記憶という過去3
心の傷は一生消えないこともある。
誰だってトラウマや黒歴史のような忘れたい過去の一つや二つを抱えていて、たまにそれを思い出すと落ち込んだり後悔の念にかられる。
恥ずかしかったり殺したくなるほど憎かったり、忘れたいのに忘れられない過去というものはまさに傷と言える。
アルーゼの場合、心の傷が全て恐怖に変換されてしまう。
ゼアルという圧倒的存在が記憶に居続ける限り、連鎖して痛みや苦しみや孤独だった記憶がアルーゼにつきまとうのだ。
「よしアルーゼ! 朝飯食い終わったな!」
恐竜化が成功しなかった次の日、師匠はアルーゼの手を引き、窓から外へと飛び出した。
アルーゼもされるがまま連れ出された。
「し、師匠、いきなりどうしたの」
枝をつたって、時にアルーゼを上へ投げて、運動神経抜群の二人は器用に大樹を登っていく。
頂上の葉っぱからスポっと顔を出し、樹幹の上に立った。
師匠が思い切り息を吸い込む。
「ゼアルの!!! 馬鹿やろぉぉぉおお!!!!!」
唐突に大声で叫ぶ師匠にアルーゼは目が点になっていた。
ジャングルに響く師匠の声はどこまでも届いてしまいそうで、ゼアルに聞こえないか心配になるほどだった。
「ほら! アルーゼも!」
アルーゼは師匠の勢いにすっかり置いてかれている。
「ゼアルの!!! 馬鹿やろぉぉぉおお!!!!!」
鳥たちが空へ飛んでいくほどの迫力ある叫び声が再び響き渡っていく。
師匠はすっきりした様子だ。
「モヤモヤする時は叫ぶに限る! アルーゼ、想像でもいいからよ、真正面からアイツの顔面に一発ぶちかましてやれ! もうてめぇなんか怖くないって勝ち誇れる、強ぇ女になってやろうじゃねぇか!」
心の傷を癒すために必要なものは優しい言葉や気遣いなどだろう。対して師匠の言葉は実に荒々しく力強いものだった。
だが、だからこそアルーゼが感じ取った頼もしく勇ましいメッセージはアルーゼの抱える闇に大きなヒビをいれた。
差し込む光は眩く、まさに希望の光だ。
「怖いからこそ立ち向かえ。もちろん逃げたっていい。けど、想像でくらい自分が最強なんだと思え。そうすれば自ずと、強く笑って生きていける」
愛情を受けず、幼い肉体に痛みを積み重ねる日々、勝てるはずもない闘いの激痛と苦しみ、勝手な期待と失望、誰も救いの手を差し伸べてくれない孤独。それら全てが一生消えることのない記憶としてアルーゼに深く刻まれている。
しかし、それでもアルーゼは屈していない。
「いいか? 思いっきり空気吸い込んで、思いっきり腹の底から叫ぶんだぞ。せーの!」
『ゼアルの!!! 馬鹿やろぉぉぉおお!!!!!』
風と共に大地を駆け抜け、真っ青な青空へと響き渡るその声は、まさに逆襲の宣誓。
辛い過去が消えることはない。
けれど、苦しみ、涙することも二度とない。
「はっはっはっー! どーだアルーゼ! スカッとしただろ!」
「うん!」
こうして二人の生活は本格的にスタートする。
ゼアルはアルーゼを探さず、戦士育成にさらに注力するようになった。アルーゼが負担していたゼアルの期待と鍛錬、その矛先は巨竜の民の若者へと向けられた。
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「まずはシンプルに姿を変える恐竜化からだな。腕を大きくするのは考えなくていい」
アルーゼの恐竜化は皮膚だけは何度も成功しているが、竜脚類特有の能力である肉体の巨大化は一度しか成功しておらず、生命の危機での偶発だったため成功する感覚が無いも等しかった。
それでも、心を埋めていた闇が晴れたアルーゼは見事に右腕の皮膚の恐竜化に成功した。
「できた……!」
「おぉ! その歳で皮膚だけでも恐竜化するのって普通にすげぇぞ!? 皮膚だけに、天才肌ってやつだな」
「……」
「ッホン! そこは、師匠おもしろーいだろ!」
「シショー、オモシローイ」
「よくなぁい! 師匠の扱い方が非常に良くない! 寂しいよ? 師匠寂しくてどうにかなっちゃうよ?」
「シショー、オモシローイ」
師匠はアルーゼのほっぺをむにっと引っ張った。
「んぅ? 私は恐竜化の秘訣を知っているのだよ? あんまり師匠をいじめると教えたくなくなっちゃうぞ~?」
「いひゃい、いひゃいよ、ひひょー、ごひぇんなはい」
