戦士という難敵
小石を蹴りながらエースケはジャングルを進んでいた。
「んだよアイツら。急にマメンチに同情しちゃってよ」
周りは植物が生い茂り、高い巨木に見下ろされている。未知のジャングルはあまりにも不気味で、戦士の急襲を想像すると手汗が滲む。
なんだかんだでたどり着いたルゼアチノだったが、考えてみればここはゼアルの本拠地であり、戦士の巣窟。そんな場所を独りで歩いているのはあまりに危険すぎるし、実のところ竜車から真っ直ぐ歩いて来たつもりだったが迷っていた。
「あっちから来た気もするし、こっちから来た気もするな」
元の世界で田舎に住んでたとはいえ、これほどまでの大自然に囲まれることはなかった。そんな非現実的状況に未だ思考が追いついていないせいか、パニックにならず逆に落ち着いている。
第一、キブラやマメンチとの戦闘が戦士に対する危機感を大きく下げたのだ。真に命の危険を感じていない今、エースケにはどこか安心している。
ツァル子たちを探すにも来た方向が分からないから勘に頼るしかない。しかし勘に頼っていいものかとも思う。適当に歩いて合流できるほどジャングルはあまくないだろうし、それこそ離れてしまったらアルーゼ救出どころの話ではない。
「ツァル子のやつ方向音痴発動してないといいけど……。いっそ叫んでみるか? でもそれだと戦士が来るかもだなぁ。どうしよ、なんかだんだん不安になってきたんだけど」
植物が作り出す圧迫感は閉所恐怖症でなくとも息が詰まりそうになる。このまま夜も独りぼっちで過ごすはめになったら、大勢の戦士に襲われたら、ツァル子たちが危険な目にあっていたらと不安要素は尽きない。
エウポンの力は戦闘向きだがツァル子やレオンの能力は移動や隠密に特化している。つまりツァル子たちは戦闘になった時点で詰む可能性が高い。トリケラがいるとはいえ戦士に対してどこまで奮闘できるのか、ツァル子の飛行能力で確実に逃げられるとも言い切れない。
「早いとこ合流しねぇと」
「あぁ、そうだな」
いるはずのない声。背中に感じた衝撃と鈍痛。痛みは皮膚、筋肉、骨、内臓に満遍なく伝わり、全身を激震させた。殴られたのか蹴られたのか詳細は不明だが「痛い」ということだけは鮮明に理解できている。地面を乱雑に転がっていく痛みも追加され、エースケは一瞬で肉体の外側と内側に大ダメージを負ってしまった。
耳を防ぎたくなる高い金属音が鼓膜を震わし、腕どころか指一本すら動かせない。不快な血の味とともになんとか肺に空気を送り込み目を開けるが、まるで水中にいるような視界で、むしろ目を閉じている方がましだった。
エースケは吐き出しそうになる体液を抑え、なんとか動かせた四肢を使ってゆっくりと立ち上がった。思いっきりぶちまけたい気分だったが、これが大量の血だったら精神的に立ち上がれなくなると必死に手を押さえてこらえる。
「ここがどこか分かっていて突っ立っていたのだろうな。まさか知らず知らずに迷い込んでしまったとは言うまい」
解像度が上がっていく画像のように、霞んだ視界も焦点が段々と合っていく。ゼアルのような威圧的な声の男は二メートル近い身長で、キブラやマメンチとは圧倒的に違う雰囲気を放ち、勲章といわんばかりに顔面の大きな傷が右目を潰していた。
「それがさ、絶賛迷子中なんだよ。迷子センター連れてってくんないかな」
今できる限界の強がり。
頭から流れる血を拭い、全身に力を込める。
気力はある。心底ビビってはいるが、巨大マンモスの時のように逃げようとは思っていない。こんなやつをツァル子たちに会わせてはいけないと、エースケはクロスした腕を思い切り突き出した。
「変身!!!」
今ほどに自分の肉体が頼もしいと思ったことは無い。
