39.もふんっ
もふんっ。
「……?」
もっふ、もっふ。
牙に貫かれ、切り裂かれるはずだった私の体に伝わった衝撃は、想像とはまったく違うものだった。
眼前に迫っていたドラゴンのかわりに、視界を覆うのは真っ白な毛並み。
こ、この、もこもこなんだけどふわふわで繊細な手触りは……。
「ブーちゃん!?」
声をあげる私の体を、誰かが後ろから抱きよせた。
「サーラ!」
「ベネディクト様……ご無事で」
「それはこっちの台詞だ! なんて無茶を」
血を流してはいらっしゃるけれど、ベネディクト様も命に別状はないようだ。
ほっと息をついて私は目の前の光景を見つめた……いや、正しくは見上げた。
包囲していた騎士団の皆さんも、ダレル殿下の護衛騎士たちも、ダレル殿下本人やレティアも、あんぐりと口を開けて放心している。
そのくらい信じられない光景なのだ。
先ほど私が埋もれていたのは、巨大化したブーちゃんの尻尾。
ドラゴンよりも巨大な――屋敷ほどの大きさになったブーちゃんが、後ろ足で立ちあがり、ドラゴンの突進を受けとめていた。
ドラゴンの頭はふかふかの腹毛に埋もれて見えない。
抵抗する様子がないのは、ドラゴンも状況を理解できていないのかしら……?
ブーちゃんの頭には、立派な白い角が、白い毛並みを分けて生えている。
と思っていたら、ドラゴンがジタバタと動きだした。
しかしすぐに、ブーちゃんの、
「ブウゥッ!!」
という唸り声とともにねじ伏せられる。
あっ、あ、ブーちゃんがドラゴンに足ダンを……地面が揺れて、私たちの体も弾む。
ドラゴンが情けない鳴き声をあげて逃げようとするけれど、先ほどの火焔で魔力を使い果たしたのか、魔法を使う気配はない。暴れるだけでは、ブーちゃんの巨体は微動だにしなかった。
やがて、ドラゴンは地に倒れ伏し、素材だけを残して魔力の粒となり消えていく。
あとに残ったのは、巨大なブーちゃん……。
「勝った……のか?」
「ブーちゃん……なのよね?」
ドラゴンの脅威が解決したというのに緊張がほどけないのは、ドラゴンよりも大きな脅威が出現してしまったからだ。
ブーちゃんは野菜を食べるから、魔獣ではないと思っていた。
でももしブーちゃんが魔獣で、私たちに敵意を持つなら。
討伐しなければならないのだ。この、圧倒的な強さを誇り、かわいくて、思い出もあるウサギのブーちゃんを――。
『案ずるな、我は魔獣ではない。そなたらが聖獣とか呼ぶものだ』
突然、頭上から空気を揺るがす声が降ってきた。
毛に覆われて口の動きは分からないけれど、周辺の毛がもぐもぐと動いている。
「ブ、ブーちゃん……しゃべった……?」
「聖獣……」
『魔力でそなたらと念話をしておる。ウサギの体では声が出ぬゆえ』
あ、じゃあもぐもぐはただのクセなんですね……。
ついにベネディクト様も私もぽかんと口を開けた間抜け顔でブーちゃんを見上げてしまった。
聖獣とは、高位魔獣のさらに上の存在。知性を持ち最高位の聖魔法を使うというが誰も見たことはなく、ドラゴン以上におとぎ話の世界だ。
「助けて……くれたんですか」
『お互い様じゃ。我に攻撃魔法は使えぬ。そなたらが弱らせなければ、我も喰われていたやもしれぬ』
私たちの驚愕を気にした様子もなく、ブーちゃんはひょいと前足をあげてベネディクト様を指した。
『そこなる騎士殿には借りがある。十二年前、まだ赤子の我をしつこく追ってきた火焔竜を、打ち払ってくれた』
その前足は木よりも高いところにあるので、よく見えないが……話の内容的にも、ベネディクト様のことだ。
『恩を返さねばと思っておったが、なかなか魔力はたまらんでな。サーラが拾ってくれなんだら、我の力も間に合わぬところじゃった。人の心がこもった供物が我の魔力の源ゆえ』