想像以上の可愛さに師匠は何度もぷにっとつまんでは、うにうにを繰り返していた。
「とびっきり可愛いアルーゼには、ほっぺたをぷにぷにさせてくれたお礼として恐竜化の秘訣を教えて差し上げよう! ……それはな、能力の恐竜に会うことだ」
「会う?」
「じゃ行こっか」
早速、転移の水晶を取り出すと二人はとある場所に転移した。
師匠は慣れているがアルーゼは未だに転移の水晶の激しい酔いに慣れておらず、またもや口に手を当てている。
「はい到着。実に便利な転移の水晶。っておいおい、まだ慣れとらんのかね」
「うぅ、これ嫌いぃ」
そんな二人が転移した場所は、地平線の彼方まで広がっている大草原が見下ろせる崖の上で、アルーゼが初めて見る数多くの恐竜がそれぞれ群れを作って草を食んでいた。
「すんげーだろ、ここは草食恐竜がめちゃんこ集まる草原なんだ。あれがトリケラで、あっちはマイアサウラだな。アンキロサウルスだろ、パラサウロロフスとイグアノドン!」
「師匠、いっぱい名前知っててすごい!」
「恐竜の名前いっぱい知ってる私って超すげぇ! けどなぁ、この世界には私も知らないたくさんの恐竜がいるんだぜ?」
「そうなの!」
アルーゼは光景に夢中になっていた。
そしてアルーゼは、森を抜けて大草原へと現れた巨大な恐竜を目にすることになる。
「来たぞぉ! 大本命が!」
遠くからでも分かる、凄まじく長い首と尻尾。
その計り知れない巨体はゆっくりと山が動いているかのように見えた。
「あいつこそがアルーゼの能力。アルゼンチノサウルスだ!」
恐竜たちの中でも群を抜いて巨大な体は、他を寄せ付けることなく大草原を闊歩している。
「よっしゃ行くぞ!」
「え?」
師匠はアルーゼをお姫様抱っこすると、間髪入れずに崖を飛び降りた。
垂直の岩壁に踵をめり込ませて勢いを抑えながら、器用に、まさに神業、ていうかそれどうなってんだと言いたくなる速度で落下し、そのままなんなく着地した。
アルーゼノーダメージ。
そして大草原を全力で駆け抜けていく。
数多くの恐竜の群れをかわし、時に跳び越え、師匠はとてつもない速度でアルゼンチノサウルスを目指す。
「まさか師匠、あの大きい恐竜のところ行くの!」
「もちろん! 遠くから見るだけじゃつまんねぇだろ!」
段々と近くなってくるアルゼンチノサウルスを見て、アルーゼは驚愕していた。
あまりに大きすぎる。
「地面が揺れてる! 他の恐竜もみんな逃げてる!」
「アイツは存在するだけで最強なんだ! アルーゼはそんな最強の恐竜の力を持ってんだぞ!」
もう真正面からでは全体像が視界に収まらないほど近づいている。限界まで接近した師匠は、一気に両脚に力を込めて、高く高く跳び上がった。
師匠は飛び降りた時から脚部の恐竜化をしていたが、アルーゼは気づいていなかった。
「ひゃっほぉぉぉぉおお!!!!」
師匠はアルゼンチノサウルスの胴体の側面を踏み台にジャンプを繰り返す。
「これで! ラストォ!」
さっきまでいた崖ははるか遠くで、大草原を一気に駆け抜けて、あっという間にアルゼンチノサウルスの背中の上に到達した。
アルーゼの目がキラキラしていた。
「いやぁ爽快爽快! 久々にやると疲れんなぁ!」
アルゼンチノサウルスの背中の上から見える光景、生物と疑うほどの巨体、他を寄せ付けない圧倒的存在感にアルーゼは息を呑んだ。
「暴れないんだね」
「コイツからしたら私たちなんてちっぽけな存在だ。乗ってることも気づいてねぇかもな」
常識を疑うほどの巨大な背中。
アルーゼが恐る恐る、堅牢な鱗が広がる皮膚に触れてみると、指先から一気に全身が恐竜化した。
「うわっ!」
「お、成功成功。共鳴ってやつなのか、能力と同じ生き物に触れると結構な割合で恐竜化するんだよ。来た甲斐があったぜ」
そこでしばらく恐竜化の発現と解除を練習したアルーゼは完璧にコツを掴んだ。
「ま、巨大化はもちっと先だな。気長に練習してりゃいつかできる」
「そういえば師匠の能力ってどんな恐竜なの?」
「え? あ、あー、強い恐竜だぞ」
師匠があからさまに動揺したせいで、アルーゼは余計に気になってしまった。
「教えてよ」
「え? あれだよ%☆×¥<\サウルスだよ」
「一番大切なとこが聞こえないよ」
それから何度聞いたって師匠が答えることはなかった。