もう一度生身で攻撃を受けたら最悪死ぬだろうが、恐竜化した肉体なら三発は耐えられるだろう。何発でも耐えて欲しいところだが、エウポンにそこまでの期待はしていない。
ここで躊躇ったら死ぬ。それは明白だった。だからもう躊躇わないし迷わない。生きるために闘う。ツァル子たちを護るために闘う。アルーゼを助けるために闘う。理由は充分だった。
恐竜化完了。エースケは限界まで息を吸い込み、出せる最高速度で男へと突っ込んでいく。決して玉砕覚悟などではなく、男の攻撃を回避し、カウンターを打ち込むという作戦があったからだ。
男はエースケが真正面から突っ込んでくる時点で予想していた。カウンター狙いか、真横もしくは真後ろへ移動しての不意打ち。想定していればどんな高速攻撃でも防御は容易い。男はエースケを戦士ではない弱々しい存在だと見下していた。
エースケは寸前のところで左足で地面を深く大きく抉り、男へ大量の土を蹴り上げた。強靭な脚力によって飛び上がった土は予想外で、男の左目の視界を見事に奪った。
思い切り踏み込み、渾身の力を込めた蹴りがエースケの雄叫びとともに男の左こめかみに撃ち込まれる。容赦なく伝わった百パーセントの威力に頭蓋骨の防御力など無意味で、男の脳機能を一瞬停止させた。男は勢いそのままに地面を何度も転がり、大木の幹に激突する。
エースケは追撃するか、しないかという選択を迫られた。様子を見ることも重要だが、渾身の一撃がクリーンヒットした今、さらに追い討ちをかけることは得策かもしれない。戦士との初戦は暴走状態、キブラとマメンチとはまともな戦闘をしていないため、戦士との戦闘データは無いに等しいといえる。
「ッ!!」
エースケに無音の痛みが襲った。左肩から指先にかけて猛烈に熱くなり力が抜けていく。転ぶ寸前や殴られる寸前なら痛みに対する多少の覚悟はできるが、突然となると痛覚はダメージを数倍にして伝えてくる。
左腕に突き刺さった緑色の細長く鋭利な物体を引き抜くと、刺さった時の倍の痛みが広がった。
「……植物、か?」
触った感触は植物の茎そのもので、簡単にへし折れてしまった。傷は激痛のわりには小さく、出血も少量なのだが新手の可能性に動揺を隠しきれない。
男の様子を伺いつつ新手を探していると、さらに数本の茎矢が容赦なく飛んできた。エースケは茎矢が飛んできた方向に人影を見たが、男が立ち上がってしまう。
「手助けのつもりかエウロパ!」
男は目潰しによって充血した左目がさらに赤くなってしまうほどに力を込め、エウロパに怒号を飛ばした。大樹の葉が死角となって姿は見えないが、揺れる枝や落ちてくる葉からして相当な速さで移動していることが分かる。それでも恐竜化した視力が動く影を見失うことはない。エースケは男そっちのけでエウロパの元へと跳び、厄介な遠距離攻撃を先に潰す作戦を開始する。
エウポンの脚力ならば樹を蹴り登ることは容易で、数歩でエウロパと同じ高さに辿り着いた。だが少々勢いをつけ過ぎたか、エースケは最後の一蹴りでニ、三秒空中に止まってしまった。
待っていたかのように放たれた数本の茎矢が目に映る。空中という逃げ場のない、どうしようもない状況に放たれた鋭利な植物の茎はエースケの左頬をかすめ、右肩、右太ももに突き刺さった。
どうにか枝を掴んだが力んだことで痛みを増幅させ、エースケは表情を歪ませる。痛みによる視界の縮小が反応の可能不可能はどうあれ、本来ならば見えたであろう真横からの追撃を隠した。
「茎の次は”つる”かよ!」
右足首を器用に巻き締めている植物のつるはエースケを枝から引きずり下ろし、エースケを宙ぶらりんの状態にする。
「痛いだいだいだい!! 傷が! 傷が広がる!」
もがき苦しむエースケは自分を見下ろす女と目が合った。
