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ツァル子という問題児

「……なにしてんの?」


 隣でツァル子が正座している。

 紅潮した顔を隠すために俯いているが、寝転がっているエースケからは丸見えで意味がない。


「ツァル子さん?」


 目も合わないし、返答もない。エースケが「ははーん」となんとなく察した瞬間、朝からエンジン全開のノアが元気よく扉を開けた。


「起きたかぁ! エースケェ! ツァルコアァ!」


「師匠……朝っぱらからテンション高すぎだろ」


 アルーゼの母親という事実に驚愕したエースケだったが、ノアが若々しすぎて現実を未だ受け入れることができていない。そんな明るいノアとは正反対のテンションのレオンが目を擦り大きなあくびをしながら部屋へ入ってくる。


「おふぁよう……ございます」


「よぉレオン。いかにも叩き起こされたって感じだな」


「はい、叩き起こされました……アルーゼさんもこんな感じなんですか……」


「そう気を落とすなって、安心しろ、さすがのアルーゼでも朝は……こんな感じだ」


「こんな感じなんですか!?」


 よほど強烈なモーニングコールだったのか、衝撃と落胆を隠せずにいるレオンに「ねぼすけ!」」とエースケが受けた数千万分の一の威力のチョップが落とされた。レオンが「ぅぅぅ」と悶絶した。可愛い。

 そんな中、誰とも目を合わせず沈黙している人物が一名。


「なぁにだんまりしてんだよツァル子ぉ、どうせあれだろ? 寝相音痴発動したけど俺より早く起きたから見られずには済んだ。でも結局寝相音痴だったという現実の恥ずかしさと情けなさに打ちのめされて合わせる顔がない。そんなとこだろ?」


 エースケの名推理に唸り、拍手するノアにエースケはかけてもない眼鏡を光らせる。

 ツァル子は図星だった。


「いやぁぁ、確かにあの寝相は圧巻だったな」


「見たんですか!?」


 ツァル子の恥ずかしそうな声が部屋に響いた。


「寝相音痴がどんなもんか気になってよ、そしたらツァルコアがエースケの……いやぁ、子どもには刺激が強すぎるな。まさかツァルコアがあんな大胆だとは」


「わぁぁ!! わぁぁ!! わぁぁ!!」


 一方のエースケは熟睡していた。そのため身に覚えがない。しかし、ノアのにやけ方やツァル子の恥ずかしがり方からエースケの妄想は最低なシチュエーションに溢れていた。


「おぉぉいぃぃぃ、俺になにしたんだよツァル子ぉぉ。今日は大丈夫! 体中痛いから動きたくないもん! とか言ってたくせにぃぃぃ、一体全体ナニしてしまったんだよぉぉぉぉ」


 エースケの変態尋問に黙秘するツァル子。エースケとしては恥ずかしがっているツァル子を見るだけでも心躍っているため、自分の優勢を生かして調子に乗りに乗りまくっている。


「どこをどうしちゃったのかなぁぁ? いやぁぁん、ツァル子によごされちゃったぁぁ。きっとあんなことやぁぁそんなことをぉぉぉ」


 実際にエースケのセクハラを目にしたレオンは呆れて深いため息を吐いた。


「ツァル子ちゃんってぇぇ、なんだかんだで変態さんなんだねぇぇ。まぁエースケ的にはいいと思うけどぉぉ、でもまたいやらしいことされるって考えたらぁぁ、こぉぉわぁぁいぃぃ」


 瞬間、エースケの視界が真っ暗になった。「あり?」と状況を飲み込めていないエースケだったが、ノアとレオンにはしっかりとツァル子の右手がエースケの顔面を掴んでいるのが見えている。

 こめかみから前頭部にかけての激痛を感知した時にはもう遅い。エースケは形勢逆転のこの状況に滝のような冷や汗を流し、さっきの勢いが嘘のように静かになった。


「ねぇ、エースケ?」


 過去最大音で唾を飲み込む。

 優しく囁かれたはずなのに何故こんなにも恐怖しているのだろうか。

 エースケはツァル子の静かな声に体を震わした。


「わたしが怒ってるの、分かるよね」


「……はぃ」


 なんとも情けない声が静かな部屋に溶けていった。


「最期に言いたいことある?」


「師匠、レオン、大至急」


 二人の姿は見えない。

 真っ暗な激痛と恐怖の中、最後にエースケができることは助けを求めることだけだった。


「……」


「師匠、レオン、大至急」


「……」


「師匠! レオン! 大至急! 救助を求む!」


「……」


 エースケに救いの手が差し伸べられることはなかった。


「裏切り者め……!」


「いや自業自得だろ」


「ですね」


「……さようなら、エースケ」


 グシャァッ!!


