記憶という過去2
光に包まれたアルーゼは目が回る浮遊感と内臓がグルグル回る感覚に襲われていた。
頭がぐわんぐわんして、アルーゼはつい口に手を当ててしまう。
「最初はキツいけど、だんだん慣れてくるからな。吐くなよぉ? 耐えろよぉ?」
「うぅぅぅ」
「おぉ! よく耐えた! 偉い偉い! でもってここが私たちの家だ!」
テンポよく喋りながら女性が指さしたのは、とてつもなく巨大な樹だった。
満月の光に照らされているため、シルエットがはっきり見えているが、その大きさにアルーゼは言葉を失った。
「じゃあアルー……じゃなかった、お嬢さん! 案内する前に私の自己紹介だ。今日から私はお嬢さんの"師匠"だ。ぜひ"師匠"って呼んでくれ」
アルーゼと言いかけたことに疑問を抱いたが、それよりも師匠が気になった。
「それ、自己紹介になってないと思います」
「細かぁい! もっと人生大雑把に生きようぜ! それより、思います、って! 敬語なんてやめろやめろ!」
師匠がニカッと笑う。
これほど近くで誰かの笑顔を見たことがなかった。
「自己紹介おしまい! ではお嬢さん、あなたのお名前を教えていただいても?」
「……アルーゼです。あ、えーと、アルーゼ、だ」
「アルーゼかぁ、良い名前だなぁ、すっごく良い名前だぁ」
まともな会話経験はない、それについ五分前まで命の危機に瀕していた。
パニックになってもおかしくない。
それなのに、すっかり師匠のペースに乗せられているアルーゼは落ち着いていた。
お姫様抱っこが少し恥ずかしい。初めてたくさん会話できて嬉しい。
めまぐるしく様々な感情がわいていた。
「とりあえず我が家に入りますか!」
巨大樹の幹は壁と言われても違和感がない。
「最初の一歩目は自分の足でな」
師匠がアルーゼを降ろして、一歩前に出る。
一見、ただの樹皮だったが、
「じゃじゃぁん」
「え!」
隠し扉になっていて、アルーゼは驚きのあまり大きな声を出した。
「にっしっし、可愛いリアクションしてくれるねぇ。作った甲斐があったるってもんよ。こっから上に登るから、暗いのは勘弁な」
アルーゼと目線を合わせるため、師匠がしゃがんだ。
そっと、右手を前に出す。
「ここはアルーゼの家だ。もう怖い思いなんてさせない」
アルーゼは言葉の意味が分からず、不思議そうに師匠を見つめている。
「おかえりなさい。でもって、今日からよろしくな」
「おか……えり?」
「うん。そしたら元気よく、ただいま! って言うんだよ。ほれほれ恥ずかしがんなよぉ?」
おかえりなさい。
その言葉がとても嬉しくて、どうして嬉しいのか分からないけれど、今にも砕けそうだった心は確かな優しさに包まれた。
愛情を知らない少女が一人の人間として、子どもとして迎えられ、一筋の涙を流した。
「……ただいまっ!」
「にっしっしっし! 笑顔が可愛いなまったく!」
師匠はアルーゼをもう一度、抱きしめた。
「……遅くなって、ごめんな」
涙が溢れ、アルーゼは声を上げて泣いてしまう。
初めて優しさを知った少女に、後悔に震える師匠の声は聞こえなかった。
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隠し扉の先は行き止まりかつ円形の空洞になっていて、円形の床の中央には透明な水晶球が埋め込まれている。
「これはな浮遊の水晶って言って、一気に上まで行けるんだ」
アルーゼを抱っこしている師匠が浮遊の水晶を軽く蹴ると、床そのものが浮き上がった。
いわゆるエレベーターである。
大樹の中は人が余裕で暮らせる広さで、キッチンや倉庫や寝室、お風呂もあった。
「はい案内終了!」
「すごい! すごいよ師匠!」
「だろだろ!! 頑張ったんだよ! これが私と水晶の力だ! もっと褒めていいぞ!」
照明や熱源など生活を支えるのはすべて水晶で、家は外側から見ればただの樹であるためカモフラージュにもなっている、まさに隠れ家だった。
それから二人はお風呂に入った。
それはそれは楽しそうに、過去の嫌な記憶を洗い流すように、多くの傷を癒すように体を暖めた。
アルーゼは師匠と同じ金色の髪であることが初めて嬉しいと思えた。
「ほれ! アルーゼの着替えだ!」
「なんで私の着替えがあるの?」
「え? あっ、あっーと、うーんと、えーっとねぇ」
「さっきも私がアルーゼって言う前にアルーゼって呼ぼうとしたよね」
追い詰められた師匠は声を詰まらせに詰まらせた。
「あれだよあれ! 師匠はなゼアルと友達だったんだよ!」
口が滑った、あまりに苦しい言い訳。
師匠は二人だけの時間にゼアルの名前を出したことをすぐに後悔した。
しかも質問の答えになっていない。
「え、お父さんと……」
アルーゼの表情がたちまち暗くなってしまった。
師匠はやっちまったと後悔したが、チャンスでもあると考えた。
「でも安心しろ。私はゼアルが大っ嫌いだ!!!」
「え?」
「世界で一番大っ嫌いなんだよアイツが! 暴力でなんでも解決して支配して、あの馬鹿野郎に従うやつらも大っ嫌い! 脳みそまで筋肉が詰まってやがるんだ、やれ強さだとか、戦士はこうあれとか、ふんぞり返ってんじゃねぇ!」
止まらない悪口にアルーゼの開いた口が閉じない。
「お友達じゃなかったの?」
「友達だった、だったんだよ。今は友達なんかじゃない」
師匠は優しい目でアルーゼの手を握った。
