9.穏やかな日々の始まり 中編
そういえば朝食の時もリシャ以外誰もいなかった。給仕なしのビュッフェ形式だったのは、そうすれば私がひとりで食べられるからだ。
そして私が図書室へ引っ込んでしまったせいで、忙しい彼らは前日急に現れた『奥様』の存在を忘れた。
貴族は1日3回の食事にアフタヌーンティまでつくが、平民階級の使用人たちは朝夕の2回が一般的。そんな理由もあったのだろう。
「申し訳ございません、奥様!」
「すぐにお食事の準備をいたします!」
すっ飛んでくるリシャとメイドに、私は手をあげて制止の合図をした。
「食事はあとで、時間どおりの夕食でいいわ。それよりそこで倒れているのは?」
「あっ、これは、仮眠中で」
「床ではちょっと……ベッドに運んであげてちょうだい」
私の言葉に、片腕にシーツを抱えたメイドが空いているほうの手で倒れている彼の足をつかみ、引きずっていった。
言わないほうがよかったかしら……でも引きずられても起きないって、相当よね。床よりベッドで寝かせてあげたほうがいいと思う。
そう結論づけて気持ちを切り替えると、私は残ったリシャに向きあった。
「商会の用事をすませたほうがいいわね?」
「あっ、はい……でも、なにも奥様が」
「女主人の仕事でしょう。注文するものを教えて。それから、書斎は2階の中央の部屋であってる?」
「はい」
「ジェイスにコンラッド商会がきていると伝えてくるわ。さ、注文は?」
そう言って見まわすと、皆は目を丸くして私を見返した。
しかし背に腹は代えられないと思ったのか、次の瞬間あちこちから「卵5ダース!」「トマト1箱!」「牛革1枚!」「ランプオイル3ガロン!」「ロウソクの追加もお願いします!」と注文が飛んでくる。
私は手帳にそれを書きとめた。
王宮で仕事をしていた名残でゼンコールド家にきてもなんとなく手帳とペンを持ち歩いていたのが、2日目にして役に立った。
*
書斎へ入ると、誰かの言ったとおり、ジェイスはそびえ立つ書類に囲まれて泣いていた。
「終わらない……終わらない……」
(すごいわ、床からも書類の木が生えている)
白い林に閉じ込められているかのようなジェイスに、これは泣きたくもなると納得する。
思わずため息を漏らした私に気づき、ジェイスがハッと泣き濡れた顔をあげた。
「お、奥様! 申し訳ありません、なにかご用でしょうか……」
「コンラッド商会からドリスという人がきていて、お金を受けとる必要があるそうよ。金額はわかる?」
「ああ、もう月末でしたか……それが……」
ジェイスは悲しげに首を振った。
「この書類の締めが終わらないことには……」
「それは確実に終わらないわね」
ジェイスの目の下には私にもなじみのあるクマがくっきりとできている。もしかして徹夜ではないだろうか。
「ひとまず、商会にはお金の受けとりは後日と言っていいのかしら? 現金がすぐに必要?」
「いえ、現金は問題ございません」
「なら私が対応するわね。ジェイス、あなたは休みなさい。これは命令よ」
それだけ告げて私は部屋を出た。
ジェイスは悩むだろうが、一応女主人である私の言うことに従ってくれると信じよう。
コンラッド商会からやってきたドリスという女性は、副会長だと自己紹介をした。
私がベネディクト様の妻だと名乗るとぽかんとした顔になる。それはそうだろう。
「気にしないで」とだけ言って注文を書いたメモを渡す。いずれ噂話が王都から伝わってくれば、どういう経緯だったか彼女も知ることができるはずだ。
今回の注文と受けとる予定だったお金を相殺し、超過分は後日、ということで話をまとめる。
最初は半信半疑だったドリスも、最後には笑顔になった。
「よかったです、ジェイスさん以外にお金の話ができる人がいらしてくれて」
「家計がわかる者は、ジェイスだけなの?」
「そうですね、全体を見ているのはジェイスさんです。普段はジェイスさんがいらっしゃれば問題ないのですが、今回は王都で出席必須の晩餐会があったとかで、3週間ほど不在で」
「ああ……」
それは私が婚約破棄された、ダレル殿下の誕生日パーティだ。
やけに出席者が多いと思ったら、出席必須の招待状を出していたのね。
ダレル殿下だって腐っても王族だ。出席必須と言われれば、貴族は無理をしてでも出席しなければならない。
こんなに忙しい合間を縫って王都まであがって、見せられたのが婚約破棄と新婚約者のお披露目じゃ、ベネディクト様が据わった目になるのも当然だ。
でもそもそも、なぜこんなに忙しいのかは……ジェイスに聞いてみましょう。
「では、奥様。今後ともよろしくお願いいたします」
副会長ドリスはにっこりと笑って頭を下げた。