薄紫色の短髪と凛々しい顔立ちは一見すると男性にも見える。だがしかし男性にしては少々胸部が大きい。エースケは自分が無防備な状態など忘れて顔と胸への視線を何度も往復した。エウロパがそんな低俗な目に気付かないはずもなく、エースケに結ばれたつるを大きく揺らした。
「いてぇぇ!! 揺らさないで! 優しくして! 痛い痛い痛い!! すっごい痛い!」
「……」
「いや無言で揺らすのやめて!? まじごめんなさい!!」
敵に向けて情けなく絶叫する、むしろ痛くないのではと思うほど元気よく叫んでいるエースケに軽引きのエウロパは男の元へ飛び降りた。
「助けたつもりか」
「あぁ」
「お前にはもう片方の始末をしてこいと言ったはずだ。俺が戦士でもないこの弱者に敗北するとでも思ったのか。お前に助けを要求すると思ったのか」
「その弱者とやらに一撃貰っていたのはお前だ"アンペ"」
怒りが隠しきれない高圧的なアンペと決して臆さないエウロパの会話はまさに一触即発寸前だった。
「むしろ二人で制圧した後、もう片方を制圧した方が抵抗された場合でも迅速に始末できる。弱者と言っても先行したキブラとマメンチを退けていることは確かなんだ。それらを考慮したうえで意見を述べたのにそれを無視したのはお前だぞ。もう少し考えて行動しろ」
冷静に話すエウロパは必死にくねくねともがいているエースケを見上げている。抵抗虚しくエースケの恐竜化がゆっくりと解けていき、人間状態に戻っていく。
「くそぅ、二体一は聞いてねぇぞ。こうなったらな、もうやけくそなんだよ。……おぉぉぉぉいいい!!! ツァル子ぉぉぉお!!! レォォォオオン!!! トリケラァァァア!!!」
反撃の余地がないエースケが唯一取れることは”叫ぶ”ことだった。自分じゃどうにもならないのなら他人に助けを求めるのは至極当然な行動である。だがエースケはツァル子たちの戦闘能力をちゃんと理解している。無理に救出など強要しない。
「逃げろぉぉぉぉぉぉおおお!!!!!」
逃げろ。伝えることはそれだけ。手助けはできないが、一瞬でもいいからチャンスは作りたい。アルーゼを助けることも重要だが、自分の命を失っては意味がない。そう遠くまでは移動していないはず。そう信じてエースケはめいいっぱい叫んだ。
「今すぐに逃げろぉぉぉおお!!!!!!」
エースケの姿はアンペとエウロパからすれば滑稽に見えた。弱者が必死に弱者を逃そうとする。結局は逃げることなどできないのに。声なんて聞こえるはずがないのに。
しかしエースケの声はちゃんと二人と一頭の耳に届いた。
「(頼む! 逃げてくれ!)」
「エースケ!!!」
「エースケさん!!!」
ウゴォォ!!!
植物生い茂るジャングルをかき分け、猛スピードで現れた人間二人と恐竜一頭と竜車一台。土や植物を舞い上げながらトリケラは竜車ごとエウロパとアンペに猛進していく。
「トリケラ君!!」
手綱を強く握るレオンに応えるように、トリケラはさらに速度を上げて二人に突っ込んでいく。
トリケラの猛進にエウロパとアンペは反撃ではなく回避を選択。かわされたトリケラはそのまま二人から距離を取るように走り抜けていった。
一方、登場とともにエースケの元へ直行したツァル子はナイフでつるを切った。空中キャッチを期待したエースケだったが願い叶わずそのまま地面に激突した。
「いでっ!! ……みなさん!? 逃げろって言ったよね!?」
「名前呼ばれたからつい」
エースケの声が聞こえた瞬間、反射的に走り出したツァル子たちだったが、エースケの傷だらけの体と二人の戦士を見て顔が青ざめてしまった。
「来なきゃよかった」
「薄情者!!」
「だって戦士がいるなんて思ってなかったんだもん!」
