11.えっ、あの量を1週間で!?
「昨日は申し訳ございませんでした、奥様ああ……!!」
翌朝、私の部屋に来たリシャは、開口一番の謝罪とともに床に膝をついた。慌てて抱き起こしたリシャの目には、涙がいっぱいにたまっていてびっくりしてしまう。
「いいのよ、気にしなくて」
「でも旦那様から、奥様にはゆっくりしていただくようにと言われていたのに……奥様は、王都で旦那様と同じように激務で」
「ゆっくり休ませてもらったわよ。あと、ベネディクト様よりは働いていなかったわ」
ハンカチを握るリシャに言い聞かせる。討伐と事務を同時にこなすベネディクト様に比べたら、ダレル殿下の仕事を引きとっていただけの私の忙しさなどどうってことはない。
「リシャにも大切な仕事があったでしょう。急に配置換えをさせてしまった私も悪いの」
ジェイスが教えてくれたところによると、リシャはベネディクト様の遠縁の男爵家から奉公に来ているのだそう。だからこそ貴族の作法を見込まれ私の侍女に抜擢されたのだけれど、その前にはゼンコールド公爵家がほかの家とやりとりする際の祐筆や、贈り物の選定などをしていたらしい。
自分が抜けたあとの仕事を心配して当然ね。
リシャをなだめて食堂へ行くと、朝食はまたビュッフェ形式だった。
私に気を使わなくていいと言ったから、使用人の皆もいっしょに食べることになった。
これはベネディクト様が作った習慣だそう。
騎士団では配膳は各自で、同じ場所で同じものを食べる。団長だからといって区別はないそうで、効率化のためそのやり方をゼンコールド家の屋敷にも持ち込み、ベネディクト様も執事のジェイスも、ほかの使用人たちといっしょに食事をとる。
同じ大人数の食事でも、家の皆と食べるのは晩餐会よりずっと楽しかった。
私に内情が露見したせいか、皆はとりつくろうのをやめたようだ。
あーだこーだと議論を交わしながら食べている者たちもいれば、静かに黙々と食べ、終わればすぐに仕事に戻る者もいる。
(王宮の雰囲気に似ているわ……)
忙しくて、あふれんばかりの仕事をギリギリで食いとめている……ともに徹夜をする同僚は、いうなれば戦友だ。目の前のことを次々とこなしていくスピード感、連帯感、そして、無事やり遂げた時の達成感。
(楽しい部分はあったのよね)
まあ私は、百戦錬磨の事務官たちに、「お願いですから休んでください」と泣かれていたけれども……。
ふらふらになりながらも耐えていたのは、責任感からだけではなかった。
ゼンコールド公爵家の使用人たちには、王宮と同じ連帯感がある。それは、ベネディクト様への忠心によるものなのだろう。
まだ婚約破棄から10日と少し。なのに懐かしく感じてしまうくらいに、私の中で王宮やダレル殿下は遠い出来事になりつつある。
「ゆっくり休んだと言えば、休んだわね」
書斎に入り、乱立する書類のタワーを眺めながら私は呟いた。
唯一残されている執務机までの床を歩いて、椅子に座る。
それからハッと息を呑んだ。
「……!」
椅子は腰にやさしいスプリング入り、背もたれや肘かけの角度調節機能付き。一方で硬めのクッションは、寝落ちを避けるためだろう。
(疲れず眠らず、極限まで長く働けるようにデザインされている……!)
