19.妻になった人は(ベネディクト視点) 後編
「ここにあった書類は……」
王都行きの3週間のせいで、書類はジェイスの処理能力を超えたはずだ。ベネディクトは先月分がほとんど手つかずで残っていると予想していた。
けれど、いまあるのは執務机の上に、数枚の書類のみ。
「家計に関するものは帳簿につけて別室にまとめてあります」
「そんなふうに言える量ではなかったと思うが」
「まあ、乱立はしていました。紙の塔が」
その言葉に、サーラは本当に書斎の惨状を知り、しかもそこから床や壁が見えるまでに状況を改善したのだと知る。
「ほかに訴状などもあったはずだ」
「過去の判例から解決できそうなものは私のほうで処理いたしました。要望書のたぐいも、僭越ながら。それでこちらが」
サーラは執務机に置かれていた書類をとり、ベネディクトにさしだした。
「それらの報告書と、ベネディクト様の判断を仰ぐ必要のある訴状、要望書です」
「……」
ベネディクトは思わず目を瞬かせた。面食らったと言っていい。
「趣味に打ち込んでいたのでは?」
「え、はい。ゆっくりさせていただいています。この半月は積み残しもなく、毎日の帳簿付けと、ときどき町へ行くだけですから」
「まあ、そうか……」
ようやくベネディクトも理解した。
王宮で鍛えられてきたサーラの実務能力は、おそらくベネディクトよりもずっと高い。
彼女にとって日々の家政など働くうちにも入らないのだろう。
「ほかにご確認いただきたいのは魔獣用の罠についてです」
「魔道具工房と話をしてくれたんだったな」
魔物の回収担当がコンラッド商会から魔道具工房に変わり、試作品の進み具合はベネディクトの耳にも入る。ゼンコールド領でとれる魔物の素材だけで罠が作れそうだと言う。
「そちらについても問題はない。あなたの思うとおりに進めてくれればよい」
「ありがとうございます」
「しかし、なぜ罠を開発しようと思ったんだ?」
ベネディクトが不思議なのはそこだった。
実はベネディクトも、罠の設置について考えたことがある。けれど罠を仕掛けるほどに魔獣が頻出する地域はゼンコールド領くらいのもので、設計開発から取り組まなければならないことがわかったために案は頓挫した。
今回サーラはその部分を引きとってくれたわけだが、王都にいた令嬢がやってきて半月で罠の開発を始めたことに驚いてもいた。
しかもサーラは、魔獣の素材を使うという明確な方針まで持っていた。
「それは、帳簿をつけることでゼンコールド領の物やお金の動きを把握できたからですわ」
「ふむ」
ベネディクトはソファに腰をおろした。サーラも執務机から帳簿をとりだすと、ローテーブルを挟んで向かいに座る。
「ゼンコールド家の財政は、一見問題ありません。毎月使った額以上の収入があり、赤字というわけでもない」
帳簿を開いたサーラは月々の数字を指さした。
「しかしこれは安定した経営というわけでもないのです。収支の額に対して黒字幅は小さく、要は『ギリギリ黒字』です。おまけに年単位で見ると、収支の額は毎年2割以上の増加」
「なるほど。この3年で扱う金が2倍近くか……」
「それが忙しさの原因です」
そう言われれば納得がいく。
事業がうまくいったのなら、支出以上に収入が大きく増えるはずだ。それは余裕があるということでもある。
しかしゼンコールド家の財政はそうではない。
「魔獣が増えたから騎士団の増員をする。王宮から報奨金も出ますし、魔獣の素材を売って収入も増えますから、赤字にはなりませんが……人と仕事は増え続けているのです。そして『人』は、短期間に増やしすぎても破綻の原因になります」
「練度の問題だな」
ベネディクトも頷いた。
魔獣と戦うにはただ強ければいいというわけではない。仲間との連携に加え、魔獣の特性やゼンコールド領の地形などの知識も必要だ。魔獣特有の動きに対処するための訓練は欠かせない。
その教育ができるのがベネディクトしかいないために彼は屋敷へ戻れなくなり、増え続ける人員に対応しつつもこれ以上仕事を増やしたくないがために屋敷のベテラン使用人たちを引き抜いていった。
