記憶という過去4
「アルーゼ! そっち行ったぞ! 気を付けろよ!」
ジャングルの中を一頭の肉食恐竜が興奮状態で木々を薙ぎ倒しながら突き進んでいく。
その騒ぎに鳥たちは飛び去り、小動物は必死に身を隠した。
「ったく、ドタドタ暴れやがって。お前のせいでみんな隠れちまうから、ずっと肉が食えなかったんだぞ! この迷惑アベリサウルスが!」
◯アベリサウルス
体長約7〜8メートル 白亜紀後期南アメリカ生息
意味「アベルのトカゲ」
ピンッと指差しているアルーゼは余裕の表情でアベリサウルスの目の前に立っていた。
アベリサウルスはそんなアルーゼなどお構いなしに突き進んでいく。
「踏み潰そうってか? どっかの”クソ親父”みてぇにお前も脳筋だな」
アベリサウルスは口を大きく開けて牙を剥き出しにすると、さらに足を早めてアルーゼへと迫っていく。
アルーゼはニッと笑みを浮かべ、右腕がみるみる巨大化し、拳に渾身の力を込めた。
「歯ぁ! 食いしばれよ!!!」
巨拳はアベリサウルスの顎を完璧に捉え、撃ち抜いた。
牙が砕け、アベリサウルスの意識が飛んで、骨格の限界までのけぞると、そのまま地面に倒れ、ピクリとも動かなくなった。
「やっべ、力入りすぎちった」
「あーらら。こりゃしばらく起きねぇぞ」
師匠が白目をむいたアベリサウルスの顔をつついている横で、アルーゼは申し訳なさそうに頭を掻いていた。
「だ、だってよぉ」
「別に怒ってないよ。さて、帰って飯にすっか」
「いぇーい! めーし! めーし! めーし!」
大樹の家へと帰る二人の身長はほとんど差が無くなっていた。
「アルーゼ、また背伸びたか?」
「そうかなぁ」
アルーゼが師匠と暮らし始めてから六年が経った。
十六歳になったアルーゼは大きく成長していた。
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最初は驚いた大樹の家も今となってはすっかり慣れ、最近のアルーゼは浮遊の水晶エレベーターを使わずによじ登ったり飛び降りたりしている。
そして、この六年でアルーゼは恐竜化をマスターしていた。
「師匠ちゃんと見てたか? ドンピシャ、あいつの顎にアッパーいれたの!」
「見てたよ。完璧にきまってた」
「だっろー! 獣脚類は顎を狙え! これだけは絶対に忘れねぇな!」
「だけってなんだ! でもな、よく考えてみ? それを教えたのは誰よ。やっぱ教えた人の教え方が良かったんだと私は思うぞ。ほら、誰に教わったんだ? ほらほら」
師匠がテーブルに料理を並べると、アルーゼは一気に食べ始めた。
「ひひょーにおひょわった!」
「こら、食べながら喋るなんて行儀悪ぃぞ。私が言うのもなんだけど、口調とかすっかり似たな。昔はししょーとか言って超可愛かったのに!」
「そりゃ六年も一緒にいたら変わるだろ」
アルーゼは少しムスッとした顔で師匠から目を逸らした。
「ん? もちろん今も超可愛いよ。今も昔も私はずっとアルーゼが大好きだ!」
頭をワシャワシャと撫でられたアルーゼは頬を赤らめて、照れた顔を見られたくないのか師匠から目を逸らしたまま食事を続けた。
平穏な日々が六年も続いたおかげで、アルーゼはすっかり過去の恐怖から解放され、反動でゼアルを心底嫌っていた。
アルーゼを捨てた張本人であるゼアルは六年経った今でもアルーゼを探そうとせず、心配など少しもしていないどころか忘れている日さえあった。
「なぁ、ゼアル様の娘、覚えてるか?」
「娘ぇ? んなのいたっけか」
集落に住む者たちは関係が希薄だったことに加えて、ゼアル本人に聞くなどもってのほか、誰も詮索せず、時間経過とともに記憶からアルーゼは消えていた。
そのため、アルーゼは今まで誰にも邪魔されずに過ごしてきたのだが、
「名前……たしかアルーゼとか、いやアルーノだったか? ついこの間、ジャングルで見たんだよ」
「馬鹿言うな、ゼアル様の娘だとしてもあの環境を生き抜くのは不可能だろ」
一人の戦士がアルーゼを発見してしまった。
これがアルーゼの平穏な日々を断ち切る引き金となってしまう。
「事実か」
戦士の男はそれをゼアルに伝えた。
「金色の髪が特徴的でしたから間違いないかと」
ゼアルは数秒じっと沈黙し、「場所は」と聞いた。
「行かれるのですか。まずはわたしが……」
「場所は」
ゼアルの低く威圧的な声音に戦士の息が詰まる。
「東側の、やたら背の高い大樹の近くで……」
すぐにゼアルは出発した。戦士の男からすれば娘を探す父親として映ったが、ゼアルの行動理由は別にあった。
「なぁ師匠、アベリサウルスって美味いのかな」
