゃ仕方がない。だって両脇を抱えられているからね。
まぁ女の子からしたら最悪なんだろうけど、正直、フィーバータイムでしかない。
生物は死に瀕したとき子孫を残そうとする、らしい。
欲望は、絶対に痛い目に合うと分かっているのに、絶対にやってはいけないと分かっているのに、自分の決して制御できない。だって死に瀕したからね。
永介は反射的に、おっぱいに頭をグリグリした。
「ちょっ! アンタなにしてんのよっ!」
異世界転移最初の犯罪。
記念すべきファーストセクハラ。
永介の空中遊覧はものの二分足らずで終了し、再び落下し始める。
はい死んだ。
バッッシャーーン!!
「きゃー!!」
「誰か落ちてきたぞ!」
永介は運良くどこかに着水した。川かなにかと思ったが、這い上がるとそこが巨大な噴水だということを知った。
噴水から這いずり出ると、人だかりができていた。
全身ずぶ濡れの永介に野次馬が様々な視線を向けてくる。
その視線に気を取られているせいで、上空から猛スピードで飛んでくる彼女に気がつかなかった。
「死ねぇぇぇえ!!!」
「ぐばしゃっ!!!!!」
猛スピードの蹴りが顔面に突き刺さり、永介は盛大に吹っ飛んだ。
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「……うぅ」
知らない天井。保健室のような匂い。
顔面全体の激痛に顔をしかめる。
「お、目ぇ覚めたか。お前あの女になにしたんだ? 顔面蹴られてすんげぇ吹っ飛んでよ、あんな笑ったのは久しぶりだったぜ。転移者なんだってな、初めて見た、おぉい、あれ? 反応ねぇな」
健康的な小麦色の肌。金色の髪。
さてはヤンキーか。
「おぉぉい」
「やめろ、おでこをペチペチするな……」
まだ意識がはっきりしない。
ぼんやりとしていて、どうして彼女が目の前にいるのか思い出せない。
「よし、ちゃんと生きてんな。お前、名前は?」
「永介……」
「よろしくなエースケ! 私は、アルーゼだ!」
「エーじゃない……エイだ……」
小さな声でどうにか応対するが、やはり思考が追いついてこない。
「細けぇこと気にすんなって、それよりさ腹減ってるだろ? 飯食いに行こぉぜ」
どんどん進んでいく話にエースケがぱっちりと目を開く。
「話が急すぎる!」
金髪の女の子のペースに持ってかれまいと、寝ぼけた意識に鞭を打つ。
顔面は痛むが、体を起こすことはできた。
「まず誰!」
「あ? 自己紹介しただろ、私はアルーゼ!」
「名前だけ知っても意味ないだろ! 情報不足過ぎるよ!」
アルーゼはこいつなに言ってんだという視線をエースケにビシビシぶつける。
しかし気にもせず、転移してからの記憶を辿った。
聖母様、エウポン、オレンジ髪の女の子、おっぱい、噴水、顔面への蹴り、金髪のヤンキー女。
「うんとね、一回セーブさせて?」
「お前、独り言やばいな……。そんな喋れるっつぅことは元気ってことだよな、よし! さっさと食事場行こうぜ!」
アルーゼは行こうと言いながら意気揚々と一人で部屋を出て行ってしまった。
「……いや待て! 食事場ってどこだよ! まずここはどこだよ!」
保健室というよりも病室だった。
入院すれば、ベッドから見る光景はこのような感じなのだろう。
他のベッドはすべて空いていて、耳を澄ますと遠くのほうから微かに人の声のようなものが聞こえたが、音の正体は定かではない。
まずここがどこか分からない。病院だろうか。
ではあの女の子は……看護師、いや、それはないだろう。
とにもかくにもエースケは移動することにした。
彼女、アルーゼの言う食事場とは、読んで字のごとく食事をする場所なのだろうが、飯を食うもなにも場所が分からない。
