18.妻になった人は(ベネディクト視点) 前編
「婚約破棄だ、サーラ! 俺はレティアと真実の愛を見つけた!」
そんな声が聞こえてきて、ベネディクトは浮上しかけた意識をまた眠りの中に閉じ込めた。
(こんな非常識な宣言が現実のものであるわけがない。芝居の一幕だろう)
と思ったからだ。
騎士として長い時間を魔物との戦いに充ててきたベネディクトは、睡眠をコントロールすることができた。
眠ろうと思えばすぐに眠り、その間も定期的に意識を浮上させてあたりの様子をさぐる。異常事態があれば即座に目覚め、剣をとって戦うこともできる。
そもそもがこのパーティは、第二王子が全員出席の記載をして招待状を送りつけてきたわけのわからないものだった。
しかしわけがわからなくとも、規律の遵守を重んじる騎士団長が無視するわけにもいかず、王都ですべき報告や仕事も溜まっているからと仕方なく往復2週間の手間を割いて出てきたのだ。
結局のところ重要な発表があるわけでもなく、わけのわからない恋愛劇を見せられるだけ。
(この時間だけでも横になることができれば3倍の回復が見込める……いや魔道具組合に協力要請ができたかもしれない。王都に話を通さなければ領地の工房にも命令は出しにくい。貴重な時間が……本当になんなのだこれは)
直立不動の姿勢で半分眠りながら内心で苛つく。
そんななかなかに忙しい状況に陥っていたベネディクトの耳に、さらなる驚きの台詞が飛び込んでくる。
「おい、誰か!! このサーラの新しい夫となる者はいないか!? こいつをくれてやる!!」
そこでようやく、ベネディクトははっきりと意識を取り戻した。
(もしかして芝居ではないのか?)
視線を向ければ、広間の中央には第二王子ダレルと派手なドレスの令嬢が抱きあい、ふたりと対面する令嬢が疲れた顔でそれを見つめている。
サーラは、ダレルの婚約者の名だ。しかも王家の指名があったと聞く。
どうやらダレルは本気で優秀な婚約者を捨て、新しい令嬢と婚約するつもりらしい。既成事実を作るために出席必須の招待状で貴族を巻き込んだのだ。
(しかも、あの顔――)
ダレルは昔の上司によく似ている。
顔の作りではなく、見下すような表情がいちいちそっくりなのだ。
強くもないくせに家柄だけで騎士団長の地位にのぼりつめ、そのコンプレックスから『俺は頭脳派だ』とほざき倒し作戦にことごとくケチをつけてきた上司。
ベネディクトが王都に出現した竜を撃退し公爵位を得ると、引退宣言をしてそそくさと騎士団を出ていった。
結局のところやつの欲しかったのはいばり散らせる地位のみで、騎士団の仕事には誇りもなにもなかったのだと最後まで憤りを感じたものだ。
(いかん、殴り倒しそうだ)
覚醒と同時に動きだす癖のついている体は、戦いを求めていた。じっとしているには気力を使う。
怒りを抑えようとダレルから視線を逸らすと、サーラが視界に入ってくる。
婚約破棄されたというのに動揺する様子もなく――いや、そんな余裕もないのかもしれない。
疲れを濃くにじませた顔に、はっきりと書いてあった。
『時間の無駄』と。
その顔を見てしまったら、無視するわけにはいかなかった。
「ふふん、いないか。いるわけがないな、俺に捨てられた令嬢を引きとる物好きな人間など。だいたいサーラ、お前は――」
「では私が夫となります」
ぶん殴ろうとした手をまっすぐに挙げ、ベネディクトは言った。
……そんなこんなで妻としたサーラをすっかり忘れていたのだが、彼女は「私にも覚えがあります」とあっさり許してくれた。
サーラはゼンコールド家の食事風景にも慣れ、使用人たちとテーブルを囲んでいるらしい。
おまけに庭師の教えを受けながら野菜を育てていると聞いた時は、つい驚きを表してしまった。
「? なにか?」
「いや、なんでもない。楽しく暮らしているようでなにより」
本当のことは言えるわけがなかった。
すっかり疲れを拭い去ったサーラから屈託のない笑顔を向けられ、年甲斐もなく見惚れてしまったなんて。
こうして、温かな料理を挟んで語りあう時間が、とても愛おしいもののように思えたなんて――。
*
食事を終え、ベネディクトはサーラを伴い食堂をあとにした。
「屋敷にはしばらくいられるのですか」
「ああ、騎士団の仕事は落ち着いた。魔獣が出なければ一週間ほどは」
「そうですか!」
サーラは嬉しそうに笑った。
自分は妻の存在を忘れていたというのに夫の滞在をよろこぶサーラに、ベネディクトの胸にほのかな罪悪感が立ちのぼる。
もちろんサーラが自分に好意を持っているなどと自惚れるつもりはない。
彼女は純粋にベネディクトの帰還をよろこび、家ですごせる時間をよいものにしてくれようと考えているのだろう。
しかしベネディクトは、その純粋な厚意にも応えられない。
「すまないが、俺は家の仕事をしなければならない」
だからあまり時間はとれないのだと伝え、書斎のドアを開けたベネディクトは、
(……?)
違和感に首をかしげた。
書斎は記憶どおりではある。中央に執務机、椅子。仕事用の応接間を兼ねて来客用のソファにローテーブル。
しかし、あると予想していたものがなかった。
未処理の書類の山が。




