35.救いようのないバカ(ベネディクト視点)
ゼンコールド領の国境沿い、険しい山々のふもとに広がる森には、魔素がたまりやすい。
どうやら高位魔獣に追われて逃げてきているらしい低位魔獣は、その魔素だまりでひと心地ついてから、さらに山をおりて人里へとやってくる。
人里へたどりつく前に魔獣たちを倒すのが、ベネディクトの使命であり、ゼンコールド領に陣を構える騎士団全体の使命である。
さて、その使命に力を貸そうとやってきたダレルとレティアは――。
一匹の魔蜘蛛を相手に、想像以上の苦戦を強いられていた。
「ひいいっ!! 気持ち悪いっ!! 蜘蛛なんかと戦うのは嫌です!! 猫ぐらいあるじゃないですか!!」
「バカッ! 逃げるなレティア! 聖魔法を使え、毒があるんだぞ!」
魔蜘蛛の体長は30センチほど。そこに細長い蜘蛛の足が生えているため、実際の見た目はもうふたまわりほど大きい。
とはいえ分類的には小型魔獣であり、毒性も弱い。獲物にかみつき牙から毒を注入、または毒の霧を噴射。毒が皮膚に触れればかぶれるが、薬ですぐに治る。素材としても利用できない程度の弱毒だ。
それこそ聖魔法の使い手がパートナーなのであれば、気にせず突っ込んでいけばいいのにとベネディクトなどは思うのだが……。
「ギャー!! 霧が!! かかった!! 痒い! 痛い! レティア、早く治してくれ!!」
「むりです!! 結界を解除したらわたくしにかかるではありませんか!」
「貴様それでも聖女か~~~~!?」
「ダレル殿下も! サラマンダーを一撃で倒したとおっしゃったではありませんか!!」
ちなみにここは、砦から最も近く最も規模の小さい魔素だまりで、森の中だがそれなりにひらけているし、魔狼の出現を警戒する必要もない。
新しくやってきた兵の訓練をする場所である。
わあわあと大騒ぎをするふたりを、ふたりが王都から連れてきた兵たちがなんともいえない表情で眺めている。
騎士や兵士たちからすれば、魔蜘蛛一匹に大騒ぎをしているダレルとレティアの有様は失態。
ただあまりにもパニック状態に陥っているふたりは、せっかくの騎士に援護を頼むことも、とりつくろうことも忘れているらしい。
ベネディクトもまた、とくになにも言わず傍観に徹した。
彼らが自らの仕える主人に幻滅し、異動願いを出したとしても、ベネディクトの知ったことではない。
過去に実力もない上司にでかい顔をされまくったベネディクトは、実力もないのにでかい顔をする者が大嫌いだった。
それに、ベネディクト本人もはっきりと自覚しているわけではないが、理由はもうひとつあった。
先ほどの屋敷での、出迎えたサーラに対するふたりの不届きな態度だ。
サーラも慣れきってしまっているのか気にもかけていなかったが、ベネディクトの目には彼らの言動はたいへん不愉快なものに映った。
あのような扱いを受け続けたすえに、サーラは婚約破棄されたのだ。
自分がこぶしにギリギリと力を込めていることに、ベネディクトは気づかない。
「おい! 早く回復魔法をかけろ! さもないと火焔魔法を撃つぞ!」
「それを蜘蛛に撃ってくださいよ!」
「痛くて当たらんのだ!!」
(なにがあっても彼女を王都へは帰さない。あのような者たちのもとへは)
魔蜘蛛から逃げまわるダレルとレティアを完全に放置しつつ、ベネディクトは決意を固めた。
*
さんざん騒ぎ続けて小一時間ほどたったころ、ダレルとレティアはようやく魔蜘蛛の討伐に成功した。
炎で焼けた蜘蛛の体は魔力の粒となり、風に吹かれてさらさらと消えていく。