ニ対一の状況から二人と一頭の追加が戦力差を埋められたかと言われれば正直言葉に詰まる。しかし闘いようによっては勝機があるかもしれない。エースケはそう信じて立ち上がった。
「マメンチは」
「急に飛び出してっちゃったのよ。探そうかなとも思ったけどエースケのほうが」
「大切だもんな! そうだよな! んだよ! 恥ずかしがり屋だなツァル子は! そうならそうと正直に言えば!」
「るっさい!」
アンペが首を鳴らす。
「なにをごちゃごちゃと。女が一人が増えたところで、むしろまとめて片付けられるようになっただけだ。エウロパ、巻き込まれるなよ」
アンぺの肉体が唸り声とともに巨大化していく。ギチギチに膨張した筋肉はエースケの恐竜化とうって変わって強大な破壊力を秘めている。アンペが宿す恐竜の名は「アンペロサウルス」。その最大の特徴である背中にはえた無数の太いトゲはアンペの背中にも顕在だった。
◯アンペロサウルス
体長約15〜18メートル 白亜紀後期ヨーロッパ生息
意味「ブドウ畑のトカゲ」
アンぺの姿を見てエースケが考えたこと。
それは「小さくね?」だった。
キブラの恐竜化を見た時も考えていたことだが、巨竜の民が宿す恐竜の力が全て竜脚類だというのならば恐竜化の際にはもっと肉体が大きいのではと疑問に思っていた。
説明の通り、アンペロサウルスの体長は約15〜18メートル。しかし現在のアンペの身長は十メートルもない。
「能力には個人差がありますってか。まぁサイズなんて小さいに越したことはないからな。どうかそれ以上デカくなんないでくれよ」
恐竜化した戦闘態勢完了のアンペが、
「《トゲ車輪》!!」
原理不明の高速前回転で向かってくる。言ってしまえばでんぐり返しなのだが、巨体と背中のトゲが生み出す地面を深く抉るほどの破壊力にそんな可愛い呼び名は不似合いだった。
待ったなしの猛回転に対し、エースケは樹上へと回避する。
しかしアンペの高速回転にとって大樹の破壊など造作もなく、エースケたちを乗せた大樹は幹から無数の木片を飛ばしながら粉砕された。
「なんつぅ脳筋技!」
「ちょっとエースケ! あれどうにかしなさいよ!」
「どうにかって!?」
「男らしく真正面から受け止めるとか」
「おやおや、君は本当に仲間かな?」
さらに樹々を粉砕していくアンペの猛回転の止め方などアルーゼですら苦戦しそうだ。
「エースケさん!!」
レオンの声。
アンペへと気が向いていた状況に割り入った警告は、女戦士エウロパの存在を気づかせるものだった。
エウロパとエースケの目が合う。こちらに走り出しているエウロパに応戦したらアンペの猛回転に巻き込まれ、かといって遠距離攻撃のエウロパを無視することもできない。左右に逃げても上に飛んでもエウロパとの衝突は避けられない。
アンペの大雑把な攻撃の不足分を補うエウロパの行動は瞬時にエースケとツァル子を追い込んだ。もしツァル子の飛行能力でエースケごと飛んだ場合、ツァル子を攻撃されたら地面へと真っ逆さま。エースケが最も重要視することは自分自身へのヘイト。出来るだけ自分が攻撃を貰い受け、ツァル子たちのダメージを最小限に抑える。
エースケは叫んだ。
「ツァル子! 上に飛ぶぞ!」
ツァル子は大翼を広げ、エースケは恐竜化した脚に渾身の力を込め、空中へと飛び出した。危惧していた空中をあえて選択した理由、それはレオンの声である。
「行きますよ! トリケラ君!!!」
空中へと飛んだエースケたちに攻撃を仕掛けようとしたエウロパは驚愕する。正常な視界が一瞬にして乱雑な視界へと豹変した。
上下左右が理解不能になり、平衡感覚が完全に失われた瞬間、自分がなにかに吹き飛ばされたことに気が付く。動揺したエウロパだったが乱転する視界から冷静に地面を把握し、両足で着地した。
ウゴォォォ!