この椅子の本来の主がベネディクト様であることを思えば、ジェイスも徹夜して泣くしかなかったわけだ。
身の引き締まる思いで、私は書類に手をのばした。
執務机の上には、昨日ジェイスが途中にしたままの帳簿が残されている。
「まずは今月分の取引の精算よね。訴訟や意見書は目を通すだけにして……」
経理のやり方は王宮で身につけた。ゼンコールド領ならではのものがいくつかある以外は、基本は同じ。
最初は時間がかかったけれど、慣れると処理速度はあがった。
昼食はリシャにお願いし、サンドイッチを書斎へ運んでもらうことにして、私は仕事に没頭した。
帳簿につけた分の請求書や領収書はリシャが保管用の書庫へ運んでくれた。やればやるだけ書類が減っていくから、モチベーションにもなる。
なにより、ダレル殿下の思いつきに振りまわされず、じっくり集中してひとつの仕事に取り組めるのがいい。
そうして、日中の居場所が書斎になって、1週間がたった。
***
「帳簿をつけ終わったわ」
「えっ、あの量を1週間で!?」
ジェイスを呼び出して告げると、苦労人らしい執事は目をまんまるくして叫び、しばらく動かなくなった。こぼれ落ちてしまうのではと心配になるくらいだ。
それから書斎の中をきょろきょろと見まわし、書類が劇的に減っているのを確認する。
今のこっているのは財政に関するもの以外の書類。訴状、意見書、それから周辺領や王家からの書状といったものだ。
「初めてで、半月分の帳簿を1週間で……? 私より早いのですが。魔法ですか?」
「そんな魔法があるなら覚えたいわね」
私は魔力のない『加護なし』で、覚えたとしても使うことはできないけれど。
ジェイスはまだ呆然とした様子で私とすっきりした書斎とを見比べている。
「過去の記録を規則正しくつけてくれていたから、とても参照しやすかったのよ。あっていると思うけど、念のためにあとで確認してね」
「はあ……」
わからない品目や略称も以前の帳簿を見ればちゃんとわかった。これは真面目に記入していたジェイスのお手柄だ。
あとは、椅子がよかったおかげもあるだろう。
帳簿を手渡すと、ジェイスは最後のページを見た。
「……あっていると思います。少なくともこの数字は、商会から提示された金額とも、私が知っている実際の金額ともあっています」
「そう、よかった」
「しかし、この速さは旦那様なみですよ」
「ではベネディクト様はダレル殿下の補佐官になれるわね」
冗談のつもりで言ってみたけれど、想像の中のベネディクト様がダレル殿下を殴り飛ばしそうになったのでやっぱりなし。
私の事務処理がジェイスを驚かせるほど速かったのは、王宮で何年もダレル殿下の補佐……という名目の尻拭いをしていたからだ。
「奥様、大変な思いをなさっていたのですね……」
王宮での仕事ぶりを思い出していたら、ジェイスに涙ぐまれてしまった。
「ベネディクト様ほどではないと思うけれど……」
ちなみに巡回へ出たベネディクト様は、そのまま魔物に遭遇し、無事に撃退したものの騎士団の施設が一部壊されてしまったためしばらく残る、と連絡があった。
つまり帰還予定は未定だ。
「ひとまずこれで、大きな山は越えたわね。ジェイスも屋敷のほうを見てくれたのでしょう?」
私が尋ねると、ジェイスは「はい」と頷いた。
この1週間で、屋敷の空気は少し落ち着いた。
走りまわる使用人はいなくなり、小走りくらいになった。必要な物事が、落ち着きをもって伝達されるようになった。
ジェイス不在の3週間の穴は埋めることができたようだ。
「よかった。……では、次の大きな山に登らなくてはならないわね」
「次の?」
「ええ。帳簿を見ていて、ベネディクト様やゼンコールド領がどんな状態か、よくわかったわ」
私はため息をつく。
もともとあった3週間分に加え、書斎にこもっていた1週間のあいだに増えた取引も私は帳簿に記載した。
書類上でではあるが、ゼンコールド家の1か月を眺めたことになる。
忙しさの原因は魔獣の出現頻度が増えているせいだとジェイスは言った。
それは正しい。
けれど、ゼンコールド家の経営という面からいまの状況をとらえた時、問題はいくつかある。
「ベネディクト様はいつお戻りかしら」
「それが、魔獣の討伐中は旦那様と連絡がとりづらく……」
(……これよね)
問題のひとつ。
様々な判断を仰ぐべきベネディクト様と、密な連携がとれない。
ただ、状況は少しだけ改善できるかもしれない。
ベネディクト様の正式な妻であり、ゼンコールド家の女主人となった私がいれば。




