四話『未知数』
魔道具店、想像していたような異世界の店構えではなかった。
村の景観に溶け込むような、ひどく落ち着いた佇まいの和風な建物。
せっかく異世界に来たのだから、もう少しこう、いかにも魔法を扱っていますと言わんばかりの、派手な装飾の一つでもあるのかと思っていた。だが実際は、看板がなければただの民家と見間違えてしまいそうなほどに地味だ。
そんな拍子抜けするような現実を前にして、メグルは少しだけ肩透かしを食らったような気分で、その地味な引き戸を見つめた。
「ここで魔法の属性を診断できるから早く入ろ」
シオンは急かすようにメグルを促した。
ガラリと扉を開けると、そこには「ガラクタ」としか形容しようのない品々が、所狭しと陳列されていた。
これらすべてが魔導具なのだろうか。だとしたら、かなりの種類の魔導具が世に出回っていることになる。
「すみません。あのちっちゃい子の魔法の属性を鑑定してほしいんですけど……いいですか?」
メグルがその雑多な光景に呆気に取られている間に、シオンは迷いのない足取りで奥へと進み、店主らしき人物に向かって尋ねた。
何か、聞き捨てならない失礼な言葉が混じっていたような気がし、振り返る。
「承知しました。では、こちらの魔道具に血液を入れてもらえますか?」
店主は明るい声と笑顔で、まるで世間話でもするかのように当たり前と言った。
だが、その内容は全く穏やかではない。血液を入れる――つまり、自分の体に傷をつけろということだ。
見た目は水晶そっくりというより水晶だろう。だが、想像していた使い方とは違った。水晶に手をかざせば光るような魔法らしい光景を想像していたのだが。現実の鑑定は、想像していたよりもずっと生々しく、痛みを伴うものらしい。
「大丈夫。少し指先を切るだけだから痛くない」
メグルが後退りしようとした瞬間、シオンはその肩を容赦なく掴み、安心させるように言葉を添えた。
だが、痛いものは痛い。そもそも魔法が使えるほど魔力があるわけでもないのに、わざわざ痛い思いをしてまで鑑定する必要があるのだろうか。
そんな逃避じみた考えが頭をよぎったときには、すでに指先を切られていた。
「ね、痛くないでしょ」
「えぇ……」
確かに痛みはなく、驚くほど綺麗に切られている。
しかし、そういう問題ではないと言いたい。あまりの行動の速さに思考が追いつかず、喉の奥から困惑した声を絞り出すのが精一杯だった。
「じゃあ、早速鑑定しますね」
店主は先ほどまでの光景に何の戸惑いもなく、淡々と仕事に移る。
差し出された水晶の上に血液が垂らされると、透き通った石の内部から淡い光が溢れ出した。
血液なんていう物騒なものを使ったくせに、こういうところだけはいかにも魔法らしい反応を見せるのはなぜだろうか。メグルは指先の小さな傷跡を気にしながら、その光の行方をじっと見つめた。
「なるほど。属性は毒ですね」
店主が言い放ったその言葉を聞いて、メグルはなんとも言えない気分になった。
――毒
それは、物語の主人公が持つような……いや、探せばあるだろうが、少なくとも華やかな魔法とは程遠い、どこか陰湿で後ろ暗い響きだった。
思えば、この世界に来てからというもの、自分の身の回りに起きることはどうにもスマートさに欠ける気がする。
「毒属性ってすごいんですか?」
もしかしたら、この属性は実はとても希少で、価値のあるものなんじゃないか。そんな藁にもすがるような気持ちで2人に尋ねる。
「そこまで……」
「そこまでですね」
だが、返ってきたのは、あまりに無慈悲な即答だった。メグルの淡い期待は、あっさりと、それこそ薄い紙でも引き裂くかのような素っ気なさで破られた。
「弱くはない。でもたまに、水魔法のかなりの使い手が毒属性の魔法を使えたっていう話も聞くし、どうなんだろ」
シオンの言葉に、メグルは思わず肩を落とした。
「水魔法の劣化とかハズレ属性じゃないですか……ん?」