廊下は左右に伸びていて、そして気づく。アルーゼは案内もせずに置いていきやがった。
エースケはとりあえず右に進んだ。
無機質な白色の壁に時々、絵画が飾られている廊下を数分間直進し、いくつかの扉を通り、そのたびに良い香りが強くなっていった。
曲がりもせず、階段も使わず、無機質な病室から一変して、食事場は高級ホテルのような豪華絢爛な内装で、大勢の人でごった返していた。
香ばしい油の匂い、肉の焼ける音、宝石のようなフルーツ。
ビュッフェのように料理が並んだ食事場を眺めているとアルーゼが近づいてきた。
ノースリーブで体のラインがはっきり分かるインナー、ショートパンツといった動きやすさ重視の見た目。
運動好きの女の子、そしてどことなく格闘家のようにも見える。
「遅かったな、迷ったか?」
「置いていくなよ!」
「一本道だったろ」
「お前が置いてったから遅くなったんだ! どれだけ不安だったか分かんねぇだろ!」
「怒んなよぉ、飯食って機嫌直せって」
アルーゼがエースケの背中をばしばし叩く。
これが彼女なりの慰め方。
「痛い痛い痛い痛い! 見た目に反して力強くね!?」
「そりゃ、私、強ぇもん」
エースケと体格差はそこまでない。
身長もエースケが少し大きいくらいだが、強いというのは技術的な話だろうか。
「あ、そうだ、忘れてた……エースケェ、わたしおかねないんだぁ、おごってぇ」
「(コイツッ! いきなり上目遣いだと!? なんのきっかけもなく唐突に上目遣いしてきた! 最悪のタイミング! 会話の破綻! しかしこの攻撃は強すぎる! 耐えろエースケ! ついさっき出会った女の子にお前は今、たかられているんだ!)」
エースケは咳払いした。
「いきなりカツアゲかよ! 忘れてたってなに! たかることを忘れてたの!?」
「え?」
「いや、え? じゃないから! 金なんて持ってないから!」
聖母様が服も所持品もすべて換金したとか言っていたが、見知らぬ初対面のヤンキー女に奢るなんて、異世界チュートリアルにしては酷すぎる。
「マイカード持ってるだろ。転移者だし多少ディノル持ってんだろ」
「マイカード? ディノル?」
「ま、エースケのマイカードは私が持ってるんだけどな」
アルーゼが切り札のようにマイカードを見せてくる。
「説明して!? なにがなんだがさっぱりです!」
「こんなかに金が入ってる」
「泥棒じゃん……返してぇ……」
「エースケ、噴水に落ちたろ? 医療場に運ばれたあと誰かが着替えさせてたけど、その隙に回収しといた。失くさなくてよかったな」
「医療場は……さっき俺が寝てた場所か。着替えって、服乾いてんなぁとは思ってたけど、ヒ〇シくん人形からヒ〇シくん人形に着替えさせられていたとは……」
比較的どうでもいい情報が補完されていくが、要するにソシャゲのデータを失って得た金を金髪ヤンキー女に盗まれたということだ。
「つぅことで今日はエースケの奢りな!」
予想外にもアルーゼはマイカードを素直に渡してきた。
マイカードには所持金と能力名とレベルが書いてあった。
Level1
エウストレプトスポンディルス・オクソニエ
5000dinol
「恐竜の名前二十文字で限界きてるし、ヤンキーに飯たかられるし、大丈夫かよ俺の異世界生活……」
「エースケ! ここ食い放題だかんな! いっぱい食えよ!」
金は手元にある。
このまま逃げれば奢らずに済む。
だが、エースケの腹が空腹に耐えかねて音を鳴らした。
仕方なし。まずは腹ごしらえ、そして恐竜界がどんな世界なのかを聞くとしよう。アルーゼの食事代は情報料だと思えばいい。
「私に聞くより集会場の受付嬢に聞いたほうが早ぇよ」
金髪ヤンキー女はエースケの質問を丸投げした。