「ぎゃぁぁぁぁぁぁあああああ!!!」



 ********************



「はっっっ!!」


 眠りから強引に引きずり出された最悪の目覚め。心臓が激しく鼓動し、肩で息をするほど呼吸が乱れている。緊張と寒気で強張っている体が疲労のせいなのか酷く重たい。

 しかし、こんな最悪な朝なんて年に一日二日あるだろうと冷静になり、ツァル子の方に視線を向ける。


「……噓でしょ」


 正座したツァル子がそこにいた。

 圧倒的違和感。

 初めて見たはずの光景に覚えがある。あれは夢だったのか、それとも現実か。もしくは今が夢なのか。


「……なにしてんの?」


 つい発した一言。これも明確に覚えている。起きて最初にツァル子にそう声をかけたことを。そしてツァル子は返答しないことも。


「……」


「(なにこれ気持ち悪!)」


 エースケがじぃぃっとツァル子を見ていると、ノアが勢いよく扉を開け、部屋へ飛び込んできた。


「起きたかぁ! エースケェ! ツァルコアァ!」


「(うっわ、ほんとになにこれ。これで眠そうなレオン入ってきたら普通に叫んじゃうよ)」


 すると目を擦り大きなあくびをしながらレオンが現れた。


「眠そうなレオンきたぁぁぁぁ!!!!!」


「おぉぉ! すっかり元気になったじゃんか!」」


 エースケはエア眼鏡を光らせ、


「諸君。いきなりなんだけどさ……俺、予知夢見たわ」


 突然の予知夢見た宣言。三人からしたら見当のつかない意味不明な発言だが、エースケは自身たっぷりに言い放った。

 人生初予知夢にテンションが上がったエースケだったが、直後単純な疑問にぶち当たる。


「俺ってばなんで予知夢見たんだ?」


「いや知らねぇよ」


「どうしたんですかエースケさん」


 まず人生初予知夢体験のために自分が見た予知夢が本当に予知夢なのか、はたまた予知夢ではないのか、というか予知夢って本当に見るものなのか、あれ予知夢ってなんだという混乱に襲われている。


「あ、なんかこれ知ってるぞみたいな、年に何度かあるあの体験あるじゃん? デジャヴってやつ? まさに今その究極を体験してる」


 エースケの発言にポッカーンのレオンとノア。エースケ自身、自分が何言ってんのかよく分かっていない。


「んじゃあなんだ? エースケお前、これから起きること知ってんのかよ。教えてくれよ」


「確かツァル子が……」


 エースケは目を見開き、眼球だけを動かしてツァル子を見た。

 しっかりと覚えている痛々しい記憶。ツァル子の怒りに触れて、そのまま頭を……。


「ね、ねぇ師匠、予知夢ってさ……どんな時に見ると思う?」


「どんな時ぃ? うーん、例えばぁ自分の身に危険が迫る時とか?」


「ファイナルアンサー?」


「ファ、ファイナル、アンサー」


「……正解!!」


「なんの時間ですかこれ」


 エースケは急いで師匠を部屋の角へ引っ張り、ツァル子に聞こえないように耳元で力強く囁いた。


「師匠! 夜中ツァル子の寝相音痴見た?」


「見た!」


「しぃぃぃ!! 声がでけぇよ! それ絶対に言っちゃだめだかんな! ツァル子のやつすげぇ気にしてっから!」


 ベッドに正座してピクリとも動かないツァル子にゆっくりと視線を向けた師匠は、エースケにウインクしてグッと親指を立てた。


「んだよエースケ! お前、気の使えるいい男じゃねぇかよ!」


「そりゃぁ命かかってるからな」


「命?」


 そそくさとベッドに戻ったエースケが「よぉし! 朝飯にしようぜ!」とわざとらしく言うと、現実の流れが予知夢とは違う流れになっていく。頭を潰される心配はこれでなくなったが、しばらくツァル子とは気まずいままという代償を受ける必要がある。