ものすごく失礼なんだけど、しゃべり方が高貴すぎて、外見とかみあっていない。本当に聖獣なのだと理解したいまでも、不思議な感じがするわ……。
それにあのお野菜が、ブーちゃんの魔力の源だったなんて。
『それに、礼を言うぞ、サーラ』
「いえ……あの、申し訳ありません、変わった名前をつけて」
言葉がわかるみたいだと思っていたけれど、本当にわかるのだ。
やっぱりブーちゃんじゃなくて、せめてプーちゃんにすべきだったかもしれない。
私の謝罪に、ブーちゃんは体を揺らしてころころと笑った。
『まあ、よい。最初は我になんという名をつけるのだこの女はと思ったが、呼ばれ慣れればよい名だ』
「ありがとう、ございます……」
『騎士殿もサーラに感謝しておけよ。サーラが身を挺して庇わなんだら、そなたはいまごろ瀕死の身じゃ』
さらっと恐ろしいことを言って、ブーちゃんは『ふぅ』とため息をついた。ブーちゃんの肩がしゅんと落ちたような気がする。
『ああ……もう魔力が尽きる。話したいことは話した。この姿ともお別れじゃ』
「えっ」
ブーちゃんはまた体を揺らした。
そうすると、先ほどのドラゴンと同じように、ブーちゃんの体からも魔力の粒が立ちのぼり、波にさらわれる砂のように溶けていく。
「えっ、ブ、ブーちゃん!」
私は慌ててブーちゃんにしがみつこうとした。けれど腕は宙をかくだけで、ブーちゃんのふかふかの毛並みはもうない。
消えてしまった――私たちを守ってくれたから?
まだ、心の準備もできていないのに――……。
「ブーちゃん!!」
「ブッ」
泣きそうになって叫んだら、足元から不機嫌そうな鳴き声がした。
「え?」
下を向けばいつものサイズに戻ったブーちゃんが、早く抱きあげろと私のブーツを引っかいている。
「ブーちゃん……」
「プゥ」
私はブーちゃんを抱きあげた。変な顔にならないようにするのがたいへんだった。
さっきの巨大なブーちゃんが聖獣としての真の姿で、魔力を温存するあいだのブーちゃんは、この普通サイズの愛らしいウサギ姿なのだろう。
魔力を使っての念話だから、この姿では話もできない、と。
それだけのことを、高貴な口調で伝えられたせいで、役目を終えた聖獣が地上から姿を消す……とかそんな話なのかと勘違いしてしまった。
私に抱きあげられたブーちゃんは、私の頬に額をすりつけた。火傷でヒリヒリとしていた頬から痛みが消える。
ついでブーちゃんは、ベネディクト様に向かって鼻を突きだした。
ベネディクト様が近よると、ブーちゃんの体から一瞬光が放たれ、ベネディクト様を包む。
「傷が……治ったようだ。回復魔法か」
腹を押さえて言うベネディクト様からは、血の跡も消えている。
やはりリシャの足を治したのはブーちゃんだったのだ。
「ありがとうございます、ブー様……? ブーちゃん様……?」
ベネディクト様が呼び方に困っていらっしゃる。
本当に、変な名前をつけちゃったわね……。
「サーラも……ありがとう。守ると言ったのに、守られてしまったな」
「いえ……私は……ただ、ベネディクト様が大切で……」
照れくさくなって、私は首を振って笑った……つもりだった。
「だから、ご無事で本当によかったなって……」
言いながら、目に涙がにじんでいく。
いまさら感情が追いついてきたようだ。
思わず、私はベネディクト様にすがりついた。
涙があふれてきて止まらない。
ベネディクト様が、おそるおそるといったように私を抱きしめてくれたから。
私はそのまま、ベネディクト様の腕の中で「よかった」とくり返しながら泣き続けた。
――私が我に返ったのは、しばらくして、涙ぐむ騎士団の皆様が控えめな拍手を送ってくださった時だった。




