20.……や、す、む……
ゆっくり休んでください、と告げた私に、ベネディクト様は頷いてくださったけれども、その表情には困惑がまじっているような気がした。
急な休みを与えられたことによる困惑、ではない。
「……や、す、む……」
ベネディクト様は、初めてその単語を口にする子どものようなたどたどしさで、声に出す。
「やすむ……」
今度は噛みしめるようにもう一度、呟いた。
「……ひとまず、眠る」
「はい。睡眠と食事は健康の基本ですから。仕事は気にせず、 好きなだけ寝てくださいね」
私はほっとして言った。少し早口だったかもしれない。
先ほどのベネディクト様の困惑が、急に時間が空いたことに対するものではなく、「休むってなにをすればいいんだっけ……?」という悩みに見えて不安になってしまったのだ。
(そんなわけはないわよね)
寝室へ向かうベネディクト様を見送りながら、私は自分の不安に苦笑いした。
――それから、丸一日。
翌日の昼になっても、ベネディクト様は寝室から出てこなかった。
*
寝室から居間へ戻ってきたジェイスは、私を安心させるように深く頷きながら言った。
「大丈夫です。旦那様はよくお眠りですよ。呼吸もあります。死んでません」
「そ、そこまでは思っていないけれど……」
そう言いつつ、私はほっと息をついた。
正直に言うと少しだけその可能性を考えていた。気を抜いた途端に疲労がいっき襲いかかってきて病につながってしまう、というのは働きすぎの人間が注意しなければならないことのひとつである。
最初こそベネディクト様のお休みタイムをよろこんでいた私だったけれど、今朝になってもベネディクト様は起きていらっしゃらず、昼食の時刻もすぎたところで心配になってきた。
妻とはいえ契約結婚を明言している私が寝室に入るのもよくないだろうと、ジェイスにお願いして様子を見てもらったのだ。
「幼い頃の旦那様は『寝る子は育つ』を体現したような方でしたから。久しぶりの爆睡が見られて、古株の使用人たちは感動しております。奥様、本当にありがとうございます」
ふと気づけば、ジェイスの背後で年配の使用人たちが涙ぐみながらうんうんと頷いている。
「あんなによく寝ていた坊っちゃんが、英雄になったからと言って寝ずに働きどおしで……」
「慣れない領主のお仕事にも弱音を吐かずに取り組まれましたが、紅顔の少年が日に日にやつれ、いまではすっかり枯れかけたイケオジに……」
「旦那様の爆睡は奥様がきてくださったおかげです、ありがとうございますううう」
途中で話が逸れていた気がするけれど、ちゃんと戻ってきたわね。ベネディクト様が皆に慕われているというのはよくわかる。
「旦那様のお役に立てたのならよかったわ。さ、みんなもお茶をどう?」
私の言葉に使用人たちが動き始める。彼らにも余裕ができたので、最近はお茶の時間をいっしょにすごすこともある。
今日のお茶請けはキャロットケーキ。畑でとれたにんじんを混ぜ込んだ、ほんのり甘いケーキだ。
せっかくみんなで育てたにんじんなのだから、ケーキもみんなで食べないとね。
私が屋敷へきた時には緊張の表情でこちらをうかがっていた使用人たちも、いまではすっかりうちとけてくれた。
女主人として認められたのだと思うと嬉しい。
……と、感慨にふけっていたら、居間のドアがガチャリと開いた。
顔を覗かせたのはベネディクト様だ。
一応シャツにベストの出で立ちだが、ベストのボタンは留められておらず、シャツはズボンから出ている、気の抜けた格好。
これまでは少々疲れてはいたものの身なりはかっちりとしたものだったので、ドキッとしてしまう。
「旦那様。先ほどお部屋にうかがったのですが……起こしてしまいましたか」
「いや、自然と目が覚めた」
心配そうなジェイスに首を振り、ベネディクト様は私の正面に腰かけた。
「俺にも茶をくれるか。さすが自宅というのは心が安らぐのだろうな。2時間ほど眠るだけでだいぶ疲れがとれた」
あまり疲れがとれたとは思えない、ぼんやりとした顔つきでベネディクト様は言う。
(ん?)
私はジェイスを見た。なんとも言えない顔をされてしまったのでリシャを見ると、リシャはジェイスと同じ表情をしていた。
私に言えということね。
「食べたばかりなのにやけに腹が減っているが……それも回復したということか」
「あの、ベネディクト様」
「なんだろうか、サーラ」
「ベネディクト様がお休みになっていたのは2時間ではありません。26時間です」
一瞬、ベネディクト様の動きが止まった。
「……26時間?」
「ベネディクト様と私が昼食をごいっしょしてから、丸一日がたっています。おなかがすくのは当然かと」
「……」
「お食事を用意させましょうか?」
「いや……これは、キャロットケーキか?」
呆然と視線を落としたベネディクト様は、テーブルの上のケーキに気づいたようだ。
「これをもらおう」
「ではこちらにお茶を……どうぞ」
「ありがとう。うん、うまいな。うちの畑のにんじんを?」
「はい。火を通すと甘みが増す品種だそうで」
これも趣味の一環だ。
自分で育てたものを食べるなんて、初めての経験だもの。
今回のにんじんはもともと畑に植えてあったものだけれど……いまからでも育てられるというので、私用の区画にも種をまいてみた。
あと2か月ほどで収穫できる予定。
「奥様は毎日畑の仕事を手伝ってくださるのです、旦那様」
「しかも奥様ののみこみの速さは驚くべきものです。肥料の違いやそれぞれの作物にあった手入れの仕方まで一度説明すれば覚えてしまわれるのですから」
庭師のデルクやその妻のカレンが褒めてくれて、私は照れ笑いを浮かべた。
「体を動かすのは楽しいですからね。熱も入ります」
「本当に、旦那様はすばらしい奥様にめぐり会われたのですね」
「私どもももう感無量で……」
「旦那様、どうかお幸せに……」
先ほどまでの空気を引きずっているのか涙ぐむふたりやその周囲の使用人たちに、ベネディクト様が困惑気味のお顔になっている。
私たち、契約結婚ですものね。
まあでも、利害の一致で結婚した私たちだけれども、予想以上に相性がよかったのは事実だと思う。
「ありがとう、みんな」
だからわざわざ水を差すこともないと、私はほほえみを浮かべた。
その後も、おだやかなティータイムをすごし、夕食まではふたりで図書室へ行き読書を。
ベネディクト様は少しだけ仕事をして、湯浴みをし、就寝。
昨日帰宅したときに比べれば顔色もだいぶよくなったようだ。
寝室の前まで見送って、私は笑いかけた。
「明日も、好きなだけ寝てくださいね」
「さすがに明日は朝に目覚めると信じたいが……」
自信がないのか、ベネディクト様は目を泳がせる。
「ベネディクト様がゆっくりお休みになれてよかったです。みんな喜んでいたんですよ」
私が言うと、ベネディクト様は一瞬、驚いたように目を見開いた。
「ああ、そうか――休めたな、よかった」
「?」
なぜか納得したような顔になり、それからベネディクト様は笑い返してくださった。
「ありがとう。おやすみ」
私が見たかった、あたたかな笑顔だ。
「はい。おやすみなさい」
私の胸にもあたたかなものが宿ったような気がする。
明日はなにをしようかと思いながら、私も自分の寝室へと向かったのだった。
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