「恐ろしや寝相音痴」


「そういえばエースケさん、もう平気なんですか?」


「お! いいねぇレオン。予知夢の流れとは違う発言もっとしていこう! がんがん流れ変えていこう!」


「元気そうですね……」


 変な発言が多いことはさておき、レオンの言う通りエースケの肉体はほとんど回復していた。

 負った傷が多くとも小さかったことが幸いだった。ツァル子もレオンも目立った外傷は恐竜化による治癒力の向上によって完治している。

 

「ツァル子さんは体調が悪そうですけど、まだどこか痛みますか?」


 綺麗な正座が一切崩れることはなかったが、溢れ出る恥ずかしさが抑えきれずにツァル子のオレンジ色の髪が勝手にウネウネと動いた。大急ぎで自身が壁となりツァル子を隠したエースケは首を傾げるレオンに「ね・ぞ・う・お・ん・ち!」と必死に口パクで訴える。


「そ、その、お二人とももう少し休んだほうが……」


「(変にごまかしてもレオンには逆効果か!)」


 エースケは考えた。なにをすれば、なにを言えば予知夢と違う状況にできるかを。だが正直なところ面倒極まりないと思っている。いつまでこんなノリ続けなきゃいけないんだと。不確実な予知夢になんでここまで怯えなければいけないんだと。第一、この問題の原因はツァル子であって自分はただの被害者。それをこんな必死になって、一体なにやってんだ。


「なんか、もういいや」


 エースケは部屋から出て行った。最初からこうすればよかったのだ。部屋にいなければ予知夢とは違う状況になる。

 はぁ、と馬鹿馬鹿しすぎた茶番に落ち込んで、そのまま外へ出た。

 ジャングルはまだ少し薄暗い。エースケは大自然の空気を肺いっぱいに吸い込んで思い切り吐き出した。聳え立った信じられないほど馬鹿でかい大樹を背に、うる覚えラジオ体操で体の調子を確かめると、つい昨日死にかけたとは思えないほど好調だった。 


「ふぉ? エーフフェ、ふぉふぃふぁ?」


 朝飯を持ったノアがパンを咥えながら降りてくる。


「食いながら喋るとこ、アルーゼそっくりだなおい。いやアルーゼがそっくりなのか……やっぱ親子なんだな」


「んぐっ、母親似の娘は可愛いだろがい」


 顔つきはもちろん、髪の色、口調、仕草までそっくりだが、アルーゼは母親の存在をエースケやツァル子には話していない。

 エースケは時々、物思いにふけるアルーゼを見ていた。詮索はしなかったがゼアル襲撃で訳ありな事情を把握し、師匠を自称するノアにも深い事情があるのだろうと察している。


 ウゴォォォ


「おぉトリケラ!」


 いつも通り明るいエースケに対してトリケラが抱いた感情は怒りだった。「朝からうるせぇな」とか「ちっ、生きてやがったか」とか、そんな怒りではない。

 トリケラはアルーゼやツァル子たちのようにエースケと長く一緒にいる内の一頭であり、アルーゼが連れ去られた時、盗賊団との闘い、アンペとエウロパとの闘いでエースケが命を削ってきた光景を最も見てきた。だからこそ、ヘラヘラと笑っているエースケに憤りを感じていた。


「……悪かったな」


 殴ることができないから「角でいってやろうか」とか「尻尾でいってやろうか」とか考えていた矢先に、エースケが苦笑いでこぼした謝罪にトリケラは歩みを止めた。


「昨日ツァル子に怒られた。泣きそうな声でさ、ボロボロになるくらいなら護ってくれなくていい、だってよ。泣いてほしくなくて闘ったのに、俺が泣かせちゃ意味ねぇよな。お前にも心配かけさせた……ごめんな」


 ウゴォォ!!


