3.殿下を殴り倒してしまいそうだった
ゼンコールド公爵は、私を向かいあう席の上座に座らせてくださる。
馬車は命じる必要もなく動きだした。同時に、ゼンコールド公爵が口を開く。
「突然すまなかった。この馬車は俺の屋敷へ向かう。賓客としてもてなしをさせてくれ。それから今後のことを話しあおう」
無駄の一切ない、簡潔な謝罪と提案だった。
やはりこの方は私を助けてくださったのだと知る。あの場から連れ出すために手を挙げたのだ。
「ありがとうございます」
「礼には及ばない。むしろ俺が謝罪する側だ」
頭を下げた私に、ゼンコールド公爵も頭を下げた。厳めしそうな第一印象と違って、いま感じる空気はやさしいもの。
「なぜ、『加護なし』の私を? ダレル殿下に歯向かってまで……」
その答えがなにかを変えるような気がして、尋ねられずにいられなかった。
動揺も興奮も見せずに、ただじっと姿勢を正して私の正面に座るこの方――ゼンコールド公爵は、騎士道精神でダレル殿下へ怒りを抱え、私を哀れに思ったのだろう。
でもきっと、それだけではない。
「君は『加護なし』だったのか」
ゼンコールド公爵は眉をあげた。表情が示すのは、軽い驚きと納得だ。
(私が魔力を持たない『加護なし』であることは、ダレル殿下が大きな声で言っていらしたけれど……)
私の疑問を読みとったらしく、ゼンコールド公爵はあっさりと答えた。
「騒ぎの前半は寝ていて聞いていなかった。昨夜は徹夜三日目だったのでな……婚約破棄の理由はそれか。なるほど」
「……」
寝ていたのですか。あの最前列で。ほかの方々よりも頭一つ分高い長身で。
どうやら見た目以上に腹の据わった人物らしいと内心で引いている私を、ゼンコールド公爵はまっすぐに見つめる。
その瞳にはやはり、複雑な色が宿っている。押し殺した怒り、悲哀、けれどもそれ以上の――。
「俺が君の夫に立候補したのは、君が俺と同じ目をしていたからだ」
「え?」
「君はあのときこう思っていたはずだ――」
目を見開く私に、ゼンコールド公爵は静かに告げた。
「『クソみたいな議題あげやがって……私に決裁権があれば即処理なのに……』と」
「……思いましたね」
「『そんなことより早く帰って寝たい』……とも」
「思いました」
そうだろう、とゼンコールド公爵は頷く。
「俺も同じ気持ちだった。あのうえさらに面倒くさい説教が始まったら、『時間の無駄だ!』と叫んで殿下を殴り倒してしまいそうだった。眠くてたまらなかったから」
腕組みをして、ゼンコールド公爵はうつむいた。表情を隠した……のではなく、本人がいま言ったとおり眠いのだ。
広間の中央へ進みでたときの鋭く険しいまなざしも、眠かったらしい。
よく見れば目の下にはクマができ、頬も少しこけている。『歳相応の落ち着いたたたずまい』ではなくて『疲れてやつれている』が正しい表現のようだ。
その気持ちはとてもよくわかる。
私も化粧で目の下のクマを隠しているのだもの。そんな状態で元気に愛想を振りまくというわけにはいかず、ダレル殿下の言うとおり、そっけない態度をとっていただろう。
……だって睡眠不足の原因、ダレル殿下だし。
話を戻そう。
つまりゼンコールド公爵は、私の「私が私じゃなかったらこの騒動を引きとって収めたのに」という気持ちを汲み取り、私に代わって行動してくださった。
本音は「眠いので早く帰りたかった」だと思うが、どちらにせよ私からすればものすごくいい人かものすごく共感できる人だ。
お礼の印に、閣下がいま最も求めていらっしゃるだろうものを贈りたい。
「どうぞ、少しでも睡眠を」
「いいのか。ありがとう。では」
私がうながす仕草をすると、ゼンコールド公爵はすぐにお礼を言って目を閉じた。それきりぴくりとも動かなくなる。
もう寝入ってしまったようだ。
私はほうっと感嘆のため息をついた。
ああ、いい。この方は、自分のしたいことがわかっていて、無駄がない。
「ご令嬢の前でそんな」「いえいえ、お疲れでしょうから」「そうですか。では大変恐縮ですがひとつ失礼を」などというまわりくどい社交辞令的遠慮を必要としない。
(私も眠くなってきたわね……)
ゼンコールド公爵の前では、私も遠慮しなくていいようだ。
その安心感に任せ、目を閉じる。
睡魔は即座に忍び寄ってきた。
――おい、『加護なし』サーラ! 貴様は己の身を恥じ、今後は俺のために尽くすんだな。
婚約の日にダレル殿下に投げかけられた言葉が、眠りに落ちていく私の耳元でよみがえる。
「かしこまりました」と礼を返しながら、私は密かに心のなかで考えた。
(この方、お父様と同じ、偉ぶるだけで実務は苦手な方なのでは……)
私の予想は当たった。
ダレル殿下の命令に従ったわけではまったくなく、殿下を通さないほうがなにかと都合がよく仕事も早く終わるので、私はダレル殿下の分まで働いた。
でもいまはそんなことはどうでもいい。
ただ、与えられた自由のままに、私は惰眠を貪った。
*
それからしばらくして。
ゼンコールド公爵家の応接間で、私はゼンコールド公爵と向かいあって座っていた。
大理石がモザイクを描くテーブルには、湯気の立つ紅茶とベリーのタルトが並べられている。紅茶は香りよく、つやつやと色鮮やかなベリーもとてもおいしそう。
一方で、それらを用意した執事は、動揺と困惑を抑えきれない様子だった。
帰宅した馬車を出迎えたら主人が見知らぬ令嬢と向かいあって眠りこけていたのだから、それも当然。
しかもその令嬢というのが――、
「旦那様が、サーラ・マイリット様の、夫に立候補……」
かすかな声が、噛みしめるようにゼンコールド公爵の告げた言葉を反芻する。
執事が省略した部分を補うとしたらこうだろう。
「旦那様が、(第二王子の婚約者であるはずの)サーラ・マイリット様の、夫に立候補(したとは、いったいどんな恐ろしい経緯があったのですか)……」
しかし彼はそれを尋ねなかった。騎士の家に仕える者として、主人の決定は絶対。単に聞きたくないだけかもしれないけれど。
「ああ、眠かったのでな」
説明になっていそうでなっていない理由に、執事は今度こそ泣きそうな顔になってしまった。
残念ながら、彼にはもう少し驚いてもらわなければならない。
「それで、今後についてだが……」
「はい」
ゼンコールド公爵が私を見た。
私も暗がりの水面のような青い瞳を見つめ返す。
馬車で眠ったおかげで、頭はすっきりしている。仮眠は十五分ほどがベストタイムというが、王宮から公爵邸までの道のりはそのくらいだったのかもしれない。
今後について、私は眠りながら考えた。ゼンコールド公爵も同じ結論に達したはずだ。
たしかに私たちは同じ目をしている。私の目の色は彼より明るい青だけれど、仄暗い色をたたえているに違いなかった。
ふたりの瞳に宿る闇――人はそれを『疲労』と呼ぶ。
婚約破棄の場で、ゼンコールド公爵は、手をあげた。
私、サーラ・マイリットの、『新しい夫』に。
あの挙手をなかったことにするには、それなりの面倒が発生する。が、そもそも、なかったことにする必要があるのだろうか。
「俺と結婚してくれないか」
「私と結婚してくれませんか」
声が重なった。
同時に、私たちは立ちあがり、固い握手をかわしていた。




