第5話 スプーン勇者、バレる
――その頃、魔王城。
重厚な扉の向こう、広間には冷たい空気が満ちていた。
石造りの床は音を吸い、並ぶ魔族たちは一言も発さず、ただ前方を見つめている。
玉座は、空のまま。
その前に立つ一人の男に、視線が集まっていた。
「報告します」
その静寂を破るように、一人の魔族が跪いた。
額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
「森にて、ゴーレムが撃破されました」
「ほう」
男が、ゆっくりと目を細める。
その視線だけで、空気がわずかに重くなる。
「どの程度の戦力だ」
「……単独です」
「単独?」
低く、抑えた声。
「はい。勇者と思われる人間が、一人で」
一瞬、空気が止まった。
「武器は?」
短い問い。だが、その圧は重い。
魔族は一瞬だけ言葉に詰まり、喉を鳴らす。
「……スプーンです」
「…………は?」
空気が、凍りついた。
男が、わずかに前に身を乗り出す。
「もう一度言え」
「スプーンです」
「聞き間違いか?」
「いいえ」
沈黙。長い沈黙。
誰も、息をすることすらためらう。
「ふざけているのか?」
「いえ」
周囲の幹部たちがざわつき始める。
「スプーン……?」
「食器の?」
「いやありえんだろ」
「黙れ」
低く、しかし逆らえない声。
一瞬で場が静まり返る。
男――魔王軍幹部の一人、ガルドは腕を組んだ。
「……その人間」
「はい」
「本当に、ゴーレムを倒したのか」
「はい。目撃証言も一致しています」
「……」
「……スプーンで?」
「はい」
「…………は?」
(二回目)
*****
■一方その頃
森の中。
木々の隙間から差し込む光が、ゆらゆらと揺れている。
「……なんか見られてる気がする」
俺は足を止めて、周囲を見回した。
風が吹く。葉がざわりと揺れる。
――それだけだ。
なのに、視線だけが消えない気がする。
「気のせいだ」
「気のせいです!!」
「ほんとか???」
信用ならない。
この二人、信用ならない。
「それより勇者様」
カイルがずいっと顔を寄せてくる。
目がキラキラしている。
嫌な予感しかしない。
「さっきのスプーン様、すごかったです!!」
「やめろって言ってるだろ!!!」
「でも実際すごいです!!」
「それはそうなんだけど納得いってない!!!」
「……噂は広がるだろうな」
エルミナがぽつりと呟く。
「え?」
「ゴーレム撃破だぞ。しかも単独」
「……あー」
それは、まあ、そうだ。
「間違いなく、“勇者が現れた”と認識される」
嫌な予感しかしない。
「で、その武器がスプーン」
「やめろ」
即答した。
「……否定はしないが、言い方がひどいな」
エルミナが小さく眉をひそめる。
「でもスプーン様ですし!!」
「やめてくれ」
いろんな方向から違う種類のストレスが来るんだが???
*****
■再び魔王城
「……面白い」
ガルドが、ゆっくりと笑う。
その笑みは、冷たく歪んでいる。
「スプーンでゴーレムを倒す勇者、か」
広間の空気が、さらに重く沈む。
「仮に事実なら――」
その目が、鋭く光る。
「危険だな」
その一言で、場の温度が下がる。
――危険……?
誰も口には出さない。
だが、その場にいた全員が、同じ疑問を抱いた。
スプーンで?
……あの、スプーンで?
いや、だがゴーレムを倒したのは事実で――
思考が追いつかない。
……どういうことだ?
「偵察を出せ」
「はっ」
「情報を集めろ」
「はっ」
「そして」
一瞬、間を置いて。
「……本当にスプーンか、確認してこい」
「そこ???」
思わず部下が顔を上げた。
「そこですか!?」
「重要だ」
「いや重要ですけども!!!」
「スプーンであれば尚更だ」
「なんでですか!?」
「意味がわからん」
「わかります!!!」
*****
■森
「くしゃみ出そう」
鼻がむずむずする。
「風邪か?」
「違う気がする」
「スプーン様が呼ばれているのでは!!」
「絶対違う!!!」
俺は手に持ったスプーンを見る。
銀色のそれは、相変わらず普通だ。
何の変哲もないスプーンである。
なんだか普通すぎて腹が立つ。
「……なんか、嫌な予感すんだよなぁ」
「気のせいだ」
「気のせいです!!」
「ほんとかよ!!!」
そのとき、風が、変わった。
ざわり、と木々が一斉に揺れる。
空気が、一瞬で張り詰める。
肌が、粟立つ。
「……エルミナ?」
「ああ」
彼女の表情が、わずかに引き締まる。
さっきまでの軽さが消えている。
「来るぞ」
「えっ」
「早いな」
「何が!?」
上。
視線を上げた瞬間――影が一つ、音もなく降り立った。
枝を踏む音すらない。
そこに“いた”としか思えない。
「……見つけた」
黒装束の魔族。
細い目が、まっすぐこちらを射抜く。
――いや、違う。俺じゃない。
視線は、俺の手にあるそれへ。
逸れない。まるで、それだけが目的みたいに。
「……それが、“スプーン”か」
「やめろ!!!!!!!!」
いや、わかるけど!
なんで敵まで言うんだよ!!!