「見えないとは不思議なものだ。よく聞けば足音もしているし気配も消えていないのに、人間がどれほど視界を頼ってるかがよく分かるな」
見えない。がしかし確実にそこにいるトリケラトプスと幼い少年。
エウロパには自身が受けたダメージを感じさせない程の余裕があった。
「竜車はどこかに置いてきたか。しかしそのトリケラトプス、幼体か。成体なら最悪死んでいるが、所詮この程度ですんでいる」
この程度と言っても右腕とろっこつが折れている感覚があった。
レオンはトリケラの背中の上で必死に透明化を発動している。一方のトリケラはエウロパを睨みつけていた。アルーゼに突進を受け止められ、キチパチには持ち上げられるという敗北の苦汁を舐めてきたトリケラには、もう負けられないという決心の炎が燃え盛っている。
「よくやったぜ。レオン、トリケラ」
レオンの声にエースケは託した。
エウロパさえ封じれば空中回避で危惧すべき遠距離攻撃は無くなる。猛回転するアンペだけに集中すれば、あの破壊力は余裕で回避することができる。
高さは猛回転の範囲外、もちろん油断はしていない。していないのだが、
「逃がさんっっっ!!!!」
破壊力の凄まじい猛回転を繰り出すアンペは回転しながら跳躍した。
踏み込みによって地面は陥没し猛回転の勢いをのせた跳躍は軽々と巨体を空中へと誘う。完全な想定外。回避してしまえば無力だと思っていたアンペがエースケとツァル子の眼前に現れる。
「やばいッ!!」
前回転から振りかぶる姿勢に変わり、アンペが空中で殴る寸前のポーズを取る。
恐竜化によって巨大化した岩石のような拳。それは決して受け止められる大きさではない。空中という安全領域を逆手に取られ、回避は絶対に不可能だと嫌でも理解する。防御をしなければ……。そう考えた時には既に肉体が無意識に恐竜化を開始していた。唯一の救いは狙いがツァル子ではなかったということ。
トラックに激突される。なにかしらの爆発に巻き込まれる。エースケが受けた衝撃はそれらを連想させた。恐竜化によって強化された肉体の耐久力が幸か不幸かエースケの意識を保たせ、気絶すれば逃れられたかもしれない激痛を存分に味わう。今まで受けた攻撃の中で一番痛い。
生まれて初めて気絶したいと願った。痛いのも苦しいのも嫌いだし、血だって得意ではない。
地面に激突し、エースケは願った通りに気を失った。
「次は貴様だ!」
全力のパンチをエースケへとぶつけた直後、着地を挟み、間髪入れずにツァル子への拳を固める。ツァル子はなんとか高度をあげたが、この状況において判断の遅れは致命的で、拳が当たらないと分かるとアンペは指を伸ばしツァル子を力強く握りしめた。
一方のエウロパは、
「透明化。初めて見る能力だが、精神の乱れが能力の乱れに直結するようだな。随分見えるようになった。……あの男は死んだ、間違いなく死んだぞ」
目の前で叩きつけられたエースケは地面にめり込んでいるせいで視認できない。
レオンにとってそれがさらに不安を掻き立て、透明化を乱れさせる。エウロパは余裕綽々で不安を煽った。
「エースケさんは……生きてます」
「いや、死んだ」
「生きてます!」
力強く叫んだレオンは右腕に装着したクロスボウをエウロパに向けた。矢はしっかり装填されている。
「……撃てるのか」
震える腕が照準を確定させない。華奢な腕ではクロスボウの重さを支えられず、向けたはいいものの人に撃つという恐怖がレオンを迷わせる。トリケラがエウロパに突進した時も目を瞑っていた。
レオンは人が傷つく瞬間をどうしても見ることができなかった。
「ぁぁぁあああっっ!!!」
ジャングルに響く絶叫。恐怖を煽る、痛みと恐怖の混じった不協和音は、アンペに握り潰されそうなツァル子から発せられたものだった。
「彼女も殺されるぞ」
涙が唇から流れる血と混ざり合いトリケラの背中へと落ちていく。
瞬く間に追い詰められ、エースケとツァル子が傷ついている時ですら自分は恐怖に負けているのかとレオンは自分を責め立てた。
「ぁぁぁぁぁあああ!!!!」