「やっぱ怒ってるよな……」 


「ウゴォ! 串刺しにしてやるウゴォ!」


 エースケとトリケラとの重い空気に割り込んできたノアが『保管の水晶』から取り出した干し肉をエースケに投げ渡した。


「どうだ、まじでトリケラが喋ったかと思ったろ」


「……」


「はぁ、なぁにトリケラトプス一頭に気持ち落ち込ませてんだよ。いいか? こいつが怒ってんのはあれだ。エースケが迷惑かけたと思ってることに怒ってんだ。なんでも一人でこなそうと気張るのは勝手だけどな、トリケラもツァルコアもレオンももっと自分達を頼って欲しいんだよ」


「……頼ってるつもりはあるけど」


「あまい! 頼りがあまい! もっと頼れ! ベッタベタに頼れ! 嫌われるくらい頼れ!」


「いや、嫌われたくはないよ?」


「なら嫌われない程度に頼れ」


「難しくない?」


「ちゃんとみんなを頼りつつ、自分が一番敵を倒して、なおかつ心配かけないためにダメージは最小限に。これがエースケに必要なことだな」


「難しすぎない?」


「たしかに難しい。なんたって相手は巨竜の民だし、ボスはすっごくすっごく強い。なによりアルーゼを救い出さなきゃならん。いやぁ、きつい」


 エースケはこの旅路で初めて大きな壁に阻まれていた。危機的状況のほとんどを能力の暴走で乗り越えてきたエースケに叩きつけられた戦士との力の差。心のどこかにあった「なんとかなる」という油断と驕りが浮き彫りになった敗北がエースケの勢いにブレーキをかけてしまった。


「んで、エースケはゼアルに勝てっこないわけだが」


「んなストレートに言わなくても」


「濁らせたとこで結果は変わらん。じゃあ今から特訓、なんて時間もない。これ以上アルーゼをあんな場所に閉じ込めとくとか、何されてるか分かんねぇし、考えただけでノアさんは発狂しそうだよ」


 モシャモシャと草を食べるトリケラ。アルーゼが心配すぎてやけ食いしているノア。

 昨日の激戦とは変わってゆったりとした平和なひと時が流れる中、エースケがポツンと、


「アルーゼ……」


 異世界転移早々に気絶し、目が覚めたらヤンキー女に飯をたかられる悲劇。しかし彼女はトリケラトプスやアロサウルスに勝ってしまうほど強くて頼りがいがあった。すぐに打ち解け合い、この先、アルーゼとずっと一緒にいられたら嬉しい、なんて本人には絶対に言えないことを考えていた。


「おい」


 ノアのゲンコツがエースケの脳を震わせる。


「なぁぁにが、アルーゼ……だ! 人の娘をそんな儚げな表情で呼ぶな!」


 と言った直後にノアは感づいた。

 

「……まさか……エースケ、そのまさかなのか」


「は!?」


「あれか! 一緒にいる時はなんてことなかったけど! いざ離れ離れになると恋しくなっちゃったってやつか! なぁんだよ意外に可愛いとこあんじゃかよぉ! このこの!」


「ち、ちげーよ」


「きゃぁぁ!! 見てトリケラさんっ! この子ったら顔真っ赤にしちゃってるわよ!」


 ウゴッ! ウゴォ!


 急にスイッチが入ったノアとここぞとばかりに角で小突いているトリケラ。まさに面白いおもちゃが手に入ったと悪魔のような笑みでエースケにたたみかけていく。


「やっぱ顔か! そうだよなぁアルーゼ超可愛いもんなぁ、小さい頃も可愛かったぁぁ。もう甘えてきたときなんて! 思い出しただけで心がおかしくなりそうになる!」


 ウゴォォォ!!