「いやぁ、アベリはぁ不味いと思う」
大樹の家は直線に進むのが難しいジャングルの環境も相まって、集落から歩けば一日以上かかる距離に位置している。
まずルゼアチノ独立領地がギガン大陸の最東端に位置し、集落は領地の中央にある。領地に侵入する方法は陸続きの北・西・南に限定され、対応する戦士の活動範囲も必然的に北・西・南となる。巨竜の民が領地東側の最奥部に来ないと認知していた師匠は絶好の場所に隠れ家を作った。
「美味かった恐竜は?」
「そうだなぁ」
歩けば一日以上かかる距離、走れば、巨人となれば、ゼアルならば。
立ち並ぶ樹木は障害物とならず、容赦なく命を踏み潰し、彼女たちの平穏に容赦なく接近する。
金色の暴王は猛烈な殺気を放っていた。
アルーゼは師匠のおかげで享受することのできなかった愛や温かい生活を取り戻し、六年という時間を共に過ごすことができた。
『!?』
しかし、そんな幸せは永遠ではなかった。
まだ距離が離れていたが、迫る最悪の存在を二人はすぐに察知した。
状況の一変に、アルーゼの全身に鳥肌が立ち、師匠の瞳孔が開く。窓から鳥が上空へ逃げていくのが見えた。
高さ二十メートルの巨人がジャングルを破壊しながら走り抜け、遂に、大樹の家へ到達した。
「アルーゼ!!」
師匠の叫び声、焦った表情、奥の窓から見える忌々しい巨人の姿。
リビングには窓が二つある。師匠は固まってしまったアルーゼの腕を引っ張って、片方の窓から飛び降りた。
その直後、大樹の家にゼアルの拳が撃ち込まれる。まるで爆発したかのように粉砕され、崩壊し、バラバラになった大樹の破片が吹き飛ぶ地獄の光景。激しい轟音と共にアルーゼの平穏で幸せな日常は簡単に破壊された。
落下しながら、師匠が、
「クソ野郎!!!」
と叫んだ。湧き上がるのは恐怖ではなく怒りだった。一方のアルーゼは父を前にして少しも動揺していない。
娘からの強烈な殺意を感じ取り、ゼアルの視線が動く。大樹に突き刺さった右腕を引き抜いて、じっくりとアルーゼを見下した。
「見下してんじゃねぇ!」
師匠の即断即決によって距離はとれたが、それでも巨人の攻撃範囲内にいる。
アルーゼは反射的に叫んでいた。
そして二人の予想に反してゼアルは恐竜化を解除して人間サイズに縮小した。
だからといって戦闘能力が下がったわけではない。アルーゼはゼアルを真正面から叩き潰す気でいる。
「おいクソ親父、再会の挨拶も無しかよ」
「……お前は追放だ。今すぐ出ていけ」
アルーゼは冷淡な声に言葉を失い、解放された喜びか親に捨てられた悲しみか、理解しきれない複雑な感情に襲われた。
「これは温情だ。まさか生きているとはな」
師匠が大声を出して割って入る。
「あぁはいはい! もう追放したんだろ! だからもうなんも言うな。晴れてアルーゼは巨竜の民じゃなくなった。お前が言ったんだから、それで話は終わりだろ」
師匠の声が響く。
ゼアルは師匠を見ていない。
「久しぶりだなぁ、本命はアルーゼじゃなくて私なんだろ? 王様さんよぉ」
アルーゼはいつかの日に師匠が、ゼアルは友達だった、と言ったことを思い出した。二人は間違いなく初対面ではない。
「さてと、アルーゼ」
師匠に呼ばれてアルーゼが振り向く。
すると突然、胸元に小さな紙を差し込まれ、「はいこれ」と水晶球を渡された。
反射的に受け取ってしまったが即座に気づく。
「おい! 師匠!」
アルーゼは一瞬で水晶球の正体を理解したが、時すでに遅し、アルーゼはその場からどこか別の場所に転移した。
有無を言わせぬあっという間の消失。師匠は残された転移の水晶を破壊して能力を無効化した。
師匠が軽い口調で続ける。
「これでじっくり話せるわけだ。まずは、初めて娘からクソ親父って呼ばれる感想を聞かせてくれよ、やっぱ悲しくなんのか?」
「……」
「無視!? お前って本当に勿体ねぇな、自分で会話の機会を潰すなんてよ。しかも、アルーゼあぁんなに可愛いのに、可愛さを味わえないなんて実に勿体ない。私だけに味わわせてくれてありがとな」
「……耳障りだ」
「そう言うなよ。せっかく二人きりになれたんだ、もっとゆっくり話そうぜ」
ゼアルは感情の読み取れない暗い目で師匠を見ている。
「……ノア」
師匠はじっとゼアルを見つめた。
「お前は我らの法を破った」
「あの娘の”母親”なんだ。当たり前だろ」
「追放者に母親と名乗る権利はない」
「お前も私を否定する権利はねぇ。第一、なんだ権利って。相変わらず偉そうに喋るんだな。昔はハンサムだったのに、むさ苦しくなりやがって、まったくタイプじゃない」
