37.出現!
食事のあとは、ベネディクト様が桶にお湯を用意してくださったので、石鹸を泡立てたタオルでよく体を拭く。
一人で寝間着に着替え、廊下に出てくださっていたベネディクト様を呼んだ。
「身支度がひとりでできる令嬢もなかなかめずらしいだろう」
感心したように言われるとなんだか照れくさい。本来これは、私が実家で放置されていたことの証で、褒められることではないからだ。
……でもそういえば、ダレル殿下とレティアは、ひとりで就寝の支度ができるのかしら?
侍従や侍女は屋敷に置いてきてしまったし……。
(……まあいいか)
いまさら彼らを心配する必要もない。
「失礼します」
私はベネディクト様のベッドの片側に横たわった。反対側にベネディクト様が寝転ぶ。
「では、おやすみ」
「おやすみなさいませ」
ベネディクトが目を閉じた。明日は私も魔獣の討伐に同行する予定だ。今夜はぐっすり寝て英気を養わなければ――。
(……寝られないわ)
小さくため息をつきながら寝返りをうちそうになって、私は慌てて動きを止めた。
ベッドは思いのほか広く、大人ふたりが寝ても余裕があった。
ベネディクト様は胸の上で手を組み、足をまっすぐにのばした姿勢のまま、微動だにせずに寝息を立てている。一流の騎士になると、寝相まで行儀がいい。
一方の私はといえば、うとうとするたびに寝返りを打ち、ベネディクト様のお姿に驚いて目を覚ます――という間抜けな行動をくり返していた。
(ベネディクト様……)
私を王都から連れだしてくれた人。
そして、王都に帰したくないと、守りたいと言ってくれた。
――誰にも渡したくないんだ。
(わわわ……!!)
ベネディクト様のまっすぐなまなざしがよみがえって、顔が熱くなる。
ごろんと体を回転させて反対を向き、けれどやっぱりベネディクト様が気になって、そっと振り返る。
横顔のベネディクト様は、穏やかな呼吸で、ぐっすりと眠り込んでいらっしゃる。
カーテンの隙間から差し込む月明かりが、通った鼻すじや、シーツに落ちた髪を照らしている。
その光景に、私が見惚れていたときだった。
カッ!! とベネディクト様の目が開いたのは。
「!?!?」
「起きてくれ、サーラ」
「お、起きております!」
「君も感じたか、あの気配を?」
いえ、まったくなにも感じていなくて、ただごろんごろんして起きていただけです。
とは言えずに、私は「なんでしょうか」と尋ねた。
「来たぞ……最悪のタイミングだ」
*
私が身支度を終え、魔狼のコートを着てブーちゃんを抱えた時には、ベネディクト様はすでに鎧を身に着け、剣をさげて、あわただしくなる砦に指示を出していた。
「第一隊、第二隊は俺と来い。第三隊は屋敷や町に危急を知らせ、避難の指示を。第四隊は周辺領や王都への連絡。ダレル殿下の部隊はダレル殿下とレティア嬢をお守りしながら、第四隊とともに王都へ戻りなさい。ここにいても君たちは戦えない。それよりも王子を守るという使命を果たすんだ」
「はっ!!」「ははっ!」と鋭い答えがあちこちから聞こえてくる。
私は皆の見ている方向を見た。白み始めた空の彼方に、赤い焔のようなものが揺れている。
まだ遠いそれは、こちらを目指して飛んでいる。
「十二年前に王都を襲った火焔竜と同じ個体かもしれない」
ベネディクト様がぽつりと言う。
すぐに、その視線は私へと向けられた。
「……サーラは……サーラはそうだな、第三部隊と屋敷に戻ってほしいが……目の届くところにいてほしい気もするし……どうせゼンコールド領内にいるなら危険度は変わらん。あのバ……いやダレル殿下が、攫わないとも限らない……有事の際に行動の予想がつかん人間がこんなに厄介だとは……」
ベネディクト様がまた眉間に深いシワを寄せ、悩むお顔になっていらっしゃる。
いくらダレル殿下でもどさくさにまぎれて私をかどわかすなんてことはないと思うけれど……ベネディクト様の中でダレル殿下の評価が驚くほどさがっている。本当になにかあったのかしら。
もとから、私の答えは決まっている。
「いっしょに行かせてください」
ベネディクト様が顔をあげた。軽く見開かれたその目を、今度は私がまっすぐに見つめ、ベネディクト様の手に自分の手を添える。
私はゼンコールド公爵夫人だ。ベネディクト様の妻だ。
屋敷に戻ったところで危険は変わらないというのなら、国を守るために戦うベネディクト様のそばにいたい。
「ブウゥ!」
「ブーちゃんも行くと言っています」
実はブーちゃんのことは屋敷に帰そうと思っていた。
けれどブーちゃんは連れていってくれようとした騎士の腕を蹴り、私を先導するように正面玄関まで来たのだ。
ベネディクト様が目を見開いた。
それから、ふっと吐息のような笑いを漏らす。
――私の好きな笑顔で。
「ありがとう。ならいっしょに来てくれるか」
「はい」
頷く私の手を、ベネディクト様がとった。