「なぁぁ……ティルルでどこまで進展してんだよぉぉ。手繋いだか? まさかチューしたとか! まさかのまさか一緒にお風呂なんて!」


「だぁぁぁ!!!! アルーゼとはそんな関係じゃねぇよ!! ままま万が一そんな関係だとしても誰がペラペラ話すか! ま、まずアルーゼが俺のことす、すす、好きになるわけないだろ! アイツは大切な友達の一人で!」


「……大切な人?」


「どんな耳してんだ!」


 エースケは残りの干し肉を勢いよく頬張って飲み込むと「ふんっ!」とツリーハウスに足早に戻っていった。

 心配で仕方がなかったノアからすればアルーゼに友達ができたことはとてつもなく嬉しいことであり、さらには関係が親密になっていることに興奮してしまうのは必然だった。



 ********************



 夜。ツリーハウスは真っ暗だった。

 ゼアルによって大きく破壊された大樹だったが好都合なことに月明かりがより差し込むようになった。

 寝る場所はくじ引きをして、エースケレオンがベッド。ツァル子ノアが竜車となり、レオンは早くに就寝したがエースケは一人、大樹の頂上から眩しい月明かりに照らされたジャングルを見下ろしていた。


「師匠め、せいぜいツァル子の寝相音痴に苦しむがいい」


「エースケ」


 突如後ろから呼ばれたことで座っていた枝から落ちそうになったエースケをツァル子が大慌てで支えた。

 ツリーハウスといっても樹の中に住む構造となっているため、頂上に行くためには木登りの要領でよじ登らなくてはいけない。故に頂上は枝と葉が密集しているだけで気を抜いたら普通に落っこちる。

 エースケは興味本位で登ったのだが、これが想像以上にキツくて今日ほどに飛行能力が欲しいと思ったことはなかった。そんな飛行能力で頂上に来たツァル子はさすがにいつもの調子に戻っていた。


「眠れないの?」


「なんか落ち着かなくてな」


 エースケが眠らないのは決して予知夢が怖いだとかレオンに変な気が起きるからではなく、目を閉じると、もし師匠がいなかったら、アルーゼが救えるのか、と不安で眠ることができなかったからだ。


「私もいるぞ」


 もぐらたたきのもぐらのように顔だけ出したノアにエースケは悲鳴を上げ、また落ちそうになるところをツァル子に救われた。


「驚かせんなよ師匠! 心臓止まるとこだったぞ!」


「止まっても助けてやっから安心して止めろ」


「なにも安心できないんだけど……」


「なんだ、レオンはいねぇのか」


「だいぶ前に寝たよ、可愛い寝顔でした」


「んだよぉ、せっかくみんなで呑もうと思ったのにぃ」


 ノアが持っていたのは『保管の水晶』に保管されていた酒瓶だった。エースケが即座に感じ取った嫌な予感。つい先日この酒によってエースケはレオン防衛戦線を展開するはめになり、最終的には理不尽なツァル子の制裁を受けている。

 恐怖すら感じる寝相音痴、絶望的な方向音痴、酒癖は最悪という三種の神器を備えたツァル子、そんな彼女に酒なんて、あの悪夢が再来する。


「ツァル子! 今すぐここから離れろ!」


「ふいぃやぁぁ、ふにやぁぁ、ほいやぁぁぁ」


「…………」


「えぇふふぇぇぇ」


 エースケ思考停止。再起動。思考再開。眼前に顔の赤いツァル子。

 ゆっくりとノアを見る。

 親指を力強く立てたノアを確認。状況を把握。結論。ツァル子飲酒確定。


「だからいつ飲んだぁ!?」


 なにが恐ろしいって飲んでいる瞬間を見ていない。第一次レオン防衛戦線の時は酒瓶を発見した直後にはもう既にツァル子は酔っていた。もはや本当に飲んだかすら疑ってしまう始末。