集落にゼアルと対等に会話できる者はいない。しかしノア、師匠にとってゼアルは王ではなく、ただの孤独で哀れな男に見えている。暴力と支配にしか方法を見出せず、秀でた才能をはき違えて、誰にも止められない地位を築いてしまった。
「追放者はルゼアチノの地に踏み入ってはならない。法を破った者への罰は理解しているはずだ」
「追放は温情みてぇに……相変わらず、お前はすぐに王様になろうとする。言っただろ、法と罰を決めるのは王様じゃない、民意だ」
ゼアルが一歩踏み出す。
「それに」
ゼアルは力強い爆発的な加速力でノアに急接近した。
「お前に王冠は似合わねぇよ」
ノアは地面に水晶を投げ捨てる。水晶は昼間でも目をくらますほどの眩い光を放ち、防御の遅れたゼアルの視界を奪った。
ゼアルは完全にノアを見失った。
「じゃあな、馬鹿野郎」
転移の光と同時にアルーゼの師匠、ノアは消失した。
「ノアァァア!!」
華麗な逃走劇はわずか五秒にも満たなかった。
右手に持っている転移の水晶を砕き、一安心。
ゼアルは二人を追う術を失い、転移先がすぐに気取られることもないだろう。
しかし、ノアは驚愕した。
「あ!? ここどこだ!?」
青、青、青。見渡す限りの大海原。
土草の地面は白い砂に変わっている。
あるのは小さな岩とヤシの木が一本、ココナッツが二つ。
一周するのに一分もかからないほどの小さな島にポツンとノアは立っていた。
「海!? 待て待て待て! 私はアルーゼの転移場所から一番近い場所に転移するはずだろ! 私が設置したんだ! 間違えるはずがねぇ!!」
あまりの想定外に、思わず説明たらしく叫ぶノアの声は大海原に吸い込まれた。だがパニックになっている暇もない。ここがどこであろうと、転移が失敗したことに変わりはなく、アルーゼとの合流がすぐには出来なくなった。
「向こうに戻る方法もなくなった! やべぇ! まじでやべぇ!!」
転移の水晶は二つで一ペア。すなわちどちらか片方を破壊すれば能力が消失し、ただのガラクタになる。ルゼアチノに戻れる転移の水晶はたった今、握り砕いた。
「時間稼ぎのためにアルーゼだけ飛ばしたのが仇になっちまったじゃねぇかよ。私も一緒に転移すればよかった……」
ゼアルが一瞬で追いつかないように、そして一番頼れる人間のもとへ転移させた。
現在、ノアが感じている焦りはアルーゼと早く合流しなければが七割、どうやってこの状況を脱しようかが三割となっている。
「にしてもなんで海だ! なにがどうなったらジャングルに設置したはずの転移の水晶がこんな絶海の孤島に流れ着くんだよ!」
ノアがジャングルのいたる所に設置した転移の水晶は最近設置したわけではない。設置した場所に多少の変化が起きるくらいの年月が経っている。
「でかい鳥にでも運ばれたんか!?」
ノアは能力を失った砕けた水晶を見て「はぁぁ」と大きなため息を吐いた。
理解できない絶海の孤島転移事件。その実、とてつもない物語があったことなど知る由もない。ノアが商人から買い取った大量の転移の水晶のうちの一個が歩む物語は、ノアがジャングルで見つけた枯れ巨木の空洞にそれを設置するシーンから始まる。
「ここなら誰にも見つからねぇだろ」
地図にメモをして、別のポイントへと向かうノア。そしてこの転移の水晶はとんでもない、とんでもない、とんでもない、本当にとんでもない冒険をするのであった。様々な人と出会い、多くの場所を巡り、この転移の水晶は物語を紡いでいく。
しかしそれは、また別のお話……。
なんやかんやそんな感じでノアは絶海の孤島へと転移してしまったわけだが。水晶の物語のどうでもよさと違って由々しき事態だった。
「もう二度と独りにさせてたまるか!」
前後左右、見渡す限り海。居場所は一切不明。方角は分からなくもない。
ノアは躊躇なく飛び込み、ただひたすらに水を掻き分け、波を掻き分けていった。絶対にアルーゼと再会する、そんな強い意志でノアは大海原へ立ち向かう。
はたして彼女はギガン大陸へ帰ってこられるのか、アルーゼと再会を果たすことができるのか。
「なに……してんだよ。なんで一緒じゃないんだよ! 師匠!」
アルーゼは突如としてノアと引き離された戸惑いと不安を叫ぶことしかできなかった。
幼少期を思い出す孤独感。克服したはずの恐怖に呑み込まれてしまいそうな感覚に肩を震わせるアルーゼは、背後から近づく人影に未だ気づいていなかった。
「ノアァァァァァァアアアア!!!!!!!」
ノアを逃した屈辱に吠えるゼアル。まんまとノアによって出し抜かれた怒りの咆哮が絶え間なくルゼアチノに響いたが、それが二人に届くことは決してなかった。