さすがにアルーゼも諦めて、しばらくアルゼンチノサウルスとともに大草原を遊覧した後、二人は帰宅した。
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半年後。
アルーゼは師匠が日を追うごとにこっちを見てはニヤニヤし、ソワソワしている奇行に呆れた視線を送っていた。
ただでさえ毎日かまってちゃんなのに、最近はより激しくなっている。
「ねぇ師匠、最近変だよ」
「えぇ? んなことねぇよぉ」
この半年で水晶の勉強や恐竜化、食料調達など、師匠との生活にすっかり慣れていた。
しかし、激しいスキンシップの過剰摂取に疲れ始めてもいた。
「やっぱ変だよ。なんか変な物でも食べたの?」
「だぁかぁらぁ、変じゃねえってぇ」
といいつつベッドからアルーゼを出すまいとホールドしている師匠のデレデレ具合は、残念ながら変と言わざるおえない。
なんとかホールドから脱出したアルーゼは逃げるようにジャングルへ出かけた。
「ふっふっふっ、やっと行ったか。さてさて準備準備!」
アルーゼは枝葉に隠れて、真下を通っていくアベリサウルスを見下ろしていた。
半年も暮らしていると、アルーゼに師匠のような大人になりたい欲が出てきていた。
時々、恐竜を捕まえてきてそれを解体している姿を見ていると、自分の特技をもっと増やしたいと思ってしまう。
「あの大きさなら閃光の水晶で怯まして、その隙に……」
瞬間、かつてゼアルがケントロサウルスを蹴り殺した光景を思い出した。
命を奪う理由はまるで違うが、その行為自体が父親の幻影を見せる。
「……帰ろう」
家に着くと、隠し扉の前に「立ち入り禁止」と書かれた看板が立っていた。
「アルーゼ!? 帰ってくんの早くね!」
窓から師匠が驚いた顔で見ていた。
「ちょい待ち!」
アルーゼが不思議そうに見上げている。
数分後、師匠が窓から顔を出した。
「もーちょい後ろ下がって! そう! そこ! うしっ、いいかアルーゼ! さん、にぃ、いち!」
師匠が空中へ水晶を放り投げる。いくつもの水晶が空中で音を立てて、それぞれが赤、青、黄、緑の光を放った。
アルーゼは状況が全く理解できずにポカンとしている。
「アルーゼ! 十歳の誕生日おめでとう!!!!!」
誕生日。それは聞いたことがない言葉だった。
リビングに上がると、テーブルに初めて見る食べ物が置いてあった。
部屋も装飾されていて、なんだかいつもの倍は華やかになっている。
「はっはっはっー! 驚いただろ!」
本当に驚きすぎて言葉が出ない。
「今日はな、アルーゼが生まれた日なんだよ。アルーゼが生まれて丁度十年が経ったわけだ。なんとめでたい!」
「……誕、生日」
「そう誕生日。ほら見てみろケーキだ! いやぁこの日が待ち遠しくてさ。ずっと緊張してたわ!」
「だから師匠、最近変だったんだね」
席に着くと師匠がケーキを切り分けた。
ケーキといっても手作りパンにハチミツがかかった、ホットケーキだった。
それでもアルーゼにとっては初めての誕生日ケーキで一口食べるとあまりの美味しさに手が止まらなくなった。
「うまいだろ!」
「うん!」
半年前、おかえりなさい、と言われた時のように温かい感情が溢れて、目頭が熱くなる。
十歳にして初めて誕生日というものを知った。
とてつもなく嬉しくて、幸せで特別な日。それが誕生日。
今度は先に師匠が泣いていた。
「喜んでもらえて良かった」
アルーゼが師匠の涙を拭うと、アルーゼも涙を流した。
「来年はもっと美味しいケーキ作るからな」
その夜、アルーゼは師匠にお願いをした。
「私も師匠みたいになりたい。師匠ができることを私もできるようになりたい」
「……」
師匠には迷いがあった。
この半年でアルーゼは明るく元気に過ごしていた。少しでも辛い記憶を上書きしたい、だからこそ過去を思い出させるきっかけは作りたくない。
けれど、本人が望むことは叶えてあげたい。
「……分かった」
アルーゼ、十歳。
さらに成長する転換点を迎え、以降、師匠はアルーゼに様々な知識を教えていく。
狩猟、対人戦闘。街に暮らす子どもは教わらない知識によってアルーゼはどんどん強くなっていく。それらの必要性を知るのはまだ先だが、アルーゼは着実に屈強な人間となっていった。