(サーラの罠で捕獲すれば『魔蜘蛛の糸』がたっぷりとれるのだが……)
戦いで糸を吐き尽くし、傷を負った魔蜘蛛は、素材も残さなかった。
はっきり言って、ふたりまとめて罠以下の存在である。
「もう、早く戻ってシャワーを浴びたいわ……」
自分だけを守る守護結界を解除したレティアが、ぶつぶつと文句を言いながらダレルに回復魔法をかける。
と、肩で息をするダレルがベネディクトを睨みつけた。
「おい、なんだこれは」
「はあ……?」
それはこっちの台詞だと思ったが、ベネディクトは曖昧な返事をするにとどめた。
「貴人が戦場に出る際は確実な安全を確保し、勝てる相手としか戦わせないのがマナーだろ!」
「魔獣討伐の場に、『マナー』……?」
今度は表情と声色にはっきりと「なんだこいつ」感が出てしまった。
たしかにこれが他国との戦などであったら、王子は大将として担がれ、本陣の中央で厳重に警護されて勝てる戦を眺めるだけになるだろう。
しかしダレルがここにいるのは、兄アーネストの叱責を免れるため、魔獣討伐で自分の価値を認めさせるためだったはずである。
弱った獲物を相手にしては本末転倒ではないか。
「サラマンダーを一撃で倒したというのは……?」
首をかしげているベネディクトに、ダレルは「チッ」と舌打ちをした。
「俺の剣の師匠が、弱らせたサラマンダーを用意してくれたんだ。彼は物事をよくわかっていたぞ。上の人間に手柄を立てさせ、ともに向上していくのが下の者の幸せだと、そう言っていた。お前の前に騎士団長だったそうだが、教えは受けてないと見える」
ふん、と鼻高々に語られ、ベネディクトは動きを止めた。
ベネディクトの活躍にいちいちケチをつけてきた、家柄しか取り柄のないクソ上司。なぜあれほど傲慢を貫き通せるのかと疑問だったが、答えがいまわかった。
彼にとってベネディクトは、自分にゴマをすってくるべき存在だった。なのに分限を超えて逆らう愚か者……そう思われていたのだ。
「そうか……あいつがお前の剣の師か。どうりでよく似た顔で笑う――救いようのないバカの顔だ」
ぼそりと呟いた言葉はダレルには聞こえなかったが、最後のひと言だけは伝わったらしい。
「は? いまなんと言った、貴様――ギャアッ!!」
つかつかと歩みより、ダレルの胸ぐらをつかむ。力を込めれば、鍛えあげられたベネディクトの体はやすやすと相手を持ちあげた。
「なにをする!! 不敬だぞ――」
「明日は魔狼の出没スポットへ行きます。今日よりも激しい戦闘が見込まれますから、装備を万全に。もしくは――」
じたばたと手足を暴れさせてみるものの、ベネディクトの体も腕もぴくりともぶれない。
圧倒的な力の差を感じ冷や汗を流すダレルの目を、ベネディクトは冷たい視線で覗き込んだ。
「命を失うよりは、すぐにでも王都に戻られたほうがよろしいかと、臣下の俺は愚考いたしますが」
「ヒ……ッ!! ンギャッ!!」
手を離せばダレルは受け身も取れずに落下し、二度目の悲鳴をあげる。
「ダ、ダレル殿下……! 大丈夫ですか」
「尻を打った! レティア、回復魔法を……!」
「そうでした、レティア嬢。砦にシャワーはありません。井戸の水を桶に汲んでください」
「えっ!」
すがりつくダレルを振り払い、レティアが声をあげる。
「おい、レティア……!」
「水を浴びるだけなんて嫌よ、蜘蛛の糸が髪についているのに! ここには侍女もいなくて……!」
「あとは頼んだぞ」
ぎゃあぎゃあと喚くふたりを置いて王都の兵たちに声をかける。
さっさと馬に乗ると、ベネディクトは先に砦へと戻った。
ベネディクト様、激おこです。