屋敷の使用人たちにも無理をさせていただろう。
「そろそろ限界だとは感じていた」
「いえ、『そろそろ限界』ではありません。『とっくに限界』ですよ」
きっぱりと言い切られ、ベネディクトは目を瞬かせた。
「いまのゼンコールド領はベネディクト様ひとりに多くの負担がのしかかり、それがプレッシャーとなって下の者たちを疲弊させている可能性があります。しかもベネディクト様の代理を務められる人物はいない。いまベネディクト様が倒れたら、騎士団もゼンコールド領も立ちゆかなくなり、魔獣は他領へも勢力を広げる……これは国家レベルの危機です」
「……」
ふとベネディクトは気づいた。
サーラの目が、据わっている。
夫に自分の存在を忘れられても笑って許したサーラだが、どうやら長年のリスク放置には本気で怒りを覚えているらしい。
「また、逆に魔獣の出現頻度が半分以下となったとしましょう。ゼンコールド領は飽和した人員を抱え、完全な赤字に転落します。厳しい言い方をすればゼンコールド領の財政は魔獣という外部要因に引っぱられるかたちで形成されていることになります。これも健全とは言えません」
「……なにからなにまでそのとおりだ」
「ですから、素材を領外へ売り領外から人を募るのではなく、いま領内にある素材と人でなにかできないかと考えたのです。罠であれば魔獣が増えているあいだはその素材で作り、減れば製造をストップできます」
「だからそこに投資すべきということだな」
「はい」
「わかった」
サーラの厳しい視線を受けとめ、ベネディクトは頭を下げた。
ベネディクトが公爵位を賜ったのは二十歳の時、しかもそれは功績を認めると同時に、魔獣の湧きやすい地域を守護せよとの含みもあった。
最初からベネディクトやゼンコールド領に一般的な領地経営は求められていなかったのだが……そうは言っても民はこの領地で暮らしているのだ。
「俺のやり方には問題があるようだ。どうかゼンコールド領に、あなたの力を貸してほしい。俺もできる限りのことをする」
サーラが息を呑む気配がした。
顔をあげれば、先ほどの怒りは消え、はにかんだ笑顔がある。
ベネディクトがこんなに素直に頭を下げるとは思っていなかったらしい。
「その……ありがとうございます。私も、がんばります」
その表情にまた見惚れてしまいそうになって、ベネディクトは目を泳がせた。
サーラが不思議そうな顔になる。
「……あなたは俺が思ったとおりの人だったな」
「え?」
「誰かのために働き続けてきた人物だと、そう思ったんだ」
婚約破棄の場で、『時間の無駄だ』と顔に書いていたサーラ。
そう感じるのは、本来ならばその時間の分だけ誰かの助けになることができるからだ。
「だからこそ、あんな踏みにじり方をされているのは耐えられなかった」
「ベネディクト様……」
サーラの頬がますます赤く色づいた。と思えばその目に涙があふれて、ぽろりと頬を伝い落ちる。
「!?」
「……ありがとうございます」
ギョッとするベネディクトに、サーラは涙を拭いながら笑った。
うっかり傷つけてしまったわけではないらしい。むしろベネディクトの言葉が不意に彼女の心をついたのだということはわかったが――。
(慰めていいのか!? 肩に手を置くのはいかんよな? 夫婦とはいえ、契約結婚で……リシャを呼んだほうが)
わたわたと焦っているうちに、サーラはとりだしたハンカチですっかり涙の跡を消し、背すじをのばした。
「申し訳ありません、お見苦しいところを」
「見苦しくなどない」
内心の焦りを隠しながら言えば、サーラは少し照れくさそうにほほえむ。
「ありがとうございます。屋敷のことは私がしますので、この一週間は、どうかベネディクト様もゆっくりお休みになってくださいね」
「……うむ、わかった。ありがとう」
ベネディクトは重々しく頷いた。
低い声で、いやに真面目な表情になってしまったのには理由がある。
先ほども、期待に応えられそうにないと思ったものだが――。
完全な休暇など十二年ぶりのベネディクトは、休み方を忘れていた。