「いいかアルーゼ。もう二度と、アイツのところに帰らなくていいんだ」
ゼアルの眼光と声、周囲からの期待の眼差しと失望の声、孤独と恐怖を思い出したアルーゼの手が震えていた。
「自由に、好きなように生きて良いんだよ。怖いことも痛いこともしなくていい。これからは私がずっと一緒だ。私が絶対に幸せにする。約束だ」
この日が、アルーゼの人生の分岐点。
突如現れた師匠が、逃げられない闇に光を照らしてくれた。
初めて優しさを知った。初めて頭を撫でられた。初めて可愛いと言われた。初めて抱きしめられた。初めて人と笑いあった。初めて人とお風呂に入った。初めて人と眠った。
「寒くないか」
「うん。師匠あったかい」
「おやすみアルーゼ、明日が楽しみだな!」
「うん!」
初めて明日が楽しみだと思った。
輝く星が見えなくても、ちっとも寂しくなかった。
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朝日が差し込む心地の良い朝。
木の香りがする寝室で、アルーゼは熟睡していた。
「ほれほれっ、朝だぞぉ、つんつんしちゃうぞ。うわっ、ほっぺぷにぷに! ほれほれ、つんつん、ぷにぷに……かっ…可愛い! 可愛すぎる!」
「んぅ……おかあ……さん」
師匠はその言葉を聞いて固まってしまう。
「ははっ、お母さんか……私がお母さんだぞぉ……なんてな」
しばらくしてアルーゼが目を覚ますと、良い匂いが鼻腔をくすぐった。
「やっと起きたなぁねぼすけ……って! 髪ボッサボサじゃねぇか!」
「師匠おふぁよぉ……」
師匠に髪をとかしてもらって、朝ごはんを食べて、外へ出た。
「これからアルーゼには恐竜化とか、生きていく方法を色々教える。そのせいで嫌なことを思い出すかもしれない。だから嫌なもんは嫌、やりたくないって気軽に言ってくれ」
師匠が教えてくれることはこの世界で生きていくための知識だと、アルーゼは察している。
「頑張る」
「よし! じゃあ私も全力で教えるまでよ……まずは水晶についてだな」
師匠はアルーゼに様々な水晶を見せた。
秘められた能力によって大きさや色や形の異なる水晶にアルーゼは興味深々だった。
「まずこれが光の水晶。部屋を明るくしてるやつな。コッチは熱の水晶。こいつらは集めるとより熱くなる。んでこれが浮遊の水晶で、こっちが転移の水晶。昨日の夜は転移の水晶を使ったんだ。慣れるけど、最初はめちゃくちゃ酔う」
アルーゼは師匠の話を見事に吸収していった。
「転移の水晶は基本的に二つがペアになっててな、ペア同士ならどんだけ離れた距離でも転移できるんだ。すげぇだろ」
「すごい!」
「けど注意点がある。使用者が転移しても、転移の水晶自体はその場に残る。つまりこいつの相方は私たちが出会った場所に置きっぱだ」
転移の水晶はワープポイントとなるため、本人は転移しても一緒に水晶も転移するわけではない。
つまり大樹の隠れ家へと転移できる水晶が、昨夜、アルーゼがデイノニクスに襲われた場所に残っている。それを誰かが使用すれば隠れ家がばれる可能性がある。
「だから」
師匠は転移の水晶を踏み砕いた。
「これでペアの水晶も能力を失って砕け散る。誰かに使用される心配がなくなるってわけだ」
それから師匠はジャングルに隠された転移の水晶の場所をくまなく教えた。
あの水晶がここと繋がっていて、コッチはソッチと繋がっていてと大雑把にも程がある説明だったが、アルーゼはそれを一日で丸暗記してしまった。
「ココがココでしょ。コッチはココと。コレはココ!」
「まじで大正解だ、凄すぎる! さすがアルーゼ!」
アルーゼの成長速度は目を見張るものだった。
けれど師匠は決して焦らず、ゆっくりと時間をかけて入念に教えていった。
「よし! 今日で水晶編終了! 続いて恐竜化編突入だ!」
水晶の勉強は張り切っていたが、アルーゼは恐竜化に自信がなかった。
アルーゼが捨てられた要因が恐竜化であり、何日かけても大きな成長はせず、奇跡的に成功した時も命の危機に瀕していたため、デイノニクスに襲われて以降、恐竜化に対する自信はゼロだった。
「自信ないのか?」
「……うん」
「やんなくたっていいんだぜ? 無理にとは言わない。やりたくないなら明日は恐竜化編じゃなくて食料調達編に変えよう」
「……やりたい。やってみたい」
アルーゼが決意したのは自分を超えたいという感情があったからだ。
それでも、その日に恐竜化は一度も成功しなかった。
「アルーゼ、お前に価値はない」
父親の声が響いて、薄暗い部屋、ふかふかのベッドの上でアルーゼは勢いよく目を開けた。
「大丈夫か」
不安と優しさが混ざった師匠の声に、ゼアルの声が夢だったと気づく。
アルーゼは師匠にしがみついた。
少女は夢の中ですら存在を否定された。
恐怖は消えることなく、少女を暗闇のどん底へ引きずり込む。
「……ししょうっ」
声も手も震えて弱々しく助けを求めているアルーゼに必要なものは愛情だと、師匠は改めて痛感した。
「大丈夫、大丈夫」
師匠はアルーゼを抱きしめて、頭を撫でながら何度も声をかけ続けた。
簡単には癒えない心の傷。その影響は甚大で、いつまでアルーゼが辛い思いをしなければいけないんだと、胸が苦しくなった。
あっという間に一日が終わる。
いつまで隠れていられるか、逃げていられるか。
アルーゼを思う深い愛情とゼアルへの猛烈な怒りが、師匠の中で渦巻いていた。




