38.それが妻というもの
国境の山をのぼり、見晴らしのよい山頂へ陣を張る頃には、夜は完全に明け、爽やかな朝の日差しがあたりを照らしていた。
白い雲と透き通るような冬の空の中に、徐々に姿を大きくする火焔竜が見える。
トカゲに似た全身を燃えさかる鱗で覆い、背には翼を持つ。その巨大さ、禍々しさは、見るだけで身震いがするほど。
ドラゴンがどこから来て、どこへ行くのか、人間が得た知識はあまりにも少ない。
サラマンダーが成長してドラゴンになるという説もあれば、魔力で作った時空のはざまに棲み、腹が減ったときにだけ地上に現れるという説もある。
巨大な影を映す地上には、荒野と置き去りになった町がある。
隣国にも国境沿いの町が栄えていたそうだけれど、魔獣の増加に耐えきれず、領主は早々に町を捨ててしまったという。
ベネディクト様は隣国と交渉し、魔獣討伐およびその事後処理に限って事前通告なしで進軍してよいという条約を手に入れていた……おかげでいま、気兼ねなくドラゴンの討伐に乗り出していけるわけだけれど、働きすぎですね、ええ。
ドラゴンは地上を見ていない。国境の山脈を越え、ゼンコールド領に入る――そのあとどこへ行くのかも、私たちには予測不可能。
十二年前のように、対応が後手にまわったら王都まで侵入されてしまう。
「この高度なら届くな……構え!!」
ベネディクト様のかけ声に、あちこちで弓を引く軋みが響いた。
山の斜面に並べて設置されたのは大型の対ドラゴン用弩砲。魔獣の骨や腱を使い強靭な弓力に耐えられるよう仕上げた、これも魔道具だ。
これまでベネディクト様が魔道具工房にあまり武器や防具を依頼しなかったのは、それだけの技術力や生産体制が整っていなかったせいもあったようだ。
魔獣の素材も豊富、王都からたくさんの職人が移動し、罠の開発でノウハウもわかってきたいまならできると、ロックベルさんも参加し、ドラゴン襲来に備えて武器を開発した。その調整をしていたのが私だったので、私も忙しくしていた。
できることなら杞憂に終わってほしかったけれど……ひと月にも満たない期間にしては、準備ができたと思う。
「装填には時間がかかる。じゅうぶんに引きつけろ――撃て!! すぐに装填!!」
ベネディクト様の号令で、槍ほどもある巨大な矢が次々と放たれ、ドラゴンを襲った。
「グオオオオ……ギャアアアアアア!!!!」
矢の先には魔狼の魔石がついている。ドラゴンの体に命中すると同時に刻んでおいた魔法陣から氷魔法が展開し、鱗の炎を打ち消していく。
じゅうじゅうと音を立て、煙のような水蒸気がドラゴンの体にあがった。
「効いた……!!」
「まだだ。もう一度――撃て!!」
ベネディクト様の言うとおり、ドラゴンは空中でバランスを崩したものの、すぐに体勢を立て直し、騎士団に向かいあった。
「ガアアア!! ――ギャウウゥ!!!!」
威嚇の咆哮をあげようとしたところで、ふたたび雨あられと降りそそぐ矢と氷魔法にドラゴンの体が傾く。
「今だ!! 引きずりおろせ!!」
今度は弩砲から、白い弾が打ちだされた。
魔蜘蛛の糸と奮発して買った魔鉱石を合成して網状に編んだもので、空中で開いて次々とドラゴンにかぶさる。
網の端は重い弩砲に結びつけ、ドラゴンの動きを封じる。
「グ……!! ガアアアア!!!!」
ドラゴンはもがくけれど、鱗の炎も消え、翼をはばたかせることもできずに地面を掘るだけ。
――ここまでは、うまくいった。
私はドキドキと鳴る胸を静めようと小さく呼吸をくり返す。
(落ち着いて。平静に)
慌てる人間は場を乱す。連れていってほしいと頼んだのだから、私もベネディクト様のように堂々と状況を見ていなくてはならない。
(なのに――この胸騒ぎはなんなのかしら)
「焦るな!! ドラゴンの様子を見ながら――盾は必ず構えろ、攻撃は魔法を中心に――」
ベネディクト様の指示に、剣を抜いた騎士たちがじりじりとドラゴンを包囲していく。
その時だった。
「露払いご苦労!! 貴様らもやればできるじゃあないか。あとはこのダレル・シャムロックに任せろ!!」
「!?」