トリケラにもツァル子の絶叫は聞こえている。ツァル子の悲痛な叫びは怒りをたぎらせ、エウロパに対する敵意を限界にまで増幅させた。目を血走らせエウロパへと突進していくトリケラ。エウロパは複数箇所を骨折している重傷の状態でも余裕の表情だった。
「所詮は人外。たかがしれている!」
見えていればどうということもない。素早い回し蹴りがトリケラの下顎を捉える。
恐竜化によって強化されたスピードとパワーはトリケラの脳を限りなく揺らし、たった一撃で沈黙させた。僅か一瞬の出来事。トリケラの決心の炎はあっけなく消されてしまった。
倒れ伏すトリケラに飛び乗ったエウロパはあえてクロスボウを自身の胸に押し当てた。
「引き金を引けば確実に私の心臓を撃ち抜ける。……感じるか、これが命を握る感覚だ。撃てるものなら撃ってみろ。私は別に構わない」
レオンの視界が急速に縮小していく。呼吸が荒くなり心臓が激しく鼓動する。人の命が引き金を引いただけで容易く奪える状況に精神が崩壊寸前まで追い込まれていく。
エウロパの声には怒りが込もり。レオンへの眼差しは真剣だった。今ここで心臓を撃ち抜かれてもいいという覚悟が、凄みがある。
「やめ……」
「これは生命を奪う道具だ。これを向けることはその覚悟があるという証明だ。いいか、覚悟が無いことは恥じではない。覚悟を偽ることこそが恥、偽った覚悟で引き金など引けるものか!」
エウロパは押し当てていたクロスボウを胸から離す。
レオンが無気力に肩を落とし、暗い瞳から涙が流れた。
「おいエウロパ。早くガキを殺せ」
「ゼアル様が仰られたのは子ども二人の抹殺、私はゼアル様の命令を確実に実行するだけだ。主戦力であるその男を殺せば、我々の脅威になることはありえない」
「なにが脅威だ。たった一撃でこの様なんだぞ。こいつも気絶して面白みがなくなった」
「弱者を痛めつけるのは誇り高き戦士のやることではない。命令は二名だ。お前こそ、それをさっさと殺しておけ」
エースケ、ツァル子、トリケラ。完全に沈黙した二人と一頭はなすがままの状態になってしまった。もうレオンがどうにかできる状況ではない。万に一つも逆転はありえない。自分の弱さを自分が一番理解している。
残された選択肢は。沈黙するトリケラの上からレオンは声を振り絞った。
「僕が! 僕が……身代わりになります」
アンぺは冷たい視線と共に鼻で笑い飛ばした。滑稽で惨めで弱々しい存在に傾ける耳はないとツァル子の息の根を止めようとする。そんなアンペをエウロパは制止した。
「エースケさんを……ツァル子さんを殺さないでください。僕が身代わりになります。だからどうか、どうか二人を殺さないでくださいっ」
「残念ながらそれは交渉とは言えない。それはただのわがままだ。私たちが命令されたのは二名を殺すこと。君一人では命令違反になってしまう」
力、言葉、そして命ですら足りない。
何度もがいても這い上がることができない穴に落とされた気分だった。
どれだけ代償を支払っても決して願いは叶わない。
「お願いします、お願いします。僕一人だけなのはおかしいって分かってます。でも、それでも、お願いします」
できることは懇願のみ。アンペはあくびをこぼす。無駄な時間でしかない。
「二人は絶対条件だ。あともう一人は必ず殺す」
つまりエースケとツァル子どちらかを選択しろということ。
条件が覆ることはないと分かっているからこそ時間を稼いでいる。もしかしたらトリケラが目覚めるかもしれない、エースケが目覚めるかもしれない。
レオンはありとあらゆる希望を掴み取るために必死だった。
「エウロパ。もういい加減にしろ、付き合いきれない」
「お願いします! 僕が……!」
「黙れ!!」
たったその一言でレオンは言葉を失った。アンペが怖くて黙ったのではない。
本当になにもできず終わっていく現実に絶望した。深い絶望がゆっくりと心を黒く染めていく。いくら叫んでも手を伸ばしても奇跡を信じても、もう意味がない。
残酷な現実に放たれる一発の矢。感情溢れるまま引き金を引き、音を立て空を切る渾身の一射がエウロパの手前に突き刺さった。
レオンの覚悟は敵をかすめるどころか手前で力尽きてしまった。
「……満足か」
「……はい」
エースケたちは敗北した。