メグルは自分で口に出した言葉に、ある違和感を覚える。
水魔法が毒属性を兼ねる。この世界の人間からすれば「そういうこともある」という程度の噂話なのだろうが、現代の知識を持つメグルにとっては、無視できないひっかかりがあった。
水が毒になる。
その時、メグルの脳裏にある数式が思い浮かんだ。
――もしかして、元素か。
水は酸素と水素で構成されている化合物だ。だとしたら、水から水素だけを抜いて酸素を濃縮すれば、毒属性としての魔法が成立する。それならば十分理屈は通る。
「だとしたら、他の属性はどうなるんだ?」
風や火。この世界の住人が当たり前のように使っているそれらは、一体どのような元素でできているのだろうか。
考えれば考えるほど、現代知識という武器の「刃」が足りないことに気づかされる。
化学、物理、地学。学校の授業で聞き流していたあの退屈な法則こそが、この世界では最強の魔導書になり得たのではないか。
こんなことなら、もっと、もっとたくさん勉強しておくべきだった。
異世界に来てからというもの、自分の無知をこれほどまでに呪ったことはない。メグルは、教科書をカバンに寝かせていた過去の自分に対し、激しい怒りと後悔を覚えた。もっとも、真面目に教科書を読んでいたところで、自分の知りたい範囲がそこに載っていたかは分からないが。
「どうかした?」
メグルの沈黙を不思議に思ったのか、シオンが表情を覗き込んでくる。
「思ったんですけど、毒属性の魔法って、どれくらい魔力を使うんですか?」
メグルは食い入るように、期待と興奮が入り混じった眼差しでシオンに問いかけた。
もしこの推測――「魔法は元素や現象の操作である」という仮説が正しければ、膨大な魔力がなくても、効率的な知識の運用だけで魔法が使えるかもしれないのだ。
「毒属性の使い手は少ないから詳しくはないけど、ほ
かの属性と変わらないと思う」
「毒属性は他の属性よりかは魔力の消費量は少ないは
ずですよ」
シオンが確信を持てない様子で答えると、店主が補足を入れた。他の属性よりも魔力の消費量が少ない。これなら魔法を使える可能性は十分にある。
毒属性は酸素濃度を上げて毒にする魔法だろう。なら濃度が高くない普通の酸素なら自分でも出せるのではないだろうか。
「ちなみに魔法ってどうやって出すんですか」
メグルは、喉の奥に張り付くような緊張と不安を押し殺した声でシオンに尋ねる。
「普通は詠唱しないといけないんだけど、イメージさえできれば案外いけるよ」
「え……」
シオンのあまりに淡々とした回答。それに、横で聞いていた店主が初めて困惑の表情を見せた。
「無詠唱はそんな簡単にできないような……」
店主が困惑しているのをよそに、メグルは自身の掌で口元を覆いしばらく息を止めた。
外気に散らさないよう、ごく狭い範囲――自分の口内だけに、少量の酸素を「抽出」し、送り込むイメージ。
集中する。掌の中の空気が、自身の意思に従って、特定の粒子だけを密に、濃く変えていく。
メグルがその「塊」を思い切り吸い込むと、肺の奥がすっと軽くなった。
どんよりと重かった思考が霧が晴れるように澄み渡り、視界がわずかに明るさを増す。
ほんのわずかな魔力の消費。
だが、メグルは確かな手応えを感じていた。
「……」
シオンは冷静な顔でメグルを観察している。その鋭い視線に、何かを見抜かれたのではないかと一瞬心拍が跳ねた。
「どうかしましたか?」
店主は不思議そうな顔でメグルに問いかける。
「いや、自分の無力さを実感していただけです」
メグルの言葉を聞き、店主は同情のような目を向けた。きっと魔法が使えなくて可哀想に、とでも思っているのだろう。
しかし、実際には魔法は使えた。
今の自分では、即死させるほどの高濃度酸素を作り出すのは魔力量的に無理だろう。
あとは、この地味で目に見えない力を、どのように有効活用していくかだ。