信じられない台詞が背後から聞こえてきて、私は息を呑んだ。
振り向く私の隣を、鎧をまとい剣を構えた人影が通りすぎていく――。
ダレル殿下だ。
「殿下あ!! がんばってください!! 聖女の加護もたくさんかけておきました!!」
レティアもいる。
場違いな黄色い声援を背中に受けて、ダレル殿下はピカピカに光る新品同然の鎧を輝かせながら駆けていく。
「誰か――あの救いようのないバカを止めろッッ!!」
叫ぶと同時に、ベネディクト様が走りだす。
周囲にいたダレル殿下の護衛騎士たちも慌てて走りだしたけれど、ダレル殿下の行動に完全に面食らっていたり、ドラゴンに怯んでいたりで動きは鈍い。
「ブーちゃん、ごめん!!」
私はブーちゃんを地面におろすと走りだした。
ダレル殿下に鎧は重く、勇ましかった足どりは速度を落としていた。ベネディクト様が距離を縮める。
動きやすいドレスに毛皮のコートだけの私も、動きは速い。
ダレル殿下を追うベネディクト様の背中を追いかけて、私は走った。
出会った頃のベネディクト様は。
我が身を顧みず、働き続けていた。
それはベネディクト様が、自分の周りのすべてを守ろうとしていたからだ。
領民も、領地も、国も、なにもかも。
ベネディクト様にはそれができてしまうから。
ベネディクト様と同じように仕事をあふれさせながら皆がついてきたのは、ベネディクト様の守りたい気持ちを皆が理解していたから。
だってベネディクト様は、守るために戦っているから。
相手がどれだけクソバカでも――自業自得でも。
ベネディクト様は守ろうとしてしまう。
それがベネディクト様という騎士だ。
「ギャガアアアア!!」
網の中でドラゴンがひときわ跳ね、首をもたげた。
爛々と光る赤い眼に滾るのは怒りだ。
牙の並んだ顎と、赤い舌が見える。
その舌の上で渦を巻くのは、火焔――。
「話が、違……っ!!」
「風切刃!!」
噴きだした火焔がダレル殿下を包む前に、ベネディクト様が割って入った。
かざした剣から青い風が吹きあがり、火焔を切り裂く。
「熱ッ!! ギャ――ッッ!! なにが聖女の加護だ――ヘブッ!!」
焔が収まったのを見計らいベネディクト様にぶん投げられたおかげで、ダレル殿下は護衛騎士に受けとめられた。
鎧が少し焦げているけれど、命に別状はなさそうだ。
「もう少し体力を削りたかったというのに……!」
ベネディクト様が舌打ちしつつ、火焔竜の正面から剣を振るう。
刃のまとう風はいくすじにもなって竜の鱗を裂き、角を切り落とした。もうひと振り――今度は体に届いたのだろう、ドラゴンの首すじから魔力の粒が飛び散る。
激昂したドラゴンはさらなる咆哮をあげて身をよじった。
「ギャオオオオオオオオッ!!」
「ぐ……っ!!」
弩砲ごと網を引きずり、ドラゴンが尻尾を振りまわす。
ベネディクト様は剣を立て身を守ろうとしたものの、吹き飛ばされ、倒れた体にけたたましい音を立てて弩砲がのしかかった。
身を起こそうとするベネディクト様はこめかみからも唇の端からも血を流して、顔をしかめた。
(お怪我を……!)
とどめだと言うようにドラゴンが口を開く。
「ベネディクト様!」
考える前に体が動いていた。
理由はあとから浮かんでくる。
きっとあともう一撃。それでドラゴンは倒せる。その一撃を入れられるのは、ベネディクト様だ。
それに――私は騎士の妻だもの。
泣いたり怯えたりしてられない。
夫の窮地に足がすくんで動けませんでしたなんて嫌。
『加護なし』だけれど。
私も、ベネディクト様を守りたい――。
ドラゴンの火焔には魔鉱石も魔蜘蛛の糸も限界を迎えたらしい。
網が破れ、ドラゴンが火焔を吐きながら突進してくる。
「サーラ!!」
熱い。燃えさかる鱗が魔狼のコートを焦がし、中の私まで焼き尽くそうとする。
目の前には大きく開いたドラゴンの口。
牙が私を貫こうと迫る。
ベネディクト様の叫びが聞こえる。私の名を呼んでいる――。
ここで止めたらアレか…?と思うので今日も20時に更新します。
しかしストックがなくなるので土日は更新できないかもしれません。ご了承ください_(:3 」∠ )_




