4.契約結婚ということで
「もちろん結婚といっても本当に夫婦になるわけではない。あくまで書類上だ」
ゼンコールド公爵がゆっくりと告げる。執事は先ほどのプロポーズ二重奏に卒倒しかけていたけれど、なんとか耐えたらしく姿勢を戻している。
「実はこのところ、縁談が立て続けに持ち込まれていて」
「お話はわかりました。私は虫よけですね」
私は頷いた。
ドラゴンから王都を救って十二年、ゼンコールド公爵はもう三十二歳。貴族の結婚適齢期としては終わりにさしかかっている。『救国の英雄』、しかも公爵閣下にぜひわが娘をと思う貴族は多いだろう。
「仕事が忙しくてな……娘をどうかと言われても、会う暇もない。そのことを理解しない妻や義父では先が思いやられる」
しかし理解してしまっては、縁談は進まない。だからどちらにせよゼンコールド公爵に結婚は遠い話なのだ。
その時、たまたま私が目についた。
疲れた顔をして、婚約者を放置したからと婚約破棄された私が……その部分はあまり聞いていなかったようだけれども。
「君が形だけでも妻となってくれるなら、俺は仕事に打ち込める。……君にメリットがあるかはわからないが……」
「まあ、私のほうも虫よけですね」
虫の種類は決まっている。ダレル殿下とレティアだ。
「あのふたりが私を解放してくれるとは思えないので」
「ああ、実務は君がさばいていたのだったな。優秀な令嬢だと聞いたことがある」
「恐縮です。……ダレル殿下のぶんまで政務を行っておりました」
最後のひと言には恨みがこもってしまったのか、ゼンコールド公爵は軽く目を見開いた。
もしあのとき公爵が手をあげてくださらなかったら……。
実家に戻った私は、いずれレティアの仕事を手伝ってやれと命じられただろう。
これはダレル殿下の言いだしたことですと理由をつけて、とっとと実家から離れたほうがいい。
それに、陛下の了承を得ているのかと尋ねた時のダレル殿下の反応も気になる。
私はゼンコールド公爵にほほえんだ。
「では、契約結婚ということで。私たちは、書類上の夫婦です」
もともと結婚に夢など見ていない。だって私の結婚相手は、ダレル殿下になるところだったのだし。
「ああ、自分が君よりずっと年上なのは理解している」
私はあらためて手をさしだした。
ゼンコールド公爵は先ほどとは違ってやさしくその手をとったけれども、口づけを落としたりはしなかった。
「これは白い結婚だ。君は好きなことをしていればいい。俺は社交をしてこなかった。君も晩餐会の主催者となる必要はない」
そう言って、私のほほえみに応えるように、ふっと唇の端に笑みを浮かべる。
「疲れただろう。のんびりしてくれ」
「――……ありがとうございます」
私は、少しだけその笑顔に見惚れてしまった。
英雄というだけあり、ゼンコールド公爵はともすれば目元鋭く、通った鼻すじや引き結ばれた唇などが相まって威圧感のある顔立ちをしている。
けれども滲み出る疲れがその険を和らげ、思いがけずもたらされたほほえみが彼の人柄をよく語っていた。
なにより、労られたことなど、何年ぶりだろう。
眠くて、早く帰って寝たかったと彼は言ったけれど。
行動の裏にはやはり、ダレル殿下の振りかざす理不尽への怒りや、私への同情があったのだ。
私を思いやって、私のために動いてくれたのかもしれない。
胸の奥がほこんと温かくなる。
「すぐに婚姻誓約書をとりよせよう。それから、俺のことはベネディクトと呼んでくれ」
「かしこまりました、ベネディクト様。では私のことはサーラと」
こうして、私たちの結婚はあっさりと決まった。
執事は結局、立ったまま意識を飛ばしてしまったようだった。