 酒の臭い、もはや酒瓶を見ただけで酔っている可能性すらある。


「あれぇぇ? れおんくんどこぉぉ?」


「これより第二次レオン防衛戦線を展開するぅ!! つーかなに未成年に飲ましてんだよ師匠! ツァル子まだお酒飲んじゃいけない年齢!」


「み、みせい、ねん? 酒は十歳からだろうが。ツァルコアはもう十歳超えてっから飲んでいいんだぞ?」


「異世界カルチャーショック!!」


「れおんくぅんがぁ、がお! がお! がおぉ! れおんくぅんがぁ、がお! がお! がおぉ! みぃんなぁでいいっしょに、がお! がお! がおぉ!」


 月に向かってがおがお吠えているツァル子。

 足を滑らせないように腕を伸ばしながら見守っていたエースケが「ぬわぁぁ!」と不覚にも自分が足を滑らして下半身がすっぽりと埋まってしまった。


「なぁにやってんだよエースケ、まさかお前も酔ってんのか?」


「俺はいいからツァル子を」


「あぁ! のあしゃんもいるぅ!」


 ノアを見つけるなり大樹の頂上にいるなんてこと忘れて、ノアに向かって思い切り飛び込むツァル子。それを器用に受け止めたノアは「ふひひひ」と頬を擦り付けるツァル子の頭を優しく撫でている。


「可愛いなぁツァルコアはぁ。オレンジ色の髪も綺麗だし。ツァルコアも私の娘になっちゃうか!」


「どぉおしよぉぉかなぁぁ」


 酔ったツァル子にノアは翻弄されていない。

 圧倒的な包容力にエースケは絶句と共に尊敬すら覚えた。


「あ、そうだエースケ」


 ノアはフワフワ状態のツァル子をお姫様抱っこすると、真剣な表情でエースケに声をかけた。

 下半身が枝葉に埋もれているエースケ、お姫様抱っこしているノア、お姫様抱っこされ、ご機嫌にノアのほっぺたをフニフニしているツァル子。

 月光降り注ぐ大樹の頂上は実にカオスな光景となっていた。

 

「一応聞いておくぞ。アルーゼ救出にツァルコアとレオンとトリケラは連れて行くんだな」


 質問というより、それは警告だった。これからアンペやエウロパとの戦闘が比にならない危険が待ち受けている。

 ノアがいても万が一はある。

 ゼアルや戦士の脅威からツァル子たちを護りきれるのか、アルーゼを助けることができるのか、お前にその覚悟があるのか。


「もちのろんよ! 最後までみんなには頼らせてもらうんだからな。そんで誰一人欠けることなく帰る! それに、アルーゼには新メンバーの紹介もしなきゃだしな」

 

「はっ、聞いて正解だった、いい目だ。アルーゼが惚れたのも納得できる」


「だっ! だから! そんなんじゃねぇって!!」

 

「さぁさぁツァルコアちゃん、照れてるエースケとはここでお別れぇ、おやすみぃって」


「おやすみぃえぇすけぇ」


 お姫様抱っこの効果なのかツァル子はすっかり眠たそうな目になっている。おやすみぃと振っている手も少ししか上がっていない。


「んじゃ明日なぁ」


 ノアは躊躇なく頂上から真っ暗な空間へ跳んだ。その唐突な行動にツァル子も正気に戻る。

 ジャングルに自生する植物の中で最も巨大な樹木の頂上から暗闇へのジャンプ。

 至上最恐の紐無しバンジージャンプはツァル子の酔いと眠気を一瞬で消し飛ばした。


「きゃぁぁぁぁぁぁああああああぁぁぁぁ!!!!!!!!!」


 悲鳴と絶叫が混合した断末魔にも近い咆哮が容赦なく暗闇に響く。

 同時刻、ルゼアチノとは正反対のギガン大陸最西の街の住人が身の毛がよだつほどに不気味な叫び声を聞いたとか聞いていないとか。

 エースケは耳を塞ぎ、レオンとトリケラが飛び起きる。そんな轟音の絶叫を至近距離でくらったノアは「久しぶりにやったけどやっぱ楽しいなこれ!」と誰よりも楽しんでいた。

 そして一番の被害者であるツァル子は魂が抜け、白目をむいて泡を吹いていた。


「……ツァル子かわいそぉぉ」


 取り残されたエースケはツァル子に同情しながらも、とある問題に直面していた。

 枝葉に下半身が埋もれて非常に身動きが取りにくい。というか動いたら枝が折れそうで今ひとつ力を出せない。月明かりがあるといえど所詮は真夜中。周囲の状況を詳しく把握することは難しい。エースケの心に段々と脱出不可という四文字が浮かんできた。


「これ……どうやって降りんの……」

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